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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
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2-12

本ページには残酷表現、性暴行の描写等があります。閲覧の際はご注意ください。

十二


 藤堂綜士郎は五瀬県(ごせけん)藤生郷(ふじゅうごう)の生まれである。八洲北東に位置するこの村は、大応連山(だいおうれんざん)という大きな山脈の麓にある。香瀬高早神(カゼタカハヤノカミ)の居所──神奈備(かむなび)と言われるこの山脈の一部地域は、祭祀のとき以外は立ち入りを禁じられ、厳重に管理されていた。

 綜士郎は四季を問わず迷惑な(おろし)を吹かせるこの山脈が、あまり好きではなかった。

 彼が楽しく過ごしていたのは、小学生の頃までだ。とはいっても、綜士郎の家庭環境は複雑で、あとから振り返ってみて一番気楽だったのが小学生の時分だったというだけだ。その頃の綜士郎は近所でも有名な悪童として、頻繁に他家の柿を盗んでは叱られていた。

 幼少時の綜士郎は、近所の他の家よりずっと貧しい暮らしをしていた。

 原因は彼の父である。父は働きもせず日頃からぶらぶらしていて、あまり家に帰らない。街の方に女を作っているらしく、たまに帰ってきたかと思えば、紡績工場で働いていた母に金の無心をする。そもそも父と母は籍すら入れていなかった。藤堂は母の姓である。

 父はたまに帰ってきたと思ったら、酒を飲み、息子へうざったく絡んだ挙句、生意気だと綜士郎へ暴力をふるう。母が必死で止めてくれたが、今度はその暴力が母へ向かう。綜士郎は父が大っ嫌いだった。憎んですらいた。

 そして彼は父親似の自分の顔が嫌いだった。他より高い背丈も父親譲りだったから、褒められてもまったく喜ばしくはない。


 彼の人生が転変したのは、小学校を卒業した直後。

 しばらく帰って来なかった父が、そのまま蒸発した。せいせいするとばかりにしばらく母と平穏な生活を送っていた綜士郎だが、後に大問題が発覚する。父の借金だ。

 両親は籍を入れていなかったが、やっかいなことに父は綜士郎を認知していた。相続権が綜士郎にあることが分かったのだ。

 後年、相続を放棄すればよいと知ったとき、綜士郎は本当に悔しかった。当時この知識さえあれば、自分と母の人生はもっとましだったかもしれない。借金発覚当時、母は女でひとつで息子を育てるため、工場での勤務に忙殺されていた。親子に法に関する知識は乏しく、また、借金の相続を回避するための知恵を親子に与えてくれる者など、周囲にはいなかった。さらには。

 あの父が借金を借りているところが、まともなところではないと思っていたけれど。

 親子のつましい住まいに現れた借金取りは、やはりろくでもない輩であった。証文を手にひたすら返済を連呼し、母に良からぬ商売をさせようと、無理矢理手を引いて連れて行こうとした。

 だから十二歳の綜士郎は、こう言わなければならなかった。


 俺が働いて返します、と。


 拒む母親から引き離され、綜士郎が連れてこられたのは、大応連山山中の炭鉱だった。神奈備である大応連山を掘り返すことは禁忌である。そんなことが許される神奈備は、八洲広しと言えど獺越家所有の山くらいだ。おそらくは無認可、かつ違法の操業だった。地元の警察やらに目こぼしされているのは、やはりろくでもない裏事情があってのことだろう。

 炭鉱には他にも、綜士郎と同じ年頃の少年が複数いた。大体同様の家庭事情を抱えての労働だった。綜士郎も含め、少年たちは家に帰ることも許されず、家族に会うこともかなわず、昼夜問わず暗い炭鉱の中で、大人以上の働きを要求された。

 一緒に働く中で、綜士郎には親友ができた。藤生郷から離れた村に住んでいたという、ひとつ年上の啓太(けいた)だ。明るい少年だった。

 幼かった綜士郎は、啓太たちと肩を並べて必死で働いた。少年たちはわずかに支給される食糧を、足りない者に分け合ったりした。自然、仲間同士の絆は深くなる。

 俺の人生は炭鉱の中で閉じてしまうのだろうか、というのが、当時の綜士郎の不安だった。けれど、周囲には啓太ら仲間がいる。なんだったら成り上がってやるか、とも綜士郎は思っていた。暗がりの日々の中で、綜士郎は十三歳になった。それくらいの時期だった。

 真夜中に事件は起きる。その日たまたま仲間と離れ、申し訳程度の寝所で眠っていた綜士郎は、自分に触れる手の感触で目が覚めた。暗がりで目を凝らして見えたのは、いつも自分たちを痛めつけている上役の男である。何をしている、と言いかけた綜士郎の口に布切れを突っ込んで塞ぎ、男は言った。綺麗な顔をしてるんだ、女の代わりもできるよな、と。

 無理矢理服に手を突っ込んであちこち撫でまわす男の手に、綜士郎は必死で抵抗する。

 抗っている最中、がつ、と鈍い音が響いた。そして綜士郎の上に男が倒れこむ。暗闇の中、綜士郎の手にどろりとした感触。男は頭から血を流して死んでいる。


「綜士郎! 早く来い!」


 啓太の声だ、と綜士郎は男の身体を押しのけて声の方へ駆けた。炭鉱の入り口付近で啓太に追いついた。啓太はつるはしを持っている。炭鉱の入り口から差し込む月の光に、つるはしの先端が濡れているのが見えた。血だ。


「……逃げよう。みんなも連れて」


 綜士郎は寝ている仲間を叩き起こし、啓太とともに夜の山中を麓へ向けて走った。

 それから藤生郷ではない、見知らぬ街にたどり着いた。持ち合わせもなく、少年たちは当然のように路上生活を送ることとなる。

 生きるために仕方なく、すりや強盗まがいの行為にも手を染めた。借金を放棄して逃げ出して、母がどういう目に遭っているだろうかと、夜、いつも考えては眠れなかった。けれど考えるだけで、綜士郎はひとまず仲間と生き延びることで精一杯だった。そんな綜士郎や少年たちを、啓太はいつも底抜けの明るさで励まし続けていた。自分も、炭鉱の男を殺して眠れないだろうに。

 不良少年たちが捕まったのは、逃亡から二週間後のことだ。ねぐらにしていた空き家を警官に取り囲まれたのだ。

 本来ならば犯罪を犯した者は、いったん留置所へ拘置される。少年であってもだ。けれど綜士郎たちはそうはならなかった。

 捕まった少年たちは各々縄で両手を縛られ、山を登らされた。最初は、また炭鉱に戻されるのかとも思ったけれど。


 夜半になるころに着いたのは、大応連山のもっとも奥地だった。轟々(ごうごう)と絶え間なく風が吹きつけ、生い茂った木々が不気味なうなりをあげる、そんな場所だ。縄をかけられたままの少年たちは、そこで放置された。


「貴様らは人を殺した挙句、無辜の市民の財物を強奪し、非道の限りを尽くした。ここは禍隠の通報のあった場所、一晩ここで過ごし、生き残れば罪を赦免してやろう」


 そんな馬鹿な話があるか、と小学校を出たばかりの綜士郎でも思った。大人たちが去った後、啓太は早々に木々の梢に縄を擦り付け、摩擦でなんとか縄を解こうと試みている。何人かは縄がついたまま、麓の方面へ駆けだした。しかし。

 駆けだしていた複数名から悲鳴が上がる。真っ黒い、大きな何かが、見知った少年を食いちぎっている。


「禍隠だ」


 (はらわた)と血が飛び散ってくる中、慄きながら啓太がつぶやいた。慌てて綜士郎と啓太、残る少年たちは踵を返して走り出す。背後で何人かの悲鳴が上がった。けれど振り返れない。

 しかも禍隠は一体ではなかった。低く唸る恐ろしい声が、いくつも綜士郎たちの背を追って走ってくる。


「あっ!」


 綜士郎の前を走っていた啓太が転んだ。反射的に綜士郎は立ち止まる。己の窮地を救ってくれた啓太をかばわねば、と思った。すでに禍隠は啓太の足のすぐ手前まで迫っている。月明かりに、何人も友達が骸になっているのが一瞬見えた。

 熊のような、狼のような。判別のつかない形状の禍隠が、臭い(あぎと)を開き、爪を振りかざす。綜士郎は啓太と禍隠の間へ割って入り、目を瞑った。


──神さま、どうか……。


 そこからだ。綜士郎を苛み続ける、悪夢の異能が宿ったのは。


 禍隠の爪牙が届く前に。綜士郎の脳髄に、感じたこともない感覚が怒涛の勢いでなだれ込む。

 それは、この一帯を包む大気の全容である。大気が触れる、草、木、岩、その他すべての構成物から成る地形。すでに死んだ仲間の骸の表層の有様。禍隠の姿かたち、その体内にある、空気の触れる呼吸器官、消化器官の形状。それは啓太ら、生き残った人間の体表、体内の状況も同様に。視覚でも聴覚でも、五感のどれでもない感覚が綜士郎の脳の中で強烈に閃いた。

 そして制御できない異能は暴発する。


 周辺の大気が膨張した。綜士郎の意志ではなかったが、自分がそれを引き起こした手応えは、いまでも昨日のことのように覚えている。未知の感覚はいやが応にも綜士郎へ、何が起こっているかをまざまざと知覚させた。

 木々を引き倒さんばかりに風が吹き、草花は吹き飛び。

 禍隠は内側から破裂した。

 啓太も、友達も、みな。


 そうして綜士郎は生き残ってしまった。

 朝日が昇った後に見た、啓太だった肉片は──異能の感覚の中で感じたままの姿をしていた。

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