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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
47/114

2-11

十一


「まったく、お前には参るよ」


 夜、月明かりの入る作戦室。入室するなり、先に待機していた五十槻へ、綜士郎はそんな風に声をかけた。

 振り返り、立ち上がり。挙手礼して出迎える五十槻の頬へ、ぺとりと冷たい物が押し付けられる。サイダーの瓶だ。


「これは……」

「サイダー。酒保で買ってきた」


 瓶を受け取って、五十槻はそれをじっと見ている。綜士郎はどかっと五十槻の隣の椅子へ腰かけると、酒保で借りてきたらしい栓抜きで瓶の蓋を開けた。しゅわっと軽やかな音が響くとともに、綜士郎は瓶を一気に煽る。ぐびり、ぐびり、と喉を鳴らして彼がサイダーを飲む様を、五十槻は横目でちらりと見た。詰襟の軍服から垣間見える喉ぼとけは、五十槻にはどうあっても望めないものだ。僕と大尉は違う、全然違う、と五十槻は俯く。


「飲まないのか? うまいぞ」

「……甘い飲み物なんでしょう。飲んだことはありませんが」


 知ってます、という五十槻に、綜士郎は「そうか」と短く返した。ちょっと寂しそうな声だった。


「無理強いはしない。でも、飲みたいと思ったら飲みなさい」

「…………」


 目線を落としている五十槻へ、綜士郎は案じるように声をかける。


「……まだ痛むか?」

「頭と頬、どちらのことでしょうか」

「ははっ、そうだな。お前は今日、平手打ちに拳骨と、二回もぶたれてるからな」


 あまり説教という雰囲気ではない。そもそも美千流の平手の威力はさほどではなく、綜士郎の拳骨もまったく痛くなかった。「どちらも痛くありません」という五十槻が答えると、綜士郎は「そうか」と今度は安心したように言った。五十槻はそんな彼へ尋ねる。


「僕は……清澄さんに不義理を働いてしまいました。友達じゃなくなってしまうのでしょうか」

「その心配はまあ……たぶんないとは思うが。でも、今後の付き合いをしていくうえで、今日みたいな失敗は繰り返さないようにしないとな」

「難しいです。人付き合いにおいて、僕には欠如しているものがたくさんある。どうやって培っていけばいいものか……」

「そうだな……でも、それを思い知ったことが、五十槻にとっての収穫じゃないか? 前向きに捉えなさい」


 本当に兄のようだ。綜士郎はまたサイダーをぐびっと煽った。好物なのか、美味しそうに飲んでいる。五十槻もちょっと飲んでみたくなったけれど、今日はこれ以上甘味を口にすることはできない。


「なあ五十槻。少し確認したいんだが」


 綜士郎が、若干問い質すような口調になりながら尋ねる。


「お前もしかして、人が結婚すれば自動的に幸せになると思っていないか?」

「違うのですか?」

「マジかよお前……なんとなく、そう考えてそうな節があるとは思っていたが……」


 藤堂大尉はがっくりと項垂れた。大尉を落胆させてしまったことに、五十槻も内心自分にがっかりした。やっぱり、自分の中にある良識と、世間のそれはずれているらしい。


「僕は、僕の知っている夫婦は……両親や姉たち、崩ヶ谷(つえがたに)中尉ご夫妻は、みな仲睦まじく、幸せそうです。だから」

「あのな。世間にゃ不仲の夫婦や、望まぬ結婚をした同士なんてごまんといるんだぞ。結婚してようが、幸せじゃない連中なんていくらでもいる」


 信じられない、という面持ちをしている五十槻へ、綜士郎も困ったような顔を向ける。思ってた以上に世間知らずだな、こいつ。という顔である。


「お前のご両親や姉さんたちはどうか分からんが、崩ヶ谷のところは好き合って結婚した夫婦だ。崩ヶ谷の方がベタ惚れしててな、それで幸せに見えるのかもしれん。まあ、あいつは実際幸せだろう」


 ほとんど空になったサイダーの瓶を持て余しながら、綜士郎は続ける。


「でもな、五十槻。俺は結婚なんてしたくないと思っている。無理強いで縁組させられたとて、そこに俺の幸福はない。相手の女にも迷惑だ」

「……僕はただ、大尉に幸せになってほしかっただけなのですが……」


 ぽつりと吐露する五十槻に、綜士郎は苦笑ぎみにため息を吐いた。「気持ちはありがたいがなあ」と綜士郎は続ける。


「結婚したくないって言ってるやつに、無理矢理結婚させることが、そいつの幸福につながるのか? 意志を無視しした価値観の押しつけは、俺は違うと思う」

「価値観の押しつけ……」


 反芻する五十槻の隣で、綜士郎は大きく嘆息した。


「俺もお前のことは言えない。実はな、今日お前と話をしようと思ったのは、甲に言われたからだ」

「甲伍長に?」

「禍隠との戦闘から、お前を遠ざけている件だ。言われたよ。お前にああいう仕打ちをするということは、将校になるために努力してきた、お前のこれまでの人生を否定することだって。それで……ちゃんとお前と対話しろってさ」

「伍長……」


 甲精一は不思議な男である。ふだんはちゃらんぽらんのスカポンタンで通っているが、ときどきこうやって、きちんと他者を気遣える一面を見せる。


「俺個人としては、十五歳のガキが前線に出て化け物と戦うのは、やはりどうかと思う。けどお前のこれまでの人生は、それを果たすために費やされてきたんだよな?」


 複雑そうな感情を帯びて落ちてくる視線へ、五十槻はまっすぐに紫の瞳を向けた。五十槻はこくりと頷く。


「俺もお前に自分の価値観を押し付けていた。似た者同士だな。お互い、自分の価値観っていう狭苦しい枠組みに、互いを当てはめようとして」

「…………」

「悪かったよ。今後は……五十槻のことも、きちんと戦力として扱う。……身の安全には配慮させてもらうけどな」


 項垂れながら言った後、綜士郎は年相応の青年の面持ちを覗かせながら続けた。


「実は、上からもずっと言われてたんだ。なんで八朔少尉を前線に出さねえんだってさ。そういう圧に逆らうことがお前のためだって、自分に言い聞かせてた。指揮官失格だな、上からの指示を聞かず、私情を挟みまくって」

「そんなことありません。藤堂大尉は、僕が一番尊敬する指揮官です」

「ははは、そうか。尊敬されるようなことに、心当たりが無いんだがなぁ……」

「……藤堂大尉は」


 五十槻はぎゅっとサイダーの瓶を握りしめながら、当人を前に、初めて彼を敬慕する理由を述べた。


「僕に直接感謝の言葉をくださった、初めての上長です。そのときから私淑しています。ずっと……」

「そうなのか?」

「そうです」


 五十槻は淡々と、けれど崇敬の念を込めながら語る。


「僕が第一中隊へ配属になって、最初の禍隠討伐のときです。大型の禍隠が皇都郊外で暴れ、住民だけでなく、周辺の家屋にも甚大な被害が出ました」

「そういえばあったなぁ、そんなこと」


 昨年四月。初陣だった五十槻は、難なく祓神鳴神(フツカンナリノカミ)の神籠で大型の禍隠を討ち取り、華々しく武功を挙げた。その作戦終わりのことである。討伐が完了し、終わった終わったとばかりに、士卒が三々五々散っていく中。五十槻は後処理についての指示を仰ぐべく、当時中尉だった藤堂綜士郎を探していた。周辺住人はすでに全員避難しているはずだった。

 綜士郎は倒壊した家屋の前にいた。倒れた柱を持ち上げて、崩れた家の中へ何か呼びかけている。何をしているのか察して、五十槻は慌てて駆け寄り、柱を持ち上げるのを手伝った。家屋の中には家具の下敷きにされた老爺がいて、二人がかりで無事に助け出すことができた。おそらく綜士郎は作戦中、自身の神籠で周辺の状況を探っていたのだろう。それでいち早く取り残された生存者の存在に気付き、救急へ応援を要請するとともに、自身も救出へ回っていたらしい。

 老爺を救護の担当へ引き渡し、見送って。綜士郎は五十槻へこう言った。新米の少尉に対し、きちんと目を合わせながら。


「八朔少尉の力添えで、じいさんも無事に助け出すことができた」


──ありがとう。


 あのありがとうを、五十槻は生涯忘れることはないだろう。

 話し終えた五十槻へ、綜士郎は唖然とした表情を向けている。


「……それだけ?」

「ええ」

「そんな些細なことで……?」


 綜士郎は呆れていた。その一言だけで、ずっと尊敬してましたなんて言われても。尊敬されている上官本人は反論する。


「そんなわけないだろう。お前に『ありがとう』の一言を伝えてくれる大人くらい、身近にいただろう」

「父や継母、姉たち……あとは御庄先生もよく、僕に感謝の言葉をかけてくださいます」

「そうだろうが」

「けれど、上長という立場の方からそういったお声がけを頂いたのは、やはりあなたが初めてなんです」


 上長。学校の先生や、士官学校の教師なども含まれるのだろうか。五十槻の心底真面目な真顔の横で、綜士郎は思う。この十五歳の世間知らずの少尉は、もしかするとこれまでの人生で、他者から受け取った善意の総量が──あまりにも少ないのではないかと。だから、ちょっと優しい言葉をかけてうまい飯を奢っただけの綜士郎に、手懐けられた犬の如くついて回る。おそらく五十槻の世間知らずは、ここに起因している。


「それに僕は、あのときおじいさんを救われた大尉を、神籠の手本のような方だと思いました」


 五十槻はまだ真剣に続けている。紫の瞳はやっぱりまっすぐで、尊敬の念を一心に伝えている。


「大尉から見れば些細な出来事だったかもしれません。けれど僕にとっては大きなことだった。僕は、大尉から受け取ったものは全部宝物のように思っています。感謝の言葉をかけられたことも、民草を守り救う姿も、おいしいごはんをご馳走してくださったことも、僕と関わってくださったこと、ぜんぶ」

「そ、そうか……」


 綜士郎は五十槻の言葉を、照れくさい面持ちで聞いていた。けれど大尉はふと、その表情を曇らせる。


「五十槻。慕ってくれるのはありがたいが……俺はお前の尊敬に足るような人間じゃない」


 俺の話を聞いてくれるか、と五十槻へ前置きして。綜士郎は暗い口調で語った。


「俺はな、五十槻。神籠で人を殺したことがある」

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