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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
45/116

2-9


「料理こないな」


 料亭吉野の一室で、綜士郎は出入口の襖を振り返った。卓を挟んで向かい側では、彼の母親がのんきな仕草でお茶をすすっている。


「忙しない子ね。ゆっくり待ちなさい」

「とは言っても、随分経つぞ。もう少し待ってこなかったら、文句言いに行ってくる」


 母親が予約したというこの部屋は、なかなかいい立地の部屋である。縁側越しに庭園へ面していて、障子戸を開けば風情ある景色を堪能することができるらしい。寒いので閉めているが。

 綜士郎はちょっと解せない気分で、母と面している。親子水入らずでちょっとお高めの料亭へやってきたはいいが、なぜか服装に指定があった。母は「必ず軍服で来い」と注文をつけたのだ。


「なあおふくろ。なんで今日、俺は軍服で来ないといけなかったんだ? 休みの日くらい勘弁してくれよ」

「だって、大尉さんになったんでしょう? せっかくだったら、肩章に増えた星が見てみたいじゃない?」

「このあいだ中隊に来たときに見ただろうが」

「じっくり見れてないの!」


 言うわりには、母は肩章にさほど興味を示していない。どういうことだよ、と綜士郎が不思議に思っていると。


「失礼します」


 すっ、と突然、庭に面した障子戸が開かれた。風流な庭園を背景に、縁側に正座して端然と頭を下げているのは、五十槻である。隣にはなぜか、水色の振袖姿の清澄美千流の姿もあった。美千流はこちらを見てきょとんとしている。五十槻は頭を上げて言った。


「遅くなりましたが、お連れしました」

「もー、待ってたわよ五十槻くん! まあお綺麗な別嬪さん!」

「お、おふくろ?」


 突然現れた八朔五十槻に驚くそぶりも見せず、母・ひろみは嬉しそうに座布団から立ち上がった。そして美千流を部屋へ招き入れると、「ここ、ここに座ってね!」と自分の使っていた座布団を勧める。「はあ」とよく分かってない顔の美千流が、それに従った。

 綜士郎と美千流を向かい合わせに座らせて。

 五十槻とひろみは、縁側から並んでその光景をじっと確かめた後、そっと障子戸を閉ざそうとする。


「では、後はお若い御両人だけで……」

「いやいやいや!」

「どういうことよ五十槻さん!」


 だまし討ちされた二人は当然意味が分からない。いや、綜士郎は合点がいった。なるほど、軍服指定があったわけである。


「こら五十槻! そんでおふくろも共犯か! だから人の同意なく勝手に見合いを仕組むなばかたれ!」

「ちょっと五十槻さん! 思ってた話と違うんだけど! ねえこの人あなたの上官でしょ? 見合いって何、どういうこと!?」


 この状況でも、五十槻は真顔を崩さない。問い詰められても強引少尉は恬淡(てんたん)と答えるのみである。


「ご結婚を希望されていたので、ちょうど嫁探し中の藤堂大尉とお見合いをしていただこうかと」

「全ッッッ然聞いてない!」

「人様に迷惑かけて何やってんだお前は!」


 ふたりから猛烈な勢いでツッコミを食らいつつも、五十槻は冷静だ。


「では改めてお見合いをしていただきたく。さ、御母堂。僕たちは席を外しましょう」

「頑張んなさいよ綜士郎! お嬢さん、うちのばかたれをよろしくね? じゃあ行きましょ五十槻くん」

「ま、待って!」


 有無を言わせず綜士郎と美千流を残し、五十槻とひろみは腕を組んで去っていく。すっと閉ざされる障子戸。


「五十槻さん! 聞いてないわ、そこまでの年上趣味だったなんて! どういう守備範囲してんのよ!」

「守備範囲?」


 令嬢は五十槻とひろみの関係を何やら誤解しているが。綜士郎はばかでかいため息を吐いて、今日のこの親子水入らずが、仕組まれた策略であることに改めて困惑した。


「……すまない、清澄のお嬢さん。うちの部下が、騙し討ちのような真似をして」

「…………」


 五十槻の代わりに謝罪する綜士郎へ、美千流から物言いたげな視線が向けられる。綜士郎は詫び言を続けた。


「迷惑をかけて申し訳ない。あなたがこんな茶番に付き合う必要はない、今日のところはお帰りを……」

「ちょっと、聞きたいことがあるわ」


 言いかける綜士郎を制して。美千流は座布団へ座り直すと、綜士郎の鷹のような目を見据えながら尋ねた。


「あなた、結局五十槻さんの何?」

「何って……」


 十五歳の令嬢の気迫に押されて、綜士郎はなんとなく居住まいを正した。今度は急に面接が始まった。何、と言われても。


「ただの上官だが」

「本当に? ただの? あと、さっきのおばさん誰?」

「ありゃうちの母親だ」

「あなた五十槻さんの義理の息子になる気?」

「いったい何の話だ!」


 五十槻や母親に翻弄されたと思ったら、今度は清澄財閥の令嬢からあらぬ疑惑をかけられている。

 綜士郎は目の前のこの令嬢とは、一度だけ面識がある。櫻ヶ原の事件の際、学院地下で五十槻を救出したときに居合わせた。その際に五十槻のことをいたく心配している様子だったから、おそらくはあのばかたれを悪しからず思っていそうではあるが。


「冗談は置いといて。正直、私……五十槻さんはあなたのことが好きなんじゃないかと思っているわ」


 令嬢の勢いは止まらない。恋する乙女の、射干玉の瞳は真剣だ。


「五十槻さん、私とのお手紙のやりとりでも、美味しいごはんの次に話題に出すのがあなたのことばかり」

「へえ。あいつ、お嬢さんと文通してるのか」

「微笑ましく聞かないでくださいまし!」


 美千流はひときわ機嫌を損ねたように一声発すると、まだまだ続ける。


「あの方、あなたに褒められたり、信頼されたりすると、すごく嬉しいんですって。部下として接するだけでも畏れ多いのに、頻繁に外食に連れ出してくれたり、御実家へお泊りできるよう取り計らってくれたり……とても感謝してるそうよ」

「そ、そうか……」


 そういった感謝はふだん五十槻からも直接聞かされているから、いまさら驚きもしないが。こうして第三者からもそれを伝えられると、少し気恥ずかしいものである。素直に照れている綜士郎へ、美千流は露骨に顔をしかめた。


「とにかく、五十槻さんの中でのあなたの存在が、大きすぎるの! いちいち手紙でそれを表明される、私の身にもなってごらんなさい?」

「それは……」


 存在が大きすぎる、などと言われても。目の前の幼い少女には、おそらくそれが恋愛感情にでも見えているのだろうか。綜士郎にもよく分からない。五十槻から向けられる、ありがた迷惑な感情の正体なんて。それは、少なくとも恋愛なんて代物ではなさそうだ。現に今、綜士郎は五十槻によって見合いを無理強いされている。


「好きとかそういうことじゃなくて、ただあいつは軍人たるべく、上官へ自分なりの敬意をはらっているだけじゃないか? たまたま俺があいつの上官をやってるだけだ」


 軍隊のなかでは上官と部下との信頼関係が強すぎて、傍から見て関係があやしく見えることも少なくない。五十槻もたぶんそれと似たようなことではないだろうか。最近頻繁に外食へ連れ出しているし、ただ懐かれているだけだろう、と綜士郎は思う。

 綜士郎の見立てに、美千流は満足しないようだ。むぅっと可愛らしい顔を不機嫌に歪めると、卓へバンと手をつき、立ち上がった。


「とにかく! 私は絶対、あなたなんかに負けないから!」


 そう宣戦布告して、美千流はさっさと障子戸を開けて去っていく。ぴしゃりと閉められた障子戸の内で、綜士郎は頭を抱えた。


(五十槻、あいつ……いったいどうするんだ?)


 清澄美千流は、明らかに八朔五十槻へ思いを寄せている。たぶん五十槻本人は気付いてすらいないだろう。

 しかし五十槻は本当は女の子だ。けれど美千流は彼女を、少年だと思っていて。

 そして綜士郎は恋敵の扱いである。


「めんどくせー……」


 綜士郎は高級料亭の一室でひとりきり、ひたすらに苦悩した。


      ── ── ── ── ── ──


「清澄さん?」


 庭で綜士郎の母といたところ、五十槻は早々に部屋から出て来る美千流の姿を見た。美千流は障子戸をぴしゃりと閉めて、不機嫌な顔で縁側を歩いている。


「あら、綜士郎のやつ……お嬢さんのご気分を害するようなことを言ったかしら?」

「僕が聞いてきます」


 五十槻は早足で美千流のところへ駆け寄った。ちょうど彼女が、縁側の沓脱石(くつぬぎいし)で履物に足を掛けたところで追いつく。


「……どうなさいました。ご気分がすぐれないようですが」


 美千流は無表情で履物を履くと、立ち上がって五十槻の方へ向き直った。そしてぐっと唇を噛んで。


 ぱしんっ。


「…………え」


 美千流は五十槻の頬を強かに打った。

 叩かれた頬は、さほど痛くない。ぶたれると思った瞬間、五十槻は歯を食いしばったから。けれど叩かれた部位には赤みが浮いている。戸惑った声を上げたのは、ぶたれる理由に心当たりがなかったからだ。


「もうっ、この朴念仁! 私は、私はてっきり……!」


 少女は続けて、泣きそうな顔で言った。けれどそれ以上の言葉を、ぐっと堪えるように飲み込む。

 美千流には分かっていたはずだった。目の前のこの朴念仁が、自分にそういう感情を向けていないということを。ビフテキのあの日、状況に流されるまま舞い上がっていた自分が、いまはただ滑稽に思える。五十槻の紫の瞳はただ戸惑った色を浮かべていて、美千流が何に対して怒っているのか、理解できていないようだ。

 射干玉の瞳を俯かせて、美千流は消沈した。そもそも、美千流は彼に対して負い目がある。過去に讒言し、傷害しようとし、毒殺未遂に近しい行いもした。五十槻に想いを寄せる資格など、もしかしたら、最初から。


「……ううん。なんでもない。急にぶってごめんなさい」

「清澄さん……」

「あらあら、美千流さん。どうしたのかしら」


 ざっざっ、と足音を立てて。庭園をこちらへ歩いてくるのは、清澄京華だ。同時に藤堂ひろみも、慌てたように五十槻のもとへ駆けてくる。


「まあまあどうしたのあなた達、けんか?」

「なんでもありません、御母堂」


 ひろみの心配そうな問いへ、五十槻は顔色を変えずに答えている。一方の美千流は、悲しそうな目で京華を見上げていた。

 京華は何も言わず、美千流の髪をそっと撫でる。いつものおっとりした笑みを妹へ向けた後、京華は五十槻へ視線を送った。何とも言えないような表情をしている。


「……八朔くん。妹が失礼をしてしまったようね」

「いえ……」

「でもね」


 旗袍の裾を揺らしながら京華は五十槻へ歩み寄り、その耳元へ唇を寄せ、囁いた。


「無自覚とはいえ、あまり女心を弄んではだめよ。まあ、きみにはまだ何のことか、分からないだろうけど」

「?」


 京華の言う通り、五十槻にはなんのことかよく分からない。女性なのは身体だけ、やはり五十槻には女子の考えていることがさっぱりだ。分からない顔をしている五十槻と、それから美千流へ、京華はにっこりと笑みを送る。


「さ、美千流さんも八朔くんも。料亭を出たところでおしるこ売ってるわよ。それ食べて仲直りしなさいな」

「もう、お姉さま! 子ども扱いしないでちょうだい!」


 美千流はちょっと元気を取り戻したようだ。しおらしいのはほんの一瞬だけである。少女は五十槻をキッと睨むと、「行くわよ!」と隣に伴って歩き出した。


「あの……清澄さん、おしるこって何ですか?」

「うーん、なんでしょうねー! 食べるとムッキムキの男らしい肉体になるお料理じゃありませんこと!? 全然甘くなくてございましてよ、きっと!」

「そうか、それなら食べても問題なさそうだ」


 歩いていく十五歳達を、うふふと見送って。京華は成り行きを心配そうに見守っていたひろみへ、おっとりとした口調で声をかけた。


「藤堂綜士郎さんの、お母様でいらっしゃいますね。妹が途中退出してしまったようで……」

「あら、あの子のお姉さん? まあまあ、姉妹そろって別嬪さんなのね。びっくりしちゃった」

「うふふ。それで、もし宜しければなんですけれど……」


 太華の衣装を纏った美女は、ふわっと上品に笑った。


「お見合い、選手交代してもよろしくて?」

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