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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
43/97

2-7


 ビフテキの会の後。

 清澄邸では問題が起きていた。美千流を尾行していた使用人・今津川(いまづがわ)のもたらした詳報が、当主崇彦(たかひこ)を激怒させしめたのである。


「美千流! 神籠の男と会うなと、あれだけ言い聞かせていただろう!」

「はぁ? いきなり何なのよお父さま!」

「しかも以前にお前に恥をかかせた、獺越(おそごえ)の次男が相手とはどういうことだ!」

「……は?」


 お出かけから帰ってくるなり、父に詰問され、さらに相手は獺越のアホなどと誤解され。

 美千流は玄関先で呆然とした。五十槻にプロポーズまがいの告白を受けた幸福な気持ちが、一瞬にして霧散する。万都里にも今日の食事代をすべて負担させて、最高にいい気分だったのに。


「お、お父さま……どこの誰からそれを聞いたの?」

「今津川に今日、お前をつけさせていた! どこぞの令嬢と獺越を取り合っていたらしいな!」

「こら今津川! なぜお父さまの言うことを聞くの!」


 美千流は父の背後でかしこまっている、馴染みの使用人へ文句をぶつける。しかし今津川は清澄の屋敷に長年勤めている男。お嬢様の睥睨はあんまり効かない。


「へえ。私の雇用主は旦那様ですんで」

「まったく! 日頃から荷物持ちで使ってあげてる恩を、仇で返すなんて!」

「ありゃただの過重労働です」


 今津川の朴訥な返答を聞き流しながら。

 美千流は考えを整理した。今津川から見て、おそらく五十槻は男性ではなく、女性と思われている。当然だ。違和感のない令嬢の姿であの場にいたのだから。そこへ禍隠退治がてら現れた獺越万都里が、二人へ絡んできた。今津川から見れば、神籠の美男子を令嬢二人が取り合っている図にでも見えたのだろうか。実際は、女装少年をお嬢さまと成人男性が取り合っている構図である。


「聞いてお父さま、誤解なの。お友達とお出かけしている最中、あの獺越の次男が突然現れて、連れの子をかどわかそうとしたの。だから私、友達を守ろうとしてただけで!」


 美千流は射干玉の瞳を潤ませながら、父へ懇願する。娘の涙に父が弱いことを、美千流はこれまでの人生で知り尽くしている。美千流が説明している内容もほぼほぼ真実だ。けれど。


「……美千流。もう私にはお前が信用できない。絶対に神籠の奴らを我が家へ近づけるわけにはいかん!」


 父の怒りは深く、決心は固かった。


「お前は当分外出禁止! 学校以外によそへ出かけることは絶対に許さん!」

「なっ、なんですってー!?」


 父の決定に、美千流は絶望した。外出を禁じられたら、五十槻の言う「大事なお話」とやらには、どうやって赴けばいいのだろうか。


 玄関先で行われる父と末娘のやりとりを、ひっそりと廊下の奥で聞きながら。

 清澄京華は目を細めて、父の言葉をそっと小さく繰り返した。


「神籠の奴らを我が家に、ね……」


      ── ── ── ── ── ──


「さて、問題はどうやって藤堂大尉を見合いの席へお連れするかです」


 翌日。ひと気のない、第一中隊の倉庫裏にて。空き時間、いつもの軍服姿で五十槻は思案している。場にはほかに二人、五十槻に与する者が居合わせていた。獺越万都里と、甲精一だ。


「ひゃーっ、昨日そんなおもしれーことあったの! うけるー」


 精一は万都里から事情を聞き、ひとしきり腹を抱えて笑い転げていたところだ。男女の逢瀬に女装で現れた五十槻も面白いし、そこに万都里が合流したのもなかなか修羅場だったろうし、美千流と五十槻がすれ違った挙句勘違いしたまま今に至っているのも傑作だ。精一はこういうときの空気は読める男なので、わざわざ五十槻に美千流の勘違いを指摘したりはしない。万都里と同じく、面白おかしく見守る方針だ。

 抱腹絶倒で息切れを起こしている甲伍長はよくあることなので、五十槻は構わず彼へ告げる。


「現在、自分は藤堂大尉に警戒されており、営外へ連れ出すことは困難です。そういった事情から、甲伍長のお知恵を拝借したい次第」

「だはは、それで俺に話を振ってきたわけか! 黄ちゃんは買収されちゃったしね~」

「ケッ、あの変節漢の守銭奴め!」


 万都里が毒づく。最近の藤堂大尉は小癪にも、崩ヶ谷(つえがたに)中尉を金で操る術を覚え始めていた。崩ヶ谷中尉は掃除代などという名目で金を与えられ、五十槻の側から寝返り、中隊長室の見合い写真を全部処分するなどして、積極的に小間使いを務めている。荒瀬中佐からの中隊人員動員許可とはなんだったのか。

 ともかく、藤堂綜士郎を見合いの席へ引き出さねばならない。でなければ、せっかく了承してくれた美千流に恥をかかせることになる。


「へっへっへ。それに関しては俺に考えがある。将を射んとすればまず馬を射よ、ってね」

「馬?」

「馬というか、母だな。ひろみちゃんに協力してもらおう」


 ひろみとは、綜士郎の母の名である。拡声器騒動のその後、まだ皇都に滞在中だ。精一はなぜかぽっと頬を朱に染めている。


「いつきちゃん、適当によさげな料亭の予約を取ってほしいのと、綜ちゃんのお母さんへお手紙を一通書いてほしい。俺がひろみちゃんの宿まで届けて来るよ」

「承知しました。なんとしたためれば?」

「えーとね、かくかくしかじか!」


 綜士郎の預かり知らぬところで、藤堂大尉嫁取り作戦は密かに決行へ移される。純粋に独りよがりの善意から縁談を推し進める者、ただおもしれーからノリでやってる者、ハッサクの周囲から邪魔者を排除したい者──。

 三者三様の思惑など知る由もなく、綜士郎は中隊長室で書き物をしながら「はぇっきし!」とくしゃみしていた。


 数日後のことである。

 中隊宿舎の綜士郎のもとへ、一通の手紙が届いた。


──ばかたれの綜士郎へ

  そういえばあなたの大尉昇進祝いを忘れていました。母のへそくりで、立派な料亭のお料理をご馳走してあげます。

  二月五日正午、寅山区(いんざんく)青木の料亭吉野へ来なさい。絶対来なさい。  母より


 なんなんだおふくろは、と綜士郎は一筆箋にしたためられた短い文を読んで顔をしかめた。数日前に顔を合わせたときといい、相変わらず強引な母である。しかし、嫁や孫の二字が頻発しない手紙など久々だ。


(まあ、おふくろが皇都(こっち)に来るなんてめったにないことだし、一緒に食事くらいしとくか)


 ちょうど二月の五日は示し合わせたかのように非番だ。綜士郎は特になんの疑いも持たず、机につくと了承の返信を便箋に書き記す。

 書きながら。五十槻も一緒に、と思いかけて、綜士郎はいやいやと(かぶり)を振った。なぜそこで五十槻が出て来るのか。とはいえ母は五十槻を気に入っており、同席させても特に問題はないだろうけれど。

 しかし五十槻はまだ減量とやらを続けていて、以前のように気軽に食事には誘えなくなってしまった。また彼女はここ最近の綜士郎の采配を不服に思っている。料亭に誘う前に、精一の言う通りきちんと話をしなくてはならない。


 ということは久々の親子水入らずの食事である。

 しょうがない、飯代は俺が出してやるかと、ちょっと照れくさい気持ちで綜士郎はその日を待つことにしたのだった。

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