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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
41/114

2-5


 朝。万都里(まつり)は定刻に目覚めると、布団から起き上がったまましばらくぼんやりとしていた。

 夢を見た。八洲撫子の姿をした五十槻(いつき)と、白い砂浜の海岸で手を繋いで走る夢を。

 うっすら微笑する八洲撫子のあどけない顔を思い出して、万都里はへへ、とちょっとにやけた。

 おもむろに立ち上がると、青年はそのまま思い切り壁へガツンと頭を打ちつける。


「おのれハッサクめ! 夢の中までオレを惑わしやがって!」

「おとなりさんうるさいです」


 隣室の書生から壁ドンを食らいつつ、万都里は朝の支度をすることにした。そういえば今日ハッサクは非番か、と自然に考えている自分に気付き、また壁に頭を打ちつけたくなる。けれど、ご近所迷惑を朝から二回も繰り返すわけにはいかない。やはり妙なところで育ちのいい男である。

 朝食を取り軍服に着替えて、出立しようとしたところ。万都里は玄関で下宿の管理人と出くわした。


獺越(おそごえ)の若さん。ご実家から郵便ですよ」

「ああ、いただこう」


 大判の封筒を手渡して、管理人は自分の住まいへ戻っていく。万都里は渡された封筒を見てげんなりした。大きさからいって、中に入っているのは見合い写真だろう。縁組を強いられて辟易しているのは、なにも藤堂大尉だけではない。万都里も日を追うごとに、実家からの圧が強くなっている。

 一応見てやるか、と万都里は封筒から写真の台紙を引き出した。二つ折りの台紙を開いて現れたのは、非常に美しい令嬢の写真だった。ゆるくまとめた黒い髪に、おっとりした微笑。見合い写真なのに振袖ではなく、なぜか隣国、太華風の衣装を身にまとっている。五十槻の存在がなければ、うっかり食指を動かしていたかもしれない。


(だがしかし、オレには心に決めた人が──)


 と、思ったところで。万都里は「だからいちいちオレを惑わせるんじゃないハッサク!」と見合い写真をぶん投げた。ちょうど玄関へ現れた隣室の書生が「おとなりさんうるさいです」と言い残し、大学へ出かけていく。


「くそっ、ぜんぶあいつのせいだ! あんのクソガキめ!」


 散らかった封筒と見合い写真を拾い、とりあえず自室へ放り投げて。万都里は腹立ちまぎれの足取りで下宿を出て、いつもの通勤路を辿っていくのだった。しかし。


(あの女、どこかで見た覚えがあるな……)


 先程の見合い写真の女が、少しだけ気にかかった。そういえば吊書(つりがき)を読み忘れていたので、どこの誰かは分からない。

 まあいっか。オレにはハッサクが……。


「だから違うっつの!」


 歩行しながら急に怒り出す白皙の美青年へ、周囲の通行人から胡乱な目線が集まった。


      ── ── ── ── ── ──


「ど、どう? お姉さま」

「うん、ばっちりよ」


 清澄(きよずみ)美千流(みちる)は決戦に向けて装備を整えている。今日は前から約束していた、五十槻との外出の日だ。

 支度を手伝ってくれた姉に最終確認をし、姿見を見ながら美千流は「うん、よし」と自分へ言い聞かせるようにつぶやいた。

 あまり気取りすぎない、けれど上品な柄の青い小紋。帯は少し暗い色にして、最後に紫色の帯締めを選んだ。紫は八朔家ゆかりの色らしい。朴念仁すぎる彼は、気付いてくれるだろうか。

 美千流は姉に頼んで化粧もしてもらった。姿見に映る美千流は赤い紅をさし、姉のように髪をゆるくまとめている。ふだんより少し大人っぽい雰囲気の少女が、鏡の中で緊張の面持ちを浮かべていた。


「うんうん、美千流さんはやっぱり、大人っぽい装いが似合うわね」

「ほ、ほんと? お姉さま!」

「もちろん、妹に嘘なんかつかないわ。自信持って、並みの男ならイチコロよ」

「並みの男……」


 姉の激励に、美千流は逆に不安になった。八朔(ほずみ)五十槻(いつき)は並みの男ではない。数か月文のやりとりをした改めて分かったが、この男、色恋にまったく興味がない。候文で食い物の話題ばかり書いている。カツカレーの感想が便箋三枚にわたっていたときは、さすがに笑ってしまったが。

 食べ物以外の話題といえば、彼の敬愛する上官、藤堂綜士郎大尉とやらについてである。いつぞやのあの喫茶店の美男子だ。五十槻はいたく彼を敬慕しているらしく、文にも頻繁に話題に出す。おかげで藤堂の名前が現れる度に、美千流の目元は嫉妬でひきつる有様であった。こんな美少女と文通しておきながら、私には藤堂の万分の一も興味を寄越さないのはどういうことじゃいコラ、ということである。


「あらあら、どうしたの美千流さん。不安そうな顔はいけないわ?」


 姉の京華はいつも優しく美千流を気遣ってくれる。京華お姉さまが帰国してくれてよかったと、美千流は心の底から思った。

 美千流の父・崇彦(たかひこ)は神籠に良い印象を持っていない。もちろん美千流の将来の嫁ぎ先は、神籠の者以外と決めている。

 だから神籠の軍人である五十槻との逢瀬など論外である。美千流は父へ、今日のことを「学友との外出」と伝えていた。

 父以外の他の家族にも五十槻のことを内緒にしている美千流だが、京華にだけは素直に彼のことを打ち明けている。姉は妹の信頼に応え、もちろん秘密を保ってくれているし、こうやって逢瀬の支度を手伝ってくれていた。


「ううん、ありがとうお姉さま。やっぱり私の自慢のお姉さまだわ!」

「ふふふ、どういたしまして。美千流さん、あなたは笑ってるのが一番ね」


 優しい姉の笑みに、美千流もつられて顔をほころばせているときだった。


「おい京華! ここにいたのか、お前一体どういうことだ!」


 美千流の部屋に怒鳴り込んできたのは、父の崇彦である。不躾にノックもせず娘の部屋の扉を開き、口角泡を飛ばしながら京華へ怒声を放つ。


「お、お前! 親に無断で方々(ほうぼう)へ見合い写真を送りつけるとは、どういう了見だ! 承諾の返事が山のように届いているぞ!」

「あら、お父さま。私お伝えしたはずだけれど?」


 怒る父にやはり動じず、京華はおっとり笑いながら髪をかきあげた。


「八洲に帰ったのは婚活するためよ。お父さま、文で私が嫁に行けないって心配してらっしゃったじゃない?」

「そりゃお前には早いとこ片付いてほしいが、私は神籠との結婚は許可せんぞ! 神實の華族にばかり写真を送りおって!」

「え?」


 美千流には初耳の会話である。姉が婚活を目的に帰国したことは本人から聞いて知っていたが、見合い写真を撮っていたことも、ましてや神實の家にそれを送っていたことも知らない。

 京華は「うふふ」と、のほほんとした態度を崩さず微笑んだ。


「だって私、神籠の方にすごく興味があるんですもの。ね、お父さまは昔からご存じでしたでしょう?」

「う……」


 京華の返しに、父は押し黙った。ふだんは財界で強権を揮う強気の父なのに、少し珍しい姿である。

 父は困ったように髪を掻きむしると、「あー、もう」と苛立った声を上げ、続ける。


「ともかく! お前が何をしようと、私は神籠との結婚は絶対に許さん!」

「許さんって言ったって、婚姻届さえ出せば結婚って成立するんだから。別にお父さまの許可はいらないわ」

「ばかもの、保証人が……」

「別の人にやってもらうから結構よ」

「お姉さま……つよ……」


 父を言い負かす姉に、尊敬ではなく畏怖の眼差しを向ける妹である。

 そんな美千流へ、父の崇彦は苦し紛れに矛先を向けた。


「美千流。今日はやたらめかしこんでいるな。たしか女学校の友達と出かけるんだよな?」

「ええ。そうですわ」

「ほんとかあ……? いいか、くれぐれも神籠の男と関わらないようにしなさい。京華のようになるんじゃないぞ」


 そう言って父は部屋を出て行った。ばたんと乱暴にしまる扉へ、美千流は「べー」と舌を出す。京華は相変わらずのんびりとした微笑で父を見送っていた。

 そんな姉に、美千流は少し不安になった。あちこちの神實へ見合い写真を送っている、ということは。


「美千流さん、心配なさらないで。八朔さんのところには送ってないから」

「よ、よかった……それだけが心配でしてよ」

「…………」


 さすが賢明な姉である。妹の不安を一瞬で看破すると、京華は改めて彼女を激励した。


「さあ、今日は頑張ってね、美千流さん!」

「はい、お姉さま!」


 両肩をぽんと叩かれて、美千流は姿見の中の自分を、今度は笑顔で見た。

 自分でも見とれてしまうくらいの清楚な佇まいだ。今日この傍らに立つはずの彼は、どんな装いで現れるのだろう。

 私服姿を見たことがないから、それも興味はあるけれど。やはり美千流は、凛々しさの引き立つ軍服姿が好きである。軍装の彼に手を引かれながら街を歩けたら、どんなに素敵だろう。

 美千流は知らない。部屋を出て行った父が、廊下で使用人の今津川(いまづがわ)へ、ひっそりとこんな指示を下しているなどとは。


「いいか今津川。美千流のやつが、私に隠れて男と会っているかもしれん。気付かれんようこっそり尾行して、何かあればすぐに私に伝えろ。いいな」

「へい、旦那」


      ── ── ── ── ── ──


 皇都午南(ごなん)鳴谷(なるたに)。書生や女学生で賑わう、若者向けの繁華街である。

 五十槻は美千流と銭壺(ぜにつぼ)百貨店前で待ち合わせの約束をしていた。

 久々の元クラスメイトとの再会だったけれど、彼女と顔を合わすなり五十槻はしょっぱなから困惑する羽目となる。会って二秒で文句をつけられるとは思わなかったから。


「ちょ、ちょっとあなた……!」


 美千流は五十槻の出で立ちを指さして、ビシッと指を突き付ける。


「なんで女性の格好なの!」

「今朝、姉たちに無理矢理着せられました」

「拒否しなさい!」

「逃れられませんでした」


 五十槻は女性用の(つむぎ)を着ている。桔梗の花の柄をあしらった、可愛らしい着物だ。当然のように長髪の仮髪(かもじ)を着けられ、しかも可愛らしく結ってある。女性の友達と食事に行く、と今朝八朔家で家族に予定を告げたところ、姉ふたりは俊敏な動きと連携で五十槻をとっ捕まえ、いつものように美少女に仕立て上げた。

 そんな姿の五十槻に、美千流はわなわなと憤懣を抑えきれないようで。


「もお、あなたって男の方でしょ! 女性の装いをして恥ずかしくないの!?」

「いえ別に。結局、衣類なんて着られるならなんでもいいです」

「こだわりなさいよちょっとは!」


 発した言葉に偽りはなく、とどのつまり、五十槻は着る服なんてなんでもよかった。ただ、女性の装いは少々動きづらく、幅広の帯でお腹が窮屈に感じる。また最近は、身体が女性の方へ寄ってきているのが悩みの種だ。女性の装いはそれを肯定しているようにも思え、五十槻は複雑である。

 美千流はそんな女装少尉の心中いざ知らず、彼を前に嘆息した。まさか女性との逢引きに、女装で現れるとは夢にも思わなかった。たしかに五十槻は中性的な顔立ちで、違和感ないといえばないのだが。

 不満たらたらの美千流お嬢さまだが、知る由もない。この逢瀬を、自分の家の使用人に尾行されているなどとは。美千流のあとをつける今津川は、お嬢さまが大変な美少女となにやら会話をしているのを遠くの物陰から見て、「えー、かわいー」と鼻の下を伸ばしている。


「まったく、もういいわよ。今日はその格好で!」

「ありがとうございます」

「そ、それで……あなたは何か、今日の私に思うところはないのかしら」


 美千流は少しもじもじしながら五十槻を伺うように見た。今朝は姉の協力を得て、ひときわ気合を入れてめかしこんできたのだ。感想のひとつもほしいところである。


「思うところとは」


 やはりこの朴念仁っぷりである。五十槻は真顔をきょとんとさせて問い返し、美千流はあまりの甲斐のなさにため息を吐いた。


「……あなたに久しぶりに会うんだから、今日私、朝から頑張っておめかししてきたのよ?」

「そうでしたか」

「そうでしたかじゃなくて! なんかこう……気の利いた台詞のひとつでもないのかしら?」

「朝からお疲れ様です」

「もー! あなたって人は!」


 怒る美千流、困る五十槻。五十槻にはまだ、女子との会話の正解が分からない。真顔の内で、五十槻の困惑は深まるばかりだ。いったい自分は会話になにを求められているのだろう。

 そのとき、周囲の雑踏からどよめきが起こった。


禍隠(まがおに)だ!」


 誰かが叫ぶ。途端に悲鳴があちこちから起こり、恐慌をきたした群衆が我先にと走り出す。逃げ惑う人々の合間から、黒い獣が踊りだした。豺狼(さいろう)型の禍隠だ。


「清澄さん、僕の後ろへ!」

「はいっ! 末永くそばにおりますわ!」


 美千流をかばいながら、五十槻は素早く紫の瞳で周囲を確認した。遠目に式哨(しきしょう)の制服を着た兵士が駆けているのが見える。おそらくどこかで発生した禍隠を取り逃し、人口密集地への侵入を許したか。

 試しに意識を集中させると、右手の周囲に紫の火花が散った。神域(ひもろぎ)は既に展開されており、神籠は使用可能。しかし現在、五十槻は帯刀していない。


(素手で行くしかないか)


 禍隠の黒い影は、たまたま居合わせた警官へ躍りかかろうとしている。警官は恐慌をきたしながらもとっさに発砲するが、神籠でない者に禍隠を傷つけることはかなわない。銃弾は虚しく黒い影をすり抜けるばかり。

 五十槻の仮髪の長髪が、電場の発生によりふわりと浮き上がる。ビリッと紫電が周囲に迸った。しかし。


 ダンッ、と一発の銃声が響き、豺狼の禍隠はあっけなく地へ伏した。


「いまのは……」


 禍隠にはまだ息があり、這いずるようにして動いている。神籠の異能を解く五十槻の目前で。


「チッ、仕損じたか」


 つかつかと神籠の軍制服の人物が歩み寄り、持っていた銃剣の刃で、瀕死の禍隠の頸部を貫いた。

 五十槻もよく知っている人物である。軍帽の下に見えるあの珍しい飴色の頭髪は、獺越万都里少尉だ。


「おい第二中隊。キサマらの討ち漏らしを仕留めてやったぞ」

「応援ありがとうございます、獺越少尉!」

「ふん、後始末は任せたからな!」


 万都里は横柄な口調で他部隊の兵に後処理を言いつけ、自身の分隊の兵を連れてその場を去ろうとする。

 たまたま彼らがこちらの近くを通りかかったので、五十槻はいつものように挙手礼で声をかけた。


「お疲れ様です、獺越少尉」

「え、ハッサクか? こんなところで何を……」


 今日は非番のはずの五十槻の声がしたので、万都里は多少驚いたようだった。五十槻より少し高い背丈の彼から、戸惑った視線が投げかけられる。

 そして万都里は固まった。昨晩彼の夢に出てきた八洲撫子の姿が、そこにあったから。五十槻はそんなこと知る由もないが。

 途端に美青年は面持ちをキリッとさせて、きちんと五十槻へ向き直った。


「ハッサク、怪我はないか。いや、オレが迅速に仕留めたから万に一つもないと思うが」

「ええ、ありません。見事な狙撃でした」

「そうかそうか見事だったか。はっはっは」


 会話する同期の同僚同士。美千流は五十槻の傍らから、突然現れた神籠の青年を怪訝な目で見つめていた。

 美千流は知っている。この小憎らしい整った顔を。飴色の髪を。尊大な態度を。


(こいつ──獺越万都里!)

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