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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
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2-4


 万都里(まつり)五十槻(いつき)が、熱く長い友情の握手を交わしている頃の話である。


「やれやれ。綜ちゃんの気持ちも分かるけどさぁ」

「…………」


 綜士郎は精一に、中隊舎の隅にある作戦室へ連れてこられていた。かつて八朔少尉押し倒され事件が起きた現場である。人目を忍ぶ話し合いをするには、この中隊のなかで一番適した場所がここだった。ちょうど窓から日差しの入らない時間帯、室内は薄暗かった。

 精一はいつもの通りのにたにたしたキツネ顔で、長机に腰かけている。


「俺は考えを変えるつもりはない」


 にべもなく言いながら、綜士郎は精一に背を向けている。椅子に座ることもなく立ったまま、青年は仁王立ちを保っていた。


「前からどうかと思っていたんだ。十代のガキを、化け物と戦わせるなんて正気の沙汰じゃない」


 二人が意見を交わしているのは、五十槻についてである。

 綜士郎には以前から持論がある。成人前の子どもに、本来大人がすべき仕事をさせるべきではないと。軍務なんてもってのほか、あたら若い命を散らすようなことを、若者にさせてはならない。

 そう思っているところに櫻ヶ原の事件が起きた。


「櫻ヶ原のときは本当に情けなかった。俺たち大人が地上で手をこまねいていて、結局あいつを一人で死地へ行かせてしまった。で、見つけたと思ったら大怪我してやがる。連隊本部の意向がどうだろうが、俺はああいうことを二度と繰り返したくない」

「でも、いつきちゃん自身は……そうは思ってないよね?」


 精一の指摘に綜士郎は嘆息した。まったく、本当に困ったガキである。精一の言う通り、五十槻は自らを死地に置くことに一切迷いがない。というか、自らそう望んですらいる。

 おそらく、幼いころから彼女の周りにいた大人たちに、そう仕向けられている。女子を男子として育てようと、画策した者たちに。五十槻に酷な食事制限を課し、極端な教育をしてきた者たちを、綜士郎は心底苦々しく思う。


「……あいつはちょっと偏った環境で育ってきたんだ。価値観を歪められて、そう思わされてるだけだ。きっと」

「たしかにさ、俺もいつきちゃんの生育環境はどうかと思うよ? ほぼ無表情、かつ口を開けばやたら身命を賭すし、ふだんの食いもんだって可哀そうなもんだ。俺なら発狂不可避だぜ」


 でもな、と精一は続ける。


「だからってさ……いまのいつきちゃんの在り方を、頭ごなしに否定するのも、それはそれでひどい話じゃない? いつきちゃん、たぶん将校になるのを目標に、いままでずっと頑張ってきたんだから」


 キツネも万都里と同じことを言う。

 精一も綜士郎も、五十槻の生涯については断片的にしか知らない。けれど彼女の言動から、どういう価値観のもとで育てられてきたかは、そこはかとなくうかがい知れる。

 五十槻はよく口にする。身命を賭し、八洲の蒼生(あおひとくさ)を守ること。それが自分の使命だと。そのための神籠である自分に、重く価値を見出している。その使命をなすため、将校になるために。これまでの五十槻の生涯は、そのためにあった。

 綜士郎がどう思っていようが、それが五十槻にとっては唯一無二の価値観だ。


「前線から遠ざけることはさ、結局、いつきちゃんそのものとか、あの子のこれまでの人生自体を否定することになるんじゃないかな」

「…………」


 精一の言葉に、綜士郎は押し黙った。正直、そこまで考えが及んでいなかった。綜士郎はとにかく、禍隠や危険な事物から五十槻を引き離すことができれば、それでいいと思っていた。今日のように、彼女の意に添わぬやり方であったとしても。


「じゃあ、お前は」


 いつの間にか綜士郎は、普段はアホだ素行不良だと罵っていた精一相手に、本気で言葉を紡いでいる。


「お前は、どうしろって言うんだよ。連隊の思惑通り、あいつを禍隠の群れに放ち続けるのか?」

「綜ちゃん。別に俺は、あんたの考えだって否定しやしないよ。十五の子どもが殉職多発地帯で働くなんて、同僚としても気分が悪いや。だからさ」


 精一はキツネ顔から笑みを絶やさずに言う。


「俺たち大人が、ちゃんとあの子を守ってあげようよ。簡単なことじゃん」

「簡単って、お前……!」

「言うは易く行うは難し、ってね。俺も櫻ヶ原のときは要救護者がいて、いつきちゃんの援護になんか回れなかった手前、なかなか言いづれえけどさ。たしかに実際は簡単じゃないし、状況次第では難しいこともあるだろうよ。それでも俺は、あの子が納得して日々を過ごすことも、いつきちゃんの生命を守ることと同じくらい大事だと思うぜ」

「甲……」

「で、ここからが大事。いつきちゃんは、自分の命を懸けても禍隠を倒すことが使命だと思っている。それが自分の人生だと思ってる」


 綜士郎の鷹のような瞳が、じっと精一の細い目元を見つめている。精一の面持ちはふだんと変わりない。戯画に描かれるキツネのような目は、いつも通りの笑みを湛えていて。


「だからさ。神籠の軍人であることだけがあの子の人生じゃないって、気付かせてやりゃいいのさ。要は、色々面白いことや楽しいことを、もっとたくさん教えてあげたらいい! ほら、釣りに行ったり、芝居見に行ったりとかさ。野球なんかもいいな!」

「……なんだよ、結局そんな結論かよ?」


 結構真剣に聞いていたのに、なんだかいつもの精一らしい着地点である。ちょっと脱力しながら、綜士郎は近くにあった椅子へ腰かけた。精一は楽しげにまだしゃべる。


「いやいや、結構ばかにならないぜ? 綜ちゃんだって、この頃はいつきちゃんを頻繁に飯屋に連れ出してたろ? ちょっとした料理に一喜一憂してさ、あれはなかなかいい影響だったんじゃない?」

「そうか?」

「当たり前だろ? 自信持てよ綜士郎。いつきちゃんに、軍人じゃなくなっても楽しく生きていけるんだ、ってことを教えてやろうぜ」


 精一は長机の上で行儀悪くあぐらをかいている。綜士郎は今日は咎めない。いつもなら拳骨だけれども。

 いつになく大人しい中隊長の様子に、やれやれ、と精一は肩をすくめつつ言った。


「まあさあ、綜ちゃんがあの子の身の危険を心配するのも分かるよ。十五の女の子が化け物と戦わされてんだからさ……」

「ああ、そうだな……」


 精一のぼやきに相槌を打ったところで。綜士郎の頭の中で、いましがたのキツネの言葉がぐるぐると響き渡る。

 十五の女の子が。女の子。女の子……女の子!?


「お、お前! 知っていたのか!?」


 思わず椅子を蹴って立ち上がる綜士郎へ、精一は「そだよ?」とこともなげに言ってのける。


「い、いつから知ってた!?」

「いつきちゃんの配属初日から」

「なんで知った!」

「しゃがんだときの軍服ごしのケツの形」

「最低だ!」


 怒りの形相で非難する藤堂大尉に、精一は悪びれず、むしろ煽るようにのたまった。


「いやー、まあ童貞の綜ちゃんには分かんなかったかぁ~! うけるー、草ー」

「うっさいわ!」

「……ていうかマジで童貞なんだね」

「ほんとにうっさいわ!」


 綜士郎は女性経験がないことを気にはしていないが、こう何度も揶揄されるとさすがに腹が立ってくる。

 それはともかく、刺すべき釘は刺しておかねばならない。


「甲。頼むからあいつの性別は絶対に他のやつらにバラすなよ? 俺も荒瀬中佐から厳命されている」

「そりゃ、今まで言わなかったんだから誰にも言わねえよ。綜ちゃんが童貞なのも誰にも言ってないし」

「またそれを言う……ていうか、なんでそれは口外しないんだ?」

「言ったって誰も信じてくれねえもん」


 会話しつつ、綜士郎は甲精一という男が余計によく分からなくなった。五十槻について彼女の立場を考慮した助言をしたかと思えば、こうやって綜士郎を小馬鹿にする。でもまあ、たぶん悪いやつではない。たぶん。

 ただ、精一が五十槻の性別を知っているとなると、懸念すべき点がある。綜士郎はため息まじりにもう一つ釘を刺した。


「……あと甲。お前があいつの性別を知っていることは、五十槻本人には言わないでやってくれ」

「言わない言わない。最近もやたら身体動かして痩せようと躍起だったもんね、難しいお年頃だ」


 綜士郎の言わんとすることをすぐさま汲み取って、精一はウンウンとうなずく仕草。「理解が早くて助かるよ」と気まずそうに言う綜士郎へ、精一はキツネ顔で苦笑しながら続けた。


「大体、綜ちゃんもいつきちゃんも、お互いのためを真面目に考えてんのに、相手に自分の考えを押し付けすぎなんだよなー。そういうところは似た者同士だよね」

「う……」

「ま、いつきちゃんとは一度、ちゃんと対話しなさい。いいね綜士郎」

「くそ、何様だよ……」


 毒づきながらも、綜士郎は「わかった」と小さく呟いた。精一も満足そうにうなずく。


「うむ、苦しゅうない。悩める若人に道を指し示すのは、おじさんの役割だかんね」

「おじさんって……お前いくつだ?」


 甲精一、皇都守護大隊第一中隊を代表するスカポンタンである。素行はアホ、悩みがないゆえの若々しい肌つや、人を食ったような言動。そういえば綜士郎はこいつの年齢を知らないが、勝手に年下だと思っていた。


「俺? 今年で三十一!」


 精一の元気な回答に、綜士郎はがっくり脱力した。自分より五つも年上である。


「お前、その感じで三十超えてるのか……」

「もおどういう意味? 失礼しちゃう!」


 プンプンぶりっこ仕草で怒るふりをする精一に、綜士郎は大きくため息を吐いた。

 そんな綜士郎の傍らで、精一はあぐらを崩して足をぶらぶらさせながら、天井を仰いで、誰かを思い出したようにちょっと微笑んだ。


──まったく八朔の神籠ってやつは、どいつもこいつも世話が焼けて仕方ねえ。なあ、(たつ)さん。

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