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三
日常に乱痴気騒ぎを挟みつつも、神事兵連隊皇都守護大隊、第一中隊の使命は、出現した禍隠を制圧、殲滅することである。
なるべく軍営から離れた場所にも警戒の目を行き届かせるため、神籠の将卒は日々持ち回りで、市街での警邏任務を課せられている。
課せられているのだが、五十槻は最近、警邏に出してもらえていない。
それどころか、禍隠出現時にも、めったに現場へ派遣されない。
今日も獺越少尉が街中で禍隠を仕留め、意気揚々と帰営するのを、中隊舎の陰から羨ましく眺めるのみである。今回は陸上歩行する鮫型が出たらしい。聞くところによると、獺越少尉は遠く離れたところから禍隠の急所を狙撃したそうだ。見た目は地味な神籠だが、本人の銃撃の腕もあり、扱いやすく指揮官に好まれやすい能力だ。
「おいおいおい、ハッサクどうしたそんなところで! 辛気臭い顔してないで、このオレに称賛のひとつでも捧げてみたらどうだハッサク!」
「八朔です」
中隊舎の前で番をしていた五十槻に、さっそく獺越少尉が小銃を担いだまま絡んできた。言われた通り、五十槻は彼の武功を寿いだ。
「獺越少尉、このたびの武勲、まことに見事です。自分も、一緒に出陣したかった」
「そういえばお前、最近出撃させてもらえてないな」
万都里は整った顔で五十槻を見下ろしながら、悪気なく言った。けれど、続く言葉は急に悪意にまみれる。
「お、分かったぞ。お前この頃は藤堂大尉に、結婚だなんだってウザ絡みしてたからな。ついに干されたか。わはは」
「…………」
年上同期の言葉に、五十槻は真剣に考えこむ。たしかに縁組の件で、中隊指揮官である藤堂大尉のご不興を買ってしまったのかもしれない。
しかし、いや、と五十槻は思い直す。そもそも数か月前に退院して以降、禍隠を斬らせてもらえていない。最初は病み上がりを考慮して、負荷の少ない任務を与えられていたのかと思っていた。けれど、全快した後でも前線に出されず、安全かつ補助的な役目しか回ってこない。
「おーい、どうした黙り込んで。もしかして本気で傷ついているのか? ま、参ったな! 仕方がないから、オレが藤堂に口添えしてやっても……」
「ぜひお願いします」
勝手に盛り上がっている万都里の言葉へ、渡りに船とばかりに、五十槻は即答した。あまりにすぐ返答が返ってきたので、万都里は「はわ」と動揺している。彼を見つめる五十槻の目はいつもの通りまっすぐだが、どこか救いを求めるようでもある。万都里の胸の内で、心臓がひときわ盛大に跳ねた。
ときめきを必死で隠しながら、万都里は豪快にどもりつつ取り繕う。
「し、ししし仕方がない。よし、一緒に藤堂のやつに直談判しに行くか」
「はい、お願いいたします。獺越さんは、やはり頼りになる方ですね」
「ははは、頼りになるなんてそんな……」
二人連れ立って歩きだそうとしたところで、万都里はハッと気付いた。己の右腕が、何をしようとしているのかを。少し前を歩く五十槻の、肩を抱こうとしている。
「しっ、鎮まれ! 鎮まれオレの右腕! うおおおお!」
「あの……何をやっているんですか?」
「ほんとに何やってんだ獺越?」
「うわあっ、藤堂キサマ! 急に出てくんな!」
十四歳男子のような葛藤をしている二十歳の前に、ぬっと現れる長身。いままさにふたりで直談判しに行こうとしていた、藤堂綜士郎その人である。綜士郎は万都里の奇行にはそれ以上触れず、いましがたの彼の武功をねぎらった。
「獺越少尉。先刻の禍隠討伐、大儀だった。危険度の高い型だったが、少尉のおかげで被害もなく迅速に退治することができた。指揮官として礼を言う」
「ハッ、獺越の神籠として当然の働きだ!」
五十槻は羨望の眼差しで、ふたりの会話に聞き入っている。上官としての厳格な面持ちで、戦場での武功を褒めてくれる藤堂大尉の姿は、この頃の五十槻には久しく見られなくなってしまったものだ。十五歳の少尉はしゅんと項垂れる。
そんな五十槻の姿を見下ろして。万都里は憮然とした面持ちで、綜士郎を睨みつけた。
「おい藤堂。オレが武功を挙げるのは当たり前だが、反面こいつの扱いが最近おざなりじゃないか? 出撃できなくてふてくされてるぞ、ハッサク」
「ふてくされているわけではありませんが」
「ほぉ、獺越がまっとうに八朔少尉を気遣うこともあるんだな」
「うっさいわ! 別にハッサクを慮ってるわけじゃないからな! オレばかり前線に行かされてはかなわんということだ!」
真っ赤になって否定する万都里と、見かけ上は平静な真顔を保っている五十槻を見比べて。綜士郎は、困ったように眉根を寄せている。五十槻はそんな彼へ、思い切って懇願した。
「藤堂大尉。獺越少尉の仰る通り、このところ自分へ出撃の御命令がありません。自分が縁談の件で、大尉のご不興を買っているのは百も承知です。ですが……」
五十槻は紫の眼を、まっすぐ綜士郎へ向ける。
「自分は神籠の神事兵です。禍隠を祓い、蒼生を守護することこそが存在意義です。どうか、今後は出撃の機会をお与えください」
「…………」
綜士郎の面持ちが苦々しいものに変わった。猛禽によく似た鋭い眼差しが、五十槻を貫くように見る。
「だめだ。許可できない」
「なぜ……」
「お前が十五歳の子どもだからだ」
その返答に、五十槻の真顔は途端に悲しそうな色を浮かべ、横で聞いていた万都里が眦をキッと上げる。
綜士郎は続けた。
「もともと、俺は成人もしていない者が戦場に出るのは反対だ。連隊本部の意向もあり、今までは前線に立ってもらっていたが、現在は崩ヶ谷や獺越と、部隊に有能な神籠も増えた。無理に子どもを前線へ送り出す必要はない」
「そんな……」
「それはないんじゃないか、藤堂大尉」
万都里が割って入る。青年は真剣に綜士郎を睨みつけている。
「オレは小学校の頃からこいつを知っているが、ずっと将校になるために、勉学にも調練にも地道に励んできたやつだ。腹が立つほどにな」
万都里のなかでは、やはり士官学校時代の五十槻の記憶が最も鮮明だ。士官候補生を経ずに入学してきた五十槻は、曹長位取得のために特別補講という授業を受けており、同期とは別に山中の行軍や雪中訓練など、厳しい訓練をひとりでこなしてきた。もちろん、ふだんの授業においても五十槻が手を抜いたことなどない。五歳下の同窓相手に全力でぶつかっていた万都里だからこそ、痛いほど知っている。
いけ好かないやつではあるけれど、その努力を間近で見て知っているからこそ、万都里は五十槻に負けたくないと思っている。
「たしかに十五歳はガキだが、こいつは神籠の軍人になるため、あらゆる刻苦を惜しまなかった特別なガキだ。こいつの努力を無下にするような真似は、好敵手であるこの獺越万都里が許さん」
「獺越さん……」
啖呵を切る万都里を、綜士郎は変わらず鋭い眼差しで見下ろしている。どうやら綜士郎は考えを改める気はないようである。
それに。五十槻にはもう一つ、綜士郎が自分を前線から遠ざける理由に心当たりがある。
「藤堂大尉、あの……それは、僕が……」
言いかけた彼女を、大尉の刺すような目が遮った。性別のことは絶対に言うな、と綜士郎の目が言っている。万都里もいる手前、致し方なく五十槻は口をつぐんだ。まただ。女の身体が、また五十槻の邪魔をする。
非常に険悪な空気になってしまった。自分が発端ではあるけれど、五十槻は綜士郎と万都里の諍いを望んではいない。
「……すみませんでした、藤堂大尉。出過ぎたことを申し上げました」
五十槻は頭を下げる。いち早く引き下がる同期に、万都里は不満そうな声を上げた。
「おい、諦めるのかよ! せっかくオレが口添えしてやってるってのに!」
「獺越さんのお立場まで悪くするつもりはありません。ご助力、感謝いたします」
「ハッサク、お前は……!」
「ダカラ、ジブンノタメニ、アラソワナイデクダサイ」
突然、五十槻の背後からふざけた裏声が発せられた。場にそぐわないおちゃらけた声音に、は? と一同が五十槻の背後へ視線を向ける。
すると、その背に隠れるようにしていた人物が「ばあ!」と飛び出した。まあこんなふざけた真似をするのは、第一中隊には一人しかいない。甲精一である。
「いやいやいや、空気悪いよここ。ほらほらみんな笑って笑って」
「笑えるかアホ」
「空気読めアホ」
「もぉ、こういうときだけ綜ちゃんとまつりちゃんは息ぴったりなんだから」
やれやれと呆れたような仕草をしつつ、精一は五十槻のそばに寄ると、不意に十五歳の肩を抱き寄せた。万都里が「アッ」と動揺する。
「安心しな、いつきちゃん。俺がうまいこと大尉殿を言いくるめてやっからさ!」
「甲伍長……?」
精一は堂々と五十槻へ耳打ちすると、あっけなく抱いていた肩を離し、綜士郎の方へ歩いていく。
「よーしよしよし、綜士郎。あっちでお義父さんとちょっとお話ししよっか!」
「誰がお義父さんだ!」
「おとうさん?」
「なんでもない!」
なにやらふたりだけにしか分からないやりとりをして、綜士郎と精一は連れ立って歩いていく。後に残された五十槻はぽかんとするしかない。大尉と伍長が去った後。
「お、おいハッサク! 大丈夫か! 何にもされていないか!? クソッ、あのアホ伍長、うらやまけしからんことを!」
泡を食った様子で、万都里が五十槻の安否を確認する。何もされていない、というか、単に肩を抱かれて耳打ちされたくらいである。それよりも、五十槻は万都里に尋ねたいことがひとつあった。
「獺越さん……自分と獺越さんは、士官学校が初対面ではなかったでしょうか?」
先程、獺越万都里は五十槻のことを、「小学校から知っている」と言っていた。しかし、五十槻にはその記憶はない。士官学校の入学式で、「おい、オレのことが分かるか?」と声をかけられたのが初対面のはずだ。
万都里はその様子に「やっぱりな」とでも言いたげな顔色を作ると、ぷいっと視線を逸らしながらぼやいた。
「やっぱり覚えてないよな。士官学校の入学式でも、まるで初めて会うみたいな反応だったし、お前」
「違うのですか?」
「小学校の頃、お前のことを『おんな顔』って馬鹿にしたうえ、服を脱がそうとしてボコボコにされた上級生がいたろ」
その記憶ならたしかにある。万都里の言う通り、意地の悪い上級生複数人から絡まれ、服を脱がされそうになったので、勢い余って全員を半殺しにしてしまった事件だ。性別がばれることを恐れての過剰防衛であった。彼らはその後すぐ転校してしまって、五十槻の日常からはいなくなってしまったが。
「あのときの上級生がオレだ」
「え……」
さすがに五十槻も目を丸くする。まさか、あのときの上級生のひとりが、いまとなっては旧知の獺越万都里少尉だったなんて。
五十槻は正直、怪我をさせた相手の顔もはっきり覚えていなかった。それに、当時と現在とでは万都里の髪色は違う。彼の髪は中学で神籠に覚醒した際に、黒から飴色に変わったのだ。印象がまるで違うので、五十槻が覚えているはずもない。
そんな同期の告白に、さすがに紫の瞳も動揺を見せる。
「どうしてもっと早く言ってくださらなかったんですか。そうと知っていれば、僕は……」
「改めて謝罪しただろうって? ハッ、そんなことされてもオレが無様なだけだ。五歳も下のガキに痛めつけられただなんて、最悪の思い出だろうが」
「すみません……」
「もういい」
万都里はそう言うと、そっと右手を差し出した。照れ顔は横柄な口調で続ける。
「昔のことは水に流してやる。まあ、お前とはその……ちょっとは仲良くしてやらんでもない」
「…………」
五十槻は差し出された手をじっと見た。もちろん、五十槻にその手を取らない選択肢はない。
ひとまわり小さな手が、万都里の手をぎゅっと握る。お互いマメだらけで硬い手のひらだ。握った瞬間、万都里の脈が大きく跳ねた。
「獺越さん。僕、すごくうれしいです」
「えっ?」
握手しながらつぶやく五十槻に、どぎまぎしながら万都里は好敵手の顔を見た。
「実は、心残りだったんです。あのとき僕が怪我をさせた人たちと、仲直りできなかったことが」
言いながら五十槻は、本当にほんのわずか、嬉しそうに微笑んでいた。ふだんより若干、真顔の口角が上がっているだけのことではあるが。
「…………」
「獺越さんの握手は、ずいぶん長いんですね」
「……そうだな。まあ、存分に味わうといい」
その顔をもっと見ていたくて、手を離したくない……なんて言えるはずもなく。万都里は五十槻の手をぎゅっと握りしめながら、じっと同期の嬉しそうな微笑を見つめている。
温かい手のひらを味わいながら、万都里はふと表情を曇らせた。
「というか、お前は……いいのか?」
「なにがですか?」
「藤堂を何がなんでも結婚させようとしているが……お前は、藤堂が好きなんじゃないのか?」
万都里はかなり意を決して問うた。対して五十槻は、一瞬顔をきょとんとさせた後、当然のように答える。
「ええ。僕は藤堂大尉が大好きです」
「ぐふッ」
自分で聞いといて心に傷を負う獺越少尉。五十槻はいつもの真顔へ使命感をみなぎらせながら、続ける。
「大好きな方に幸せになっていただきたいのは、至極当然のことです。大尉はまるで兄のように、日々僕によくしてくれています。僕はそんな藤堂大尉に、必ずや幸せな家庭を築いていただきたい」
「…………」
「そのためには僕自身が厭われようとも構いません。僕は大尉に忠義の限りを尽くしたい」
淡々とした口調に、決意がこもっている。
万都里は思った。自分の思っている大好きと、五十槻の言う大好きは、ちょっと……いや、だいぶ意味合いが違うのかもしれないと。少なくとも彼は、恋愛的な意味で藤堂綜士郎を慕っているのではなさそうだ。忠義とか言ってるし。
そう確信すると俄然元気になる獺越万都里である。藤堂が五十槻を押し倒しただの稚児にしてるだの、第一中隊に流布する噂は、あくまで噂だっただけのこと。きっと五十槻の忠心を周囲が勘違いしただけに過ぎない。以前に甲精一が押し倒しの現場を目撃した、などと吹聴していたが、発言者が発言者である。きっと万都里を弄ぶためのガセネタだ。万都里はそう考え、ちょっとほっとした。
そして青年は握手したままのお互いの手をブンブンさせ、機嫌よく高らかに言い放つ。
「はっはっは、そうかそうか! いやあ、藤堂もいい部下を持ったもんだ! ハッサクがそこまで奴のことを思うのならば、オレもできるだけあいつの縁組に助力するとしよう!」
「獺越さん……!」
その日、万都里は終始上機嫌に過ごした。軍務を終えて下宿に帰り、夕飯を平らげ鼻歌混じりに風呂につかり、歯磨きを終えたあとで、ふと彼は我に返る。
「……いや、ハッサクは男だろうが! なに舞い上がってんだオレは!」
枕へぼふんと拳を落とし、万都里は布団の上でいまさらながら懊悩した。同性の未成年、それも八朔の嫡男に心かき乱されるなど、獺越の神籠としてあってはならないことである。
クソ、悶々として眠れんではないか、ハッサクめ! と万都里は今宵の不眠を覚悟したが、もともと健康すぎる体質の持ち主である。布団に入っているうち、万都里はいつもの通りしっかり八時間寝た。




