2-1 八朔少尉 対 絶対に結婚したくない男
一
紫檀の机の上にどさどさと積まれる台紙の山。
神事兵連隊本部、荒瀬中佐執務室に呼び出された五十槻と藤堂大尉は、静かにそれを見守っている。いや、平静なのは五十槻だけだ。藤堂綜士郎は顔一面に、苦渋を浮かべていた。いかにも嫌そうである。
台紙の山の上から顔をのぞかせながら、荒瀬中佐はにこやかに告げた。
「さあ藤堂くん。どの娘でもよりどりみどりだ、存分に選びたまえ」
「いや、荒瀬中佐……」
「この子なんか家柄もいいし、気立てもいいそうだからおすすめだぞ」
言いながら中佐は台紙をひとつ選び、中を開いて見せる。二つ折りの台紙の内側には、楚々とした振袖の令嬢の写真が貼りつけられていた。見合い写真である。
「あの、中佐……俺は」
「美人がいいならこっち」
「ちょっと、話を」
「実家が金持ちはこの子」
「だからっ」
「この子は料理が得意らしいぞ~」
「荒瀬中佐!」
あれこれと様々な娘の写真を見せてくる中佐を、綜士郎は困り顔で制止した。そして続けて、きっぱりと宣言する。
「申し訳ないですが、俺は結婚する気はありません」
綜士郎の断言に、中佐は目をぱちくりとさせている。
「藤堂くん、それ前から言ってるけど……そうはいかないのが神籠の神事兵。分かるよね?」
「もちろん重々承知しております。でも嫌なものは嫌です」
「ふーん」
五十槻は大尉と中佐の会話を、傍らで直立不動のまま、いつもと同じ真顔で聞いている。中佐は蚊帳の外の五十槻へも話を振った。
「八朔くんはどの娘がいいと思う? 藤堂くんの嫁」
「聞けこらおっさん!」
「自分は料理上手なお嬢さんがいいと思います」
「八朔少尉!」
勝手に進行する見合い話に、綜士郎は少々声を荒げた。突然連隊本部に呼び出されたと思ったら、これだ。つい先日の飲み会で崩ヶ谷中尉が忠告してくれたことが、早くも現実となった。それにしても、綜士郎だけならまだしも、なぜ五十槻まで呼び出されたのだろう。
荒瀬中佐は煙管をひと吸いすると、紫煙を吐きつつ言う。
「やれやれ。藤堂くん、きみの神籠は貴重だ。きみ一代で終わらせるのは非常にもったいない。もちろん神籠が次代へ遺伝するかは運次第ではあるが、まず藤堂くんが誰かと所帯を持ってくれないことにはねぇ……そういえば」
中佐は再び五十槻へ視線を向けた。
「最近、八朔くんは藤堂くんに、色々と食事に連れ出してもらっているそうだね」
「はい、何かとご相伴にあずからせて頂いております」
「そうかそうか、仲良しなんだね」
微笑ましく五十槻の返事を聞いていた中佐は、そのままの微笑みでのたまう。
「それじゃあ藤堂くん、八朔くんなんかどう?」
「はぁ!?」
「家柄もいいし、容姿も見ての通りだ。なによりきみにすごく懐いてるじゃない?」
「冗談もたいがいに……!」
「お言葉ですが荒瀬中佐」
荒瀬中佐の提案に異を唱えたのは、五十槻本人である。五十槻は面持ちを一切微動だにさせず、いつもの調子で淡々と述べた。
「自分は料理も裁縫もできず、世のご婦人のような家庭での働きは一切期待できません。藤堂大尉には女性らしく淑やかで、家庭的な方が添うべきだと存じます。それに、自分には神籠としての務めがありますので」
「はっはっは。振られたね、藤堂くん」
綜士郎は「じゃかあしいわ!」という目で遠慮なく荒瀬中佐を睨みつけている。まず、十五歳の未成年を二十五歳の男に目合わそうとするな。
「いやいや、冗談冗談。八朔くんの言う通り、きみ自身貴重な神籠だからね。まだまだ軍人として、一層の活躍を期待しているよ」
「はっ!」
「で、荒瀬中佐。話は縁談の斡旋のみですか?」
この場を早く切り上げたくて、綜士郎は不機嫌な声音で尋ねた。荒瀬中佐はにこにこしたまま頷く。
「うん」
「そ、そのためだけに俺たちを四馬神くんだりまで呼びつけたと……」
「藤堂くんはちゃんとお見合い写真持って帰ってね。気に入った子がいたらすぐに連絡すること」
「いません!」
声高に言って、綜士郎は踵を返した。もちろんお見合い写真は持って帰らない。
代わりに見合い写真をまとめて持って帰ろうとした五十槻に。
「ああ、八朔くんは残って」
荒瀬中佐から声がかかる。部屋を出て行きかけた綜士郎が怪訝な顔で振り返るけれど、中佐は「藤堂くんはもういいよ」と手で追い払うような仕草をする。腹立つおっさんだな! と綜士郎は自分が佐官へ敬礼を忘れたことにも気付かず、腹立たしさ全開の足取りで出て行った。藤堂大尉、怒りの退出。
やや雑にバタンと扉が閉められたところで。中佐は「さて、八朔くん」と手を組みながら五十槻を見た。
「……どう思う? いまの藤堂くん」
「由々しき事態です」
五十槻の口調はやはり淡々としている。
「大尉の神籠は広範囲の禍隠を殺傷せしめ、なおかつ索敵能力も有する稀有な能力です。一代で失われるには惜しい」
「ぼくも同感だよ。結婚して子どもが生まれた上で神籠が受け継がれなかったなら、まあ納得もできるというものだがね。それすらしないというのは、神事兵連隊の長としては看過できないところだ」
「なにより……僕は藤堂大尉に、幸せになってほしいです」
淡々とした口調が、少し柔らかいものになった。五十槻は確かに、心底から藤堂大尉の幸福を願っている。
自分の両親や崩ヶ谷夫妻のように、彼が仲睦まじく過ごせる妻を迎えられたら。家族を作ることができたら。そう思うと、五十槻は心が温かくなる。最近自分が頻繁に家族と会えるようになったからこそ、とくに。
「ふふふ、いい後輩を持ったね。藤堂くんは……」
満足そうに煙管を吸い、荒瀬中佐は五十槻へ問いかける。
「八朔くん、どうだい最近は? ご実家とも行き来するようになったらしいね」
「ええ。藤堂大尉のおかげで、美味しい物もたくさん知りましたし、家族との時間も持てています。本当に感謝してもしきれません」
「そうか……。八朔くん、きみ、最近ちょっと変わったね」
「変わった、とは」
「少しだけ表情が出るようになった」
言われて五十槻は自分の顔に触れる。たしかに大尉や甲伍長から、最近──とくに食事のときの五十槻は面白いと評されている。もちろん自覚はない。
「きみの場合、表情が出るといってもほんのわずかだ。けれど、そのわずかをぼくは嬉しく思うよ」
「中佐……」
「さて、そんなきみに頼みたいことがある」
荒瀬中佐は見合い写真が積み重なった紫檀の机の上に、身を乗り出した。そして五十槻へ告げられる、緊急特命。
「八朔五十槻少尉。貴殿を藤堂綜士郎大尉の腹心と見込んで、重大任務を命ずる」
「はっ!」
「藤堂綜士郎を結婚させなさい。なんとしても」
次いで、第一中隊の人員、および連隊内備品等についても使用許可が下りる。無論、甲精一伍長の動員許可もである。
五十槻はいつもより精緻な敬礼を荒瀬中佐へ捧げ、重々しく拝命する。
「身命を賭して……!」
藤堂綜士郎、地獄の日々の始まりである。




