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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
35/116

1-6


 (きのえ)精一(せいいち)は珍しく早起きして、正門にて門衛業務に勤しんでいた。今日この日に門衛の当番が回ってきたのは、幸運と言わざるを得ない。昨晩は深更まで飲んでいたけれど、面白いことの気配があれば二日酔いの早起きなんて、精一にとっては苦でもなかった。


「おはよー、はいみんなおはよー」


 キツネ顔は爽やかな朝の挨拶を次々と繰り出している。続々と登庁する士卒の中には、崩ヶ谷(つえがたに)黄平(こうへい)中尉の姿もあった。今朝はやけにしょぼんとしている。


「おはよー黄ちゃん。どしたの、朝から元気ないじゃん」

「昨日帰って全裸で寝てたら、雪江ちゃんに怒られた……」


 この男もなかなか面白いが、今日の本命はこいつではない。黄平を見送ってしばらくすると、二番目に楽しみにしていた人物が現れた。八朔(ほずみ)五十槻(いつき)である。


「いつきちゃん、おはよー!」

「甲伍長。おはようございます」


 いつものように整然とした挙手礼で挨拶する五十槻へ、精一は単刀直入に尋ねる。


「ねえねえいつきちゃん。昨日の晩、まつりちゃん来なかった? いつきちゃんの忘れ物を届けてくるようお願いしたんだけど」

「ええ、いらっしゃいました」

「よかった、ちゃんと届けてくれたんだー。そんで、なんか言ってた?」


 精一の質問へ、五十槻は若干真顔へ怪訝そうな色を浮かべて言う。


「よく意味は分からないんですが……かけおち? に興味があるか尋ねられました」

「草」


──よしよし、思ってた通りの展開になってきやがったぜ。


 精一はキツネ顔で密かにほくそ笑む。しかも折よく、そこへ精一の大本命が現れた。


「あれは夢、あれは夢、あれは夢……」


 ぶつくさとつぶやきながら正門へ向かってくる飴色の髪の将校は、誰あろう、獺越(おそごえ)万都里(まつり)少尉だ。俯いていて表情は見えないが、なにやら鬼気迫る雰囲気である。

 精一が彼に声をかけるより早く、五十槻が万都里へ駆け寄っていった。


「おはようございます、獺越少尉」


 五十槻が声をかけた瞬間、万都里はぴたりと歩みを停止して、彼以上の無表情で年下の同期を凝視した。


「昨晩はわざわざ自分の手巾を届けていただき、ありがとうございました」


 改めてはきはき礼を述べる五十槻。何も言わない獺越万都里。


「それと、あのように女子の装いで混乱させてしまい……申し訳ありませんでした」


 昨日の女装を恥じるように、五十槻は目を伏せる。その瞬間、今朝からずっと唱え続けていた万都里の自己暗示は、すべて瓦解した。猫のような彼の眼に動揺が現れる。

 夢じゃなかったのだ。八朔の屋敷に行ったことも、門前に好みの八洲撫子が現れたことも。

 そして、その少女の正体が──八朔五十槻であったことも。

 万都里がひゅっと息を呑む。


「どうなさいました、獺越少尉?」

「ヒッ……」


 昨晩に引き続き様子のおかしい万都里に、五十槻がまっすぐな視線を向ける。その姿が、万都里の脳裏であの可憐な八洲撫子とぴったり重なった。


「ウワアアアアアア!!」

「しょ、少尉!?」


 万都里、絶叫。五十槻の鉄の表情筋を盛大にひきつらせた挙句、獺越少尉は脱兎のごとく逃げだした。


「獺越少尉!? どうしたんですか獺越少尉!」

「こっちにくるな!! あっ、頭がおかしくなる──ッ!!」


 五十槻を振り切って走り去る万都里に、精一は「ぶはははは!」と待ってましたの大爆笑を送る。アホ伍長、もはや声も出ないくらい、ほとんど呼吸困難に近い抱腹絶倒である。

 さて、五十槻は朝からわけが分からない。昨晩も様子がおかしかったが、今朝は本当に気でも狂ったかのような有様だ。

 呆然と万都里が去って行った方向を見つめるしかない五十槻に、やっと呼吸困難から復活した精一が、息も絶え絶えに話しかけた。


「ひー、ひー……! だいじょぶだいじょぶ、いつきちゃん。俺が様子見てくっから、いまはそっとしてあげな」

「伍長……」


      ── ── ── ── ── ──


 門衛の役割を後輩の上等兵らに押し付けて、精一はひとり万都里のあとを追った。

 万都里はひと気のない倉庫の裏手にいた。膝を抱え、恐怖に慄いた顔でぶつぶつうわ言を吐き続けている。これ以上俺の腹筋を壊さないでくれい、と笑いをこらえつつ、精一は何食わぬ顔で万都里の隣へしゃがみこんだ。


「よぉまつりちゃん。俺の言った通り、まつりちゃんの好みドンピシャなかわいこちゃんだったでしょ?」

「テ、テメエ!! 甲精一!!」


 恐怖から一転、万都里は精一の胸倉を掴んで怒号を上げた。


「よくも人を(たばか)りやがったなテメエ!」

「やだなぁ、人聞きの悪い。でも名門の出で顔が良くて、落ち着いた八洲撫子っぽい子ってとこは合ってたでしょ?」

「そりゃ条件は満たしてたけど! 肝心の『女子』ってのが抜け落ちてるだろうがよ! おかげで脳が破壊されそうなんだよこっちは!」

「脳破壊とか草」

「草生やすな焼け野原にするぞキサマァァ!」


 精一をぶんぶん揺すりながら、万都里は蒼白な顔で叫ぶ。怒り狂ってはいるが、泣きそうな顔でもある。

 そしてひとしきり喚き散らしたのち、急に万都里はアホのキツネから手を離すと、気力を失って再びしゃがみこんだ。


「オ、オレは……これからどうやってあいつと顔を合わせればいいんだ……」


 そして青年は蟻の行列の前でうじうじし始める。情緒が不安定過ぎて、精一の腹筋はまたひきつけを起こしかけた。


 やはり自分の読みは当たっていた、と精一は改めて心のなかでほくそ笑む。この青二才の鼻持ちならない青年将校は、八朔五十槻へ無自覚に好意を抱いている──。

 と思ったのも、昨晩の飲み会での様子を見てのことだ。彼の語る理想の女性像とやらは、性別を変えたらまんま五十槻のことになるし、からあげを横取りする様はまるで、好きな子をからかって気を惹こうとするクソガキのようであった。

 ちょうど精一はこの間のカツカレーのときに、五十槻が家で女装させられているという話を聞いていた。だから。


──女の子の格好してるいつきちゃんに、こいつ会わせてみたら面白いんじゃない?


 昨晩彼を八朔家へ誘導するに至ったのは、そんな思い付きからである。結果は効果てきめんを通り越して、一人の男を発狂寸前まで追いやってしまったわけだけど。


(獺越万都里、恐ろしい子……! とんでもねえ逸材が現れたもんだ!)


 逸材と書いておもちゃと読む。しばらく精一の日常に退屈はなさそうである。

 さて、そのおもちゃの大暴走は終わらない。彼らがいる倉庫裏からは、正門と中隊舎の間の通路が見えるのだが。

 いつのまにか万都里は、その通路を食い入るように見つめていた。いや正しくは、見つめている先は通路を歩いている者たちだ。八朔少尉と──藤堂大尉である。


「おい甲精一……!」

「なんだね獺越くん」


 わなわなとした声で万都里が尋ねた。その様子に精一はわくわくが止まらない。


「ハッサクと藤堂大尉は結局……つまり、そ、そういう仲なんだろ?」

「さあてねえ」


 精一は周囲に親衛隊がいないかを素早く確認し、少しはぐらかす口調ながらも、れっきとした事実を万都里へ告げる。


「とりあえず俺、藤堂大尉がいつきちゃんを押し倒してるとこは見たことあるよ」

「未成年淫行野郎がァーッ!!」


 弾かれたように万都里は駆け出した。射出された砲弾のような勢いである。あっという間に万都里はふたりの前へ立ちはだかると、今度は藤堂大尉の胸倉を掴んだ。


「おわっ! なんだなんだ!」

「うるせえハッサクからいますぐ離れやがれ!」

「獺越少尉……!?」


 二十歳というのは血の気が多いんだなぁ、とのんきな感想を抱きつつ、精一は藤堂に見つからないくらいの距離から事態を眺めている。これこれ、これだ。これが見たかったんだよ俺は!


「やめてください獺越少尉! 何をなさるんですか!」

「落ち着け獺越! いったい何なんだ!」

「この期に及んでしらばっくれるんじゃねえ、未成年、しかも男に手エ出しやがって!」

「はぁ!?」


 絡まれている藤堂大尉は、「またこの話かよ!」とうんざりしている顔である。ちなみに昨日の飲み会でこの件をいじった二等兵はいま、八朔少尉親衛隊の監視下で、運動場でうさぎ跳び二十周させられている。

 脳を破壊された万都里の大暴走はとめどない。ふと、青年ははたと気付いた顔になる。


「ま、まさかキサマ……ハッサクに女装させて侍らせたりはしているまいな!?」

「いったいなんの話だばかたれ!」

「許せん、うらやまけしからん!」

「だからマジでなんの話をしてるんだよお前は!」


 謂れのない疑惑で藤堂大尉を締め上げる万都里に、どうしたものかと状況を見守っていた五十槻が、さすがに覚悟を決めた。いかに旧知の同期とはいえ、自分の敬慕する上官に狼藉を働くのは看過できない。


「獺越さん!」

「えっ」


 五十槻は後ろから万都里に抱き着いた。五十槻は意図していなかったが、いまの彼の虚をつくには最も有効な手段である。突然の背面からの抱擁に、思わず万都里は藤堂から手を離してしまった。同時に彼の胸の内でとくんと高鳴る鼓動。しかし。


「やめてくださいっ」

「アッ」


 五十槻はそのまま万都里を抱えて後方へ腰を逸らし、自分より体格が勝るはずの年上同期の脳天を、思いっきり背後の地面へ打ち付けた。姉、皐月直伝の西洋格闘術、バックドロップ──岩石落としである。

 藤堂大尉は、岩石落としの体勢のまま沈黙している五十槻と万都里を、なんとも言えない表情で見下ろしている。背後の倉庫裏では、精一が地面をバンバン叩きつつ、息も絶え絶えに爆笑していた。


「いきなり何をなさるんですか! 今日の獺越さんは変です!」


 十五歳の将校はさっと立ち上がりながら、二十歳の同期へ若干怒りと困惑の浮かんだ眼差しを向けた。万都里は脳天をさすりながらうずくまっている。

 五十槻が禍隠(まがおに)相手以外に、怒ったような声を出すのは少し珍しい。それがなんだか万都里には悔しいし、いまの一撃で幼少時の嫌な思い出まで蘇りそうだ。


「お、おのれハッサク……! 一度ならず二度までも、このオレを痛めつけるとは……!」

「え、二度……?」


 五十槻が真顔へ疑問符を浮かべる。自分が獺越少尉に無礼を働いたのは、いまのが初回のはずだけれど。

 しかし、あまりにわちゃわちゃ騒ぎ過ぎたのだろう。ゆらゆらと覚束なく立ち上がる獺越少尉の横合いから、ぬっと突然、屈強な男がふたり現れた。両人とも八朔少尉親衛隊の構成員である。


「は? なんだお前ら?」

「獺越万都里。貴様、八朔少尉にご迷惑をおかけしているな?」


 上等兵二名は目上相手に強気である。男たちはたくましい腕で万都里の腕を両側からがっしり拘束すると、問答無用でどこかへ連行しようとする。


「ちょ、ちょっと待て! どこへ連れて行く気だ! てか何なんだお前らは!」

「じゃかあしい! 貴様はうさぎ跳びで運動場三十周じゃボケコラァ!」

「ガラ悪! お、おい! 藤堂大尉なんとかしろ!」


 後ろを振り返り助けを乞う万都里に、大尉からは怒りの声が飛ばされる。


「自分から喧嘩売っといて虫がいいことを言うんじゃない、このばか!」


 藤堂大尉にしては珍しい、ばかたれのたれ抜きである。

 わー、頼む助けてくれーっ! と喚く万都里の叫び声が遠ざかっていく。やがて混迷極まる青年将校は、両脇から抱えられるまま運動場へと消えて行った。去り際に親衛隊のうち一人が「藤八(とうほず)てえてえ」と漏らしていたのが不可解である。


「ひーっ、ひーっ……いやー、今回も傑作だったわ!」


 一部始終をしっかり堪能して、精一は倉庫裏から歩み寄るなり藤堂大尉の肩をぽんと叩いた。


「痴情のもつれって最高だね!」

「全部お前の差し金か甲!」


 がつん、と強めの拳骨が精一に落とされる。けれどキツネ顔は満足そうだ。それにしても。


「やれやれ……例の噂も沈静化したと思っていたが、まだまだしぶといな。どうしたもんか……」

「まったくです」


 五十槻も淡々と憤慨する。少年将校は真顔を崩さずに述べた。


「このままでは藤堂大尉の婚期が遅れてしまう」

「お前は何を心配してるんだ!」


 いらんお世話だ! と、大尉は結構本気で怒った。

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