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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第二章 純情は苛烈にして渇仰は犬の如く
31/115

1-2


 海外には牧羊犬という役割をこなす犬がいるという。

 放牧された羊の群れを巧みな動きで誘導し、ひとところにまとめたり、目的の場所まで移動させたりするそうだ。

 さながら、いまの五十槻(いつき)の役割は牧羊犬である。

 ここは皇都郊外、田原(たはら)。なだらかな平原には、黒々とした生き物が多数ひしめいている。禍隠(まがおに)だ。

 五十槻は先刻から平原を縦横無尽に駆ける紫電と化し、禍隠たちを追い立てていた。平原の四隅に立てられた常盤木の囲う神域(ひもろぎ)から、禍隠が抜け出さないように。また、なるべく平原の中央へ──ひとところへ集まるように。


 白獅子の面の奥から本営へ視線を送る。神域の外に設けられた臨時指揮所の、即席の物見台の上で兵卒が手旗を振った。


『退避』


 指示を確認すると、五十槻は紫の稲妻となって指揮所のすぐそばへ──神域の外へ着地した。振り返って確認すると、禍隠の群れは指揮官が意図した通り、平原の中心へ集まっている。

 現在、神域の内にいる士卒はひとりだけである。五十槻は立ち上がって彼の背中へまっすぐ視線を向けた。


 藤堂(とうどう)綜士郎(そうしろう)中尉。風を司る神、香瀬高早神(カゼタカハヤノカミ)神籠(こうご)を持つ、神依(かむより)の将校である。こちらに背を向け、腕組みをしたままじっと前方を睨んでいる。

 不意に本営へ、ごうっと突風が吹きつけた。正確には、神域の中心から四方へ、強風が吹いている。それこそ颱風(たいふう)のような大風だ。

 そして神域中央には異変が起きる。黒々とした塊に見える禍隠の群れが、次々と動きを止め、倒れ伏し、沈黙した。

 やがて急に風が止んだけれど、それも一瞬のこと。今度は逆方向に──神域へなだれ込むように強風が吹いた。

 藤堂中尉の神籠(こうご)は、大気を操る異能だ。五十槻が神域中央へ集めた禍隠たちの肺腑、満腔の内にある空気を、神域内の大気ごと中尉の神籠で膨張させ、内側から破裂させるというのが今回の討伐の方法である。神域全域の禍隠を死滅させることができるので、今回のような大量発生が起こった場合には非常に重宝する能力である。

 おそらく神域内の禍隠たちは、一匹残らず内側から破裂して死んでいる。


 しばらくして、式哨(しきしょう)から『禍隠全滅』の報が発せられた。けれども。

 中尉はその場に立ち尽くしたまま、こちらへ戻ってこない。


「あれ、中尉どした?」

(きのえ)伍長」


 不意に五十槻のとなりへひょっこり現れるキツネ顔。今回出る幕の無かった(きのえ)精一(せいいち)伍長である。

 五十槻と精一が見守るなか、中尉はしばらく仁王立ちを保っていたけれど。


「うっ……!」


 突如口元を抑え、近場の茂みへ駆け込んでいく。一瞬見えた顔色は真っ青だ。


「中尉!」

「おえぇ……」


 慌てて五十槻が駆け寄ると、藤堂中尉は茂みに顔を突っ込んで嘔吐の真っ最中である。胃液ばかりを吐いて、中尉は青い顔のまま立ち上がった。


「くそぉ、嫌な神籠を宿しやがる……」

「大丈夫ですか、中尉」


 そばへしゃがみ込んだ五十槻へ、鷹のような鋭い眼差しが向けられる。けれど、すぐに気まずそうに背けられた。ばつが悪そうに中尉は言う。


「……見苦しいところを見せたな。すまん」

「いえ……救護の者を呼んで参ります」

「それには及ばん」


 中尉は軍服の袖で乱暴に口元を拭うと、頭を押さえながらやっと指揮所へ向かって歩き始める。おそらくは先程の神籠使用で、身心に負担がかかっているのだろう。しかし面制圧は香瀬高早神の神籠が得意とするところ、神経に過度の負担を要する局所的な操作は、今回は行っていないはずでは。

 と、五十槻が不思議に思っていると。


 がさごそ。とてて。


 神域の中にある草むらから、たぬきの親子が現れた。たぬきはしばらくその場できょろきょろすると、親子そろってどこかへ走り去ってしまった。


(そうか。中尉はたぬきが神籠の犠牲にならぬよう、能力を操作していたのか)


 藤堂中尉の神籠は、周辺地域の地形や生息動物、禍隠などを探知する能力も有している。おそらくそちらでたぬきの存在を察知して、異能の被害に遭わぬよう能力を調整したのだろう。


 こういうところを五十槻はずっと私淑している。それこそ、中尉麾下の小隊配属になってからずっと。


 また後から判明したことだが、今回禍隠の犠牲になった農夫の遺体が、田原制圧後に神域内から発見された。藤堂中尉が神籠の細かな調整をしていなければ、禍隠による致命傷が残るだけでは済まず、遺体はきっと内側から破裂していただろう。中尉は亡骸をさらに辱めぬよう、配慮したのだ。


 そんな場面を見る度に、五十槻は思う。僕も中尉のようになりたいと。


 神籠の役目は禍隠を倒すことだけではない。最も重要な使命は、禍隠から八洲の民や自然を守ることだ。まさしく神籠の軍人としてあるべき姿を体現する存在が、五十槻にとっては藤堂綜士郎である。真顔の内側で、今日も五十槻は中尉を尊敬している。


 そんな当人、藤堂中尉は、まだふらふらと覚束ない足取りで歩いていた。五十槻は駆け足で中尉を追う。

 五十槻が追い付いたあたりで、指揮所からも精一が水筒を手に駆け寄ってきた。


「おいおい、中尉殿だいじょうぶかい? さ、これ飲みな!」

「ああ、すまん」


 精一が差し出した水筒を受け取り、中尉はぐいっと一気にあおる。

 それから一気にブーッと噴き出した。


「おい甲! おまっ、これ……酒じゃねえか!」

「えへへ、消毒になるかと思って!」

「任務に酒を持参するな! こンの……」


 ばかたれーっ!


 田原に、藤堂中尉定番の叱声が響き渡る。意外と元気そうだね! などとさらに怒りを煽った精一が拳骨を食らったこと、言うまでもない。

 普段通りのやかましさが繰り広げられるなか、五十槻はふと、禍隠の死体が数多転がる平原を振り返った。

 今回、五十槻は刀を抜かなかった。禍隠を誘導することだけが、今回自身に課せられた仕事である。

 なんとなく物足りない気がする。そういえば、櫻ヶ原の事件以降、五十槻は禍隠を斬っていない。

 女学院地下での死戦を思い、五十槻はしみじみと感慨に耽った。


──あれは、本当に楽しかったなぁ。


      ── ── ── ── ── ──


 そんなこんなで、藤堂中尉が昇任することになった。年明けから大尉になる。

 田原での禍隠討伐から一週間程経過した頃の通達だった。


「ひゅー、よかったじゃーん綜ちゃーん」


 おめっとー! とやはり甲精一伍長は今日もテキトーである。第一中隊舎の事務所で書類仕事をしていた藤堂中尉がぎろりとキツネ顔を睨みつけた。現時点ではまだ中尉である。


「いい加減お前は言葉遣いをなんとかせんか。ちゃんと名字と階級で呼べ。あと敬語」

「お祝いなんだから多少よくない?」

「よくないわ!」


 くわっと中尉が食って掛かる。五十槻も近くの席で算盤を弾きつつ、二人の会話を聞くともなしに聞いていた。精一は用事もないのに事務所へたむろしている。

 五十槻は昇任の話を聞いたとき、心からの祝いの辞を中尉へ述べつつも、内心は正直複雑な気持ちだった。もしかしたら中尉が大尉になることで、別部隊へ異動してしまうのではないかという危惧があった。しかし結局異動はせず、このまま第一中隊の指揮官になるとのことだ。五十槻が実はほっとしていたことを、本人以外誰も知らない。ちなみに現指揮官の田貫大尉は、華族の三年特権を使い、退役するという。

 さて、世間的に昇任とはめでたいものと決まっている。それなのに藤堂中尉は憂鬱そうにため息を吐いた。


「はぁ……責任が増えるだけだな……」

「なんでよ。給料も増えるじゃん?」

「金使う暇ねえんだよ……」


 現時点でも藤堂綜士郎は業務過多の状態である。田貫大尉がうまいこと手を抜いて、藤堂中尉に押し付けている分もある。あと人手がなさ過ぎて、中尉一人で中隊副官と小隊長を兼任していたりする。


「中尉、経費計算が終わりました」


 五十槻は計算を終えて、きっちり揃えた書類を藤堂中尉へ手渡した。ふだん経費の管理を行っている下士官が体調不良を起こしたため、今日は五十槻が代わりに手伝っている。中尉はやれやれと言った面持ちで書類を受け取ると、疲れた声で礼を述べた。


「助かるよ、八朔少尉。甲も見習えよー、せめて始末書は減らしてくれ。今度から俺が見るんだから」

「へっ、できねえ相談だ」

「できろよ」


 軽口を叩き合っているうちに、段々と日が暮れていく。仕事を溜めた張本人の田貫大尉が姿を見せぬまま、急を要する書類はあらかた処理が終わる。

 十二月ともなると、日暮れが早い。とっぷり暮れた午後六時半の夜模様を窓越しに眺めて、藤堂中尉が席を立った。


「よし、今日はもう帰るか。五十槻、飯でも食いに行こう」

「えっ」


 藤堂中尉はこの頃、なにかと五十槻を色んな飲食店へ連れて行ってくれる。確か、女学院の禍隠討伐の後、五十槻が退院したくらいからだ。「よっしゃあ中尉のおごりだー!」と背伸びをしているアホ伍長のとなりで、五十槻は椅子から立ち上がれずにいる。そんな彼女へ、藤堂中尉は怪訝そうな顔を向けた。


「どうした? 行かないのか?」

「最近ずっと、中尉にはご馳走になってばかりです。これ以上は申し訳なく……」

「いいのか? 今日はライスカレーを食べに行こうと思ってたんだがなぁ。五十槻が行きたくないなら仕方ないなぁ……」

「う……」


 ライスカレー。その単語を聞くなり、五十槻の喉がごくりと鳴った。最近中尉に連れて行ってもらった洋食屋で初めて食べた料理で、以来五十槻の自制心を度々揺らがせている悪魔の料理である。ちなみに海軍の兵舎では定番の献立らしい。正直ものすごく羨ましい。

 中尉の追撃は続く。あまりにも恐ろしい一言が、放たれた。


「本当にいいんだな? トンカツが乗ってるやつだぞ、トンカツ」

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