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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第一章 八朔少尉、女学生になる
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序ー2


 八洲大皇国(やしまだいこうこく)陸軍中央軍第一師団、神事(しんじ)兵連隊。神祇(じんぎ)や陰陽の力を扱う者を集めた兵科『神事兵』で構成される部隊である。軍隊の一部ではあるが、諸外国からの国家防衛に資することはなく、かといって外征に組み込まれることもない。神事兵の主な役割は、八洲国各地に現れる禍隠(まがおに)を討伐すること。構成人数は、歩兵や砲兵などの他の兵科に比べるとずっと少ない。神事兵の主力となる『神籠(こうご)』と呼ばれる者が、非常に希少だからだ。

 八洲の天地(あめつち)に宿る、八百万(やおよろず)天神(あまつがみ)地祇(くにつがみ)。それらの神々に選ばれ、神を奉じ、神の力を宿す者。そういった異能者たちを『神籠(こうご)』と呼ぶ。禍隠は神籠の力でしか討伐することができず、現状彼らに対する、唯一の対抗手段である。


 五十槻(いつき)は翠峰楼を前に、先祖代々の掟通り、白い獅子の面を着けた。神籠の力を使う際の八朔(ほずみ)家の決まりである。己という個を内に潜め、神の(しろ)となるために。

 面の奥から高楼を見上げ、目標を視界に捉える。月暈(げつぼう)の落とす微光が、(ましら)の禍隠の輪郭をおぼろに縁取っている。二本ある尾のうちの一本で、少女を掴んでいるようだ。よくよく目を凝らして、囚われの少女の位置をしっかりと頭に叩き込む。

 周囲の朋輩たちが固唾をのんで見守っている。場はしんと静まり返っていた。

 佩刀の柄に手をかける。

 静寂(しじま)を裂くように、五十槻は朗々と声を発した。


──(かけ)まくも(かしこ)祓神鳴大神フツカンナリノオオカミの大前に

  神實(かむざね)八朔(ほずみ)五十槻(いつき) (かしこ)み恐み(もうさ)

  清浄(きよら)なる霹靂(かむとけ)あらわし 千早振(ちはやぶ)神寶(かんたから)剣刀(つるぎたち)()

  四海(よつみ)の外より(きた)禍隠(まがおに)どもの(ことごと)くを

  祓いたまえ 清めたまえ


 祝詞が奏され、周囲にパチパチと火花のようなものが散り始める。火花は段々と稲妻の形を成し始め、やがて五十槻の周囲に紫電と電光が満ちていく。紫の光に囲まれながら、五十槻はなおも高楼の避雷針を、ゆらゆらと揺れる禍隠の尾を見つめていた。令嬢を救うに、最も相応しい一瞬を見極める。

 そして五十槻は刀の鯉口を切った。

 瞬間、紫電が弾けるような閃光。間髪入れず轟く雷鳴。

 地上から高楼の避雷針までを、紫の稲妻が一閃した。

 五十槻の姿はもはや地上にはない。すでに高楼の遥か上で、令嬢を抱きとめている。

 斬り落とされた禍隠の二つの尾が、地上へ落ちていく。避雷針に取りついたままの禍隠は、ただ茫然としていた。一瞬の間に尾が斬り落とされたことに、まだ思考がついていかないのだろう。


 祓神鳴神(フツカンナリノカミ)は、雷と刀の神である。八朔氏の祖先神とされる武神だ。五十槻はこの神の加護により、天を(はし)る雷の如き神速と、(いわお)をも断ち切る宝刀の異能を得ている。


 一瞬の出来事に、理解が追い付いていないのは禍隠だけではない。


「なっ、なんなの!?」


 空中で五十槻の左腕に支えられながら、清澄嬢は混乱している。ところどころに多少の擦り傷はあるが、どうやら大きな怪我はしていないようだ。良家の令嬢らしい華やかな顔立ちは、数時間も化け物に連れまわされた恐怖ですっかり蒼白だった。


「口を閉じて、しっかり掴まってください」

「えっ、えっ?」


 五十槻は清澄嬢へ落ち着いた声で耳打ちした。地上へ着地する際に、舌を噛む可能性があるからだ。少女は多少戸惑った様子を見せながらも、すぐ言われた通り口を一文字に結ぶ。彼女が自分の肩をしっかり掴むのを確かめて、五十槻は後方を振り返った。やっと状況を把握したらしい(ましら)の禍隠が、歯を剥きだして猛り狂っている。

 獲物を取り返そうとでもいうのだろうか。禍隠は勢いをつけて避雷針を蹴り、こちらへ飛び掛かかった。尾を斬られたとはいえ、その跳躍力はまだ健在だ。しかしこのまま空中で禍隠に捕まっては、二人と一体はもろともに心中である。

 禍隠の嚇怒(かくど)から跳躍に至る一部始終を、五十槻は冷ややかな目で追っていた。右手に持ったままの抜き身の軍刀に、再び紫電が迸り始める。そして不意に。

 雲ひとつない満月の夜に、再びの雷光が閃いた。紫の稲妻が、高楼の避雷針をかすめて斜めに地上へ落ちる。

 そして一拍遅れて雷鳴が轟き、やはり五十槻と清澄嬢の姿はすでに地上にある。落雷地点で令嬢を左手に抱えつつ、刀を振り下ろした体勢で少年は静止していた。

 その頭上。まるい月の光の中で、禍隠だったものが静かに灰燼と化し、風にさらわれる砂のように消えていく。


「対象、消滅しました!」


 双眼鏡で事態を見守っていた兵卒が、声高に報告を上げた。緊張が解けたのか、周囲の軍人たちから続々と安堵の声や息が漏れる。


 ゆっくりと立ち上がる五十槻の傍らで、清澄嬢はそのままへなへなと地面へへたりこんだ。青いモダンな柄の(つむぎ)の着物が、ところどころ擦り切れている。大きな怪我こそはしていないようだが、禍隠にはだいぶ乱暴に持ち運ばれていたようだ。


「失礼、お手を」


 五十槻は納刀すると、跪いて令嬢へ手を差し出した。数時間も拘束されては、立ち上がるのも覚束ないだろうと思ってのことだ。

 少女は差し出された掌に気づくと、じっとこちらの顔を見る。白い小さな(かんばせ)に、長い睫毛が華やかに彩る射干玉(ぬばたま)の瞳、ふっくらとした桜色の唇。少女雑誌の表紙から抜け出してきたかのような美しい娘だ。

 令嬢は少し目を伏せると、たおやかな仕草で「はい……」と五十槻の手を取った。

 五十槻は少女の体に負担がないよう、丁寧に令嬢を立ち上がらせる。「お体に障りは」と問えば、少女はうっとりした口調で「いいえ……」と言う。「重畳に存じます」と五十槻が答えると、少女はさらにぽっと頬を赤く染めた。


(惚れたな……)

(何人目だ八朔少尉)


 周囲の士卒たちが満場一致で生暖かい目を向けるなか、五十槻はふいっと令嬢から目を逸らし。


「誰か、軍医殿をこちらへ!」


 と一声放つと、令嬢の手をぱっと離して続けた。


「大きなお怪我はないようですが、小さな傷がいくつか見受けられます。軍医を呼びましたのでご安心ください。では、自分はこれにて」


 びしっと挙手礼。そのままくるりと背を向けようとする。


「ちょ、ちょっと! お待ちになって!」


 ロマンチックな展開を期待していただろう清澄嬢、突然のあっさりさ加減に狼狽もあらわである。さっさと立ち去りかける獅子面の少年の手をむんずと掴み、強引に引き留めを試みる。


「あ、あの! この度はお命救っていただきまして、大変感謝しておりますわ。是非ともお礼をさせていただきたく……」

「自分は職務を全うしたまでです。ご厚意には及びません。では」


 びしっ。二度目の挙手礼。面を着けているせいで、令嬢からはさっぱり表情が分からない。だが令嬢も意地である。


「いいえそんなわけにはいきませんわ! せめてお名前を教えていただけませんこと? できれば、その……素顔もお見せいただけますかしら。助けていただいた方のお顔も知らないなんて、心苦しいですわ!」

「いえ、速やかに上官へ禍隠駆除の報告をせねばなりませんので」


 取りつく島もない。五十槻は少女渾身の握力で掴まれた腕を器用に外し、「それでは」と今度は丁寧な会釈で場を辞した。


「ま、待っ……」


 去っていく少年将校へ再び手を伸ばすけれど。


美千流(みちる)! 無事だったか美千流!」

「お、お父さま!」


 入れ替わりに現れた自身の父によって、行く手は阻まれた。さらに父だけではなく、軍医やらその他の者らがどやどや令嬢を取り囲む。


「お、お待ちになって! ちょっ、お父さま邪魔! 嗚呼っ、行かないで……白獅子(しろじし)の君ー!」


 我が背に呼びかける声に構わず、五十槻はずんずんと指揮所への歩みを止めなかった。「禍隠の凶行により被害を被った婦女は、救助者に対し一時的に特別な感情を持つこと多し。恐怖の甚だしかったが故のことなので、相手にせぬこと」と先般座学で習ったばかりである。そもそもそんな教えがなかったとしても、五十槻には彼女の好意に応える気はさらさらない。


「あーらら、いつきちゃーん。まーた女の子袖にしちゃって」


 調子のいい声が背後から聞こえてきて、どかっと勝手に肩を組まれた。もちろんキツネ顔の甲精一伍長である。


「白獅子の君、だって。いいねー、俺もかっこいい異名ほしーなー」

「甲伍長、肩は大丈夫なのですか?」

「あー、うん、治った!」

「強靭なお身体で羨ましい限りです」


 五十槻の言葉には一片の皮肉も含まれていない。心からの尊敬の眼差しを、ちゃらんぽらんの伍長殿へ向けている。この素直な少尉には、嘘や冗談の類がまったく通用しないのだ。当の精一も「ハハハ、でしょー」などと一切悪びれない。

 そんなやりとりをしつつ、場所は再び切符売り場前。指揮所に入る前に五十槻は白獅子の面を外して、そっと息を吐く。一方で、さすがに日に何度も中尉に叱られたくないのか、甲伍長は五十槻と肩を組むのをやめた。再び肩をさすって「いたた、また肩外れたかも」などとわざとらしく呻いている。

 指揮所へ着くと、すぐに藤堂中尉の姿が見えた。


「八朔少尉……」


 手柄を立てた部下を出迎えた中尉の顔は、少し困っているようだった。それに、中尉の傍らには見知った顔がある。五十槻の実家に仕える、家従(かじゅう)の山沢である。

 藤堂中尉は山沢に目配せをして、口を開く。


「少尉、大役ご苦労だった。実はいましがた、少尉の御実家から使いが来てな」

「五十槻坊ちゃん!」


 山沢は少々興奮した様子で、中尉の言葉に食い気味に重ねた。


「見てましたよ坊ちゃん! 天を渡る紫の雷、さすが八朔の跡取りだ!」

「いいから山沢さん、用事というのは」


 たしなめられた山沢は、コホンと咳払いをして、気を取り直して告げた。


「ええ、実はその……先刻ですが、お継母上(ははうえ)のお産が始まりまして」

「えっ……?」


 満月の夜は、魔性も増える一方、お産も多くなる。

 思ってみなかった知らせに、少年は年相応の幼さできょとんとした。聞いていた予定より、早いのでは。

 高く昇った望月は地上の些事に構うことなく、ただ皓々と照り輝くのだった。

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