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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第一章 八朔少尉、女学生になる
29/116

3-7


「……というわけで、大福院きな子さんが親御さんのご都合で、学校をお辞めになることになりました」


 櫻ヶ原女学園、三年一組は、先生も含め全員が涙にくれている。それもクラスの人気者、大福院きな子が突然学校を辞めることになったからだ。


「うっ、うっ、きな子ちゃん……せっかく仲良くなったのに……!」

「お手紙のやりとりもできないなんて!」

「ぐすっ、みんなごめんねえ! うちのお父さまが事業に失敗した挙句、一家そろって住所不定無職になっちゃったからぁ……!」


 きな子は教壇でおいおい泣きながら、別れを惜しんでいた。

 ひとしきり泣いた後で、キツネ顔の奇怪な女学生は気丈にも涙を拭い、にっこりと笑顔を作る。そう、大福院きな子に涙のお別れは似合わない。


「それでは、名残は惜しいけれどごきげんよう! みなさま、将来は素敵な熟女におなりあそばしてね!」

「じゅく……なに?」


 三年一組から聞こえてくる高笑いを聞きながら、三年二組の生徒は神妙な面持ちで担任の話に聞き入っている。


「大変残念ですが、稲塚いつきさんが学校に来られなくなってしまいました。このまま退学の手続きを取られると。ご病気だそうで、いまは入院されているそうなのですが……」


 美千流はちらりと窓際の席を伺った。すでに椅子と机ごと、撤去されてしまっている。稲塚いつきの痕跡はまったくなくなってしまった。

 事件から一週間経つ。あれ以降、稲塚いつき──改め、八朔(ほずみ)五十槻(いつき)の消息は分からない。軍属ゆえ、陸軍の運営する病院へ入院しているのだろうけれど、見舞いなどはできるはずもない。

 そもそも美千流は五十槻に会わせる顔がなかった。あんなに酷いことをしておいて、なのに命を懸けて守られて。もしまた会えるとしても、どんな顔で会えばいいのだろう。

 美千流は窓の外へ視線をやった。あの夜、校庭に開けられていた穴は、神籠の力で掘られていたらしい。いまは検証を終え、すでに跡形もなく塞がっている。埋めるときにも神籠の力を使ったらしい。

 初めて五十槻に会ったとき、神籠の力は神秘的で美しいものだと思った。

 けれど今の印象は違う。地下での一件の際、激しい迅雷の中で命を削るように戦う五十槻の姿を見て、美千流はまるで神の贄のようだと思った。神籠とは、恐ろしいものだ。

 事件以降、春岡雫も入院していて、隅っこの席は空いたままだ。昴先輩は数日の検査入院の後、矢絣に行燈袴の女学生姿に戻り、大人しく謙虚に過ごしているらしい。


 結局、あの事件のあらましはこうだ。

 まず、学校の地下には数百年潜伏していた禍隠──上位個体のカシラが潜伏していた。

 カシラはクロちゃんという蜘蛛の姿で春岡雫に近づき、身近で彼女の人となりや交友関係をつぶさに観察していた。おそらくは、雫が入学した頃から。そして雫が人気者の薬師寺昴とエスの関係となり、その昴との関係が壊れた時点で禍隠は雫の拉致を決行し、彼女に成り代わった。また昴も体内に禍隠の一部を仕込まれ、自覚なく餌食となる女学生に刻印を施し続けていた。

 

 例の痣は、事件が終われば全員の皮膚から消えていた。美千流の手の甲は、元の通り滑らかな白い肌である。


 自分が雫にひどいことをしなければ、こうはならなかったのだろうか。美千流は自分の浅ましさが本当に嫌になる。学友に対しても、好きな人に対しても。


 それにしても、美千流にはひとつ解せないことがある。あの喫茶店の美男だ。おそらくは五十槻の上官なのだろうけれど。

 彼の腕で運ばれながら安心したように眠っている五十槻を見て、美千流はどうしてか「敗けた」と思ってしまった。稲塚いつきに昴や白獅子の君を取られたと思ったときは、ただ悔しかっただけなのに。


 憂鬱な気分のまま、美千流の日常は過ぎていく。

 二ヶ月が経った。


      ── ── ── ── ── ──


「本当にごめんなさい」


 十一月の病室に、謝罪の声が響き渡る。

 胸に分厚い書物を抱えつつ、雫は病床からじっとその見舞客を見つめていた。

 彼女の前で頭を下げているのは、薬師寺昴だ。学校帰りの、矢絣に行燈袴の姿である。昴は雫へひどい仕打ちをするまでの全てを告白し、いままさに謝罪を行っている。

 

「わたし、自分可愛さのあまり、雫に本当にひどいことをした。そのせいで、雫は……」

「先輩……」


 雫の容態はあれから随分回復し、最近やっと面会ができるようになったばかり。食事も重湯から固形物に切り替わり、痩せこけていた頬もふくふくと膨らみを取り戻しつつある。

 幸い、と表現していいのかは分からないが、地下での約十日間、雫はほぼ昏睡状態だったという。だから恐ろしい禍隠の記憶は薄く、非道な仕打ちをされながらも、精神科医が想定していたほど心を病まなかった。もちろん、まったく心に傷を負わなかったわけではないが。

 雫はベッドの上からじっと昴を見た。少し髪が伸びた先輩のつむじが、こちらを向いている。

 病床の少女は、おずおずと口を開いた。


「あのね、昴先輩。私ね、目が覚めて昴先輩が隣にいて、ほっとしたし嬉しかった」

「うん……」

「いま、先輩のお話を聞いても、嫌いになりきれない私がいる」


 雫は優しすぎる、と昴は思った。自分は彼女の心を踏みにじるような行いをして、禍隠に拉致されるきっかけを作ったのに。まだ痛罵された方がましだったと、改めて昴の胸に罪悪感が突き刺さる。

 

「でもね」


 雫はそこで言葉をいったん切った。それから昴へ「先輩、顔を上げて」と優しく声をかけた。

 

「…………」


 昴は言われた通りに顔を上げた。整った顔は悲痛に歪み、己の行いを心から悔いている様子がありありとにじみ出ている。

 その顔を見て、雫は「ぷっ」と噴き出した。

 

「ふふ、あはははははは!」

「し、雫?」

「あーははははは、やっぱり私バカみたい!」


 ひとしきり笑って、爆笑でこしらえた涙を拭う雫に、昴はきょとんとするしかない。

 

「ねえ昴先輩。あの禍隠、女の子の苦しんでる顔が好き、って言ってたでしょう?」

「え? う、うん」


 雫の姿をした禍隠は、昴の中でも思い出したくない記憶だ。特に蜘蛛はこれからの生涯で見るのも嫌になるだろう。青ざめた顔で返事をする先輩へ、もう一度おかしそうな笑声を送ると、雫ははつらつとした口調で言った。

 

「私もね、昴先輩が心底申し訳なさそうに謝る顔が見たかったの! そこだけはあの禍隠に共感するわ」

「ええ……」


 昴は今日、散々泣き喚かれることを覚悟しながらここへ来たというのに。

 雫は終始、吹っ切れたように明るい。とても十日間、地下で極限生活をさせられていたとは思えない。

 

「確かにね、私は昴先輩と清澄さんに相当傷つけられたし、そのあと禍隠に捕まって、怖い思いもしたし、本当に死んじゃうかと思った。でも、私はいま、ちゃんと生きてて」


 胸に抱えた書物──外国の昆虫図鑑をぎゅっと抱きしめ、雫は眼鏡の奥から昴をしっかりと見つめた。

 

「お父さんやお母さんとも再会できて、おいしいごはんも食べられるようになって。いまは大好きな虫のことも、前向きに考えられるようになった。そうしたらね、先輩のことであんなに悩んでたの、なんだか莫迦(ばか)らしくなっちゃった!」


 雫は続ける。

 

「あのね、私は先輩のことが、どうしても嫌いになりきれない。けれど、あなたの仕打ちで傷ついたことは事実。でも、その顔を見て、私は満足」


 もう彼女は、昴の知る気弱な雫ではないのかもしれない。眼鏡の奥の笑みは、もう昴がいなくても大丈夫と言っているようだ。

 わたしは雫の中では、ちっぽけな存在になってしまったんだな、と昴は思う。けれどそれで良かったのだ。

 

「……そうか。それなら、今日わたしがここへ来た意味があって、よかった」


 雫の気が晴れたのなら。本当はここに来るまで、雫の病室を訪れるべきではないのかもしれない、と思っていた。彼女をただ傷つけるだけの、自己満足なだけの謝罪になるのではないかと。けれど雫は、昴の謝罪に意味を持たせてくれた。最後まで優しい後輩だ。

 

「それじゃあわたしはもう行くよ。じゃあね雫、お大事に。もう、会わないようにするから」


 昴にはこれ以上、雫と関わる資格はない。あれだけ傷つけておいて、のうのうと前までの関係に戻れるわけがない。昴は踵を返して行こうとするけれど。

 

「えっ、どうして? 昴先輩、もう私と会ってくれないの?」

「いや、だって……」


 意表を突かれたような雫の声に、昴は困惑の顔で振り返った。あんな仕打ちにあんな事件、元凶の昴が雫とこれ以上顔を合わせても、余計に彼女を傷つけるだけなのでは。

 

「言ったでしょ。私、昴先輩のこと、嫌いになりきれないって」


 ちょっとだけ照れた様子で、雫はさきほどの言葉を繰り返した。それは、つまり。

 

「もしかして、わたしとまた……」


 元通り、(えんじゅ)の樹の下でお昼ごはんを食べていた、あの頃に戻ってくれるということだろうか。

 

「エスの姉妹になってくれる、ってこと……?」

 

 もしそうならと、昴の目元に涙がにじむ。昴だって、あの幸せな時間に帰りたい。かつては雫からの一方通行だった想いも、今度は……。

 しかし雫の反応は渋い。一気に少女は顔を顰めると。

 

「それは無理! 昴先輩とエスなんてもうこりごり!」

「へっ」

「私ね、次にエスになるなら……同性同士のプラトニックな関係を築きたいの。隠れて男の人と付き合ったりするような人とじゃなくて」

「うっ」


 的確に自らの傷をえぐられた挙句、昴はまたしても捨てられた。

 けれど今回は自業自得も手伝って、気分はなぜだか晴れやかだ。とほほ、と昴は肩を落としつつも、口元は笑んでいる。

 

「でも、いいお友達でいましょう。昴先輩!」

「そうだね……。よろしく頼むよ、雫」


 明るく話してはいるが、雫にはまだ、禍隠による心の傷が残っている。傍にいることを許された以上、その傷が薄まるよう、なくなっていくよう、昴は心を尽くすことを密かに決めた。

 そこへ。

 

「ちょっとあなたたち、どうしたのこんな大人数でお見舞いなんて!」

「全員クラスメイトでーす!」

「春岡さん、入るわよ!」


 突然病室前がどやどやと騒がしくなる。からりと開けられた扉から、あふれるようにして女学生の集団が現れた。三年二組の全員である。


「春岡さん!」

「春岡さん、よかった元気そうで!」


 入ってくるなり、口々に見舞いの言葉を述べる生徒たち。彼女らの中から、ひときわ真剣な面持ちのクラスメイトが進み出た。清澄美千流である。

 美千流は雫の病床の前に立つと、さきほどの昴同様、満面に申し訳なさそうな色を浮かべて言う。


「春岡さん。私、あなたに本当にひどいことをしてしまった。仲間外れにするだけじゃなく、あなたの大事な人まで、面白半分で奪うような真似を私は……」


 美千流は深々と頭を下げた。雫を冷遇していたクラスメイト達も、それに続く。


「ごめんなさい」


 あの清澄美千流が頭を下げている。信じられない面持ちで、雫は唖然と謝罪を見守っていた。


「謝っても、許してもらえることじゃないって分かってる。私のことは顔も見たくないでしょうし、ここに来るべきかも迷ったけれど」


 美千流はそこで顔を上げ、どこかの誰かさんのような、真っ直ぐな眼差しで雫を見る。


「でも、私があなたにしたことを悔いているって、あなたに知ってほしかったから……」


 射干玉(ぬばたま)の視線を受け止めて。雫は柔らかく微笑んだ。

 

「今日はたくさんの人に謝られる日ね。さっきの方に、昴先輩に……清澄さんにみんな」


 そこで雫はふふふ、と楽しげに笑った。突然笑声を上げた雫に、美千流は怪訝な表情を浮かべ、昴は苦笑している。

 

「あーあ、今日は大満足! 昴先輩と清澄さんに、そんな顔で謝ってもらえたんだから」

「は、春岡さん?」

「もういいの、清澄さん。みんなも。ちゃんと謝ってくれて、私はすっきりしたわ」


 雫はわだかまりのない笑顔を美千流へ向けた。

 

「それじゃあ清澄さん。私、学校に復帰する頃には、だいぶお勉強が遅れていると思うの。だからちゃんと授業についていけるように、ときどき勉強するのを手伝ってもらっていいかしら?」

「も、もちろんよ!」


 雫の申し出へ、美千流は自信満々の笑みで応える。

 

「だって私、学級委員長だもの!」


 病室の女学生たちから笑声がこぼれた。

 和らいだ雰囲気のなか、美千流はふと、雫が抱えている本に気付いた。外国の昆虫図鑑のようだが。

 それを見て、美千流は少々眉をしかめる。二ヶ月前、雫が受けた仕打ちを思えばごく自然な反応だが。

 

「あ、あの……春岡さん。虫、大丈夫なの?」

「どうして?」

「どうしてって……無理矢理その、食べさせられてたじゃない」


 かなり言いにくそうに告げる美千流へ、「ああ」と薄い反応で雫は返す。

 

「うん、まあ……虫はずっと大好きだよ。その、虫さんには申し訳ないけど、もともと味も見てみたいって思ってたし……」


 いい機会だったっていうか、まあ美味しくなかったけど……と口ごもる雫に、三年二組一同は絶句した。禍隠以上に底が知れないのではないか、この娘は。

 これ以上聞くのが恐ろしくなって、美千流は話題を変える。

 

「そ、そうなのね。それでその本はもしかして、昴先輩からのお見舞いかしら?」

「それが、わたしじゃないんだよ」


 美千流の問いに答えたのは昴だ。少しいたずらっぽい微笑を浮かべている。そしてその先を続けたのは雫。


「あのね、実はさっきまで、私を助けてくれた神籠の方がいらっしゃっててね。お見舞いにこれをくれたの! 自分がもっと早く禍隠にたどり着けていれば、私のことも早く助けられたんじゃないかって、わざわざ謝りに来られて」

「は、春岡さん待って! いま、神籠の方って言った!?」


 美千流にとっては聞き逃してはならない言葉である。雫は図鑑をぎゅっと大事そうに抱えつつ、熱っぽい口調で続ける。

 

「うん、神籠の軍人の方。私と同い年くらいなのに、禍隠をやっつけちゃうなんてすごいよね。それなのにすごく綺麗な方で……。あの人、実は女の子だったりしないかなぁ」


 雫の興奮したような早口を途中まで聞いて、美千流は慌てて病室の窓辺へ駆け寄った。病院の正面玄関を見下ろす三階の窓からは、誰かが正門の方へ向かっていくのが見える。

 神籠の軍服。ピンと伸びた背筋。腰に佩いた軍刀に、軍人にしては小柄な背格好。


「ちょっ、ごめん春岡さん! 私ちょっと行ってくる!」

「清澄さん!?」


 美千流は走った。会わせる顔なんてないと思っていたけれど、とにかく走った。すれ違う職員から「病院で走らないの!」と当然のお叱りが飛んでくる中、階段を駆け下りて。

 玄関を抜け、十一月の寒い風が吹きつける中を。


「待って!」


 懸命に走りながら呼び止めると、彼は相変わらずの真顔でこちらを向いた。最後に見たときはうつろだった紫の瞳は、いまはしっかりとこちらを捉えている。最終的に自分でも歩けないくらい消耗していた彼は、いまは目の前でなんでもなかったかのように立っている。その姿に、美千流は少し泣きそうになる。


「清澄さん」


 立ち止まった八朔五十槻の目前で、美千流はぜえぜえ荒ぶる息を必死で整えた。そして。


「ごめんなさい!」


 雫へのときと同様に、誠心誠意、少女は頭を下げた。その様子を、五十槻はじっと見つめている。


「あなたには本当にひどいことをしてばかりだった。嘘をついて陥れようとしたり、傷つけようとしたり。本当に最悪なのは、あなたが死んじゃうかもしれないような食べ物を、無理矢理食べさせようとしたこと」

「本当にそうですね」


 ぐっ、と美千流は地面を見つめながら唇を噛む。五十槻は雫ほど寛大ではないようだ。けれど、それも致し方ないこと。それだけのことを、美千流はしたのだから。


「おかげで僕は、戦場ではなく調理場で死ぬかもしれなかった。なにも起こらなかったから良かったようなものの、神籠の軍人として不名誉極まりない最期を迎えるところでした」

「不満に思ってるのそこ?」


 相変わらずの真顔で武士のような台詞を吐くので、美千流は思わず顔を上げ、なおかつ少し脱力した。もっとこの人は、自分が殺されかけたこと自体に怒ったほうがいいのではないか。


「それにしても、清澄さんはちゃんと謝罪ができる人だったのですね」

「んなっ、私のことなんだと思ってるのよ!」

「もっと自分勝手でわがままな方かと」

「も、もう! あなたって人は!」


 美千流は謝罪しに来たはずなのに、なぜかもう怒っている。稲塚いつきのときもそうだったけれど、このどう考えても同い年くらいの軍人には、美千流の調子を狂わせる才能があるらしい。


「とにかく! 本当に申し訳ないと思っているわ、あなたにしたこと全部。……それだけ。それじゃ」


 謝罪以上に、この人に関わるつもりはない。自分にはその資格がない。美千流はもう一度頭を下げると、踵を返そうとする。


「待ってください、清澄さん」


 五十槻の声に美千流は立ち止まった。きっと彼の中での自分の印象はよくないものだろうから、おそらくは美千流にとって喜ばしくない用件であろう。少し気まずい顔で美千流は振り返る。五十槻は真顔のあごに指を当てて、なにやら考える仕草をしている。


「実は、少し納得がいかないことがありまして」

「え、ええ……」


 何を言われるのだろう。少女は少し面を伏せながら次の言葉を待つ。


「僕には女学院に潜入する前まで、女性の友人がいませんでした。けれど、ご存じの通り、春岡雫さんとともに昼食を取る仲になった」

「……そうね」

「しかし、僕が転校してきてから関わった春岡さんは、結局禍隠であった……」


 そこで五十槻は言葉を切る。真っ直ぐな紫の瞳が、改めて美千流を見た。


「僕の人生初めての女性の友人が、禍隠だったなんて癪です。だから」


 五十槻は美千流へそっと手を差し出した。


「清澄さんで手を打って差し上げます。改めて友人になっていただきたい」

「だから言い方! 手を打つってなによ! 妥協で友達になるっていうの!?」

「そういうことになるのか。なら、僕の人生初の妥協が清澄さんということになります」

「本当に友達になる気ある!?」


 やっぱり調子を狂わせてくる妙な人物である。五十槻は差し出した手をそのままに、じっと美千流を紫の瞳で見つめている。手を打つだの妥協だのなんて扱いは、こっちだって癪だ。けれども。


「しかたないわね! 望むところでしてよ!」


 がっしり!


 皇国陸軍少尉と財閥令嬢は、かなり強めに友情の握手をかわす。五十槻は元々握力が強く、美千流は妥協された上での友人扱いに不満がある。

 そのとき、北からの突風が、どこからか大量の落ち葉を巻き上げてやってきた。枯れ葉が顔に当たりそうになり、二人は手を繋いだまま、とっさにもう片方の手を顔の前にかざした。


「わぷっ!」

「ふふっ」


 美千流はそのとき、落ち葉から顔をかばいながら見た。目の前に立つ彼が軍帽の(ひさし)を抑えつつ、本当に一瞬だけ、微笑んだところを。


「えっ、ちょっとなに!? あなたいま笑った!?」

「笑っていませんが」


 五十槻はもう真顔である。一瞬の微笑みが、まるで見間違いだったかのように。けれど美千流は確かに見たのだ。


「いーえ笑ってた! 私見たもの!」

「僕は生まれてこの方一度も笑ったことがありません。僕を笑わせたら大したものです」

「そんなわけないでしょうよ! ていうか、あなた本当に男の方? 結構女学生姿が様になってたじゃありませんこと?」

「神籠の軍人ということでお察しください」

「まったく……どっちにしろ、乙女の枠にはおさまらない方よね、あなた……」


 他愛もない話をしながら、友人同士は白い息を吐きつつあてもなく歩く。

 美千流はちょっとだけ照れた顔で。五十槻は、少しだけ嬉しそうな真顔で。

 八洲の高く青い空は清冽な冬の空気に満たされて、どこまでも広がっていた。

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 次章以降ハッピーとんちき軍営ライフ編に突入です。メインキャラにアホのイケメンが増えます。

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