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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第一章 八朔少尉、女学生になる
26/115

3-4


「うん……?」


 清澄美千流は目を覚ました。まず気になったのは体勢である。こんな寝相で寝ていたことなんて、一度もない。花も羨む淑やかな美少女である美千流が宙づりで寝ているのは、いったいどういうことなのか。


「は? え?」


 それから目に入ったのは周囲の景色である。まるでそこは西洋のお城の広間のようなたたずまいだ。大理石のような白い柱があちこちに建ち並び、同じ材質の壁が周囲を囲んでいる。しかもそれらが、淡く光を放っている。近くの壁面には、昆虫の標本のようなものが多数飾られていた。

 しかし建材へよくよく目を凝らしてみて、美千流は「ヒッ」と嫌悪感を露わにする。柱や壁に見えるものは、よく見れば幾重にも重なった蜘蛛の糸である。しかも、彼女自身も蜘蛛の巣に引っかかっている状態だ。


「な、なによこれ! どういうことよ!」


 わたわたともがいているうちに、糸が弱くなったらしい。ぶつんと糸が切れて、令嬢は「わにゃ!」と珍妙な悲鳴とともに下方へ落下した。幸いさほど落差がなく、美千流はちょっとした打ち身をこしらえた程度で済んだ。


「いたた……どこよここ?」

「あらま清澄さん?」


 隣から、ちょっとだけ聞いたことがある声が聞こえてくる。横を見れば視線がかち合う、キツネ顔。

 金髪にピンクのドレスで登校する櫻ヶ丘女学院の生徒はひとりだけである。


「と、隣のクラスの大福院さん?」

「どーもー、大福院でございますわぁ!」


 大福院きな子は、この状況でも演芸場の芸人のように元気である。美千流はこのみょうちきりんな転校生とは、まったく話したことがない。ちょっと距離感を掴みかねるところだ。


「ね、ねえ大福院さん。ここどこか分かる? 私、気が付いたらここにいて……」

「うーん、たぶん皆さんそうなんですのよねぇ」

「皆さん?」


 そこでようやく美千流は、きな子の周辺に目を配る。厚く蜘蛛の巣の張った地面に、半ば埋もれるようにして、何人も少女たちが倒れている。


「恭子さん!?」

「み、美千流さん……」


 その中には旧知の顔もある。慌てて駆け寄ると、恭子は弱々しく身を起こした。


「美千流さんも、穴に引き込まれて?」

「そうそう、穴よ! 急に地面に穴が開いて!」


 どうやら彼女も同様の怪現象により、ここへ連れてこられたらしい。


「ねえ、大福院さんもそうなの?」

「そうですわ。わたくし、放課後に校庭で蜘蛛取りに興じていたんですけれど……突然目の前に落とし穴がくぱぁっと」

「どういうことなのかしら……」


 大福院きな子がなぜ昆虫採集していたのかは、とりあえず触れないでおく。それよりこんなにたくさんの若い少女が、こんな得体の知れない場所へ集められたのはどういうことなのだろう。それも、美千流が知っている顔が何人もいるし、同じ学校の制服を着ている少女もいる。というか、全員櫻ヶ原女学院の生徒ではなかろうか。

 突如「きゃあ!」と叫ぶ声が聞こえてきた。声の出どころは、美千流たちから少し離れた場所だ。しゃがみこみ、肩をわなわなと震わせている下級生がひとり。


「ねえ、何がありまして?」

「あ、あそこ……!」


 無駄に行動力のある美千流なので、蜘蛛の巣を踏み踏み少女のもとへ近寄ってみれば。彼女が指し示す先に。


「ひっ……!」


 それはまるで、昆虫の標本のようである。

 少し陰になっている回廊には、背面以外がガラス板で作られた、大きな箱が並べられていた。

 中に入っているのは、ピンで関節部を背面に固定された裸の若い女だった。おそらく死んでいるのだろうが、廊下にはそれがいくつも並べられていた。一様に、恐怖にひきつれた表情をして。


「なに……これ……」

「わお」


 唖然とする美千流の横で、きな子が薄い反応をしている。さらにその隣には。


「いかがかしら、私のコレクションは」


 地面に何かをどさりと置きながら現れたのは、眼鏡におさげの、小柄な女学生である。もちろん美千流がよくよく知っている人物だ。


「は、春岡さん!?」

「ごきげんよう、清澄さん」


 雫は普段の様子が嘘のように、明るい笑顔で上品な挨拶を送る。ふと、美千流が地面へ視線を下ろすと。


「す、昴さま!? どういうことなの!?」

「うぅ……」


 ボロボロの学生服姿で呻いているのは、まさしく薬師寺昴である。負傷はしていないようだが、意識が朦朧としているようだ。きな子がしゃがみ込み「しっかりなさいまし」と肩を揺すっている。

 美千流は改めて雫を見た。雫はもっと気弱で臆病な娘だったはずだ。こんなに自信に満ちた表情をしている彼女を、美千流は知らない。


「ていうかコレクションってなによ……?」


 一番引っかかる部分はそこだ。美千流の訝しむ視線を気持ちよさそうに受け止めて、雫は無邪気な笑顔で笑った。


「言ったでしょう、私のコレクション。前回の羅睺蝕(らごうしょく)から数百年、櫻ヶ原のこの地下に潜みつつ、集めに集めた珠玉の人類の……それも少女の標本」

「少女の標本……?」


 じり、と美千流は後ろへ後じさった。回廊の標本はあまり見たくはないが、確かに若い娘ばかりだったように思う。

 謎の空間に集められた櫻ヶ原の生徒たち。少女の標本。悪い想像が膨らまない方がおかしい。


「ねえ、清澄さんにもみんなにも、教えてあげる。その方がもっと恐怖で綺麗になるだろうから」


 先程からこの春岡雫は、言動が支離滅裂である。ふだんの様子を知っている分、美千流には余計にそう感じられる。

 眼鏡の下の無邪気な笑いは、段々と邪悪さを帯びていく。


「私はね。あなたたちみたいな無垢で美しく、若い少女が愛おしくてたまらない。笑った顔が愛らしいければ愛らしいほど、そして、驕り高ぶれば高ぶるほど、美しいものはない」


 言いながら雫は、床へ這いつくばっていた昴をきな子から奪い取った。首元を掴み、高々と持ち上げる。


「ほぉら。こういう顔をしてほしくて、私はみんなをここに連れてきたの。ねえ昴先輩、いまの先輩はすごく綺麗よ」

「や、やめなさいよ春岡雫! いますぐ昴さまを下ろしなさい!」


 昴の苦悶の表情を一同へ見せびらかすようにしている雫へ、さすがに美千流は怒声を放った。いまの春岡雫は得体が知れない。それにふだん運動音痴の彼女が、人ひとり持ち上げているなんて信じられない光景だ。そして雫は昴を下ろさず、恍惚の笑みで続ける。


「私はね、あなたたちみたいな、美しくて可愛らしい十代の女の子が、絶望に引きつった表情を浮かべる姿こそ、いっとう美しいと思うの。オスの人類や、年が嵩んだメスでは得られない美しさね」

「あ?」


 みなが恐怖を覚えるなか、キツネ顔の自称大福屋の娘だけは不服そうである。ともかく。


「その絶望の表情を永遠に残したい。だから私は女の園の下にこの工房を作り出した。『次』で蹂躙される前に、お気に入りをあらかじめ捕獲して、標本として保存するために」


 そこで雫は「邪魔ね」と言いながら眼鏡を放り投げた。さらにおさげ髪もほどき、愛らしい顔へまた冷笑を浮かべる。

 そして雫の姿をした何者かは、突如昴を乱雑に地面へ放った。慌てて「昴さま!」と駆け寄る美千流の前で、雫はすぐ近くの壁面をそっとさする。


「うぅ……」

「ねえ、先輩。ほら見て。ここにあなたを連れてきたのは、ぜひこれを見てもらいたかったからなの」


 昴はやっと意識がはっきりしてきたところである。地面に這いつくばりながら、雫の言う通り、彼女の指し示す先を見た。美千流たちも自然、その部分へ注目する。白い蜘蛛の巣でできた壁には、黒く人の形のような陰影が浮かんでいる。

 ちょうど、隣に立っている雫と同じくらいの体格だろうか。気付いた瞬間、昴が遮二無二壁へ駆け寄った。


「う、うそだろう! 雫、雫なのか!」


 引きちぎるように厚い蜘蛛の巣を裂いて、その中から倒れこむように現れたのはやはり、春岡雫であった。隣に立つ同じ姿をした誰かより随分痩せこけていて、衣服もかなり汚れている。


「雫! 雫!」


 昴に抱き留められ、うっすら目を開くけれど、返答はできない様子だ。かなり衰弱している。


「ねえ昴先輩。それに、清澄美千流さん。覚えてないとは言わせないわ、十日前のことを」


 邪悪な笑みを湛えた少女の問いかけに、美千流は言葉を詰まらせた。昴も唇をかみしめている。

 美千流だって覚えている。面白半分で、昴を慕う春岡雫に、睦まじい姿を見せつけて絶望させたことは。あのときはただ愉快なだけだった、けれど。


「春岡雫はあの一件で、とてもとても傷ついてしまった。ご存じのように、一晩学校の御不浄に籠って、仲良しのクロちゃんに洗いざらい胸の内を吐露したの。そのクロちゃんに、こんなところへ攫われてしまうなんて露ほども知らずに。とっても可哀そうね」

「ま、待って! 春岡さんは、十日も前からここに閉じ込められているの!?」


 美千流の驚愕に、攫われた女学生たちはもちろん、きな子も一様に息をのんだ。雫を騙る彼女は、こともなげに嘲笑まじりに続けた。


「あはは! 心配しないで、ごはんはちゃんと上げてたから。ほら、こんな風に」


 少女は雫を昴から奪うように引っ張り上げると、彼女の口元へ何かを押し付ける。給餌のような光景だが、美千流はうっと口元を抑えた。雫の唇に差し込まれているのは、バッタである。


「ほらほら、雫ちゃん。ごはんですよ? いつもみたいに、大好きな虫さんにごめんなさいしながら食べないの?」

「やめろ! やめてくれ!」


 たまりかねて、昴は少女へ縋り付いた。十日もの間、春岡雫は虫を食べさせられ、惨い仕打ちを施され。


「ね。こんな感じで、死なない程度の状態は維持してきたわ。でも排泄はしょうがないから、垂れ流しよね」

「雫がなにしたって言うんだ! なんでこんな惨いことを……!」


 非常に非人道的な行いだが、そんな中、きな子だけ「あのジグモの巣か」と冷静に思い返している。彼女……いや、彼が校庭で採取した獲物で過密状態のジグモの巣は、春岡雫の食糧だったわけだ。白骨の方は、標本とやらの作製課程で出たものが、なんらかの形で流出したのだろう。きな子がここへ落ちるはめになったのも、おそらくは配下のジグモが採取した食糧を地下へ持ち込もうとして、巻き込まれたのかもしれない。


「春岡雫はなにもしていないわ。本当に運が悪かっただけよ、彼女」


 少女はそう言うと雫を放るようにしてそっとしゃがみ込み、昴の顔を掴んで覗き込む。


「昴先輩。あなたは私にとってとても都合がよかったわ。この姿を借りた私の目くらましとなり、最大限周囲や目障りな神籠の連中を欺いてくれて。そしてその確かな審美眼で私に代わり美しい娘を選り抜いて、ここへ連れて来るための下準備までしてくれた。さらにあなた自身の容姿も美しい。本当に感謝しているわ、先輩」

「な、なにを……」


 滔々と語る少女の頭上から、かさかさと気配が近づいてくる。美千流たちが見上げてみると、それは巨大な蜘蛛である。それも多数が巣を伝い、地面へおりてきている。


「ひっ!」

「禍隠!」

「お出ましなさいましたわね!」


 怯える女学生たちに、身構える大福院きな子。蜘蛛の群れは彼女らを取り囲み、そのうち一体は雫の姿をした少女のそばにそっと控えた。長大な鋏角を指し伸ばし、倒れている本物の雫へ向ける。

 少女は蜘蛛の頭を撫でながら、昴へ告げた。


「ねえ。こんなに可哀そうな目に遭った雫ちゃんが、大好きな先輩の前で大きな蜘蛛にむしゃむしゃ食べられちゃったら、それってすごく悲劇的じゃない?」

「や、やめっ……!」

「そう、その顔。ああっ、またコレクションが増えるわ!」


 少女が恍惚の笑みを浮かべ、蜘蛛に向かい、歪んだ笑みで合図する。


「さあ、罪悪感で胸を焦がし、せいぜい成すすべもなく絶望を味わいなさい。その顔のまま永久保存してあげるから!」


 泣き叫ぶ昴。美千流は何もできず、立ちすくんでいる。そんななか、きな子だけはなぜか、待ちかねていた笑みで後方へ視線を送っていた。


 黒く巨大な鋏角がおさげ髪へ触れる前に。

 蜘蛛の巣の広間を、一筋の紫電が貫いた。

 一瞬遅れて轟く雷鳴。痩せこけた春岡雫の姿は、その場にはなく。


「人語を操る禍隠には初めて接するが、品性下劣にして醜悪極まりないものだな」


 雫を大事に抱え、落雷の地点で立ち上がった人物は軍装である。

 軍人にしては小柄な体格。凛とした立ち姿。こちらを振り返った顔には──白獅子の面。

 来訪が分かっていたかのように、禍隠がその名を口にする。


「やはり来たわね、八朔の……」

「白獅子の君────────!!」


 ところがどっこい、禍隠の台詞を打ち消して。

 美千流は精一杯叫んだ。さっきまで恐怖に竦んでいたくせに、とたんに射干玉の瞳は生気を取り戻している。いや、取り戻しすぎてギラギラしている。他の面々どころか、禍隠までもが鼓膜にキーンと負荷を負う。

 白獅子の君は黄色い悲鳴を聞かなかったことにして、「はいはいよっこら」とそばへ現れた大福院きな子へ、雫の体をそっと預けた。


「甲伍長、御無事で何よりです」

「来てくれるって信じてましたわよ!」

「ええ。禍隠のカシラは自分が仕留めます。伍長は彼女らの避難誘導を」

「任せんしゃい!」


 きな子が雫を背負っていくのを見送って、年若い将校は仮面越しに鋭い眼差しを禍隠へ向けた。

 禍隠は再び冷笑を浮かべ、その視線を受けている。


「酔狂なことね。ここにはあなたを害そうとした娘もいるというのに、わざわざ手傷まで負って助けにくるなんて。物好きだこと」

「害獣め」


 吐き捨てるように言って、白獅子の将校──八朔五十槻は刀の柄に手を掛けた。


「貴様が連れ去った櫻ヶ原女学院の生徒たちは皆等しく、八十(やそ)続き五十樫(いかし)八桑枝(やくわえ)の如く立ち栄えし、八洲(やしま)御国(みくに)大御宝(おおみたから)である。たとえ、いかな性分を抱えようとも」


 周囲の空気へ、びりっと紫電が走る。


「皇国の蒼生(あおひとくさ)に仇なす禍隠の一切は殲滅する」

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