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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第一章 八朔少尉、女学生になる
24/116

3-2


 薬師寺昴はひとりの帰り道で、ひっそりとため息を吐いた。

 今日は散々な目に遭った。紫色の珍しい目をした転校生が、思いのほか狂暴であったのだ。無理矢理接吻しようとした件については、それは自分が悪い。報復に頭突きを食らったのも一応は納得できる。

 けれど、その直後に顔を掴まれ、無理矢理口をこじあけられたのはなんだ。よく聞こえなかったが、雫と何か言い合っていたのは覚えている。

 転校生に襲われたことは災難だったが、窮地を救ってくれたのは雫だった。

 雫は、ボクを見捨てずにいてくれる。なによりもボクに見捨てられることを恐れているのに。

 そう思うと、心にぽっかり空いた穴が少しずつ塞がっていくような気がした。ボクはもう、あのときの弱いわたしじゃない。

 昴は帰宅に路面電車を使う。学校の最寄りの電停までは、以前は雫と一緒だった。帰り道で虫を見つける度、おさげをぴょんぴょん跳ねさせながら目の前を駆けて行ったっけ。昴の中では、ずいぶん遠い思い出になってしまったようだ。

 けれど。


「雫……?」


 ひと気のない電停で、雫がうずくまっている。すでに下校には遅い時間だ。日は沈みかけていて、黄昏は段々暗くなっている。そんななか雫はひとり、行燈袴を折ってしゃがんでいた。


「雫、どうしたんだ?」


 体調でも悪いのかと思って駆け寄る。雫は昴に気付くと、見慣れた臆病さで肩をビクリとさせ、走り去っていく。


(雫?)


 不思議に思いながらも、この頃の癖で昴は去り際の雫の目を見た。もしまた悲痛な目を見ることができたなら、昴の心の隙間はまた一段と埋まったのだろうけど。

 雫は笑っていた。酷薄そうな笑みで。

 怪訝な面持ちで彼女の後姿が見えなくなるまでを見つめ、昴はふと、雫がいた辺りへ目線を下ろす。

 雫は虫が好きだ。バッタにコオロギ、カマドウマ。蝶々や蛾、蜂なんかも好きだった。

 彼女のいた場所には、頭部や足をもぎ取られた昆虫たちの亡骸が多数転がっている。昴は唖然とした。


──あれは、誰だ?


「薬師寺昴さんだね?」


 突然背後から呼びかける声。振り返った昴の目に飛び込んできたのは、皇国陸軍神事兵の軍制服である。

 数名の軍人が、昴を取り囲むように歩み寄った。

 突然のことに、昴は一瞬声が出ない。


「あ、あの……なにか……」

「捜査のため、我々に御同行願いたい」


 相手は所属も同行要請の理由も告げない。けれど昴には拒否できなかった。昴と会話している士卒の後ろには、歩兵銃を装備した兵士が何人も付き従っていたから。

 わけもわからぬまま昴は軍用車に乗せられて、電停を後にした。


      ── ── ── ── ── ──


「えっ、薬師寺昴を?」

「ああ。下校中の彼女の身柄を確保した。これから中隊本部へ連行する」


 第一中隊、中隊舎前にて。

 荒瀬中佐直々に伝達事項を聞かされて、五十槻は藤堂中尉とともに眉をしかめている。また随分と性急に事態が動くものだ。

 薬師寺昴は、現状、櫻ヶ原女学院に潜む禍隠に最も近い人物である。

 それを裏付ける報告をしたのは、五十槻本人だ。昴の口腔に潜んでいた蜘蛛。鋏角による噛み痕。赤い痣。


「藤堂中尉と八朔少尉には、彼女が到着次第、尋問に同席してほしい。本当は作戦に関わる者として、(きのえ)くんにも同席をお願いしたいんだが……」

「甲伍長は、現在女学院にて例の蜘蛛を捜索中です」

「ふむ……まあ、仕方ないか」


 荒瀬中佐は品のよい髭を撫でながら頷いた。彼が第一中隊へ姿を現すのは、実はかなり珍しい。連隊指揮官である荒瀬中佐は、師団司令部へは頻繁に行き来するものの、下部組織である中隊へはあまり顔を出さない。今回なぜ御庄少佐とともに第一中隊本部へ足を運んだかというと、どうやら薬師寺昴の尋問や検査のためらしい。

 なぜここ、第一中隊本部が尋問場所に選ばれたかと言うと。


「連隊本部とは名ばかりで、平時は警備人員しか置いていないからね。万が一禍隠に暴れられでもしたら、ひとたまりもないんだよ。その点、第一中隊はふだんから皇都内の禍隠警邏(けいら)の主力を担っている分、不測の事態が起きても、安心して対処を任せられる」


 荒瀬中佐の説明に、なるほどと納得する五十槻の横では、藤堂中尉が「ただ単に櫻ヶ原から近くてガソリン代が浮くだけでは?」とでも言いたげな顔をしている。つくづく上官を信用しない男である。

 藤堂中尉は御庄少佐との会話のあと、しばらく無言だった。用件があり五十槻が話しかけたとき、ものすごく難しい顔でまじまじと見られた。いったい、少佐となにを話していたのだろうか。


「おお、話している間に来たようだ。ほら、正門を開けて! 神域(ひもろぎ)はいつでも展開できるように!」


 中佐は門衛へ指示しながら、正門へ歩いていく。正門前には確かに、軍所有の車が差し掛かるところだ。

 五十槻は慌てて懐から白獅子の面を取り出して顔を覆う。昴とは、女学院で面識がある。彼女が連行されたとはいえ、中佐からはまだ正体を明かしていいという指示はもらっていない。

 車は正門を通り、営内で停車した。ドアが開かれ、昼に見たままの姿の昴がおそるおそる車からおりてくる。下校中に突然軍人に連行されたのだから、不安に思わないわけがない。普段の自信満々な様子はまったく伺えず、きょろきょろと不安そうにあたりを見回している。

 もしも彼女が禍隠なら、むざむざと敵地へ連行されるような愚を犯すであろうか。それともなにか考えがあるのだろうか。狙いが分からない以上、いつ何があってもいいよう、警戒するに越したことはない。五十槻は佩刀の鞘を掴んでもしものときに備えつつ、隣の中尉へそっと尋ねた。


「……藤堂中尉。禍隠かもしれない人間の尋問とは、どうするのでしょう」

「さあなあ。禍隠でない可能性もある以上、穏当な内容であることを願うがな」


 中尉も腕を組みながら、何とも言えない表情で昴を眺めている。御庄少佐もこの件で来訪したとなると、身体検査なども行うつもりなのだろうか。五十槻たちの視線の先で、昴は特に拘束もされておらず、兵士の指示を黙々と聞いている。

 不安げな面持ちの昴へ、荒瀬中佐が何事か話しかけている。中佐は人を安心させるような話し方がうまい。昴が少しだけ、笑ったような様子を見せる。


「……禍隠だとしたら、なかなかの演技派だな」


 ぼやく中尉の隣で、五十槻はずっと気になっていることを考えている。たしかに薬師寺昴は怪しい、ものすごく怪しい。

 しかし、昼休憩のときに少しだけ垣間見せた、以前の春岡雫を語るときの優しい上級生の顔が、五十槻には強く印象に残っている。


(そうだ、春岡雫だ)


 あのとき、二人きりになった途端に昴が尋ねてきたのは、大豆事件のときの雫の行いについてだった。五十槻の弱みを美千流に売ったと聞いたとき、彼女は腑に落ちていない様子だった。

 それは、以前の春岡雫では、とても考えられない行いだったからではないだろうか。

 もし昴が禍隠であったなら、彼女の言動全てが嘘ということもある。しかし、人間であったなら。


──まだ聞かなければならないことがある。


 そう思った矢先のことである。中隊本営の式哨が慌てて荒瀬中佐へ注進を告げる。


「荒瀬中佐! 急報です!」

「何が起こった?」

「清澄財閥総帥令嬢、清澄美千流が……家に帰っていないと、行方が分からないとのことです!」

「清澄さんが……?」


 清澄美千流は、今日五十槻に言い負かされて早退したはずである。学校を出たのはおそらく昼頃で、現在は夕方六時になろうかというところ。寄り道をするにしても遅すぎる。それに、美千流は一度禍隠に攫われているから、清澄家の監督も厳しかったはずだ。昴も中佐の横で「美千流くんが……」と気づかわしげな面持ちを浮かべている。

 しかし行方不明の知らせは美千流だけに留まらない。


「高田恭子という女学生の親から捜索願が」

「被害者名簿一番の柏木伊代さんが、姿をくらましたと」

「名簿三番の大川美津子も同様です!」


 あとからあとから、行方不明だの所在不明だのの知らせが舞い込んでくる。それも名簿の女生徒や、痣が確認できた女学生ばかり。

 営内は俄然騒がしくなった。諸々の急報を受け取ったのち、荒瀬中佐はちらりと昴へ一瞥をくれる。


「……いま読み上げられた名前に、きみは覚えがあるだろう」


 荒瀬中佐からの指摘に、昴はハッと顔を上げた。そう、行方不明の急報に示される氏名は、すべて昴のお気に入りたちの名前だ。男装の少女は蒼白な顔で頷く。


「ボクの……女学校の、友人や後輩です……」

「それも、だいぶ懇意のね」


 中佐は優しげだった目元を引き締めて、少々厳しい雰囲気で続ける。


「薬師寺くん。禍隠の中にはね、人の姿を借りて八洲の街中に潜む種類がいる。群衆にまぎれ、悪事を企み、他の下位の禍隠を統率して八洲の社会へ甚大な被害をもたらす。我々神事兵科では、この種の禍隠を『カシラ』と呼称している」


 昴は荒瀬中佐の発言を、よく分かっていない顔で聞いている。けれど。


「今回きみをここへお連れしたのは他でもない。ここ最近発生した禍隠による事件の被害者が、全員櫻ヶ原女学院の生徒でね。それも全員が全員、きみと懇意の女学生だ」

「あの、もしかして……」

「八朔くん、ちょっと」


 中佐が会話の途中で五十槻を手招きする。おそらくは痣の確認だろう。五十槻が歩み寄ると、果たして中佐は「痣を」と一言指示する。

 五十槻が無言で手の甲の痣を見せると、昴は驚いた様子で、自分の首筋に指を添わせた。彼女の首筋にも、同じ痣がある。


「禍隠の被害に遭った女学生全員に、これと同じ痣があった。きみにも同じものがあるようだな?」

「あ、あの……これは……」

「これがどういうものか、説明できるかい?」


 中佐は優しく諭すような口調だが、暗に昴へ禍隠の嫌疑がかかっていることを示している。昴も決して魯鈍(ろどん)な質などではないので、彼が言っている意味は理解できる。形の良い唇を少し震わせて、若干慄いているようだ。しかし、痣の説明が彼女の口から語られることはない。


「ボクは禍隠なんかじゃない……」


 小さい声だがきっぱりとした否定。

 ただ、自分を取り囲んでいる軍人のひとりに件の痣があるのは、解せぬようである。今の中佐の説明では、痣があるのは被害に遭った女学生という話。そして彼女らは、昴と懇意の者たちばかり、ということだったのでは。もちろん昴は軍人と親しくした覚えはない。軍人かぶれ、ならばひとりいたけれど。


「いまの人は、どうして痣が……」

「ふふふ、きみの身近にいたのかもしれないね。彼は」


 はぐらかす中佐の横で、五十槻はヒヤヒヤしている。昴は当然いぶかしみ、五十槻の方を不審の目でじろじろ無遠慮に観察する。身長、耳の形、年齢、立ち居ふるまい等。昴の中で照合が始まり、一番近しい特徴の人物がはじき出される。


「……もしかして稲塚くん?」

「違うって言ってるね」


 首をぶんぶん振って否定する五十槻に、中佐がにこやかに合わせてくれる。しかし昴にとっては、ほぼほぼ答え合わせのようなものだった。


「う、嘘だろう……! キミ、ただの軍人かぶれかと思ったら、本当に軍人だったのかい!」

「八朔くん、もうバレたんだからそんなに首振らなくていいよ。悪かったね、本当は正体を知られたくなかっただろうに」


 中佐にやんわりたしなめられ、五十槻は否定の仕草をやめた。話の流れとして、五十槻が稲塚いつきであることを開示しなければ、ややこしくなっていた状況だ。五十槻は致し方なく白獅子の面を外し、素顔を外気へ晒す。昴は予想通り稲塚いつきの顔が現れたことで、なんだか脱力したようだった。


「うわ、本当に稲塚くんじゃないか……」

「騙していたようで申し訳ない。禍隠の調査のため、櫻ヶ丘女学院へ潜入を試みておりました」

「まさか、キミが美千流くんが言っていた白獅子の君とやらだったとは……」

「あの方は薬師寺先輩にまでその話をしているのか……」


 真顔ながら呆れつつ、五十槻はいまさらながら辟易した。結局、清澄美千流の意中の人は一体何人いるのだろう。気の多い乙女である。

 昴がふと、気付いた様子で五十槻を見る。眉をひそめ、嫌悪感にたっぷりまみれた表情で男装の少女は問うた。


「……キミはもしかして、男なのか?」

「そうですが」


 最もつき慣れた嘘をさらりと答える五十槻へ、昴はさらに表情を苦々しげに歪めて「うそだろう……」と言葉を震わせた。


「ボクは男なんかに口付けしようとしていたのか……!」

「男『なんか』に?」

「近寄らないで!」


 すでに敵意の眼差しで昴はこちらを見ている。様子の変わった彼女を警戒してか、藤堂中尉が荒瀬中佐のすぐ近くへ立ち位置を変え、昴へ鋭い眼差しを注いでいる。当の中佐は落ち着いていて、五十槻は昴に言われた通りその場に佇んだままだ。


(彼女は、男の装いをしながら男性を嫌悪しているのか)


 こちらへ向けられる昴の目には、相当な憎悪が込められている。もしや過去に男性に何かされたのか? と五十槻や他の面々が疑うのも当然で。

 そのときだった。

 五十槻へきつい目線を叩きつけていた昴の、体勢が急に崩れた。横ざまに地面へ倒れようとしている。


「えっ……?」


 しかし倒れ方が不自然だ。頭ではなく、首から地面へ倒れこむような姿勢。まるで、首元の痣から地面へ引っ張られているように。

 慌てて五十槻は手を伸ばす。五十槻の視野は地面へ向けられている。昴がまさに倒れこもうとしているむき出しの地面が、ざらざらと崩れていく。それは人ひとり分の穴となり。


「うあっ」


 伸ばした手の甲斐なく、昴は穴へ引きずり込まれてしまった。短い叫びを残し、昴は深い穴の中に消えていく。

 穴自体もすぐに塞がってしまった。彼女がいた場所に駆け寄ったときには、すべてが終わった後。


「禍隠だ!」

「地中か!?」


 中隊全員がいきり立つなかで、異変は五十槻にも起きる。


「!」


 右手が引っ張られる感覚。不可視の力が地中から五十槻を牽引しようとしている。間を置かず足元へ、昴のときと同じようにざらりと穴が開く。


「少尉!」


 落ちる、と思ったところで五十槻は誰かに身体を掴まれた。五十槻の胴にがっしり腕を回し、穴から引き上げてくれたのは藤堂中尉だった。しかし、右手はなおも開いたままの穴へ引っ張られ続けている。

 しかし、後ろから抱きかかえた五十槻ごと、藤堂中尉の軍靴はずりずりと深穴へ近づいていく。懸命に足を踏ん張りながら、中尉は周囲へ助力を求めた。


「くそっ、思ったより引く力が強いな……誰か、手を貸してくれ!」


 だが残念なことに。ちょうど周囲にいたのはよりによって八朔少尉親衛隊の面々である。もちろん全員が全員、中尉と少尉のありさまを見るなり心底悔しそうな顔面で唇をかみしめた。そしてやっぱり泣いてる。


「なに見せつけてやがるんですか中尉ィ!」

「やっぱりボーイズラブってやつなんすかァ!」

「言っとる場合かばかたれェ! 状況を見ろ!」


 怒号一発。冷静さを取り戻した屈強な親衛隊は、藤堂中尉を後ろから掴んで二人が落ちぬよう引き留めた。とはいえ何人かから嗚咽の声が漏れ聞こえてくる。五十槻と中尉は聞かなかったことにした。


「おい、八朔少尉! 腕は大丈夫か!」

「ずっと引っ張られています。いまは平気ですが、あまり長い時間この状態だと、肩が外れるかもしれません」

「ふぅむ」


 第一中隊の皆がわいわいやっているなか、荒瀬中佐は五十槻の右手をじっくりと観察している。穴と五十槻の右手の間に手をかざしてみたり、彼女の手の甲へ触れてみたり。穴の中を覗き込んで見るけれど、別に付近に禍隠が潜んでいたりはしないようだ。


「……どうやら穴の中から糸の類が張られているわけではないようだな。物理的な干渉ではないと……なるほど、こうやって仕掛けてきたか」


 ふむ、と納得するように独り言ち、髭を撫でて今度は指示を飛ばす。


「藤堂くん。きみの神籠で、穴の中の様子を伺えないか?」

「……やってみます」


 中佐の指示を受け、藤堂中尉は五十槻を抱く手を緩めず、目を瞑って意識を集中させた。

 彼に加護を与える神・香瀬高早神(カゼタカハヤノカミ)は、風を司る神である。実際の神籠の異能は、大気を操ること。しかしその能力の一端で、藤堂中尉は神域内に満ちた大気を通じ、地形、それから人や動物、禍隠を感知することもできる。通常神籠は神域の内でしか能力を発揮できないが、この地形探査の能力に関しては、発動こそ神域の内に限定されるものの、探索範囲は神域をある程度超えた領域にも及ばせることができた。実際ふだんの対禍隠の討伐においては、中尉は迎撃能力よりも、こちらの索敵能力を扱う方が多い。

 五十槻は藤堂中尉の腕の中で、デカめの猫のように抱きかかえられながらじっと状況に神経を研ぎ澄ませている。

 やがて穴の中の空気を通して地中の地形を把握し終えた中尉が、口を開いた。


「この穴自体は、ここから南東方向へ続いているようです。しばらくは狭い穴が続きますが、その後かなり広めの空間に通じているかと」

「南東か……」


 荒瀬中佐は南東の方を向きながら腕を組んだ。そちらの方に何があるか、みなもう知っている。

 ここから南東に進んだ先にあるのは、国立櫻ヶ原高等女学院。その敷地だ。


「やはり女学院には何かが潜んでいたか。ま、穴の先に広い空間があるということは、ひとまず潜行して早々生き埋めの可能性はないか」


 生き埋め。若干剣呑な単語の登場に、藤堂中尉の目元がひくりとする。五十槻もいっそう表情を引き締めた。おそらく、荒瀬中佐の考えは五十槻と同じ考えで。


「八朔くん。せっかくだ、禍隠のご招待に応じてもらえるかね?」

「中佐……!」


 思っていた通りの提案だ。しかし、五十槻の頭上で藤堂中尉が苦々しげな声を上げた。


「少尉一人では危険では? 俺が一緒に潜行します」

「お言葉ですが中尉」


 自分の身を案じた発言ではあったが、五十槻は異を唱える。ぐいっと顎を上げて、頭上の藤堂中尉の顔へ紫の瞳をまっすぐに向けた。


「現在行方不明者が多発しており、現にさきほど、我々の目の前で薬師寺昴が穴に飲み込まれたばかりです。行方不明になった彼女らも、同様に穴に飲み込まれたものと考えられます。ただ、もし地中に生存者がいた場合、恐れながら閉鎖空間で藤堂中尉の神籠を使うと……」

「くっ……」


 中尉が顔をそむけた。五十槻に言われずとも、彼自身熟知していることだろう。香瀬高早神(カゼタカハヤノカミ)の神籠は扱いが難しく、大規模制圧は得意な反面、局所的な操作は不得手である。もし地中という閉鎖空間で禍隠と戦闘になった場合、生存者に危害を加えぬよう異能を行使するのは、至難の業だ。


「そうだな。藤堂くんには、地上にて女学院周辺の索敵に協力してもらいたい。地下に潜って八朔くんの探索を手助けするのもありっちゃありだが、戦闘になった場合、神籠を使わずに状況を切り抜けるのも難しい話だ。地下のことは八朔くんに任せよう」

「しかし……」

「そもそもこの穴、狭くて八朔くん以外は通れんだろうな」

「…………」


 さて、藤堂綜士郎は反対である。地中へ引き込まれないよう、さっきから腕に抱えている五十槻の体は、男にしては頼りないし、女にしては硬く引き締まっている。そして自らが死地へ赴くのを当然のように思っている。十五歳の幼い少女が。本当なら、学校帰りに友達とあんみつでも食べて、楽しく過ごしていたであろう彼女が。

 こんなのは間違っていると思う。思うけれど。


「五十槻」


 敢えて階級ではなく、名前で呼んだ。後ろで綜士郎を掴んでいる親衛隊が「うっ」と声を詰まらせたが、構わず続ける。


「いいか、地下が具体的にどういう状況かは、俺にはそこまで分からん。ただ、適切に行動を取ってくれ。俺たちもすぐに救援できるようにするから、絶対に死ぬな」


 一方の八朔五十槻は、突然下の名前で呼ばれたので少々驚いている。次いで告げられる指示も、上官としての中尉と、そうでないときの中尉がないまぜになったような口調だ。けれど、藤堂中尉が自分の身を案じてくれているのは、なんとなくわかった。

 五十槻はふだん通りの真顔の内で、うれしいと思った。けれど、絶対に死ぬな、という指示は守れないかもしれないとも思った。今回はより強力な禍隠、カシラが相手ときている。当然命の保証はない。

 前線で戦う神籠には常に死がつき纏う。自分の叔父がそうであったように。けれど五十槻の使命は八洲の蒼生(あおひとくさ)を守ること、そのために死ぬのは誉である。


「八朔少尉、追跡用の式札を」

「これから少尉の位置を追います。然るべきとき、然るべき範囲で神域を張りますので」

「ありがとうございます」


 式哨たちが会話に横から割り込んで、五十槻に式札を渡したりしている。遠くからは、田貫大尉が第三中隊にいる土の神籠へ応援要請をしている声が聞こえてくる。


「よし、八朔くん、準備は万端かね?」

「はっ!」


 荒瀬中佐へいつも通りの鋭い返答を返し、五十槻は藤堂中尉へ目配せする。中尉は観念したように目を伏せて、「それじゃあ、離すぞ」と腕の力を緩めた。途端にずるり、と不可視の力が五十槻を飲み込もうとする。


「八朔少尉、お気をつけて!」

「ご武運を!」


 朋輩たちの見送る声に、五十槻は穴へ駆け込むように向かいつつ、挙手礼で応えた。


「身命を賭して、行ってまいります!」

「だから簡単に身命を賭すんじゃねえ、このばかたれーっ!」


 五十槻を飲み込み、閉じていく穴へ、綜士郎は力いっぱい叫んだ。

 そんな彼らから少し離れた場所で。田貫大尉は式哨から受け取った連絡を聞き、表情を曇らせていた。


「え……精ちゃんの行方が分からないだって?」

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