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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第一章 八朔少尉、女学生になる
13/97

2-5


「お師匠、今朝清澄さんと喧嘩して勝ったって本当!?」


 今日のお昼休みも、五十槻は雫と食事を取っている。場所はやっぱり校庭のベンチ。他の学生はやはり食堂や教室で語らっているらしく、二人のほかに人影はない。

 本日も五十槻のお弁当は、姉たちの手作りだ。早起きして作ってくれたことに感謝しつつ、今日も五十槻は行儀のいい箸遣いで早食いしている。

 雫の質問へは「別に喧嘩はしていませんし勝ってません」と事実を伝えておいた。しかし雫は「ううん」と首を横に振る。


「私、さっき他の子が立ち話してるの聞いちゃったの。あの清澄さんが、屁理屈言った挙句、最終的に暴力に訴えようとしたんでしょう? 勝ったも同然だと思うわ。ああ、せいせいする」


 日々の鬱憤がこもった口調だ。勝ったも同然とはいかに、と五十槻は思う。今朝の出来事は偶発的なものであり、勝敗条件など最初から設定されていなかった。しかし、雫から見るとそうなのだろうか。五十槻にはやはり女子がよく分からない。

 首をひねっている五十槻へ、雫は眼鏡ごしに少し不満そうな視線を向けている。


「お師匠ってば、せっかく勝ったのに嬉しそうじゃないのね」


 雫は面白くなさそうだ。もっと痛快にそのときの様子を語ってくれると思っていたのかもしれない。残念ながら、その期待に応えられるような勝気な性格も弁舌も、五十槻はもともと持っていない。


「あ、ショウリョウバッタ!」


 雫の興味がバッタに移ったので、五十槻は少しほっとした。今日も日差しはうららかで、のんびりとした陽気が校舎を覆っている。ベンチから望む風景は、緑多く空青く、古びた校舎の佇まいも相まって風光明媚である。


(あれは……)


 ふと、そんな景色の中に二人分の人影が現れた。一見、男性と女性の二人連れ。しかし男のように見えるのは、今朝の騒動の渦中の人であった、薬師寺(やくしじ)(すばる)だ。一緒に連れている少女は、清澄美千流──ではない。三年二組の生徒のひとり、高田恭子だ。寄り添って歩く二人を遠目に見ながら、五十槻は真顔で疑問に思う。薬師寺氏のエスとやらは、清澄美千流ではないのかと。


「お師匠?」


 バッタと戯れていた雫も、二人の存在に気付いた。だが途端に眼鏡の下の表情が曇る。


「……薬師寺先輩、また違う女の子連れてるんだね」


 少女の声にはいかにも落胆が込められている。よく分かっていない顔を向ける五十槻へ、雫はぽそぽそとつぶやくように続けた。少女の指は、柔らかくバッタを握ったまま。


「あのね。薬師寺先輩、いろんな女の子をエスにしてるの。それぞれに、ボクの大事な妹はキミだけだよ、なんて言い寄ってね」

「……すまない。自分はあまり詳しくないのだが……エスとはつまり、恋人の関係を指すのだろうか」

「うーん、人によって違うかも。すごく大事な友人同士、って答える人もいると思うし、もちろん中には恋人同士だっていう人もいるでしょうね。でもね、いまの薬師寺先輩はきっと、ただ綺麗な女の子が好きなだけなの」


 二人が話している間も、昴と恭子の二人は花壇の周囲を仲睦まじく歩いている。幸い五十槻たちのいるベンチとは距離があり、こちらに気付かれてはいないようだ。

 雫の話を聞きながら二人の姿を目で追って、五十槻は遠慮なしに思ったこと述べる。


「それではただの節操なし、ということですか」


 その発言が聞き捨てならなかったらしい。雫は気弱そうだった面持ちをキッと怒りに染めながら、ベンチから立ち上がる。空の弁当箱が、膝からころりと落ちた。


「やめて、ひどい言葉で侮辱しないで!」


 大きな声で叫んでから、雫はハッと気づいたようだ。花壇の方からこちらへ向かう、昴たちの視線に。

 眼鏡の奥を一瞬泣きそうに歪めて、雫は慌てて弁当箱を素早く拾うと五十槻へ背中を向ける。


「……稲塚さんなんか、もう私の師匠じゃありません。それじゃ私、教室に帰るから」


 早口にそう言って、雫は足早に去っていった。「春岡さん」と呼びかける声にも振り向いてくれない。

 花壇の二人組が、面白いものでも見るような視線を投げかけている。しばらくして、昴たちも校舎の方へ立ち去って行った。

 五十槻は女学校の摩訶不思議に直面し、再び胸中の祓神鳴神(フツカンナリノカミ)へ祈りを捧げる。


 遠つ天津㝢(あまつのき)神留(かむづ)まります祓神鳴大神フツカンナリノオオカミ(もうさ)く。

 やはり僕には女子が分かりません。弟子に破門されました──。


 十五年にわたる生涯の中で、一番よく分からなかった出来事かもしれない。身体だけが女子なだけで、乙女心はさっぱりだ。

 

「…………」

 

 軍人の少女は睫毛を伏せ、俯き加減に行燈袴の膝をぼうっと見つめている。

 疎外感。この櫻ヶ原女学院という女の園に巡る様々な流れから、まるで五十槻だけがつまはじきにされているようだ。

 たくさんの女生徒が矢絣の袖を翻し、笑いさざめいて。学舎という水槽の中を、少女たちは艶やかな琉金のように自在に泳いで青春を謳歌している。教室で孤独に過ごしている雫でさえも、五十槻からしてみれば琉金の群れの一部だ。

 自分はまるで、一匹だけ水の合わない(ふな)のよう。

 

──本来は、僕はここが居場所なのに。

 

 ふと、五十槻の脳裏には父の言葉がよみがえる。「これからお前は女子として生きるのだ」、とあの夜──弟が生まれた夜に、父は五十槻へ告げた。結局、自分は世間的には男として、いまだに神事兵少尉をやっているのだけれど。

 少女の装束も、少女の世界も息苦しい。


 僕の居場所は、やはり──。


 やがて五十槻は弁当箱の包みを手に取り、自分も教室へ戻ることにした。ふと、地面へ視線を落としたときに気付く。


「これは……」


 ショウリョウバッタである。細長い緑色の昆虫は、確かさきほどまで雫が捕まえていた個体だ。

 頭は()げ、身体は握り潰されている。


      ── ── ── ── ── ──


 それから雫と一言もきかぬまま、夕刻に至った。下校時刻となり、生徒たちは三々五々散っていく。

 黄昏の日差しが照らす教室を、眼鏡の少女はこちらを一顧だにせず出て行った。五十槻はそれを見送ると、しばらくして自分も席を立った。いま無理に話しかけぬ方が雫のためにも良かろうということは、人より情緒の機微に疎い五十槻にもなんとなく分かる。大好きな虫を握り潰してまで、あんなに表情を荒げて怒っていたのだから。

 廊下へ出ると、ちょうど終礼の終わった隣のクラスの生徒が出てくるところだった。その人の群れの中に、見知ったピンクのドレスがいた。


「ねえねえ、大福院さん。放課後よかったら私たちとお茶しない?」

「きな子ちゃんのお話面白いんだもん、もっと聞きたいわ!」

「ごめんねぇ、うちのお父さま、門限厳しいから! それではみなさん、ごめんあそばせ☆」


 ひときわ賑やかな人垣からこちらへ抜けてきたのは、もちろん爆裂可憐な転校生(自称)・大福院きな子嬢である。


「あらいつきちゃん」


 五十槻の姿を認めるなり、きな子は「一緒に帰りましょ!」と五十槻に腕を絡めてくる。背後からは「また明日ね、きな子ちゃん!」と華やいだ女生徒たちの声。クラスでの五十槻の境遇と真逆である。どうして彼は馴染めているのだろうか。


「大福院さん、彼女らと一緒に行かないのか」


 なんとなく精一なら嬉々として彼女らのご相伴に預かりそうだと、五十槻は思っていた。キツネ顔は「うーん」と少し眉間にしわを寄せ、声を潜めて五十槻へ理由を告げる。


「俺さぁ、この辺の飲食店の女将さんと大体知り合いなんよね。ただならぬ仲のお姉さまも多いからさ、ヘタするとバレちまうのよ……」

「ただならぬ仲……」


 それは一体。いまいち色恋沙汰に縁がなく、意味がよく分からない八朔少尉である。きっと藤堂中尉がこの場にいれば、精一に拳骨一発くらわしつつ叫んだだろう。「この節操なし!」と。

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