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4-18

十八


『首尾はどう』

『明後日には青登川』

 

 八月十五日、のどかな農村。

 清澄京華は道端にしゃがみこんで、農家のおばさんの並べる野菜を眺めていた。女性ふたりはにこやかに会話を交わしている。のんびりとした光景ながら、ふたりが話している言語は、この八洲(くに)の言葉ではない。太華の言葉だ。

 

『ひとりは確実。私が保証する』

『できれば多ければ多いほどいい。分かるね』

『ええ……もちろん』

「おーい、京華ちゃん! なにやってんの~?」

 

 太華語のやりとりに、浮かれたしわがれ声が割って入った。京華は顔色を変えず、笑みを湛えたまま声の方を振り返る。背後にいたのはやはり、京華の上司、南桑陣吉所長だ。老爺はいつも通り、へらへらしながら現れた。

 

「まあ、所長」

「なになに、野菜見てんの? ほうほうこらぁ立派な茄子だ、わしのとどっちが立派かのお!」

「やだよ、なんだいこのおじいさん!」

 

 どわっはっは。京華も野菜売りのおばさんも、即座に和やかな空気を演じ始める。もちろん八洲の言葉に、即座に切り替えて。

 おばさんは流暢な八洲語で陣吉じいさんを適当にいなすと、きりのいいところで「それじゃ」と立ち去っていった。じいさんはおばさんからとうもろこしを貰って、なんだか満足そうである。

 

「うふふ、よかったですね所長。とうもろこし貰えて」

「京華ちゃんもわしの茄子を味見してみるかい?」

「あらやだ、しなびたシシトウのくせに」

 

 うふふ、ばちこん。いつも通りのやりとりといった体で、京華はにこやかにじじいをぶっしばいている。じじいも慣れたもので、しばかれても無反応だ。

 

「やーれやれ。この美味そうなモロコシは、あとで焼いて食うとするかの。ところで……」

 

 世間話の延長のような口調で、南桑は続ける。

 

「さっきのおばはんと、何を喋っとったんじゃ? それも太華の言葉で。なあ、『少女K』?」

 

 その名で呼ばれて。京華の微笑みが一瞬、冷たい色を帯びた。

 

「ふふ、また『少女K』ですか? お気に入りですわね、そのネタ」

「へっへっへ、何度否定しようと、わしの確信は覆せんよ。まあ確たる根拠はなーんもないんじゃが」

「つまりは所長の妄言ということですわね」

 

 京華は手厳しいことを言いつつ、にっこりと微笑んだ。そんな美女へ、南桑もにへらと相好を崩しつつ、さらに問いかける。

 

「で、結局おばはんとは何を?」

「ふふ。さっきの方、お母様が太華の方なんですって。それで彼女も太華の言葉にも通じてらっしゃって。私の着ている旗袍(チーパオ)を見て、思わず太華語で話しかけてしまったそうなんです」

「ふ~ん」

 

 老爺は説明に納得しているのかしていないのか、よく分からない相槌を打っている。

 それからふたりの会話は、神祇研の真面目な職務内容へ移り変わる。今後の訪問予定地である、神奈備のこと、祀られていただろう神のこと。

 話しながら、美女と老人とは、互いに互いを探っていた。

 

──どこまで聞かれたのかしら。内容は、太華語の理解は。

 

 一見にこやかな京華の瞳だが──射干玉(ぬばたま)の奥底は(くら)い。

 対する南桑も、隻眼を剽軽にぎょろぎょろさせつつ、禿頭の内でじっと考えている。

 

──やはりこの女は……太華の間諜(スパイ)だ。


      ── ── ── ── ── ──


 しょわしょわしょわ、と屋外から蝉の声。

 ガラス越しに夏の喧噪を感じながら、屋内の軍人たちは一様に、難しい顔で黙していた。

 

「……いま、なんとおっしゃいました?」

 

 長椅子の下手の席で、綜士郎は片眉をひくつかせながら、対面の席に座る男へ問い返している。綜士郎の隣では、珍しく荒瀬大佐が困った面持ちを浮かべていた。この軍営の会議室は禁煙である。

 

「やれやれ、二度も言わせないでいただきたい」

 

 対面の長椅子の、真ん中に陣取っている男は呆れた様子で(かぶり)を振る。男の軍服の階級章は、彼が少佐であることを示していた。

 男はもったいぶった口調で言う。

 

「我々西部第二神事兵連隊は、対ラ特務群への合流要請を拒否させてもらう。特段、我らの助力など必要なかろう」

「いやいやいや!」

 

 思わず綜士郎は椅子の足を蹴るように、乱暴な挙動で立ち上がった。

 

「拒否するもなにも……我々特務群への合流は、特務司令部からの命令だ!」

 

 皇都の対ラ特務司令部は、対ラ一号作戦という特殊作戦の遂行にあたり、全国の神事兵、ならびに他兵科に対し、動員権限を有している。それを拒否するということは、特務司令部──ひいては陸軍参謀本部に楯突くということだ。

 第一、拒否の意向を伝える相手が違う。

 

「それに、自分らに拒否だなどと言われても困ります。ご承知のこととは思いますが、自分たちはあくまで『特務群』という実働部隊であって、八洲各部隊への指令権は持っていない。不服があれば、司令部を通していただきたい」

 

 と、綜士郎は座席に座り直し、抗弁を試みるけれど。

 

「……はぁ~~~~」

 

 目前の男ときたら、けったいな態度でクソデカため息である。

 

「まったく、これだから陸大も出てない若造を参謀職に就けるなど……」

 

 陸大も出ていない若造のくせに。

 今回の行軍で、各地の部隊長から綜士郎が幾度となく投げつけられた言葉である。綜士郎は腹の内で胃壁をキリキリさせながら「俺を任命した参謀本部に言えや」と、胸中で毒づいた。

 男は続ける。

 

「いいかい藤堂群参謀。私はあらかじめ、司令部への打診を済ませたうえでこの話を切り出している。あちらからも、部隊合流に関しては、指揮官たる私の納得を優先してよいと許可を得ていてね。ほら、これが司令部からの式札だ」

 

 男は前もって用意していただろう紙切れを、互いの長椅子の間にある卓へ置いた。伝令用の式札だ。

 捺してある印判は間違いなく特務司令部のものである。文面には、先の男の発言を裏付けるような文章が記されていた。

 末尾に記されている、達筆な署名は──陸軍大臣、津々井孝之進のものだ。ついでにその隣には、腕を掴まれて無理矢理書かされたらしき筆跡の、鞍掛基少将の署名もある。

 書面を見て、綜士郎と荒瀬の二人は、特務司令部で何が起きたのかを瞬時に察した。と、同時に押し黙る。皇都の司令部では、陸相と少将の軋轢が激化しているようだ。

 沈黙する特務群のふたりを、男は上品な口髭を嘲笑の形に歪めて眺めている。

 年は五十路をいくらか過ぎたあたり、といったところだろうか。口髭だけでなく、顔貌、撫でつけた髪、軍服の着こなし、すべてが品性を備えた厳格さに満ちており、いかにも紳士然としている。面立ちは彼の『兄』とそっくりだ。

 

「特務群の戦績は、司令部を通じて確認させてもらっている。するとどうだね。各地の門の破壊、および禍隠の殲滅──ひとりいればすべて事足りるじゃないか。白獅子の霹靂神(はたたがみ)、八朔五十槻──」

 

 男は正論だとでも言わんばかりの口調だ。

 彼は八洲西部四県を管轄する、西部第二神事兵連隊の連隊長。

 香賀瀬(かがせ)庚輔(こうすけ)少佐である。あの香賀瀬(かがせ)修司(しゅうじ)の──実弟だ。

 

「別に我々西部第二連隊が貴重な神籠戦力を割かずとも、貴殿らだけで作戦は遂行可能ではないかね?

霹靂神なんて、ご大層な将校がいるのだから」

「お言葉ですが、香賀瀬少佐」

 

 綜士郎は背筋を伸ばして反論する。色々な感情を飲み込んで、まだ若い参謀は努めて冷静に言い返した。

 

「八朔はたしかに各地で仰せの功績を上げていますが、まだ若干十六歳。子どもに斯様な重責を負わせ、負担を強い続けるのは酷です。それに、作戦の要となる将校がいたずらに消耗するのも得策とは言えない。第一、八朔が負傷すれば作戦は瓦解します。彼の周囲に、もっと支えとなる戦力が必要です」

「それにね、香賀瀬少佐。これから言うことはすでにご承知だろうと思うけど」

 

 綜士郎の弁に、荒瀬大佐が割って入った。

 

羅睺蝕(らごうしょく)発災に際し、全国的に禍隠が大量発生することが予測されている。今回の対ラ一号作戦において、特務群と各地の神事兵部隊が合同で禍隠の掃討に当たっているのは、発災時対応の予行演習も兼ねているからだ。門は活動が活発になると、大量の禍隠を現世へ排出する。羅睺蝕の予行としてちょうどいい」

 

 荒瀬大佐は胸ポケットの煙草の箱をうっかり取り出しかけて、そっとそれを押し戻した。動作の途中で、部屋が禁煙だったことを思い出したのだろう。大佐はポケットから指を離すと、何事もなかったようにしれっと続けた。

 

「香賀瀬少佐。あなたが連隊の長として、当作戦に疑問を抱く気持ちは理解できる。だが先に述べた通り、この作戦は将来起こり得る災禍に対する演習でもある。西部第二連隊としても、当作戦に参加するのは貴重な機会だと思うがね。そこのところ、少佐はどうお考えで?」

 

 荒瀬の言葉に、香賀瀬少佐は「フッ」と失笑の気配を見せた。上品な仕草でわざとらしくそれを取り繕うと、香賀瀬は自信に満ちた目でこう指摘する。

 

「司令部による作戦意図は、私も承知している。しかし実戦ではどうだ。貴殿らは実際には十六の子どもに頼り切りだ。そして八朔の神籠が暴れるのを、他の神事兵は棒立ちで見ているだけだそうじゃないか。貴殿らは我が西部第二連隊の精鋭たちをも、八朔の神籠の見物客にしたいわけかな? ええ?」

「それは……!」

 

 綜士郎は言葉に詰まった。反論できないというわけではなく、どう説明したものか、思案の間が挟まってしまったのだ。

 香賀瀬少佐の指摘通り、実際に五十槻は、作戦初期に戦場で指示を無視した挙句、単騎で大戦果をもぎ取ったりもしている。

 なるべく五十槻の独壇場にならぬよう綜士郎は、他の士卒や当地の神事兵たちに、経験を積ませる機会を設けたり、種々の調整はしているものの。

 あまりに八朔の神籠が悪目立ちし過ぎるので、「もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな」のような、投げやりな空気が特務群には漂いつつあった。

 香賀瀬庚輔の指摘はもっともである。現状、門の破壊も、禍隠の殲滅についても。そもそもの作戦自体が、八朔五十槻の存在に依存しすぎてしまっている。

 難しいところだ。八朔の神籠には、禍隠の殺傷を好む特異な性質がある。宿痾(しゅくあ)のようなそれは、ふだん従順な五十槻にもなかなか抑えらないものらしい。致し方なく発散のため、特務群は無理なく、他の神籠の妨げにならない範囲で、彼女の大暴れを作戦に組み込んでいるのだけれど。

 傍から見ればそれは、八朔の神籠に頼り切り、ということになる。

 結果それが──特務群への協力を望まない他部隊からしてみれば、ていのいい「揚げ足」となってしまった。

 

「藤堂大尉。貴君にはやはり、作戦の立案能力だけではなく、部隊間の政治力やその他諸々が不足しているようだ。年少の少尉に同情的な観点を持っているにしては、実戦での彼の扱い方は矛盾と言わざるを得ない。とにかく、貴君の偽善的な主張がなんであれ、現状は八朔少尉ひとりで現場を回せているようなものだ。それを立証しているのが貴君の作戦の結果だよ。増援の必要はなかろう」

「し、しかし……」

 

 食い下がる綜士郎だが、香賀瀬はにべもない。なおも冷淡な正論が、群参謀へ突き付けられる。

 

「それにだ。数日前、山中の神奈備で大勢怪我人を出したそうだね? 貴君らがその補填を我らが第二連隊へ求めていることは明白だ。まず、自身の立案した作戦で負傷者を多数出したことを反省するがいい」

「いやだからこれ以上怪我人出さないためにも増援がいるんじゃん?」

「シャラップ荒瀬! だまらっしゃい!」

 

 横槍を入れられ、香賀瀬弟はキッとプチ禁煙中のおじさんを威嚇した。荒瀬大佐は怒られてしょぼんとしている。

 とはいえ荒瀬が突いた点は、香賀瀬にとっても反論困難な痛点だったらしく、少佐はそれ以降、特務群の粗をちくちくつつくのをやめた。

 

「とにかく! 我々西部第二神事兵連隊は、司令部からの許可を以て、貴殿ら特務群への合流を拒否させていただく! 私が納得できんからな! 異論は受け付けん!」

「えー……」

 

 綜士郎と荒瀬大佐は、互いに顔を見合わせた。正直、最初から嫌な予感はしていた。西部第二連隊の長が、香賀瀬庚輔の時点で。

 香賀瀬少佐はふたりをじろりと睨みながら、低い声でこうつぶやいた。

 

「まったく……我が兄を失脚させた奴らにしては、実にしょうもないことだ」

 

 声は抑えているようで、聞こえよがしである。

 つまるところ、香賀瀬少佐は私怨で西部第二連隊の合流を拒んでいるらしい。綜士郎は椅子に座ったまま、自らの両膝に乗せた拳を、ぎりりと握りしめた。

 少佐との面会前、荒瀬大佐が事前に話してくれた情報によると。

 この香賀瀬庚輔という男は、兄である修司をいたく慕っているらしい。幼少期、その兄から彼に対する態度は侮蔑そのものであったが、それを庚輔は自らに対する厳しさと受け取っていたそうだ。

 だから年初に神祇研で香賀瀬修司の急病と失脚劇が起きたとき、庚輔は怒り心頭であった。よくも尊敬する兄をと、事件に関係した保守派の将校である、荒瀬史和──ついでに藤堂綜士郎らを敵視するに至ったのだろう。その恨みの果てが本日のこの会議室の、この状況である。

 

「とはいえ……ま、せっかく遥々皇都からお越しいただいたのだ。条件次第では、増援を出してやらんこともない」

 

 完全に優位に立ったことを確信した声音で、香賀瀬弟はほくそ笑みつつ身を乗り出した。条件、という言葉に、綜士郎と荒瀬大佐が怪訝な顔を浮かべたところで。

 

「私自ら神奈備に出向き、きみたちの作戦を査定させてもらう。門破壊までの戦力運用を詳細に審査したうえで、最終的な増援の有無を判断してやろう」

「…………なるほど」

 

 特務群側にとって、納得できなくはない着地点ではある。香賀瀬少佐は言い分の上では、第二連隊からの増援の妥当性を問題にしている。彼が得心するという意味では、実際の作戦の査定というのは然るべき提案だった。問題はその先である。

 

「ついでに八朔の神籠に対しても査問させてもらう。彼の受け答え如何では、そうだな……」

 

 少佐は参謀と大佐の顔を順に見比べて、たっぷり間を取ったあと……さも当然、といった口ぶりでこう宣言した。

 

「対ラ一号作戦が終わったら、八朔五十槻を私の部隊に転属させてもらおう」

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