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七
御庄軍医に連れられて。
五十槻と綜士郎がやってきたのは、女子看護隊がたむろしている一帯である。突然輝かんばかりの美少年と美青年が現れたので、あちこちの年頃の娘から「あら」「まあ」と感嘆の声が漏れている。
上官と部下が、居心地の悪さを覚えながら歩んでいると。
「邑本くん」
前方にいる人物に向かって、御庄軍医が呼びかけた。
木陰の下で数人の少女たちと談笑していた、邑本と呼ばれた男が振り返る。
背は高くもなく低くもない。振り返ってこちらを向いた顔は、色白で若干生気がなく、寝不足なのか目の下にくまができていた。年の頃は綜士郎とそう変わらないくらいだろうか。顔の彫りは浅いが、かなり整った顔立ちをしている。
邑本は「はい」と気だるげな仕草で敬礼をしつつ、三人を迎えた。さっきまで彼と談笑していた少女数名が、五十槻と綜士郎に目を留めて「きゃあ」とはしゃいだ声を上げている。
「御庄先輩。こちらは?」
邑本は五十槻たちをじろりと見ながら問うた。こちらへ向けられる憮然とした面持ちは、どこか不機嫌そうである。御庄が「こちら、藤堂大尉と八朔少尉だよ」と紹介すれば、邑本は得心したような声で「はぁ、例の」と応じた。
さて、ここから先は込み入った話だ。五十槻の本来の性別の話題もすることになる。御庄は邑本もいざなって少女たちから離れると、ひと気のない場所へとさらに移動した。
「それじゃあ改めて紹介します。彼が邑本忠展軍医中尉。私の代理として、作戦中は彼が八朔くんの主治医を務めることになります。もちろん、八朔くんの事情や既往等については、詳細を伝達済みだよ」
「邑本です。よろしく」
御庄の紹介に対し、邑本は簡潔に応じている。
「対ラ一号作戦の最中、八朔くんの不調や怪我は彼が対応するからね。なにかあれば気軽に頼るんだよ。邑本くんも、八朔くんの性別が露見しないよう、特別の配慮を頼むね」
「ええ」
邑本軍医中尉というのは、口数が少ないのだろうか。軍医の先輩である御庄医師に対して、応答がどこかそっけない。五十槻の傍らでは、綜士郎が難しい顔で医者同士のやりとりを注視している。
そんな群参謀からの訝るような視線に気付いたのか、邑本は口の端へうっすらと笑みを浮かべて口を開いた。取り繕うような表情の推移である。
「藤堂群参謀、八朔少尉。僭越ですが、作戦中は自分が御庄軍医少佐の代理を務めさせていただきます。今後ともよしなに」
ギリギリ態度の悪さを指摘されない塩梅で、邑本軍医は愛想笑いをしてみせる。獺越万都里とはまた、違った意味での不遜さを感じさせる男である。
五十槻と綜士郎との会話もそこそこに、邑本は「それでは自分は所用がありますので」と場を辞すと、さっさと踵を返して行ってしまう。すれ違いざま、五十槻をじろりと見下ろしながら。少女はその視線の中に、値踏みするような気配を感じた。
そして彼が戻っていく先は、先程のもんぺ少女たちのひと群れの中だ。娘たちから「ねえねえ先生、いまの方たちどなたなのかしら?」と問われて「いやぁ、ちょっとね」などと言葉を濁している。こちらで軍人連中と会話をしていたときと比べて、声の張りが多少良くなったようだ。所用というのは、彼女らと談笑を再開することだったのだろうか。
「御庄軍医少佐、なんですかありゃ!」
邑本の一連の態度を観察した結果、綜士郎は抗議の声を上げた。それに対し御庄は「いやーははは、面目ない」とやっぱり気弱な様子でへこへこ頭を下げている。
「すみません藤堂大尉。彼、昔からあんな感じで。けれど軍医としての腕は間違いありません」
「そりゃ軍の医師なんだから、間違いがあっては困る。問題は邑本軍医中尉の人品だ。五十槻の面倒を見るのに、あんな人を小ばかにしたような態度は言語道断です。それに何が所用だ、若い娘と喋りたいだけだろうが、どう考えても」
「あ、あはは……」
「笑いごとじゃないですよ。……やはり今からでも、御庄少佐にご同行いただくのは難しいですか」
「えーと、それは……」
綜士郎の剣幕に、御庄軍医はあわあわと後退っている。五十槻はそれまでじっと話を聞いているだけだったけれど、「藤堂大尉」と遠慮がちに上官へ呼びかけた。
「恐れながら申し上げます。すでに本作戦に関する軍医科の人事も定まっており、撤回は難しいと存じます。そうでしょう、御庄軍医少佐」
「そ、そうだね。八朔くんの言う通り……」
邑本はたしかに不遜ではあるが、非礼というほど非礼ではなく、特に軍規には抵触しない。態度が不快だ程度のことでは更迭の正当な事由とはみなされず、もちろん人員の交代などできるはずもない。群参謀にそこまでの権限はないのだ。五十槻の指摘に、綜士郎はぐっと歯噛みしている。綜士郎だってもちろん、そんなことは分かっているのだけれど。
「藤堂大尉が自分のことを慮ってくださるのは、とても有難いことです。けれど、僕なら大丈夫ですから」
五十槻はいつもの真顔でそう伝えた。紫の瞳でじっと上官を見上げれば、綜士郎は鋭い目に心底の心配の色を浮かべて、こちらを見返してくる。
「……俺はお前が心配でたまらないよ。いいか、あいつと接していて何かあれば、すぐに俺に言うんだぞ」
「藤堂大尉に過度の御心労をおかけするのは、本意ではありませんが……承知いたしました」
そう答える部下に、綜士郎は「なーにが過度の御心労だ!」と軍帽ごしに少女の頭をぐりぐりしている。
「まったく、子どもがそんなもん気にするんじゃない。ばかたれ」
「……そうですね」
五十槻は上官と目を合わせずにつぶやいた。綜士郎が五十槻を元気づけようと、わざと兄らしく振る舞ってくれていることは伝わってくる。そしてその優しさを、五十槻は自分が彼へ投げかける負担と捉えている。負担をおかけしてはならないと心に決めた矢先にも関わらず、五十槻は不甲斐ない気持ちでいっぱいだ。
「ま、まあふたりとも。邑本くんとは是非、上手く付き合ってほしいな。それでは、私はそろそろ」
御庄軍医はそう言って、綜士郎、それから五十槻へ手を差し伸べた。ふたりは順番に、軍医少佐と別れの握手を交わす。
「御庄先生、お達者で」
「うん、うん。八朔くん、無事に帰ってくるんだよ。皇都で待っているからね」
御庄軍医の手のひらは、少し硬くて温かかった。医師は名残惜しそうに五十槻から手を離すと、ときどき振り返りながら、司令部付けの将校の輪へ戻っていく。軍医は鞍掛少将に何やら声をかけながら、この場を立ち去っていった。
「よし、俺たちも戻ろう五十槻。今日はこの後、もう一ヶ所、門の所在候補地へ行かねばならん」
「はい、藤堂大尉」
「しかし……看護隊の娘らのあたりを通らねばならんのが億劫だな……」
ぼやく綜士郎の背後で、五十槻はふと空を振り仰いだ。
田園の上に広がる青空には、いつの間にか、西の方からの暗雲が押し寄せている。少し経てば西風に追い立てられた雲の群れが、この空を覆ってしまうだろう。
──掛まくも畏き祓神鳴大神の大前に
神實八朔五十槻 恐み恐み白く。
神さま神さま、どうかどうか。
藤堂大尉が、無事でありますように。
甲伍長や獺越さん、清澄さんも。そのほかのみなさんも。
どうか、どうか。
(僕は──)
不安をかきたてる雲の影が、五十槻の影を覆い隠していく。紫の瞳も、周囲の明暗に合わせて翳りを深めている。
──僕は別に、どうなったって……。




