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八朔少尉は乙女の枠におさまらない  作者: 卯月みそじ
第一章 八朔少尉、女学生になる
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2-2


 八朔(ほずみ)五十槻(いつき)少尉は現在潜入捜査中である。

 場所は寅山区(いんざんく)櫻ヶ原(さくらがはら)にある、国立櫻ヶ原高等女学院だ。五十槻に与えられた任務は、この学校に女学生として潜入し、校内に潜む禍隠(まがおに)を見つけ出すこと。

 捜査にあたって、櫻ヶ原女学院の校長へ協力を要請し、五十槻と甲伍長とは、正体を隠すために偽名を用いて学園生活を送ることになった。今の五十槻は、さる良家の令嬢・稲塚(いねづか)いつきということになっている。

 一時間目の授業を受けながら、五十槻は心の内で荒瀬中佐からの任務概要を思い返す。


 一昨日、連隊本部にて除隊願を退けられた、あの後。


「実はこの学校に禍隠が入り込んでいる可能性がある」


 荒瀬中佐は女学院の案内書を示し、さらに五十槻と藤堂中尉へ追加の資料を差し出した。女性の名前ばかりの名簿である。


「きみたちも知っての通り昨日までの三日間、婦女……それも若い娘を狙った禍隠の発生が多い。それでね、警察とよくよく調べてみると……」


 中佐の指は、名簿の右側にある列を指す。


「ほら、全員櫻ヶ原女学院の生徒だ」


 確かに。六人分の名前が記された名簿の下側には、右から左までずらっと『櫻ヶ原高等女学院』の文字が並んでいた。

 少尉と中尉は、除隊云々はひとまず差し置いて完全に仕事の顔である。

 言われてみれば、昨日の大捕り物も含めて、ここのところ女性が襲われる事件が多かった。

 下校中に禍隠が出現し追いかけられたり、夜中に寝室の外に大きな影がうろついていたり。かどわかしに発展した事件も数件ある。幸い犠牲者は今のところ一人もいないが、由々しき事態である。

 また、禍隠が三日間で六体出現する、というのもなかなかない頻度だ。ふだんであれば、その半分以下でも多いくらいである。

 八洲に現れる禍隠の多くは、理性も知性も持たない。野山の獣のような思考しか持たず、しかし獣にしては規格外の膂力や異能を持つ。だが同じ学校の生徒ばかり襲うのは、ただの禍隠にしては行動が不自然だ。これはつまり。


「司令部はこれら一連の事件について、おそらく禍隠側に『カシラ』がいると想定している」

「カシラ……」


 禍隠には様々な種類がいる。昨晩のような猿猴(えんこう)型や、一番多く出没するのが豺狼(さいろう)型、次いで蝦蟇(がま)型だ。こういった獣型の禍隠は知性を持たない。

 だが、数は少ないものの、知性を持った個体も存在する。それが『カシラ』と呼ばれる禍隠だ。

 厄介なことに、カシラの多くは人間に擬態することができる。そのうえで、獣型の禍隠を統率する。

 特別な禍隠ゆえ、獣型より出現率は大幅に下がるものの、一体でも現れれば八洲社会に対し非常な脅威となった。


「おそらくは何らかの目的で目当ての女学生を選び、下っ端の禍隠を使って危害を加えようとしているのだろう。昨日の猿猴型も、当初は被害者を連れ去ろうとしていたはずだ」


 昨日の禍隠は清澄嬢を拉致したあと、まず北東の方角へ逃走を始めている。通報を受けた管轄の神事兵小隊に追い立てられて経路を変更し、最終的に翠峰楼(すいほうろう)にとどまったとみられる。中佐は机上に皇都の地図を広げた。


「あの猿猴型が当初たどった逃走経路を見てくれ」


 中佐は鉛筆で北東方向へまっすぐに線を引く。


「この地点で小隊の妨害に遭った」


 線が途中で止まる。


「しかし、もし妨害に遭わず、まっすぐ進んだとすると……」


 再び鉛筆が進みだす。その直線の行く先は……寅山区(いんざんく)櫻ヶ原。女学院の敷地だ。


「ま、もしかしたら、本当の目的地はこれより先にあったかもしれんし、禍隠がこの予測通り真っ直ぐ進むとも限らん。だがねぇ、当初の逃走経路の直線上に女学院があり、さらにここ最近の被害者はその学校に通う生徒ばかり……」


 荒瀬中佐は、そこでハハハと快活に笑った。


「女学院になにか潜んでるって思っちゃうのは、ちょっと考えすぎかなぁ?」


 壮年の軍人の語り口は要所要所で朗らかだ。しかし考えすぎどころか、上層部から見てもその可能性が濃厚だから、いま中佐はこの話をしているのだろう。おそらく三日の間に現れた他の禍隠たちも、女学院に関連した動きを見せていたのかもしれない。


「しかし、そのカシラが潜伏していたとして、知らない人間が一人増えていればさすがに周囲が気付くのでは?」


 藤堂中尉からの当然の指摘に、中佐はふむ、と口髭をいじりながら答える。


「過去の資料を見てもらえば分かるんだが、カシラは潜伏先の人間を殺害し、そっくりに化けて成り代わる場合が多い。突然豹変した人物がカシラであった、という場合もあれば、対象をじっくり観察したうえで長期に渡り、違和感なく周囲に溶け込んだ個体もいる」

「女学院に入り込んだカシラがいるとすると、誰か女学生か教員に成り代わっている、ということか……」

「荒瀬中佐、成り代わられた人物というのは……」


 五十槻からの問いに、中佐は首を振りつつ答える。


「過去のカシラ出現においては、死亡している場合がほとんどだ。今回もそう思ってもらった方がいい」

「…………」


 ともかく女学院に禍隠が潜んでいるとなれば、早々に駆除しなければならない。だが相手は知性のある禍隠。往々にしてカシラは狡猾で侮れない相手だ。


「女学院から生徒や関係者を避難させ、神事兵で包囲殲滅するのはどうでしょう」


 五十槻の発案に、中佐は頭を振る。隣の藤堂中尉が渋い顔でたしなめた。


「話を聞いていたか、八朔少尉。人間に擬態できるのだから、生徒や教師に化けて姿をくらますに決まっている」

「そうか、八朔くんはカシラに接するのは初めてか」


 これもいい経験だな、と老獪な軍人は再び煙管を吸う。


「いいかい八朔くん。カシラは本当に厄介だ。あいつらは頭もいいし鼻もきく。例えば神域(ひもろぎ)だ」


 神域(ひもろぎ)。神の座す場所、という意味だ。清めた常盤木(ときわぎ)の枝を四隅に立てた領域を指す。五十槻たち神籠(こうご)は、この領域の中でしか神の力を発揮することができない。だから作戦行動の際、神事兵は必ず最初に、作戦領域を囲う四か所の地面に常盤木の枝を突き立て、神域(ひもろぎ)の展開を行う。あまりに広範な地域や、長時間での展開ができないことが難点だ。しかし神籠(こうご)には欠かすことのできない、大事な要素である。


「カシラはどうやら神域(ひもろぎ)が張られたことを感知できるらしい。だから待ち伏せなんかも難しいし、本件に関しても、女学院の周囲に神域を展開した時点で気付かれるだろうね」

「そこで体験入学、ですか……」


 割って入った中尉の声は、どこか呆れているようだった。反して荒瀬中佐は得意げに相好を崩している。


「いい案だと思わないかね? せっかく八朔くんのような、稀有な将校がいるんだよ。彼……いや、彼女か。彼女が学院に生徒として潜入し、怪しげな人物にあたりをつける。我々は彼女の報告をもとに、なるべく密な計画を立てることができる。それに」


 中佐は煙草盆に煙管を置き、顔の前で指を組んで言った。


「いままで禍隠の被害に遭ったのは、いずれも容貌の美しい娘ばかりだ。八朔くんの容姿なら、向こうから接触してくる可能性も多いにあるだろう」

「しかし、それでは八朔少尉が神籠を使用できない状態での接触になります。危険では」


 中尉は上官としての見解を述べる。荒瀬中佐の返答は鷹揚である。


「必要であれば、八朔くん以外の人員も潜入させてもらって構わんよ。ただし場所が女学校ということをわきまえてくれ」


 人員の融通が利く田貫大尉麾下皇都第一中隊は、五十槻以外男性ばかりである。というかふつう軍人というのは男子しかいない。もし五十槻以外が女学院へ潜入するなら、植木屋だとか用務員だとか、男性でも違和感のない関係者に扮するのが自然か。

 この時点では五十槻も藤堂中尉も知る由もない。まさか(きのえ)伍長が、五十槻とともに女学生として潜入することになろうとは。


「ざっとした内容は以上だ。八朔くん、やってくれるね?」


 荒瀬連隊長はひと通りしゃべって、莞爾(かんじ)とほほえんだ。

 除隊願の件はすでに却下された。五十槻の身分は皇国陸軍少尉のまま。生き方も使命も、元の通り。

 いつものように機敏な動作を心がけ、五十槻は連隊長へ挙手礼を示す。


「身命を賭して」


 背後からは、藤堂中尉の嘆息じみたため息が聞こえた。


      ── ── ── ── ── ──


(なるべく早期に禍隠を見つけなければ)


 回想を終え、五十槻は握っている鉛筆にぐっと力を籠める。使命感のあまり、まだ書いている途中の数式の上でべきっと鉛筆の芯が折れた。


 授業中の教室に響く、教師がしゃべる声と、チョークが黒板を擦る音。生徒たちは一様に黙々と板書をノートへ書き写している。


 五十槻にとって、数学の授業は士官学校以来だった。内容は以前習ったことがある単元。捜査のために女学生に扮しているわけであって、別に授業についていく必要はないのだが、理解できる内容だったことに五十槻は幾分かほっとした。


 女学校は未知の世界だった。


 八朔五十槻はその生涯のほとんどを、男として、神籠の将校となるために費やしてきた。世間で言う小学校にいた頃も周囲は男児ばかりであったし、士官学校はもちろん男子生徒のみ。ときおり実家の姉や義母と触れ合うほかは、女性に接する機会なんてまるでなかった。

 そのせいか、周りが全員女子というのは、妙な居心地の悪さがある。

 着ているものや身だしなみの仕方も、男の時分とは全然違う。軍服のズボンや馬乗袴に慣れている五十槻にとって、女子用の行燈袴は両足の間に中仕切りがなく、ものすごくスースーする。

 長い髪の毛に関しては、実家の姉たちがものすごく精巧な仮髪(かもじ)を用意してくれた。朝から姉たちが張り切って身だしなみを整えてくれたおかげで、見た目に関しては違和感なく女学生をやれている。

 ちなみにこの作戦中、五十槻は実家の屋敷から通学することになっていた。軍営から出入りすれば禍隠に勘付かれる可能性もあるし、何より司令部で制服を試着した際、「その格好は隊内の風紀を乱す」と藤堂中尉に言われてしまったからだ。

 父以外の家族には、まだ自分の本当の性別を告げていない。そもそも荒瀬中佐に口止めされている。だから姉たちはおそらく、弟が変な任務で女装させられていると思ったに違いない。実際五十槻も気持ち的には女装である。本来は、女性(こちら)側の服装が正しいのに。

 父は五十槻の除隊が認められず、憤懣やるかたないようだった。だがしかし、五十槻にはどうにもできないことだ。


(それにしても……)


 五十槻は筆箱から新しい鉛筆を取り出して、板書取りを再開する。


(人間に紛れている禍隠を、どうやって見つけ出せばいいのだろう)


 荒瀬中佐からの指示は左記の三か条である。


 一、誰にも軍属だと悟られるなかれ

 一、進捗の報告は指定の日時に指定の場所で行うこと

 一、緊急時には支給の式札(しきふだ)を飛ばすべし


 式札というのは、陰陽術で使う呪符のようなものだ。神事兵では陰陽系統の術を修めた士卒が使用している。今回五十槻が支給されたのは、すでに術が施された札で、空に飛ばすと軍営へ緊急信号を出すことができる。これを飛ばした時点で、櫻ヶ原女学院周辺に神域(ひもろぎ)が展開される手筈である。つまり、禍隠と接触し、交戦の必要が生じた際に使用する物品だ。

 五十槻が指示されたのはこの三か条のみで、カシラの見分け方や傾向といったものは、まったく不明である。正直連隊本部にもよく分かっていないのかもしれない。

 よく世間に勘違いされるが、神籠だからといって禍隠の気配に敏感だとか、見分けがつくとか、そういうことは一切ない。確かに、中にはそういう能力の神籠もいるにはいるが。


(きのえ)伍長は何か考えがあるだろうか)


 今回の任務では、五十槻だけではなく甲精一伍長も同時潜入を行っている。とはいえ、まさかあんなに目立つ服装で生徒役をやるとは思わなかった。

 五十槻にとって甲精一は理解不能、予測不能の人物だ。軍規違反は当たり前、謹慎停職日常茶飯事、今までに書いた始末書の枚数は数知れず。現在は伍長に任命されているが、なぜ下士官になれたのかは謎である。田貫大尉と懇意らしく、汚職の可能性も噂されている。五十槻からしてみれば、確かに擁護できないほどの素行不良も認められるものの、身体が丈夫だったり、何度中尉から拳骨を食らおうともヘコたれない根性を持っていたり、いつも明るく元気だったり、尊敬できる点も多々ある。

 このたび彼が女学院潜入に抜擢されたのは、田貫大尉による推薦だ。一見、アホの痴漢を名門女学校へ解き放つ愚策だし、もちろん藤堂中尉は大反対だった。しかし。


「でもさ藤堂くん、ここの学校の校舎、木造でしょ? もしものときに精ちゃんがいれば有利じゃない?」

「能力だけを見ればそうかもしれませんが……」

「あのさあ藤堂くん、精ちゃんが女学生に手を出すと思う? ねえ精ちゃん?」

「信じて中尉! 俺は何がどうあっても、うら若き乙女の皆さんを傷つけるようなことはしない!」


 紛糾する議論の最中において、当の本人である甲伍長は声高らかに主張した。


「だって俺、熟女でしか興奮できないから!」


 甲伍長の熟女好きは、連隊内で大変有名である。なんでも好みの熟女の前では開眼するらしい。五十槻はよく意味が分からなかったので「熟女ってなんですか」と中尉に尋ねてみたが、「少尉にはまだ早い」の一言を返されて終わった。

……と、こんな経緯で甲伍長は大福院きな子をやることになったのだった。当初、伍長は学院出入りの植木屋役になる手筈だったが、女学生役になったのは何かの手違いだろうか。


──折を見て、甲伍長にも禍隠捜索についてご意見を伺わねば。


 ともかく、現状この学院に潜んだ禍隠(まがおに)を、こちらから発見する手段はない。先方の出方を伺うのみである。

 五十槻はいままで、すでに出現した禍隠を駆除する任務しか請けたことがない。こんなにじれったい状況は初めてだ。

 焦燥感は筆圧となり、握った鉛筆の芯がまたぺきりと折れる。

 隣席の美千流に胡乱な目で見られながら、五十槻はまた筆箱を漁った。

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