9 末っ子はハンバーグがお好き
雲一つなく晴れ渡る空の下、老若男女を問わない人間達が行き交うは、人間族の多くが住まう大国アースガルズの王都の繁華街である。
人間族は他種族と比べて短命な分、出生率がずっと高いから、これくらい町がごった返すことくらい、想像に難くなかったのだけれど、それにしても随分とにぎわっているなぁという印象だ。
私達魔族がかつて繁栄を築いた戦前のミズガルズですら、ここまでにぎやかではなかったのではないだろうか。
長期戦に突入した、今となってはラグナロクと呼ばれるあの戦争において、魔族側が敗北する運びになったのも、この栄えた光景を見ると頷けてしまうものだ。
せめてあのクソ親父がもう少し戦略を考えるタイプだったらよかったのかもしれないが、実際のクソ親父はびっくりするくらいとにかく力で押し通すタイプだったので、あらゆる戦略と知略を駆使する人間に勝てるわけがなかったのである……と感慨深くなっていると、不意に、となりから顔を覗き込まれる。
鮮やかにきらめく紫電の瞳が、心配そうにじっと私を見つめてきたので、思わず息を呑むと、その瞳の持ち主、もといリーヴが、そっとその唇を震わせた。
「ティカ? どうした? 疲れたなら休憩を……」
「いいえ、違うの。疲れたっていうよりも、こんなにもにぎわっている場所に来たのは初めてだから、少し驚いているだけ。リーヴこそ、疲れていない?」
「俺は平気だ」
「そう?」
ならいいのだけれど、と、深く被った外套のフードの下で笑うと、同じくフードを深く被っているリーヴも、ささやかな笑みを返してくれた。
おや、とその笑顔を少しばかり意外に思う。
ホッドミミルの森を出るときにはすっかり緊張しきりで、また日を改めたほうがいいのではないかと思うくらいだったというのに、今の笑顔は確かな喜びがにじむ柔らかなものだ。
クロムレックに散々「リーヴ、ティカ様のお目付け役として、せいぜい善処なさい」と言い聞かされた結果だろうか。
……個人的には胸に突き刺さるものがあるけれど、リーヴがこの状況を楽しんでくれているのならば、それはそれ、本来の目的が達成できつつあると言っていいだろう。
そう、本日、私とリーヴは二人きりで、ホッドミミルの森からアースガルズの王都へと足を伸ばしている。
リーヴが、自身の十五歳の成人祝いの夜の際に願ってくれた『贈り物』を実行中というわけだ。
当初危惧した通り、クロムレックにはそれはもうこれでもかと反対された。
リーヴと一緒に正座をさせられて昏々と三時間お説教。
「自覚が足りなさすぎる」「何かあってからでは遅いのに」「我々がすぐに助けに行けるわけではないのですよ」などと、それはもうとんでもない勢いだった。
だがしかし。
ひええええと涙目になる私とは裏腹に、リーヴは強かった。
「俺が絶対にティカを守るから大丈夫だ」なんて、育て親冥利に尽きる決意を語ってくれて、私はその直前までの涙とは異なる意味合いの涙を目に浮かべたものである。
そんな感じで、リーヴの決意が固くゆるぎないものであることを悟り、根負けしたクロムレックから、私とリーヴは『二人きりのお出かけ』を勝ち取ったのである。
他の子供達にはひいきだと思われてしまうかも、という心配も驚いたことに杞憂に終わった。
――りーぶとティカしゃま、お出かけするのね。
――おみゃーげかってきてね!
――りーぶはティカちゃまが大好きだからな!
――りーぶ、ちゃぁんとティカしゃまをおまもりするのよ。
――えっとぉ、じゃあでーとってことぉ?
――そぉだよ、でーとだ!
――でーと!
――あいびきだ!
――おにくだ!!
――はんばーぐだ!!
……と、はやし立てる子供達に囲まれて、真っ赤になっているリーヴの姿は微笑ましく、胸がほっこりあたたかくなったものだ。
なおデート、からの逢引、からの合い挽き肉、からのハンバーグという流れに突っ込む者はいなかった。
かわいかったから仕方ない。
デートじゃなくてただのお出かけなのだけれども、子供達にそれを言ってもまだ難しいだろう。
お出かけの行先として挙げられた候補地はいくつかあったけれど、結局このアースガルズの王都に落ち着いた。
敵地のど真ん中じゃないの……とは思ったけれど、一番近い繁華街がここだったのだ。
エルフ族の国、アールヴヘイムはホッドミミルの森とは比べ物にならないくらいに深く大きい森に囲まれているし、ドワーフ族の国、ニザヴェッリルはさまざまな鉱石や宝石を産出する鉱山に囲まれている。
加えて、どちらも強固な結界が魔術によって張られていて、おいそれとお邪魔できる土地ではない。
となると残るはこのアースガルズだ。
人間は先の戦争で勝利を収めてから、よくも悪くも油断していてくれて、王都の検問もざるの目のようなものだった。
私が魔術で角を消して髪の色と目の色を朱金から茶色に変えたら、たったそれだけでだまされてくれたし、リーヴに至ってはその銀髪紫眼の冴えわたる美貌に圧倒された憲兵が顔を赤らめて「どうぞ!」と最敬礼してくれた。となりの私は鼻高々だった、とは余談である。
そんなこんなでやってきましたアースガルズ。
リーヴご所望の、二人きりのお出かけだ。
私自身、四捨五入して二百五十年ほど生きているけれど、こうして人間の町に堂々とやってきたのは初めてで、緊張と期待が膨らんでしまう……とすっかり自分の欲望ばかりに気を取られそうになってしまったところを、いけないいけないと思い直す。
今日は主役はリーヴだ。
せっかくのお願いごとなのだから、この子こそに一番楽しんでもらわなくては意味がない。
「リーヴ、どこか行きたい場所はある? クロムレックに金子を融通してもらってきたから、大抵のお店は対応できるわ。欲しいものや食べたいものがあるならぜひ行きましょう」
懐に忍ばせたお財布にはずっしりと金貨が詰まっている。
クロムレックに融通してもらった、のではなく、私が昔から、そう、それこそ戦前からこつこつ貯めてきたお金だ。
いつかクソ親父の元から逃げ出してやる!! という気持ちで貯め続け、クロムレックに預けておいたものが、まさかここに来て役に立つことになるとは思わなかった。
ふっふっふっ、今日のリティラティカ様は無敵である。
これだけの金貨があれば大体のものは買えるはず、と意気込みに手をぎゅっと握り締めると、その手をさらにそっと握り締められた。
あら、と目を瞬かせると、私の手を握り締めたリーヴが、こちらを見ないまま、私に無理をさせない程度の速さで歩き出す。
「リーヴ?」
「は、はぐれると、いけないから」
だから、ともごもごと口ごもる彼は、そのまま私の指を自身のそれと絡めるようにして、手を繋いでくれる。
確かに、こんな人混みの中で、ついついお互い浮かれてしまった挙句にはぐれてしまう可能性は十分にある。
それにしても、十五歳で成人したのだからと、自分で何度も繰り返していたくせに、こういうところはまだまだ甘えたの子供なのだなぁと思うとなんとも微笑ましくなってしまった。
やはりリーヴはかわいい私の子供の一人だ。
ふふふ、とフードの下で笑い返しつつ、きゅっと手を握り返すと、もっと強い力で握り返される。
その力強さ、その手の大きさに、改めてこの子の成長を感じて、少しだけさびしくなったりもしたけれど、それをさておいて、私達はそのまま、町を練り歩く運びとなった。
「まあ、花屋さん! 素敵なお花ね。アルネやシシリーが喜びそう。ああ、あっちの製菓店さんにも後で寄りましょう、子供達にいっぱいケーキを……いやでもケーキは持ち運びに不便よね、そう、だったら焼き菓子にしましょ。あらあら、あそこの露店、素敵なアクセサリーだわ。ラミア、最近ああいうものを集めるのが楽しいみたいだし、ドラクも実は宝飾品が大好きなのよねぇ、いくつか見繕いたいわ。あっあそこは服飾店ね? さすがに全員分の服を仕立てるのは無理だけれど、余っている布地の端切れが売っていることがあるってクロムレックが言っていたから、ラクネに買って帰ってあげられたら……それから本屋さんにも行って、新しい絵本を何冊か……ウチにある絵本、子供達はすっかり読み込んでしまっているから、そろそろ新しいものを……ええとそれから…………」
ああ、どうしよう、次から次へと欲しいものが浮かんでくる。
クロムレックに許されたお出かけは今日一日だけなのに、すべてを買いそろえるにはあまりにも時間が足りなさすぎる気がしてならない。
よし、これは一度どこかの喫茶店にでも入って、しっかりと計画を……と、そこまで考えてから、ようやく私は、自分に向けられている視線に気が付いた。
リーヴだ。
リーヴがじっと、私のことをとなりを歩きながらも見つめ続けている。
そのまなざしに、大変遅ればせながらにして、自分がやらかしてしまったことを知り、はっと息を呑む。
「……ごめんなさいね、リーヴ」
「え?」
「あなたのお祝いのためのお出かけなのに、私ったら、他の子供達のことばかりだわ。こればかりは私の性分だからどうしようもないと思って諦めてもらうより他はないのだけれど、でも、私があなたのことをお祝いしたい気持ちは本当だから、改めてあなたの希望が知りたいわ。お互いのために、教えてもらってもいいかしら?」
――子供達のことになると、魔王様は暴走しがちでいらっしゃる。
そうクロムレックに溜息を吐かれたことは一度や二度ではない。
それはリーヴに対しても言えたなのだろうけれど、何分彼はもう“子供”ではなくなってしまった。
いやそれでもなお私にとってはかわいいかわいい子供だけれども、それでも、まだまだ幼く手のかかる他の子供達についつい手を伸ばしがちになり、リーヴのことを後回しにしてしまっていたのは、本当に申し訳ない。
特に今日は、リーヴのためのお出かけなのに。
流石に気分を害しただろうなぁと彼を見つめると、リーヴはちょいと自身のフードを持ち上げて、私の顔を間近から覗き込んでくる。
無表情だけれども確かに柔らかい感情が感じ取れるかんばせで、彼は続けた。
「そういうところがティカだって知ってるから、ティカはティカのままでいい。兄さんや姉さんのこと、俺だってとても大切だし、兄さん達が背中を押してくれたから、俺は今日こうやってティカを独占できるんだから、せめてお土産くらいは当然のことだ」
「……そう、なの?」
「ああ。でも」
そ、と。手を繋いでいないほうのリーヴの手が、私の頬に伸ばされる。
触れるか触れないかという絶妙なところで私の輪郭をなぞっていったリーヴは、少しだけ気恥ずかしそうに小さく笑った。
「今日だけは、俺だけのティカだってこと、忘れないでほしい」
なんともまあかわいいことを言ってくれるものである。
そうかそうか、いくら大人ぶっていても、まだまだ親離れをしないでいてくれるのか。
まだこの子は、私のかわいい子供達の一人、かわいい私のリーヴなのだ。
そう思ったらどうにも嬉しくて、気付いたらにっこり笑って「当たり前よ」と頷きを返していた。
「……本当に解ってる?」
「だからもちろんだって言っているじゃない。さあ、今日を満喫するために、まずは作戦会議よ。喫茶店もいいけれど、そろそろお昼時だから、普通に昼食にするのもいいわね」
行きましょう、とリーヴの手を引くと、何やら彼はもの言いたげな顔をした。
けれどそれ以上言葉にされることはなく、大人しくまたとなりに並んで歩いてくれる彼に、私はますます上機嫌になるのだった。