8 成人してもかわいいこ
そして、リーヴの成人祝いに向けて、ホッドミミルの森に集う数少ない魔族達は、楽しくにぎやかな準備に勤しむことと相成った。
久々の魔王主催の祝い事だ。
子供達は屋敷を手作りの飾りや花で彩らせ、大人達はここぞとばかりに「祝いには酒だ! ご馳走だ!」とあちこちに手を伸ばして、自分の好物をあちこちから取り寄せている。
もちろんリーヴへの成人祝いの贈り物も用意しているらしいけれど、あの人達にとって、どっちが本命なのかと問われると、若干どころではなく言葉に詰まるものはある。
そもそもクロムレックに言わせると、今残されている、数えるほどにしかいない成人した魔族は、非常に寛容なのだそうだ。
……正確には、寛容と言えば聞こえはいいが、実際はただの能天気者ばかりで、人間だからという理由でリーヴを排斥するような輩はいないのである。
そういう好戦的なたぐいの魔族は、ほぼほぼ全員大体が、自ら戦地に赴いて命を落としているのが実情だ。
というわけで、リーヴがホッドミミルの森にやってきてからのこの八年間、波風は皆無というわけではないけれどもほぼほぼ平穏な毎日である。
リーヴの才能を見込んで、年嵩の魔族達はよってたかって武術だの魔術だのを教え込んでいるので、もしかしてもしかしてもリーヴのポテンシャルはとんでもないことになっているのではないだろうか。
まあ本人が望んで訓練を受けているようなので私は何も言わないけども……と、話がずれた。
とにもかくにも、そうして訪れた、ホッドミミルの森にリーヴがやってきた日から数えて、八年目のとある日の夜。
十五歳になった彼の、成人祝いを晴れ渡る夜空に浮かぶ大きな満月もまた、祝福してくれているようだった。
「りーぶ、おめでとー!」
「おめでと、りーぶ!」
「あのねぇ、これねぇ、川で見つけたきらきらの石! わたしのたからものだったけど、りーぶのおめめみたいだから、りーぶにあげる!」
「あたくしはね、あのね、ティカしゃまにおしえてもらって、押し花をつくったの! りーぶはいっぱいいろんな本を読んでるから、えと、えと、し、しおり、にしてね!」
「おれはな、今日のために、火のまじゅ、まじゅちゅ、ちゅ、まじゅつ! を、れんしゅうしたんだぜ! あとでおいわいの火吹き術をみせてやるよ!」
「おめでとね、おめでとだよりーぶ! はい、これね、ティカしゃまとりーぶの絵をかいたよ! りーぶはティカしゃまがだいしゅきだから、いっしょがいいとおもって!」
怒涛の勢いで、自らが用意した贈り物を手に、子供達はリーヴの周りに集まっている。
私が用意したご馳走なんてそっちのけである。それだけ子供達はリーヴのことが大好きなのだろう。
ああ、私の子供達が今夜もこんなにもかわいくて尊い。
対する大人達はというと、勝手に寄り集まって酒盛りを始めて、もうすっかりできあがっている。
「ほほ、あの小僧っ子が成人とはのう。人間など、すぐに森に淘汰されると思うておったが」
「子供達に手を出すようならぶち殺すつもりだったんだけどなぁ、おい、俺達よりも懐かれてんじゃねぇか」
「まああの子供は特別でしょう。何せ、『かわいい末っ子の弟』らしいですから」
「ははっ、何にせよ、めでたいもんだ! ほら、小僧の成人に乾杯!」
「まあ成人とはいえ、我らにとってはまだまだ赤子同然ですがね」
……どう考えても大人達は、リーヴの成人祝いという名目で飲み食いしに来ているな……。
普段の成人済み魔族の食事は基本的に自給自足をお願いしているだけに、この機会を好機とばかりにめいっぱい飲み食いしていくつもり満々なのが見て取れる。いや別に構わないけれども。
口ではリーヴを小僧扱いしているけれど、ちゃんとそれぞれ成人祝いにふさわしい品々を用意してくれている彼らには、私からも心からの感謝を贈りたい。
さて、そろそろ子供達にも食事を食べてもらわなくては。
もちろん、今夜の主役であるリーヴにも。
「子供達、いらっしゃい。そろそろ食卓につきなさいな。リーヴに見せなくちゃいけないものがあるのでしょう?」
いまだにリーヴをもみくちゃにしている子供達をちょいちょいと手招くと、子供達は「あっ! そうだった!」「そうなのよ!」「りーぶに見せてあげなくちゃ!」と口々に騒ぎ立てながら、私の元まで走ってくる。
そのあとを、子供達の勢いのあまりに少々疲れた様子のリーヴがついてくる。
「リーヴはここ!」と子供達に促されたリーヴが、いつもならば私が座る椅子に座ると、子供達は揃いも揃ってにこぉっ! と満面の笑みを浮かべた。
「りーぶ、おめでとう!」
「大人になったんだよね? でも、りーぶはずぅっとぼくらのおとーとだよ!」
「おめでと!」
「おめでとー!!」
「あ、ありがとう、兄さん、姉さん達」
やんややんやと騒ぎ立てる子供達に、さすがに気恥ずかしくなったらしいリーヴは、顔を赤らめて俯いた。
そんな微笑ましい様子に私も笑みをこぼしつつ、私の隣に控えていたクロムレックへと目配せを送る。
クロムレックは心得た、とばかりに頷きを返してくれて、その両手を自らの前に出した。
ぐるん、と黒い影がそこで小さな渦をなし、そうして現れたるは、大きなワンホールのケーキだ。
真っ白なクリームと色とりどりの果物で飾られた、ちょっとどころではなく不格好な、斜めに傾いたケーキを見て、リーヴは瞳を瞬かせ、子供達は誇らしげに胸を張る。
「魔王様と子供達による大作です。小僧……ではなく、リーヴ。心して食べるように」
クロ厶レックが重々しく告げた言葉に、リーヴが今度は大きく目を見開いた。
そういえば、クロムレックがリーヴのことを“リーヴ”と呼んだのは、これが初めてだったのではないだろうか。
いつだって『小僧』呼ばわりだったくせに、リーヴの成人を期に、クロムレックもクロムレックなりに思うところがあって、心境の変化が訪れたらしい。
その変化こそが、クロムレックからのリーヴへの成人祝いということが自然と理解できてしまったから、私はとなりでつい噴き出してしまった。
じろりと赤い瞳が横目でにらみ付けてくるけれど、おあいにく様、今ばかりはちっとも怖くない。
そしてクロムレックは、リーヴの前に、私と子供達が作り上げたケーキをどんと置いた。
子供達がわっと歓声を上げて、期待を込めた瞳でリーヴを見上げる。
「あのねあのね、このクリームはね、わたしがしぼったの!」
「こっちの果物は俺がかざったんだぞ!」
「スポンジはね、ティカしゃまといっしょにぐるぐる混ぜてね、それでね、ぶわぁってドラクの火でやいたんだよ」
「アルネのお花もかざってあるでしょ? これね、たべられるんだって!」
「ぜーんぶりーぶのだよ! ティカしゃまもね、ぼくらもね、りーぶがだいすきで、おめでとうってきもちをいっぱいしたかったの!」
だから早く食べて、とリーヴに子供達はフォークを握らせる。
左右から誰もが握らせようとするから、リーヴは両手にフォークを持つことになってしまっていて、私達大人達はくすくすと忍び笑いをもらしてしまった。
そんな私達に気付いていないはずがないのに、反応する余裕なんてないらしいリーヴは、そっとケーキを一口、その口へと運んだ。
そして。
「――――りーぶ、どうしたの?」
子供達のうちの一人がこぼした、その幼い問いかけはそのままこの場にいる全員の気持ちを表していた。
ぽた、ぽた、ぽたり。
リーヴの紫電の瞳から、とめどなく涙がこぼれ落ちている。
無表情のまま涙を流すその姿に息を呑む、私を含めた大人達とは裏腹に、子供達がリーヴに次々にぺたぺたと引っ付き寄り添い、努めて優しく声をかけ始める。
「りーぶ、りーぶ、だいじょうぶ?」
「どっかいたいの?」
「そんなにおいしくなかった?」
「まずい? まずかったからないてるの?」
「なかないで、りーぶ」
いくら肉体年齢も精神年齢も追い越したといっても、こういう光景を見ると、やはり子供達はリーヴの『お兄ちゃん、お姉ちゃん』なのだなぁと思う。
まさかリーヴが泣き出すだなんて思ってもみなくて固まるしかない私よりもよほど頼りがいのある『お兄ちゃん、お姉ちゃん』達だ。
子供達がよってたかってリーヴの顔を自分の服の袖でごしごしとぬぐい始め、そうしてようやくリーヴの涙がほろりと最後にこぼれ落ちる。
「うれ、しくて。考えた、ことも、なかったから。成人できることも。成人して、誰かに祝ってもらえるだなんてことも」
震える声音で紡がれたリーヴの言葉に息を呑む。
けれどそんな私の動揺を塗り替えるように、「えー!!」と子供達が憤然とした声を上げた。
「りーぶはおれたちのおとーとなんだから、おいわいするのあたりまえだろ!」
「そうだよ! ケーキもおくりものもあたりまえなの!」
「じゃあこれからは、ずぅっとおいわいしようよ! わたし、もっとケーキじょーずになる!」
「もっとおいしいケーキ、ティカしゃまとつくるからね、ないちゃめーよ、りーぶ」
「だいじょうぶよ、みーんなりーぶのことがだいしゅきだから、これからもいーっぱいおいわいしようね!」
「~~~~っもー! どうしてもっと泣いちゃうのー!!」
とうとう顔を覆ってしまったリーヴに、子供達は口々に「泣かないで」「泣いちゃだめだよ」と繰り返している。
うん、うん、と、そのたびに幾度となく頷くリーヴの姿を、私も、他の大人達も、不思議とあたたかな気持ちで見守っていた。
そしてようやく泣き止んだリーヴが、子供達と一緒になってケーキを平らげ、子供達は誰もが皆夢の世界に旅立って、大人達が酔いどれの足取りで帰路に就くのを見送り、必然的に私はリーヴと二人きりになることになった。
「今日はお疲れ様、リーヴ」
「疲れてなんかない。その、ただ、嬉しかっただけだから」
「ふふ、そうね。泣くほど喜んでくれるなんて思わなかったわ」
「……ティカはたまに意地が悪い」
「あら、ごめんあそばせ?」
私もリーヴも、少しだけお酒を口にしている。
私自身はあまりお酒に強い体質ではないし、リーヴにいたっては今夜が初めての飲酒だ。
お互いになんとなくほろ酔いになっていて、なんとも心地の良い気分だった。
酔い覚ましを理由に、屋敷のバルコニーに出て、何をするでもなく風に当たっている。
「リーヴもいよいよ成人かぁ……。ずっと子供だと思っていたのに」
「……ずっと子供のままではいられないし、いたくない」
「そうかしら。子供のままでいられるのも、それはそれで悪くないわよ?」
「ティカは子供のままがよかった?」
「…………どうかしら」
いつまでも子供のままでいたとしたら、それこそ先代魔王であるクソ親父のうっぷん晴らしにされていた可能性が高い。
だからこそ私はさっさと大人になりたかったし、成人する前から子供達のお世話に積極的にたずさわって、私は使える人材ですよアピールをしたものだけれど。
結果として子供達のお世話役の保母さんは天職で、さらにその後の結果としてこうして魔王に就任することになったのだから、いやーつくづく何が魔生に影響するかは予測ができないものである。
私が育てている子供達には、そんな風に急いで大人になんてなってほしくない。
健やかに、当たり前のように、誰に強制されるでもないそれぞれの速度で大人になってほしいのだ。
そしてそれは、当然リーヴにも言えたことである。
「十五歳で成人だなんて、もっとゆっくりでもよかったのに」
「……俺にとっては、やっと、の、成人だ。本当はもっと早くに大人になりたかった」
「そう。じゃあその成人祝いに、私からも何かを贈らなくちゃね。何か欲しいものはあるかしら? ごめんなさいね、今日までに何か用意できればよかったのだけれど」
何分、子供達の準備の手伝いをするのに手いっぱいだったし、大抵のものは他の大人達が用意してくれていたので、ついつい私が用意すべき分を後回しにしてしまったのだ。
我ながら申し訳ないことをした。
その分、私にできる範囲なら、なんだって用意させてもらう所存である。
そんな気持ちを込めてリーヴを見つめると、彼の顔が、なぜか先ほどよりも赤らんだ。
おや、酔い覚ましのつもりが、もっと酔いが回ってしまったのだろうか。
だとしたらこの子にも子供達と同じく早めに寝てもらったほうがいいだろう。
「リーヴ、答えは今じゃなくていいから、そろそろ寝……」
「……っティカと!」
「え?」
「ティカと、出かけたい」
「…………お出かけ? 私と?」
思わず自分を指差すと、リーヴは顔を赤くしたままこくこくと何度も頷いた。
お出かけ、と内心で反芻して、なんだそんなこと、と思わず笑う。
「じゃあクロムレックの予定も合わせなくちゃね。子供達も行きたがるだろうから、久々にピクニックでも……」
「そ、うじゃなくて!」
私に皆まで言わせず、リーヴが私の手を取って握り締める。
彼の手は、おそらく緊張のあまり、冷たくひんやりしていた。
「俺と、ティカだけで。二人きりで、その、ちょっと遠出して、町とかに、出かけたくて」
「……ええと、でも、私と出かけても大して楽しくないと思うけれど?」
「そんなことない。俺は、ティカとがいい」
念を押すように告げるリーヴの、私の手を握り締める手は震えていた。
二人でお出かけ、お出かけか。
一応私は魔王という立場にあるわけで、そうそう簡単に出歩けないし、加えてリーヴのご要望はこのホッドミミルの森を越えた先の町にあるというのならば、ますますちょいとばかり難しくなる、の、だけれども。
「――――クロムレックに、頑張って許可を取るわ」
「……いいのか?」
「あなたの成人祝いだもの。叶えてあげなくちゃ、魔王の名が廃るわ」
まあ雷の一つや二つは覚悟しなくてはならないだろうけれど、そこは黙っておくことにしよう。
なにせ、リーヴが、あまりにも嬉しそうに、本当に珍しく、花がほころぶような笑みを浮かべてくれたのだから。
……それにしても、成人祝いに魔王に望むのが、ただのお出かけって、やっぱりもう少しこの子は欲深になってもいいのではないかなぁ、なんて思うなどした夜であった。