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5 魔王様、決意する

時の流れとは本当に早いもので、リーヴがホッドミミルの森にやってきてから、五年もの月日が流れた。


長い寿命を持つ私達魔族にとっては大して気に留めるような年月ではなくても、人間であるリーヴにとってはそうではない。

せいぜい私の腰の高さくらいの背丈しかなかった、やせぎすの小さな少年は、気付けばその身長を私と同じ目線になるくらいまで伸ばした。

しかもまだまだ成長途中らしく、日夜成長痛に悩まされているらしい。これが人間の成長か……と世界の不思議をまた一つ知ったような気分になった。


リーヴの変化は、当然身長ばかりではない。

すっかり肉付きもよくなって、生来持ち合わせていた美貌が、いよいよ花開くことになった。


リーヴのことを『かわいい末っ子』だと言って猫かわいがりする魔族の子供達のご要望で伸ばされた髪は、ほうき星のようなきらめく銀色。

紫電の瞳は宝石のように鮮やかに輝き、白い肌は陶器のように滑らかときたものである。

自他ともに認める美貌を誇るどんな魔族にも引けを取らないに違いない……というのは、彼の育て親としての欲目だろうか。


口数も、おそらくは平均よりは少ないだろうけれども、それでも普通にやりとりするには十分すぎるくらいには増えたし、積極的に魔族の『お兄ちゃん、お姉ちゃん』達のお世話も手伝ってくれるようになった。


実年齢はリーヴの数十倍である子供達は、もうすっかりリーヴに肉体年齢と精神年齢を追い抜かされているのに、それでも子供達にとってはいつまで経ってもリーヴは『かわいい末っ子の弟』らしい。

なんやかんやと子供達が、自分達よりもずっと大きいリーヴの世話を焼こうとする姿は、いつ見てもかわいらしく微笑ましい。


リーヴも、十歳ごろに一度それに反抗しようとしていたけれど、リーヴに拒絶された子供達が、いまだかつてなく号泣したことで、すっかり反抗を諦めたようだった。

気持ちは解る。

私も、数多くいる子供達全員にそれぞれ「りーぶがぁ!」「りーぶが、りーぶがやだって!」「わ、わたちたち、りーぶのことだいすきなのに!」と口々に泣きながら訴えかけられたときには、子供達をなぐさめつつも笑いをこらえるのに忙しく、それはそれは大変だった。


結局どうなったかというと、リーヴが根負けするより他はなかったのだ。


そりゃそうだろう。

いくら拒絶しても、「りーぶ」「りーぶ」と口々に呼んで、事あるごとに世話を焼こうとし、遊びに誘おうとしながら、懸命にリーヴの気を引こうとする『お兄ちゃん、お姉ちゃん』達の気持ちをいつまでも無視できるほど、彼は意地悪にはなれなかったのだから。


――ごめん、兄さん、姉さん達。

――俺も、兄さんや姉さん達のこと、その、ちゃんと、大好き、だから。


今でもまざまざと思い出せる。

いよいよ限界が来て泣きじゃくり始めた子供達を前にして、白皙の顔を真っ赤にして、リーヴがそう頭を下げたあの日のことを。

子供達はぽかんとしていたけれど、すぐにわっと歓声を上げて、一斉にリーヴに飛びつき、彼のことをもみくちゃに圧し潰していた。


――りーぶ、ぼくもだいすきだよ!

――おれも!

――あたくしも!

――わたしもー!!

――リーヴはぼくらのかわいいおとーとだもん!!


次から次へと自分も自分もと主張しながら、自分よりもずっと大きくなったリーヴを撫でまわす子供達も、髪の毛をぐちゃぐちゃにされながらもとうとう笑ってしまっていたリーヴも、それはもうとてもかわいらしかった。

あまりにも尊い光景に目頭を押さえたら、横にいたクロムレックにハンカチを差し出された。ちなみにそのクロムレックですらもぐすんと鼻を鳴らしていたので、つくづく子供とは偉大だなぁと思わされた……なんていうのは余談である。


そんな感じで円満な子育て真っ最中の私は、現在、子供達をリーヴに任せて、夕食の準備中である。


魔族は“魔族”という種の中に、さらに多岐にわたる多種多様な種族が存在していて、それぞれ好む食事も異なる。

極端な例を挙げれば、草食主義と肉食主義。

さすがに同じ献立を用意するわけにはいかないので、中間をとってどちらも食べられる料理とは別に、それぞれが好むものも日々作り置きして食卓に並べるのが日常だ。


今夜の主菜は誰でも食べられるごった煮シチュー。

副菜にはそれぞれの好みに合わせたものをいくつか用意、ついでに苦手なものにも挑戦した子にはごほうびの甘い果物も用意した。


「みんな、どんどん食べられるものも増えていくし、そもそも食べる量そのものが増えていっているのよねぇ……」


これが成長というものであるならば、私は喜んでいくらでも食事の準備をさせていただく所存である。

さて、そろそろシチューもほどよく煮えた頃合いだ。小皿にちょいと取り分けて、味見のために口に運ぶ。

うーん、少し薄味すぎるだろうか。子供達はどちらかというと濃い味を好む子が多いから、もう少し塩と香辛料を……と、棚に手を伸ばしたちょうどその時、背後から「ティカ」と呼びかけられた。


おや、この声。


振り返るまでもないので、香辛料をくつくつと現在進行形で煮込まれているシチュー鍋に追加しながら、「なぁに、リーヴ」と彼の名前を呼んだ。


「夕食はあともう少しでできるから、悪いけれどもう少し待ってくれるかしら? それとも、他の子達がもう我慢できなさそう?」

「……ルガル兄さんと、ラクネ姉さんが、そろそろ限界」

「あらぁ、やっぱりそうよね、急がなくちゃ」


子供達の中で、それぞれ食いしん坊ぶりが評判の、ワーウルフの少年とアラクネの少女の名前を挙げつつ厨房に入ってきたのが誰なのかなんて、振り返らなくても解る。

やはりリーヴだ。

おそらく、ではなく確実に、子供達にせっつかれてここにやってきたのだろう。

「おなかすいた!」「りーぶ、てぃかちゃまに聞いてきて!」とでも言われながら追い立てられたに違いない。


リーヴのことをよくも悪くも『末っ子』扱いするのが、最近特に顕著だ。


甘やかしたり使いっぱしりにしたり、子供達はどこまでも自由で、それに対して文句を言うこともなくされるがまま、言われるがままになっているリーヴのことが、時折心配になったりもする。

まあリーヴ自身は子供達から向けられる一切の邪念がない愛情を疑っている様子はないのは、そこだけは安心してはいる、のだけれども。


「リーヴ、よかったらあなたも味見を……って…………」


小皿に一口分のシチューを取り分けてようやく振り返った私は、ぱちん、と大きく瞬いてから、しばし沈黙した。

じいとそちら、もといリーヴを見つめると、彼の紫電の瞳がそっと伏せられる。

やはりあまり感情がそのかんばせに現れない子だけれど、今の彼は、確かな気恥ずかしさを感じているようで、そのいつもは白い頬がうっすらと赤い。

それもそうだろう。


「ふふ、ふふふふっ」

「……笑うな」

「ご、ごめんなさいね、馬鹿にしてるわけじゃないの。ただ、とっても似合っていると思って」

「…………」


今日も精巧な人形のような無表情だけれど、確かにむすっと不満をにじませた顔で、リーヴは私のことを恨めしげに……そう、確かにそこに『恨めしい』という意思を宿して、じっとりとにらみ付けてきた。

感情を表に出すのがあまりにも不得手だった彼がここまで成長してくれたことを嬉しく思いつつ、しげしげとその姿を見遣る。


「その髪は、花はアルネやシシリー達からで……その器用さだもの、編み込んだのはラクネやリンゴン達あたりかしら?」

「……」


こくり、と無言の頷きが返ってくる。あらあら、と私はまた笑った。


現在肩よりも少し長めのところまで伸ばされているリーヴの銀髪には、色とりどりの花々が編み込まれている。

花を用意したのは植物系の魔族の子供達、実際にリーヴを飾り立てたのは手先が器用な子供達だろうという私の見立ては正解であったようだ。


なんともまあ素敵な出来栄え、百点満点の仕上がりである。


「兄さんも姉さんも、みんな、ティカに見せてこいって……」

「そうね、とっても似合っているもの。あとでいっぱい褒めてあげなくちゃ」


笑いまじりにそう続けると、リーヴは実に複雑そうな表情になった。

このくらいの年齢の人間の男の子にとっては、どうやら本意ではない姿らしい。

それでもなお、実年齢はおいておいて、肉体年齢、精神年齢はとうに追い越してしまった他の子供達に付き合ってくれているこの少年の忍耐強さは賞賛に値する。


リーヴは本当に、とっても偉くて、とってもすごくて、とっても素敵な、本当によいこなのだ。


「本当にとても綺麗よ、リーヴ。ふふふ、子供達の最高傑作ね」

「……ティカのほうが、ずっと…………」

「うん?」

「…………なんでも、ない」


小さな声で何かをつぶやいたらしいリーヴの声が聞き取れず、首を傾げて促してみても、彼はふるりとかぶりを振ってそのまま黙ってしまった。


ああ、やってしまった。

リーヴのこういうところを、今まで何度歯がゆく思ったことだろう。

すぐに自分の主張を諦めてしまうこの子のことが、やっぱり私はまだまだ心配でたまらない。


子供達からめいっぱい愛されている『末っ子』が、もっと素直に甘えられるようになるくらいに、私自身がもっと頼りがいのある大人にならなくてはならない、とは、解っているのだけれど、それがさっさとできたら苦労はしない。


先日その件も含めてリーヴについて相談したところ、クロムレックは当初「いまさら……?」とニガヨモギをこれでもかと口に詰め込んだような顔をして、「魔王様は……まあ、魔王様ですから……」と言葉を濁した挙句、最終的には「まあ本人にそう伝えればいいのではないですか? やめておいたほうがいいとは思いますけれど、魔王様がそうすべきと思われるならば私は何も言いません。その代わり、その後のことには私も責任を持ちませんから」となぜかなんとも不穏な言い回しを強調していた。


なぜ。私は何かまずいことを言っただろうか。

いまだにその答えの意味が解らないまま、今日も私は、その『クロムレックと話し合った件』について、どうリーヴに切り出したらいいのか解らないままでいる。


「……ティカ? どうしたんだ?」

「…………ううん、なんでも……」

「ない、ことはないってことくらい、俺だって解る。何か、悩んでいるんだろう?」

「……ええと、その」

「…………俺じゃ、頼りにならない?」


ああああ、もう、どうしてこんなにも無表情なのに、その頭にぺたんと垂れた愛らしい子犬の耳が見えるのだろう? この子、ワーウルフの血でも混ざっているのだろうか?

そんな馬鹿な、という話である。


この子がここにやってきてからの五年間は、あっという間の五年間だった。

最初はなかなか読めなかったほんのわずかな表情の変化やまとう雰囲気の変化も、だいぶ読み取れるようになった。


ふかふかの真綿が際限なく水を吸収するように、知識も魔術も体術もどんどん覚えて続け、これからもその秘めたる可能性は無限大の子供だ。

魔族の中でも魔術の腕前には自他ともに覚えのあるクロムレックや、前線に送られるには年嵩すぎてその災禍を逃れることができたわずかな老齢の魔族達が舌を巻くくらいには、この子はありとあらゆる面で優秀だった。


この地で暮らし始めたばかりのころは、子供達のあとをついて回る……というか、手をぎゅと握られて振り回されるばかりだったくせに、今となっては逆に、そうとは気付かれないように子供達の手綱を握り、子供達のお世話を進んで手伝ってくれている。


人間の成長というものが、こんなにも早いだなんて、知らなかった。


「もちろん、頼りにしているわ。いつもありがとう、リーヴ」

「……うん」


リーヴのもとに歩み寄って、その髪を飾る花を崩さないように気を付けながらそっと頭を撫でる。

リーヴは嫌がることもなく、ほんのりと顔を赤らめて、小さく頷いてくれた。

五年前は腰を折って視線を合わせてから頭を撫でていたのに、今では少しだけ首を傾けるだけで視線が合うようになった。


そうか、もうこの子は、こんなにも背が高くなったのか。

こんなにも、大きくなったのだ。


「ねえ、リーヴ」

「……なに」

「今夜、私の部屋に来てくれるかしら。他の子供達が寝てからね。話したいことがあるの」

「…………話したいこと?」

「ええ、みんなが眠ってからね」


いいかしら? と首を傾げてみせると、リーヴはなぜか先ほどよりももっと顔を赤くして、こっくり、と深く頷いてくれた。


ありがとう、とお礼を言う私の顔は、うまく笑えていただろうか。

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