21 五十年の重み
「あ――――――――――!!」
そう、そのまま口付けをするはずだったのだけれど、そんな私とリーヴの間に、大きな歓声が割り込んでくる。
反射的にリーヴを突き飛ばすようにして距離を取る私と、私に突き飛ばされてなんとも不満そうな顔をするリーヴのもとに、何人もの、ちょうど十歳くらいの子供達が駆け寄ってくる。
「ティカ様!」
「ティカ様だ!」
「お目覚めになられたんだね!!」
「おはようティカ様!」
「ティカ様ぁ、会いたかったよぅ!」
次から次へとユグドラシルの“寝室”に飛び込んできて、わっちゃわっちゃと私のことをもみくちゃにする子供達。
きゃああ、と悲鳴のような歓声を上げつつ、私は全員をそれぞれぎゅうぎゅうと抱き締め返す。
「本当に、みんな、大きくなって……」
私が育てていた子供達は、リーヴの言う通りの五十年前は、せいぜい四歳か五歳くらいの肉体年齢だったのに。
ああそれでも、誰が誰なのかすぐに解る。解らないはずがない。
確かめるようにその名前を一つずつ、噛み締めるように呼びながら、改めて一人ずつ、全力で抱き締める。
「私のかわいい子供達、とっても素敵な紳士と淑女になったわね。さすが私の自慢の子供達……ってああもう、本当に悔しいわ! その成長をそばで見守れなかっただなんて!!」
両腕で子供達をひとまとめに改めて抱き締めると、子供達はきゃらきゃらと笑って「これからは一緒なんだから大丈夫だよ!」「そうだよ、ずーっと一緒!」とまあなんとも嬉しいことを言ってくれる。
つくづく、なんてかわいい子供達なんだろう。
そのままもっともっと子供達を抱き締めていたかったけれど、成長して少しずつ大人の階段を登り始めた子供達は目覚めたばかりの私を気遣うようにそれぞれちゅっと頬に口付けをしてくれてから、そろいもそろってにんまりと笑って、事の次第を見守るばかりでいたリーヴへと視線を向けた。
「リーヴ、よかったねぇ」
「やっとだもんね」
「ティカ様がちょうど起きてくれてよかったね、リーヴ、困ってたもんね!」
「ティカ様がお相手なら、だーれも文句言わないし、言えるはずがないからな!」
口々に「よかったね」と子供達にリーヴは祝福されている。
一体何の話だろう、と私が首を傾げると、リーヴは顔を赤らめてごほん、と咳払いした。
「……兄さん、姉さん達。その話はティカにはしていないから、まだ……」
「えー! まだしてないの!?」
「もう明後日の話なのに!?」
「だめよぅリーヴ、外堀は早めに埋めなくちゃ!」
ねー! と声をそろえて頷き合う子供達に対し、リーヴの顔はとうとう真っ赤になってしまった。
ええと、だから何の話だと言うのだろう。何か私が必要な用事がある、ということだろうか。
五十年もの間寝こけていた私ができることなんて数えるほどにもないと思うのだけれど……と、真っ赤なリーヴとにやにや笑う子供達の顔を見比べていると、パンパン! と軽やかな手拍子が耳朶を打った。
その音にわっと子供達が“寝室”から飛び出して、私もリーヴに支えられながらその後に続く。
そうしてそこに立っていた人物に、私は無意識に安堵の溜息を吐き出した。
「……クロムレック」
「はい。無事にお目覚めになられて何よりです、我らが魔王陛下」
五十年前と何一つ変わらない、黒兎の頭に赤い瞳、片目のモノクル、長身にまとう黒の燕尾服。
優雅な所作で私に一礼を決めてくれた護衛兼側近の姿に素直に感動しながらも、私は周囲に広がる光景に一気に意識をさらわれた。
「森が……」
思わずこぼした声は、無意識のものだった。
そう、年がら年中赤く紅葉していた、“燃える森”とすら呼ばれていたホッドミミルの森の木々は、今や見事な、瑞々しい緑葉で覆われている。
あたたかな陽の光を照り返す美しい翠緑の光景に息を呑むと、クロムレックがモノクルをちょいと持ち上げて、訳知り顔で頷いてくる。
「ユグドラシルを介して、魔王様の魔力が森全体にいきわたったことで、森の木々もまた最盛期を取り戻したようです。自らのもっとも力強く美しき姿を、魔王様に見せたかったのかもしれませんね」
「……あなたにしては、随分と詩的なことを言ってくれるものね」
「私とて無茶をした小娘をねぎらうことくらいありますよ。……お疲れ様でございました、魔王様。再び相まみえることが叶ったこと、心より嬉しく思っております」
「…………ええ、私も……リーヴ?」
クロムレックの言葉についつい涙ぐみつつ頷きを返そうとしたら、なぜかリーヴに引き寄せられ、その胸に寄り添うようにがっちりと拘束されてしまった。
おやおや? とその顔を見上げると、なんとも悔しそうな顔をして、リーヴはクロムレックのことをにらみ付けている。
子供達はにやにやにんまりにっこにことリーヴの様子を見守っているし……ええと、なんなのだろうこれは。
そう戸惑う私をよそに、「さて」とクロムレックは口火を切る。
「何はともあれ、このタイミングで魔王様がお目覚めになられたのは僥倖でございました。リーヴ、あなたの裁可が必要な案件がたまっていますから、明日までに片付けなさい。明後日には必ずあなたが出席しなくてはならないのですからね」
「……で、も。やっとティカが……」
「その魔王様のためです。悪いようにはしませんから、さっさと行けや小僧」
クロムレックの口からさらりと乱暴な発言が出たことに、正直驚いた。
普段は努めて丁寧な所作を心がけている彼だけれど、一昔前はブイブイ言わせていたのだと、クロムレックよりもさらに年嵩の魔族にこっそり教えられたことがあるのを思い出した。
そんなクロムレックの本性を当たり前のように見せ付けてもらっているリーヴは、どうやらこの五十年もの間に随分仲良くなったようだ。
仲良きことは美しきかな。
……別に、ちょっとさびしいだなんて思っていないので、誤解はしないでいただきたい。
クロムレックに容赦なく促され、いかにも名残惜しそうにリーヴが私から離れていく。
けれどそれでもまだ物足りないのか、リーヴは私の手を持ち上げて、その甲にそっと口付けを落としてくれた。
ひゃっとその場で飛び上がる私に、リーヴは小さく笑って「必ず、また後で」と言い残して、屋敷の方へと去っていった。
ど、どこでこんなこと覚えたのあの子……! とおののく私の周りで、子供達が「仲良しだねぇ」「ラブラブだねぇ」「リーヴにしてはだいぶ我慢してるほうだよな」「ティカ様、これからすっごく大変ね!」といかにも不穏な会話を繰り広げている。
え、なにそれこわい。
これ以上何があるというのだろう。
今後私はどうなってしまうのか……と震え上がる私の肩に、ぽん、とクロムレックの手が乗せられる。
反射的に姿勢を正すと、クロムレックは五十年前と何も変わらない様子で、「魔王様」とやけに神妙な口ぶりで私の顔を覗き込んできた。
「明後日、夜会が開かれます。魔王様にはリーヴのパートナーとして出席していただくので、今日と明日はその準備のためにお覚悟を」
「え、ええええ? 夜会? 覚悟? なんのための?」
「魔族、人間族、エルフ族、ドワーフ族の間で結ばれた、永久友好平和条約締結を祝う祝賀会です」
「…………………………はあ!?」
ちょっと待った待った待った待った。なにそれなんだそれ。
魔族に人間族にエルフ族にドワーフ族だなんて、それはもう全種族にわたる話ではないか。
私が眠る直前まで魔族と人間族は戦争をしていたし、他種族を排斥しがちなエルフ族とドワーフ族がわざわざ今後を見据えた和睦に参加するとも思えない。
えっ、なに、私、まだ寝ぼけてる……? と自分の耳と頭が信じられなくなっていると、子供達がわっと私の周りに集まってきた。
「あのねぇあのねぇ、リーヴが頑張ったんだよ!」
「ティカ様がお眠りになられてから、もうティカ様が悲しまれることがないように、リーヴが人間にもエルフにもドワーフにも、何度も平和条約を結ぼうって呼びかけたんだ」
「リーヴはね、“勇者ロキ”としてじゃなくて、“ただのリーヴ”として、すごく頑張ったのよ」
「全部、ティカ様のためなの」
「だからそのお祝いが明後日なんだ」
「夜会にはパートナーが必要でしょう? リーヴは人間にもエルフにもドワーフにもモテモテだから、誰がお相手になるかすっごくもめてたんだけど、ティカ様がいるなら、ティカ様以外にはあり得ないよね」
「そうそう、だってリーヴはティカ様の伴侶なんだから!」
……多い。あまりにも情報量が多すぎる。
私が寝ている間にそんなことになっていたのか。
たった五十年と呼ぶべきか、長すぎる五十年と呼ぶべきか。
リーヴが奔走してくれた末に結ばれた条約ならば、疑う余地はないだろう。
私が知る五十年前は、魔族はその数がもっとも少ない、数で攻め込まれたらだいぶ苦しくなる、言ってしまえば最弱と呼んでも過言ではない種族だった。
けれどリーヴが魔族として……いいや、私達の家族として、その才覚を発揮したと言うならば、もしかしてもしかしなくても、条約が無事に締結したと考えるに何の不思議もない。
クロムレックとのやり取りから察するに、クロムレックももちろん協力したのだろうし、他の魔族達もそうだろう。なにせ魔族は口がうまいのが売りでもあるので。
ええと、それで、その祝賀会において、私が条約締結の立役者であるリーヴのパートナー……ということに…………。
「ちょっと待って、寝起きの私にいきなりそんなことさせる!?」
いきなりとんでもない難題を押し付けられた気がするのは決して気のせいではない。
それれなのに子供達は「当たり前でしょ」とうんうんとそろいもそろって頷いているし、クロムレックに至っては「寝こけていた分、それくらいは働きなさい」と厳しい言葉をプレゼントしてくれる。
私の味方はどこにもいない。
つまりあれか、今日明日で、私はこの五十年間の情勢を把握し、さらに夜会のための衣装合わせもしなくてはならないと、そういうことか。
「…………もう三日くらい寝ててもいいかしら」
思わず呟いたその台詞に、子供達が一斉に「だめ――――ッ!!」と叫んだのは、言うまでもないことだろう。




