20 魔王様、目覚める
――――――――――そうして、長い長い夢が覚める。
「……んん、ん?」
もぞ、と手足を動かしてみる。あちこちがバキバキに固まっているけれど、無理をしなければ動かない、というほどでもない。
くわあ、と大きなあくびを一つして、私はむくりと上半身を起こした。
ええと、ここはどこだ……と眠る直前のことを思い出して、ああ、と嘆息する。
そうだ、私は火が放たれたユグドラシルを守るために、ユグドラシルと同化し、長い眠りに就いていたのだった。
ここはユグドラシルの根元の、“寝室”と呼ばれる中心機構だ。
いったいどれだけ私は眠っていたのだろう、と思いつつ周りを見回して、ぱちん、と目を瞬かせる。
私の周りに、ありとあらゆる花々が飾られている。
色とりどりの花弁、匂い立つ香り、何もかもが美しくて今度は感嘆の溜息を吐き出した、そのときだ。
「……ティカ?」
不意に名前を呼ばれて、そちらを見た。
開かれた“寝室”の向こうで、一人の青年が立ち竦んでいる。
長く伸ばされた、まるでほうき星のような銀の髪。鮮やかに輝く紫電の瞳。
記憶にあるそれよりももっと大人びた、二十代後半にようやくさしかかったと思われる、とびきり綺麗な白皙の美貌。
まさか、と思うよりも先に、青年はその腕いっぱいに抱えていた花々をその場に取り落とし、そのまま“寝室”に飛び込んできたかと思うと、力の限り私のことを抱き締めてきた。
「ティカ、ティカ……ッ! やっと、やっと目覚めてくれた……!」
歓喜に震える声音には、涙が混じっていた。
ああ私はまたこの子を泣かせてしまうのねぇ、と思いつつ、彼――リーヴの背に、自分の両腕をそっと回して抱き締め返す。
「おはよう、リーヴ」
「ああ、ああ。おは、よう、ティカ……ッ!」
記憶の中の声よりも幾分か低くなった声。
それでもなお、私の名前を呼ぶその響きは変わらない。
背丈もまた随分と伸びたようで、今度こそ首を持ち上げて見上げなくてはならなくなったことに素直に感動する。
「……いい男になっちゃったわねぇ。あなたのその成長ぶりを見ると、私が寝ていたのは十年くらい、といったところかしら?」
本当は私だって泣き出したくなるくらい嬉しくてたまらない。だって、もしかしたらもう二度と会えないかもしれないと覚悟していたから。
ああ、でも、よかった。本当によかった。また、会えた。
人間であるリーヴの寿命に間に合える保証なんてどこにもなかったけれど、我らが母なる大樹は、私の願いを叶えてくれたらしい……と、私が心からの安堵を込めて笑ったというのに、リーヴはなぜか、なんとも気まずそうな顔になった。
えっ久々の再会でそんな顔する? と聞きたくなるような顔である。
どうかしたのかと視線で問いかけると、リーヴはなおも私のことを抱き締めながら、「その」と口火を切った。
「五十年」
「……え?」
「五十年、なんだ。ティカが、眠っていたのは」
「…………ええええ?」
うそ、と唇をわななかせても、リーヴは前言を撤回してはくれなかった。
それどころか「嘘じゃない」と駄目押しまでしてくれる。
そんな馬鹿なと思えども、こんなときにリーヴが嘘や冗談を言うとは到底思えなくて、私はぽかんとまぬけ面をさらした。
「だ、だって、リーヴ、あなた、どう見ても二十代くらいじゃない……! 五十年も経っていたら、人間ならもう初老に近い年齢になっているはずでしょう?」
そうだとも、リーヴはこんなにもぴっちぴちできっらきらな美青年だ。
彼の言う通りに五十年が経過していたとしたら、いくら若々しく見えたとしても、それでもそれなりに老いを重ねた外見になるはずである。
それなのに、と、リーヴの姿をしげしげと見つめると、彼は困ったように笑った。
「ティカが、俺に、名前と命を分け与えてくれただろう」
「え、ええ」
「そのせい……じゃなくて、そのおかげなんだ」
「……どういうこと?」
なんだかとても嫌な予感がして、背筋をつうっと冷たい汗が伝っていく。
顔色が明らかに変わった私の頬をそっと撫でて、リーヴは続けた。
「魔族は、自分の肉体の最盛期に、その成長を止めるんだろう?」
「……ええ、そうよ」
だから私は、二百歳をとうに超えた今もなお、二十代前半の肉体で生きている。
でもそれはあくまでも魔族に限った話だ。
人間であるリーヴにそれが適用されるわけがない。
それなのに、どうしてこんなにも嫌な予感がどんどん確信に変わっていくのか。
「三十歳を過ぎたあたりのころだったかな。年を取らなくなっている、って気付いたのは。ティカがくれた名前と命で、俺の人間としての在り方が書き換えられたんだろうってクロムレックさんは言ってた。もともと俺の肉体と体内の魔力と生命力の構成が改造されてたことも影響したんじゃないかって。何分前例がないから今後も要観察、とも言われてるけれど。だから俺は今は六十六歳で、肉体年齢は二十代後半……ティカ?」
どうしたんだ、と問われても、答えらえなかった。こらえきれなくなった涙が、ぶわりとあふれるのを感じた。
ぼたぼたと情けなく泣き出した私に、いかにもぎょっとしたリーヴが私の顔を覗き込んでくる。
その紫電の瞳に宿る光には、戸惑いと焦り、そしてそれでもなおいまだに私が目覚めたことに対する歓喜が窺い知れて、余計に泣けて泣けて仕方ない。
「ごめ、なさい、リーヴ」
「どうして謝るんだ?」
「だって、私、あなたから、人間としての人生を、奪ってしまった……!」
定められた寿命を捻じ曲げられ、それでもなお私に笑いかけてくれる彼に、どんな謝罪をすれば許されるだろう。
短いからこそ星の瞬きのように輝く人間の寿命。
それを私は、そんなつもりがなかったとはいえ、リーヴから奪ってしまったのだ。
ユグドラシルに同化する直前、「待っていて」と言ったけれど、本当は待ってくれなくてもよかったのだ。
私を忘れないでいてくれれば、それで、それだけで――――!
「ティカ」
「ごめ、なさ、リー……ッ!?」
そっと名前を呼ばれて、謝罪を繰り返そうとした私のまなじりに、リーヴの唇が寄せられた。
そのまま涙をすすられて、ぼったぼったととめどなくこぼれ落ちていた涙が音を立てて引っ込んだ。
硬直する私に、リーヴは私の知らない、いたずらげな笑みをにやりと浮かべて、またぎゅうぎゅうと私を抱き締める。
「謝らないで。むしろ俺は、お礼を言いたいんだ」
「ど、して」
「だって、こういう身体になったからこそ、俺はこの姿のままでティカを待ち続けることができたのだから。俺が生きているうちにティカが目覚めてくれたとしても、俺だけ年老いた姿だったら、綺麗なティカに釣り合わないから」
「……あなただったら、年を重ねても、素敵な殿方になると思うけれど?」
「ありがとう。でも俺は、ティカと釣り合う年齢の身体がよかったんだ。だから、これで……いいや、これ『が』いいんだ」
そう言ってリーヴは、信じられないくらいに綺麗に笑った。
その笑顔を見たら、もう何も言えなくなってしまって、私は涙をこらえて笑い返すことしかできなくなる。
私の涙にぬれた頬を、リーヴの手がそっとなぞっていく。
相手は確かにリーヴなのに、まるで知らない男の人のようにも見えて、生まれて初めてどきまぎとしてしまう。
まずい、これは確実に、顔が赤くなっている。
けれどそんなことはお構いなしに、リーヴの顔が近付いてきて、ああこれは口付けをされるな、と他人事のように思って、けれど拒絶する気にはなれなくて、私もそそっと目を閉じ――――……。




