18 ラブレターは突然に
ティカへ。
この手紙をティカが読んでいるということは、俺はもうホッドミミルの森にいないということだと思う。
俺がいなくなったことを、ティカはきっと悲しんでくれるんだろう。
恋愛対象としてではなく、庇護すべき子供としてとしか見られていなかった俺がいきなりいなくなったら、兄さんや姉さん達と同じように、ティカは後悔してくれるに違いないってことは、俺だって解っている。
その後悔が、俺が望む後悔であってくれたらいいのに、なんていうのは、間違いなく俺のわがままだ。
初めて出会ったときから、ずっと、ティカは俺にとって親なんかじゃなくて、一人の女性だった。
覚えているかな。
九年前、俺がホッドミミルの森に逃げ込んだとき、ティカが俺を見つけてくれた。あのとき俺は、ティカに、「殺してくれ」と頼んだことを。
あのとき俺は、俺が討伐したはずの魔王……ティカの父親が、また復活して、俺に復讐しに来たんだと思った。
ティカは嫌がるだろうけれど、本当にティカは、先代魔王とそっくりだったから。
けれどティカは俺を殺すどころか、生きるか死ぬかの選択肢を与えてくれた上に、望むことすらおこがましかった生を、命を、俺に与えてくれた。
“ロキ”ではなくて、“リーヴ”という、新しい人生を与えてくれたこと、どれだけ感謝してもしきれない。
それからは、夢のような日々だった。
魔族だとか人間だとか関係なく、兄さんや姉さんがいて、誰もが家族で、本当に幸せな日々だった。
そうやって月日を数えるたびに、俺はティカに惹かれていった。
正確には初めて会ったときに一目惚れをしたようなものだったのだけれど、その想いは日に日に強くなっていった。
ティカが俺のことを養い子の一人としか見ていないことくらい、もちろん解っていた。
だから俺は早く大人になりたくて、けれど同時に、成長していくことが少しだけ怖かった。
俺の背丈がどれだけ伸びても、ティカも、兄さん達も姉さん達も、ほとんど何も変わらない。生きる時間が違うのだと事あるごとに思い知って、それでも俺は、ティカのことが好きだと思う気持ちを抑えきれなかった。
困らせるって解っていたのに、どうしても諦めきれなかった。
ティカは俺のこの想いを刷り込みだと言ったけれど、刷り込みだろうとなんだろうと、俺にとっては確かにこの想いは恋だ。
こんな想いを抱くのはティカに対してだけだってこと、どうか信じてほしい。
だからこそ、この想いを胸に、俺はアースガルズに行こうと思う。
ブリュンヒルデは、アースガルズにおける、ワルキューレ部隊の一人だそうだ。
もうすぐ人間側が仕掛けようとしている戦争における斥候として、ホッドミミルの森にやってきたんだって、自分から自慢げに語ってくれたよ。
“勇者ロキ”として一緒にアースガルズに帰還しようと誘われた。そうして、今度こそ魔族を殲滅しようと。
笑えない冗談だ。
俺の愛するひとを、俺の愛する家族を、アースガルズは俺自身に壊させようとしているだなんて、あまりにも下手な筋書きだ。
だからこそ、俺はそれを利用しようと思う。
ブリュンヒルデととも“勇者ロキ”としてアースガルズに赴いて、アースガルズ軍を俺こそが壊滅に追い込んでみせる。
幸いなことに、幼い頃の肉体改造や魔導改造は、今でもその気になれば発動できるし、魔族のみんなに鍛えてもらったおかげで、自慢ではないけれど、俺はラグナロクのときよりももっとずっと強くなったから。
だから、大丈夫。ティカ、どうか心配しないで。
きみの憂いは、必ず俺がすべて晴らしてみせる。たとえ代償にこの命を散らすことになったとしても、俺は何一つ後悔なんてしない。
ただティカが、これからも穏やかに笑って暮らせる世界にするために、俺は俺のすべてを懸ける。
ティカがくれた“リーヴ”という名前は、俺の宝物だ。
この名前さえあれば、俺はなんだってできる。
俺に生きる意味を与えてくれてありがとう。ティカ、俺の最愛。
俺がいなくても、きみがこれからも笑ってくれますように……なんて言うのは、きっと俺の願望なのだろうけれど、たまには思い出してくれたら、それだけで俺は“リーヴ”として生きた意味がある。
ありがとう、ティカ。いくら感謝してもしたりない。
愛してる、って言ったら、きっときみはもっと困るのだろうけれど、最後だから言わせてほしい。
俺、リーヴは、ティカを心から愛しています。誰よりも何よりも。
きみの幸せを、誰よりも何よりもこいねがう。
さようなら、愛してる。
心からの愛と、感謝を込めて。
***
ぐしゃ、と。両手で持っていた便箋が、力を入れすぎたせいで思い切りしわになった。
ついでに瞳からこぼれ落ちる涙が止まらなくなって、便箋につづられた文字の上に落ちて、インクがじわりとにじんでいく。
「ティカしゃま?」
「どうしたの? りーぶに、お手紙でおこられたの?」
「い、え。違うわ。違うの、そうじゃない、のよ」
情けなくぼたぼたと涙を流す私の目の前に、白いハンカチが差し出される。クロムレックだ。
遠慮なくそれを受け取って、ごしごしと力任せに顔をぬぐう。
自分の目も鼻も頬も、これ以上ないくらいに真っ赤になっているのが鏡を見なくても解る。
何よ、これ。
こんな熱烈な恋文を最後に残していくなんて、リーヴときたら、いったいどこでこんな真似を覚えたのやら。
悔しくて、切なくて、嬉しいと素直に喜ぶのはあまりにも腹立たしくて、ぐしゃりと握り締めた便箋はもうしわくちゃだ。
そうしてぎゅっと唇を噛み締めた私に肩を竦めたクロムレックのもとに、彼の使い魔である三本脚のカラスがやってくる。
カラスにぼそぼそと耳打ちされ、クロムレックは「さて」と口火を切った。
「いよいよ開戦のようです。リーヴが一人、最前線でアースガルズ軍を相手取っているそうですよ。さあ魔王様、どうなさいますか?」
意地悪な問いかけだ。
どうするも何もない。
私がここですべきことは、ただ一つ。
私がしたいことは、もう決まり切っている。
「リーヴを迎えに行くわ。我々魔族軍も、全軍前線へ……」
「あたちも!」
「ぼくも!」
「おれも!」
「あたくしたちもりーぶのこと助けにいくー!!」
「わたしもー!」
私が皆まで言う前に、子供達が我先にと争って挙手し、自分もついていくと主張し始める。
いくらなんでもそれはいかなるものか、と悩んだのは、ほんのわずかな間のことだった。
だってリーヴは、この子達にとって『かわいい末っ子の弟』なのだから。『お兄ちゃん、お姉ちゃん』達が弟を助けに行くのに、理由なんて必要ない。当たり前のことなのだ。
「ええ、そうね。みんなで、リーヴを迎えにいきましょう」
私のその言葉に、子供達がきゃー! と歓声を上げる。種族の滅亡をかけた戦争を前にこれでいいのかと思わなくもないけれど、不思議と負ける気はしない。
先のラグナログでは子供達のお世話係にすぎなかった私も、全力を出すときが来たようだ。
意識を集中し、全身を使って魔力を練り上げる。
錬成された魔力は、そのまま私の背に、巨大な漆黒の羽となって現れた。
六対の羽はそれぞれ、三対の鳥の翼に加えて、龍の翼、蝶の翅、蜻蛉の翅だ。それらはごうごうと魔力を取り巻きながら、私の背から伸びあがる。
「みんな、準備はいい? クロムレック、フォローは任せたわ」
「御意に」
クロムレックが優雅に一礼するとともに、私は六対の羽をはためかせた。
まとわりつく魔力が子供達をも包み込み、そのまま子供達も宙に浮く。
クロムレックが自らの飛行術で引率してくれるのに従って、その後を追って子供達ととも空へと舞い上がる。
そうしていくばくもしない内に、私達は戦場へと辿り着いた。