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15 末っ子はもう子供じゃない

ホッドミミルの森に、侵入者が現れてから数日後。

私は広い屋敷を一人歩きながら、深く溜息を吐き出した。


侵入者がホッドミミルの森に現れたということは、いよいよ人間側が、魔族の殲滅に本腰を入れようとしているということに表れだろう。

戦力差は歴然としているけれど、大人しく滅ぼされてやる気など私達には毛頭ない。なにせ、私達魔族の多くは、もはや幼い子供達ばかりなのだから。


酸いも甘いもかみ分けたおじいさんやおばあさんばかりならばともかく、まだまだ前途有望な、輝かしい未来が待っている子供達まで巻き込んで戦争をする気なんて、私はこれっぽっちも持ち合わせていないのである。


「エルフ族とドワーフ族に、いよいよ頼るときが来たってことかしら……」


ラグナロクにおいては中立を保った彼らが、今回の戦において魔族側についてもらえる可能性は、正直低い。

けれどだからと言って何もせずに手をこまねいている場合ではないのだ。


とりあえず彼らが好みそうな貢ぎ物を贈って、まずはご機嫌取りから始めるべきか……とさらに溜息を吐き出して、便宜上は私の執務室という扱いになっている私室へと入る。

そして私は、あら、と思わず呟いた。


「ブリュンヒルデ嬢?」

「っ!」


予定としてはちょうど三日後、この森から故郷であるアースガルズに送り返す手筈になっている人間の美少女、ブリュンヒルデ嬢が、なぜか私の執務室にいた。


私の執務室には前時代の貴重な遺物が並んでいるけれど、それとともに、壁沿いに作り付けになった大きな本棚には、みっちりと古い書物が収められている。

なぜか焦ったような表情を浮かべているブリュンヒルデ嬢の手には、その書物の中でも特に古い、魔族の始まりに関する資料がまとめられた書物があった。


「ええと、どうしたのかしら? 読みたい書物があるなら自由に読んでくれて構わないけれど、もしかして、私に用でも……」

「っきゃああああああああああっ!」

「え」


ブリュンヒルデ嬢が時折私に向ける嫌悪のまなざしに気付いていなかったわけがないので、なるべく刺激しないように努めて穏やかに声をかけたつもりだった。

だというのに、ブリュンヒルデ嬢は、まさしく絹を裂くような悲鳴を上げて、その手に持っていた書物を私に投げつけてくる。


不意打ちに避けることもできずに、それなり以上に厚みのある書物の角がガツンッと額にぶち当たる。

いくら非力な少女の力であるとはいえ、さすがにこれはとても痛い。


呻き声を上げることすらできずに額を押さえてうずくまったそのとき、カツカツカツカツ! と急ぎ足が近付いてくる。

この足音は、と私が立ち上がるよりも先に、私のことをほとんど蹴り飛ばす勢いで押しのけたブリュンヒルデ嬢が廊下へと飛び出した。


「リーヴ様ぁ!」

「っブリュンヒルデ? 一体どうし……ティカ? どうしたんだ?」


ブリュンヒルデ嬢の悲鳴を聞きつけてやってきたらしいリーヴが、飛びついてきたブリュンヒルデ嬢をひとまずといった形で受け止め、そうしてその視線を、よろよろと立ち上がった私へと向ける。

いかにもいぶかしげな様子のリーヴに取りすがって、ブリュンヒルデ嬢は、その大粒のサファイアのような瞳から、はらはらと涙をこぼした。


「あ、あの、あの魔王が、わたくしにっ! ああ、リーヴ様、怖かった……! わたくしのために駆け付けてくださってありがとうございますぅ!」

「……ティカが、きみに?」

「はい、はい、さようにございます!」


何度も頷きながらリーヴにしなだれかかるブリュンヒルデ嬢は、どこからどう見ても可憐で儚い哀れな被害者である。

そして彼女曰く、加害者は私らしい。


ええええええええ。

声をかけただけなんですけれども。

なんなら書物をぶん投げられた私のほうがむしろ被害者である気がするんですけれども。


いやでも、うら若き無力な人間の乙女相手に、お飾りであるとはいえ魔王が声をかけたという事実だけでも、それはもう十分すぎるほど私は加害者になってしまう気もする。

うーん、二百年以上生きてきたけれど、リーヴ以外の人間とはほぼほぼ没交渉だった魔生がここに来て悔やまれる。


どういいわけしたものかな、と私が額をさすりつつ、寄り添い合うリーヴとブリュンヒルデ嬢を見つめていると、不意に、ばちんっとリーヴの紫電の瞳と視線がかみ合った。

おや? と思う間もなく、リーヴは次の瞬間、それはもう情けも容赦も遠慮もなく、自身にほとんど抱きついているようなブリュンヒルデ嬢をバリッ!! と引き剥がした。


私ばかりか、ブリュンヒルデ嬢自身も、リーヴのその行動は想定外だったのだろう。

ぽかんとする美少女を冷たく見下げて、リーヴは淡々と口を開いた。


「ティカがきみに何もするはずがない。下手な勘違いにティカを巻き込むな」

「で、でも、リーヴ様ぁ! 確かにあの魔王はわたくしに……え、ええと、その……」


その、ええと、だから、とそのまま口ごもってしまうブリュンヒルデ嬢を、リーヴはやはり冷たく見つめて、やがて「仮に」と鼻で笑った。

私の知らない、冷酷な顔だ。


「もしもティカがきみに何かをしたとしても、それはティカの責じゃない。きみが、ティカにそうさせてしまうだけの罪を犯しただけだ。ブリュンヒルデ。きみは、ティカに何をした? 場合によっては、ティカだけではなく、俺もきみのことを、決して赦さない」

「なっ!? な、なんですの、それはっ!? わた、わたくしはただ、リーヴ様のためを思って……!」

「俺のため? そう思うなら、さっさとこの森を出ていけ。予定としては三日後か。ティカに関わろうとするなら、本当なら今すぐにでも追い出してやりたいくらいだけれど」

「~~~~っ!!」


どこまでも冷たく取り付く島のないリーヴの言いぶりに、ブリュンヒルデ嬢は顔色を赤くさせたり青くさせたりと忙しく変化させ、そうして唇をかみ締めてこの場から逃げるように走り去った。


残されたのは、私とリーヴの二人きりである。


ブリュンヒルデ嬢の後ろ姿が見えなくなるまで見送る私に歩み寄ってきた、ブリュンヒルデ嬢のことなんてもうまったく頭にないらしいリーヴは、先ほどまでの冷酷な表情が嘘のような、いかにも心配そうな表情を浮かべて、私の顔を覗き込んでくる。


「大丈夫か、ティカ。その額……もしかして、ブリュンヒルデが?」

「いっ、いいえ! 私が本棚の高い位置にあった書物を取り出そうとして、手を滑らせただけよ!?」


おそらく赤くなっているのであろう私の額を見て、明らかにひそめられたリーヴの眉根に、私は慌てて何度もかぶりを振った。

ここで「ブリュンヒルデ嬢に思い切り書物を投げつけられました~~」なんて馬鹿正直に言ったらどうなるか、考えるだけでも恐ろしい。


私の答えに、リーヴはいまいち納得し切っていないようだったけれど、それ以上問い詰める気もないらしく「そうか」と頷いてくれた。

ほっと安堵の息を吐く私の、その未だに熱を持ってジンジンと痛む額に、次の瞬間、やわらかな感触が押し当てられる。


口付けられたのだと遅れて気付いて瞳を瞬かせると、リーヴは白皙の頬を赤く染めて、気恥ずかしそうに笑った。


「早く治るように、その、おまじないだ。ティカも昔からよくやってくれただろう?」

「……え、あ、ああ、そう、そうよね、そうだったわね…………」


そういえばも何もなく、他の子供達には今でもなお現在進行形でちゅっちゅっと惜しげもなく贈っているおまじないである。

リーヴに関しては、この子が十二歳だか十三歳だかになったあたりのところで、「恥ずかしいからやめてほしい」とものすごく真剣に懇願されてからというもの、すっかりご無沙汰になっていたけれど。


まさか私の方がリーヴからこのおまじないをされる日が来ようとは……って、違う違う、今考えるべきはそこではない。


そこでは、なくて。


「リーヴ」

「なんだ?」

「なんだ、じゃなくて。ブリュンヒルデ嬢に対するあの態度。あれはあまりよくないと思うわ」


いくらなんでも冷たすぎるだろう。

たった一人で魔族の森に迷い込み、頼れるのは同じ人間であるリーヴだけだろうに、そのリーヴからあんな態度を取られてしまっては、彼女は立ち直れなくなってしまうかもしれない。

まああと三日後には彼女はこの森を去ることになるのだけれども、それにしてもだ。


めっ! と人差し指をリーヴの高い位置にある鼻先に突き付けると、彼はきょとんと眼を瞬かせた。

どうして叱られているのかまったく解っていない様子である。


「なぜ? だって、ティカが実際にあの女に何かしたわけじゃないんだろう?」

「そ、それはそうだけれど、でもね、私は魔王で、あの子は人間なの。近付くだけであの子にとって私は恐怖の対象なのよ」

「それはあの女の都合だろう」

「う~~~~ん、それは、そう、そうなんだけれど……!」


びっくりするほど話が通じていない。

そりゃあ私は魔王としてはてんでお粗末なお飾りの存在だけれども、ブリュンヒルデ嬢には間違いなく恐怖の対象でしかないのに、どうしてそれだけのことにリーヴはわざわざ首を傾げるのか。

同じ人間としてあの少女を庇うべきところなんじゃないだろうか。


「リーヴ、あのね、何もかも私を基準にしなくていいのよ。ううん、しなくていい、どころか、すべきではない、と言うべきかしら。ああそうだわ、三日後、ブリュンヒルデ嬢をアースガルズに送り返すついでに、あなたも彼女についていって、少し社会勉強をしてくるのはどう?」


それはとてもいい考えのような気がした。

“勇者ロキ”としてではなく、“ただのリーヴ”として、人間社会を見てくるのは、きっとこの子にとってとてもいい経験になるだろう。


銀髪紫眼は目立つから、クロムレックにそれぞれの色を変える魔術をかけてもらって、ある程度の金子と、帰還用の魔術装置も持たせて送り出そう。

ああそうだ、それからもちろん、連絡手段としての通信魔術装置も必要だ。

もしもリーヴが今度こそそのままアースガルズで人間と一緒に暮らしたいと言い出した時にも、対応できるように。


近く来たるであろう人間と魔族の戦い。

その前にこの子は、アースガルズに送り出すべきだ。

そのほうがきっと…………。



「――――――――――ティカ」



いいはずだ、と内心で納得しようとした瞬間、ぐっと手を掴まれる。

そのまま引っ張られて、私はリーヴの両腕の中に閉じ込められてしまった。

私よりももうとっくに高くなった背丈、細いくせに綺麗で強靭な筋肉が付いた肉体相手に、魔族の中でも貧弱な私が抗えるはずもなく、ただ驚きに硬直することしかできない。


「リーヴ?」


どうしたの? という気持ちを込めてその名を呼ぶと、ぐっとさらに彼の腕の力が強くなった。

苦しいくらいの力に少しだけ身をよじると、わずかに力が緩んだけれど、それでも開放はしてもらえない。


「ティカは、何も解ってない。俺がどれだけティカのそばにいたいのか。俺がどんな気持ちで、ティカのそばにいたいと思っているのか」

「……リーヴ?」

「すきだ。好き、なんだ。ティカ」

「え、ええ? もちろん私もリーヴのことが大好きよ。当たり前で……」

「違う」

「え……?」

「違う、違うんだ。そういう意味じゃなくて、ごめん、俺はそれでも、ティカが好きなんだ」

「リーヴ……?」


苦しげに、切なげに紡がれたその言葉。

それはどういう意味なのかと問いかけたくて顔を上げると、今にも泣き出しそうな表情を浮かべたリーヴの顔がすぐ近くにあった。


思えば私は、こんな顔ばかりをこの子にさせてきたのではなかったか。


そう思わず息を呑み、目を見開いた瞬間に、もっとリーヴの顔が近付いてきて、やがてその距離が吐息すら触れ合うものになり、そうしてそのまま、私の吐息は、リーヴの唇にすべて吸い込まれた。


そう、唇を、奪われたのだ。

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