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11 勇者

え、と思う間もなく、その声の持ち主は、着こんだ大仰な甲冑のせいでがっちゃがっちゃと耳障りな音を立てながら駆け寄ってくる。

反射的にリーヴを背に庇って立つと、そいつは自らの兜を脱いで、その場にひざまずいた。


「お探し申し上げておりました、ロキ様……!」


感極まった様子で頭を下げる男は、間違いなく、先ほど広場にいたフェンリル騎士団の団員の一人だろう。

どうやら私達がカフェレストランのテラスにいた時点で、あちらからもこちらの様子が見えていたらしいと考えていいと見た。


まさか私が魔王とバレたとか? と一瞬思って、すぐにその考えを撤回する。

この男の目的は私ではなく、私の背後でおそらく真っ青になっているに違いない、私のかわいいリーヴだ。


「何を仰っているか解りかねますわ、騎士のお方。この子はリーヴ。私のかわいい養い子です」

「……美しいレディ、そのお方を保護してくださったことには感謝いたしますが、本来そのお方は……ロキ様は、あなたごときが目にすることすら叶わぬ方です。どうぞそこをおどきください。ロキ様、さあ、私と共にまいりましょう。そして今度こそ、忌まわしき魔族を殲滅していただかなくては」


この私ができる限りことを穏便に済ませようと猫撫で声で「お引き取りを」と言っているのに、騎士はそれを鼻で笑ってくれやがった。話が通じない厄介なタイプである。

うわあ、やだなぁ、と思わず顔を歪めると、そんな私の表情に鼻白んだらしい騎士は顔をひきつらせたが、気を取り直したようにゴホンと咳払いをした。


「そのお方の名前は、リーヴなどではございません。ロキ様、さあ……」

「――――違う! 俺はロキなんかじゃない、リーヴだ! ティカがくれた名前が、俺の名前だ! 俺は、俺は、リーヴなんだ!!」


私の後ろで、リーヴは血を吐くように叫ぶ。

ここでこの子が騎士の言う通りに自分は“ロキ”という名前であると認めたのならば、私は潔くこの子の手を放しただろう。


けれどそうではなかったので、私は遠慮を放り投げることにした。


「……と、本人が申しておりますゆえ、どうぞお引き取りを願えますか、騎士のお方?」

「っ何を、ふざけたことを! そのお方を誰と心得る! 先の大戦、ラグナロクにおいてあの悪しき魔王を討伐した、我らが勇者、それがロキさ――――……」

「やめろ!!」


騎士に皆まで言わせずに、リーヴが更に叫んだ。

そうしてもう一度、震える声で、「やめろ」と繰り返す彼の視線は、私へと向けられている。


焦り、怯え、恐れ。そんな感情が入り混じる紫電の瞳に思わず息を呑むと、そんな私の肩が、がしりと捕まれる。


え、と思う間もなく、そのまま私は壁にダァンッと叩きつけられる。

目の前にちかちかと星が散って、そのままどさっと自分が地面に倒れ込むのを、他人事のように感じていた。


「ティカ!」

「この女に、ロキ様は惑わされているのですね? 何がリーヴだ。あなたはロキ様だ。我らの希望、我らの武器、我らの勝利! さあ勇者たるロキ様、私と……」


騎士の台詞は、やはり最後まで続けられることはなかった。地面を蹴ったロキのすさまじい蹴りが、騎士をとんでもない勢いで吹っ飛ばしたからだ。

一瞬で意識を飛ばした騎士のことなんてもうリーヴは意識の外に追い出してしまって、彼は泣きそうな顔になって地面に転がる私のもとに駆け寄ってきて、私のことを助け起こしてくれる。


「ティカ、ティカッ! ごめ、ごめん、ごめん、俺が……俺のせいで……!」

「だ、いじょうぶ、だから。大丈夫だから、落ち着きなさい、リーヴ」

「でも!」

「大丈夫ったら大丈夫なの。魔族は人間よりもずっと丈夫にできてるのよ? ちょっとびっくりしちゃっただけだから心配しないで?」


手を伸ばしてその銀の髪を梳くように頭を撫でると、リーヴはぐっと唇を噛み締めて俯いてしまった。

あまりにも悲壮な様子にどう言葉をかけたものかと思案していると、私の言葉を待つことなく、リーヴはその赤くなった唇を開いた。


「俺、もう、ティカのそばにいられない」

「えっ、どうして?」

「どうして、も、何も。当たり前だろう。俺、は、ロキって言う名前、で。勇者、で。俺が、ティカの父親を、殺したんだ。今まで黙っていてごめん。どうしても、言えなくて。でも、知られたからには、もう」

「えっ、でも、あなたが勇者で、あなたがクソ親父を討伐してくれた件については、とっくに知ってたのに?」

「…………………………え?」


ぽかん、と、リーヴの顔が、信じられないくらいにまぬけ面になった。


それでも美形は美形なのだから、綺麗なものはどんな姿になっても綺麗なのだなぁと感動してしまう。

また一つ知見を得たわね、と頷きつつ、リーヴに抱えられるように支えられていた身体を起こして、彼の顔を改めて見遣ると、その唇がわなないた。


「い、いつから?」

「あなたの正体についてなら、わりと最初から。正確に言うと、私があなたを拾ってから、一週間後くらいだったはずよ。ちなみにこの件については、私だけじゃなくて、クロムレックはもちろん、他の子供達も知ってます」

「!?」


今度こそ凍り付くリーヴにどこから説明したものかと悩みつつ、とりあえず順を追って説明することにした。


まず、私がリーヴをリーヴと名付けてユグドラシルの根元の屋敷に連れ帰ってから、初めにしたのは、リーヴの身体の診察だった。

魔力と生命力の流れがめちゃくちゃのぐちゃぐちゃになっていた状態について出た結論は、幼い少年に対する強制的な肉体強化と魔術強化の結果だろう、というものだった。

もともとの素質がかなりのものであったのだろうけれど、少年はまだ幼かった。

その可能性を万全に発揮させるために、人間が強制的な改造をほどこしたのだろうとクロムレックは吐き捨てていた。


人間はときどき、魔族よりもよほど残酷な仕打ちを同族にするのだとそのときに知ったものだ。

そんな非人道的な改造を施された、銀髪紫眼の少年だなんて、魔族の間で思い当たる存在は一人しかいない。



すなわち“勇者”である。



クソ親父を討伐した勇者がまだ幼い少年であったことは有名な話だったし、あーなら間違いなくこの子だわーとむしろ納得したものだ。


「クロムレックの調べによると、“勇者”は、魔王討伐後、その強すぎる力を恐れた人間達によって処刑されることになっていたと聞いているわ。あなたはそれを逃げ延びて、ホッドミミルの森にやってきたのでしょう?」


疑問ではなく確認の気持ちで問いかけると、リーヴは……かつて“ロキ”という名前だった“勇者”の少年は、震えながら頷きを返してくれた。

本当に人間はときどき残酷で身勝手なものだ。

その上、今更リーヴのことを見つけて、また勇者として利用しようとするだなんて……アッだめだ普通に腹が立ってきた。


そこに倒れている騎士は当分目を覚ましそうにないから、ついでに私もぐりぐりと踵で踏み付けてやろうかしら。いや顔に落書きしてやるほうがいいかもしれない。

下手に証拠を残しておくわけにもいかないからここは慎重に……と横目で騎士をにらみ付けていると、「ティカは」と、不意に名前を呼ばれる。


ん? とそちらを見上げると、私をいまだに抱き上げるように支えてくれているリーヴが、戸惑いに揺れる瞳でこちらを見つめていた。


「ティカは、俺を、憎まないのか?」

「え、どうして?」

「だ、って。俺は、先代魔王を……ティカの、父親を、殺して……っ」

「ええ、その件についてはお礼を言うわ。ありがとう、リーヴ」

「なんでお礼なんか……っ!」

「だって本当にほっとしたんだもの。私だけじゃなくて、魔族の誰もが、クソ親父、もとい先代魔王が討伐されて、やっと解放されたの」


クソ親父、もとい第六六五代魔王は、ある意味では誰よりも魔王らしい魔王だった。

平たく言えば戦闘狂の暴君だった。


いくら周りが「もう人間と和平を結びましょう、そろそろお互い限界なんですよ」と進言しても一切聞き入れず、そればかりか進言した者を無礼討ちするわ、限界だって言ってんのに手元に手駒を残さずに次から次へと非戦闘員だったはずの部下まで前線送りにするわ、まーもー手に負えない最悪の王だった。


ラグナロクで失われた命よりも、クソ親父の気まぐれで失われた命のほうがよほど多かったのでは、と思うくらいだ。


前線送りにされたのは、部下ばかりではなく、王子、王女にして私の兄姉達も同様だった。


末っ子のみそっかすの私とは異なり、兄姉達は大変よくできた方々だった。

なんとか父を止めようとしては返り討ちにされるか、前線送りにされるかで、誰もが皆その命を散らした。

そのたびに私はクソ親父の暗殺をもくろんでは、幼い頃から付き従ってくれていたクロムレックに「やめときなさい、返り討ちにされるだけです」と諭される日々であった。


終わらない戦争に私が不平不満どころではない憤りを抱えていることに、父は気付いていたに違いないが、それでも私が処刑されなかった理由は明白だ。


一応言っておくが、別に私があのクソ親父にそっくりだったから、というわけではない。

周囲に対する愛情なんて持ち合わせていないくせに自己愛だけは天井知らずなクソ親父のお気に召す容貌をしている自覚は不本意ながらもおおいにあるが、それだけでは私が生き残るに足る理由にはならないのだ。


ただ単に、返り討ちにするにも前線送りにするにも、なーんにも意味がなかったこと、がまず大前提。

その上で、魔族として平均値以下の戦闘能力しか持ち合わせていない私の利用価値が、戦地で命を落とした魔族が残した子供達のお世話係として使えるものだったから、というだけである。


ティカしゃま、あるいはティカちゃま、と私を呼び慕ってくれる幼子達がいなかったら、私は刺し違える覚悟でクソ親父のもとにナイフを片手に走っていたことだろう。

いやどうせ即返り討ちだっただろうけど。解ってますけども。


そんなクソ親父が、人間族において選出されたのだと言う“勇者”と呼ばれる存在によって見事討伐された件については、正直なところ、私達残された魔族は、心の底から安堵してしまったのだ。

だってもう、魔族には、もう数えるほどしか成人した魔族は存在せず、しかもその多くが非戦闘民で、あとはまだまだいとけない、ただ実の両親の死すらもおぼろげにしか理解できない子供達しかいなかったのだから。


は――――――――――、いやもう思い返すだけではらわたが煮えくり返るような事実である。


だからこそ“勇者”という存在は、魔族にとっても間違いなく“勇者”だった。

救世主だったのだ。


「でもね、リーヴ」

「……なに、ティカ」

「あんなクソ親父、討伐されて当然だったわ。でも、でもね。だからと言って、リーヴ……いいえ、ロキと呼ぶべきかしら」

「っ違う! 俺は、リーヴだ!」

「ふふ、そう。なら、リーヴ。改めて言うわ。たとえあなたが勇者であったとしても、あなたが利用され、消費される必要なんてどこにもないの。そんな権利は誰にもないし、誰にも許されてはいけないことだわ。もしもそれをあなたに強いるやつがいたら、この私はそいつを、この名前に、この命にかけて、絶対にゆるさないってこと、どうか覚えておいて」

「…………ああ。うん、うん。絶対に、忘れない」


そうしてそのまま、リーヴは私を抱き締めるようにして、顔を俯かせてしまった。

ぽたぽたとちょうど私の肌に落ちる熱いしずくが涙であることくらいすぐに解った。


けれど、『大人』のリーヴはきっとそれを指摘されることを嫌がるだろうから、私は沈黙を選び、同じようにぎゅっと抱き締め返すだけに留めたのである。

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