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九 魔女はどこに

 翌朝、宿の主人に見送られて出発すると、人が異様に多く集まっている場所があった。そこが森の入り口で、幌馬車が何台も連なって出番を待っていた。客を乗せて定員になると、次々に森の中へと消えていく。個々の馬車で入ることは許されない。


 三人分の乗車料金を支払い周りを見みると、我が目を疑う光景であった。まるで観光に来たように見える恋人らしき二人組、青春真っただ中の若者たちのグループや歓楽街目当てとわかる男どもと、およそこれから魔の森に入る者とは思えない面々で、みんな楽しげにしている。


 馬車道はきちんと整備されていて、ガタゴトと揺れることもなく滑らかに進んで行く。しかし緩やかな坂道以外はというと、棘のついた藪で塞がれていた。


「怪しい仕事を頼みそうな客は見当たらないね」

 少年の姿に変装した美織がハトルの耳元で囁くと

「そうね。さながら観光地に遊びに行くようだわ」

 とハトルは進行方向を眺めながら答えた。


 美織は目の前の明るい景色が、夕べ見た闇に立ちはだかる森の中だとは思えなかった。隣に座るハトルの体に落ちる木漏れ日の柔らかい光や、爽やかな風になびく栗色の髪を見て、どこかで目にした芸術の女神ミューズのようだと感じた。


 丘の頂上らしき高台につくと、そこはさながらレジャーランドと言ってよかった。映画館にゲームセンター、レストランに土産屋と、先に到着した人々で賑わっていた。

 その先の奥手に、やや薄暗い建物が密集していて、そこが歓楽街のようだ。何度も来て知っている男たちは、迷わずそちらに歩いて行った。


「さあ、さっそく魔女を探すわよ」

 やる気が出るように、ハトルは自分を含めて二人に発破をかけた。アパデマクは歓楽街に、ハトルと美織は繁華街を二手に分かれて聞き込みをすることにし、集合時間を決めて三人は別れた。


 アパデマクが歓楽街に姿を消し、ハトルが賑わっている土産物店らしき建物に入って行ったのを確認してから、美織は人影のない森の茂みに目を向けた。ここ一帯を取り囲んでいる木々と蔦は、絡み合って頑強な外壁となり侵入者を防ぐ役目をしているが、それ以上に、ここにいる者が森の奥へ入ることを拒絶しているように見えた。


 美織が獣道を発見して中の様子を窺おうと体をねじ込ませると、蔦がスルスルと伸びて瞬く間に獣道を塞いでしまった。


 ふうん。森は生きているってことね。


 獣道を塞いだ蔦が、まだウネウネと動いているのを眺めていると後ろで人の気配がした。美織が振り向くと、濁った眼をした中年の男が酒の瓶を片手に立っていた。


「おい小僧。そこで何をしている」


 男は美織が一人なのを確認すると、薄ら笑いを浮かべて近づいてきた。


「おじさんは綺麗なお姉さんにお金を使い過ぎて、気が付いたらすっからかんになっちまった。だからさぁ、お前さんのポケットの小銭を、俺にちぃっとばかり恵んでくれないかい」


 言葉とは裏腹に高圧的な態度で、今にも美織に飛びかかりそうである。美織があからさまに嫌な顔をして、この場を後にしようと足を踏み出すと男はそうはさせじとばかりに、美織の前に立ちはだかった。


「どいて!」と美織が舌打ちするのと、男が「黙って有り金全部、渡せばいいんだよ」と言うのが同時で、次に男が美織に飛びかかろうとした瞬間、男の体が見事にくるりと一回転した。


「な、なんだぁ! 何が起きたんだ?」

 男は自分の身に起きたことを理解できずに呆けている。


「ああ、嫌だ。ほんとにもう……、怪我したくなければ何処かへ行って」

 苦々しく男を睨んでため息をついたが、男はわめきながら美織に向かってきた。


 胸ぐらをつかまれた美織は男の手を捩じり上げてから、体を回転させて男を投げ飛ばした。背中から叩き落された男は、その衝撃で呼吸もできずに死の恐怖で目を見開いている。ひーひーと、哀れな悲鳴のような音が口から洩れていた。

 同時にパチパチと手を叩く音が聞こえた。


「だれ?」

 辺りを見回しても誰も見当たらない。

「…………出てきなさいよ。ずっと私たちをつけてきたんでしょう。分かってるんだから」


 美織が森に向かって不機嫌そうに言うと、複雑に絡まっていた蔦がザワザワとほどけてパカンバが現れた。


「よく分かったね。さすが王のソウルメイトに選ばれただけのことはある。それに、意外に強くて驚いたよ」

 悪びれもしないで拍手を続けながら、爽やかな笑顔で美織に話しかける。


「ふざけないで!」

 軽口を叩かれたように感じて、美織はむっとした。


「いやいや、本当に感心したよ。ここは無頼漢がいるから心配したけれど、杞憂に過ぎなかったね」


「……ああ、もう!」

 美織は大きなため息をついた。


「うちは武術一家で、小さいころから鍛えられてきたの。だから地元じゃ怖がられて、男子は誰も私に近づかなかったわ。地元を離れるのをきっかけに、普通の女子大生になるつもりだったのに……」


 美織はチッと舌打ちしてから、足元で伸びている男を忌々しそうに睨んだ。パカンバはクスクス笑っている。


「ところで、わざわざアパデマクに手紙を送りつけて、魔女を探させようとするのはどういう魂胆なのかしら。こうして私の前には現れるのに、何故彼とは会おうとしないの? それに、あなたが呪いの矢を操る妖魔というのは嘘ね」


 美織はパカンバの不思議な色の瞳に、引き込まれそうになりながら言った。


「へえ、きみはそう思うんだ」

 パカンパは薄ら笑いを浮かべている。


「ヘルメスはあなたのことを知っていたし、アパデマクとハトルの関係も知っていた。もしマヘス王の心臓に呪いの矢を放ったのがあなたであれば、あのヘルメスが黙ってはいないはず。……そうでしょう」


 美織は自信満々な様子で答えた。


「やっぱりきみはソウルメイトの資格があるよ。あとはアパデマクだ」

「何言ってるの?」


 美織が怪訝そうな顔をすると、パカンバが「ごめんね」と言いながら、何やら呪文らしき言葉を呟きだした。


「僕がきみに会いに来たのは、きみを誘拐するためなんだ。悪く思わないで」


 美織が驚いて身構えるよりも先に、森から蔦が伸びてきて美織の体に巻き付いた。放そうとしてもびくともせず、頑丈で切ることもできなかった。


「何するのよ! 放して!」

 叫んでも、虚しく森の中を木霊するだけだった。


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