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七 ウガの森へ

 昨日美織が城に戻ると、アパデマクと先に帰っていたハトルは詳細な旅程を確かめ合っていた。美織は話に加わることなく、疲れたからと言って先に客間から引き下がり、部屋に入ってしまった。暗闇のベットの中でヘルメスの言葉を反芻しながら、美織は深い眠りの谷底に落ちていった。


 そして今日は早朝から旅に出発した。

慣れない馬車に揺られていると、思った以上に体に負担がかかった。


「ミオリ、大丈夫? 具合が悪そうだけど、馬車を止めて休む?」

青ざめて顔色の悪い美織を、ハトルが心配そうに覗きこんだ。

「大丈夫。昨日あまり眠れなかったから。……あの森がウガの森?」

 馬車の窓から見える遠くの森に目をやりながら額に手をやると、美織は汗をかいていた。

「そうよ。今日は森の手前にある集落で宿をとるわ。そこで2,3日新しい情報を集める予定なの。ミオリもそこで少し体を休めるといいわ」

 ハトルは元気のない美織を気にかけ言った。


 それから数時間かけて集落に到着したころにはすでに日が傾き、辺りは薄暗くなっていた。中心部には飲み屋を兼ねた食堂が数軒連なっていて、そこだけ明るくなっていたが、人影はまばらだった。

 やや離れたところに、こじんまりとした宿を見つけ今夜の宿泊先に決めたが、宿の主人が訊きもしないのに、三人を訝しげな視線で見つめながら話した。


「ここは森に入る前の最後の集落で、考えた末に結局は森には入らずに来た道を戻る者もいるし、最後の居場所を求めて突き進む者もいる。そのため、いつしかこの集落は「人生の最後の砦」と呼ばれるようになったのさ」


宿の主人はふっとため息をついて、頭を振りながら続けた。

「宿代は前金で、それに飯はついてないから。食事は外の食堂で済ませてくれ。遅くまで開いているから問題はないさ」


 言われてアパデマクが二日分の宿代を支払い、宿の主人に訊いた。


「あんたは呪いの矢を操る人物を知っているかい?」

「呪いの矢だって……。お前さんたちは誰かを呪いたいのかい? やめときな。高い代償を払う羽目になるよ」


 宿の主人は右手を胸の前でひらひらさせた。


「知ってるんだね。いいから教えて。どこに行けば会える?」


 アパデマクが目を輝かせると、宿の主人は眉間にしわを寄せ「人殺しの加担はごめんだね」と呟いた。ハトルがそれに気が付いて話に割り込んだ。


「違います。私の父が呪いの矢を心臓に打ち込まれ、意識不明になってしまったのです。早く呪いを解かないと死んでしまいます。どうか知っていることを教えてください。彼は私のフィアンセです。私と弟のために一緒に来てくれました。呪いを解く呪文が知りたいだけなのです」


 そう言ってさめざめと泣いた。あっけにとられたのはアパデマクと美織だ。二人とも数秒の間思考が止まったが、お互い目の前の呆けた顔を見て我に返った。

 先にアパデマクが気を取り直して口を添えた。


「彼女の父親を助けるために、呪いを解く呪文を知りたい。知っていることを教えてくれないか」


 次に美織が父を慕う健気な少年を装う。

「おじさん。父さんを助けて、お願い」と。


 三人に見つめられて宿の主人は居心地悪そうに

「あ、ああ、そういうことなら……、しかし俺も噂話程度しか知らないけどな」

 そう言って、暗闇が迫る中でひと際不気味な存在感を示している暗晦な森を指さした。


「その呪いを操れるのは、たぶんあの森にいる妖魔だよ。そんで奴は、森に足を踏み入れる者を値踏みしているそうだ」


「値踏みってどんな?」とハトルが訊く。


「森に入っていい者とそうでない者を見極めるのさ。だめな奴が森に侵入すると酷い目に合うと聞いた」


「だけど、森の中には繁華街や歓楽街ができているそうじゃないか」

 アパデマクが腑に落ちない表情で宿の主人を見る。


「ああ、うん。そこまでは誰でも入れる。というか、いい金づるだから逆に歓迎されるよ。その先の話さ。なんでもその先には、足を踏み入れるのも躊躇するような、ぞっとする雰囲気の細い道があるそうだ」


「……その妖魔に合うにはどうしたらいい?」

アパデマクが森の暗闇を見つめながら訊くと、宿の主人は頭をかいて申し訳なさそうに頭を振った。


「すまんなあ。俺は森には行ったことがないし……。歓楽街で遊ぶために森に入る輩に訊くといい。これから食堂に集まりだすからさ」


 宿の主人はそれだけ言って、三人をそれぞれ部屋に案内してから姿を消した。長旅で疲れた三人は各自の部屋に入り、少し体を休めてから食事をすることにした。


 部屋はベットが一つあるだけで狭かったが、窓から集落の中心部の明かりが差し込んでいるため、さほど閉塞感は感じられなかった。美織が窓を開けると、かすかにざわめきが聞こえてきた。人々が集まりだしているらしい。


 ベットに腰掛け、ヘルメスが言ったことを思い出した。


「アパデマクとハトル、それにパカンバは同郷の友だよ。子供のころはたいそう仲が良かったそうだ。大人になり三人で故郷から都心部に移住する道中、いろいろなことがあって、パカンバは別行動になった。何があったのかって? それはミオリがアパデマクとハトルから訊きなさい。人づての話は真実の周りに靄がかかっているものだ。だから正確ではないことが多い」


 ヘルメスはそれだけ言って、あとはソウルメイトとして美織にしてほしいこと、つまりマヘス王の心の支えになってほしいことを伝えた。


 美織が何気なく外を見ると、窓際に誰かがいるように感じられた。そしてその人物はパカンバだと思った。だが実際は誰もいなかったし、その先の暗闇に溶けた見えない森を見つめて、美織は不安を拭うことができなかった。


 しばらくするとハトルがやってきて、着替えを済ませた美織を見て喜んだ。

「やっぱりミオリは何でも似合うわ。どこからみても私の可愛い弟だわ。ふふふ」

 チュニックを被り、革製のベルトを締め、クロークを羽織った美織を見て言った。


「なんか複雑。喜んでいいものやら。でもハトルの服よりいいわ」

 胸を強調したひらひらのスカートを穿いたハトルを見て、美織は嫌そうな表情をした。


「ミオリは本当に女らしい服装が苦手なのね。変なの」

 ハトルは不思議そうに首を傾げた。そんな二人をアパデマクが急かす。

「早く行こうぜ。腹ペコだよ」

「そうね。私もペコペコ」とハトル。

「僕も」と美織が言って、ハトルにウィンクした。


 食堂は、どこも騒がしかった。いったいどこから旅人がわいてきたのか、夕方の静けさが噓のようだった。ごった返した店先で、空いている席をどうにか確保して三人が座ると、隣の男がすぐにちょっかいを出してきた。アパデマクが睨みを利かそうとするのをハトルが制した。


「あんたみたいな綺麗な姉さんが、何でこんなところにいるんだい?」

 酒で上機嫌になっている男がハトルをねめ回すが、ハトルは構わず訊いた。

「ウガの森に行って妖魔に会ってみたいの。あなた会ったことある?」

 男の視線を受けてハトルがそれに応えると、男は気をよくしてベラベラとしゃべった。


「俺は、今しがた森に行ってきたばかりだ。何回も行っているが、妖魔にゃ一度も会ったことはないねえ。そいつに会うには、たぶんもっと森の奥深くに行かにゃならんと思うな。だけど姉さん、よしたほうがいいぞ。妖魔に見つめられると、体を乗っ取られると聞いたぞ」


「へえ、そうなんだ。妖魔に会ったことのある人っていないのかな?」

 ハトルが男の席に移り酒を勧めながら訊くと、男は鼻の下を伸ばして答えた。

「ネズミ型の奴なら妖魔の手下にいるかもな」


「え? ネズミ型? 何で?」

 アパデマクが横から口を挟むと、男が振り返ってむすっとした表情になった。


「え、あんた姉さんの何?」

「俺は、そいつの男だよ。お前は俺の女に手を出すつもりなのか」


 アパデマクがそう言ってギロリと鋭くにらむと、男はビクッと震えて席を立とうとしたが、アパデマクはそれを許さなかった。


「ちょーっと待てよ。質問に答えろよ」

 とドスのきいた声で言う。


「だってそうだろう。妖魔はウガジンの右腕と言われている男で、蛇型だと聞いた。ネズミは蛇の言いなりだろう」

 それだけ言って、男はさっさと店を出ようとした。


アパデマクが最後に「妖魔の名前は?」と訊くと「パカンバだと」

そう答えて、もうこれ以上関わりたくないぞと男は逃げ出した。


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