五 頼りないアパデマク
それから間もなくして、普段は冷静沈着なマギが珍しく血相を変えて部屋に戻ってきたので、獅子王が何事かと訝し気にティーカップを置いた。
「マギ、どうした」
「マヘス王が……、ああ! マヘス王が倒れられました」
「何だと! マヘス王が! どうして!」
獅子王とヘルメスは同時に立ち上がった。
「呪いの矢が……、呪いの矢がマヘス王の心の臓を貫いてしまいました」
「…………うむ、王の容態は?」
獅子王が心配そうに訊いた。
「バルコニーから群衆に向かって手を振っている時に射られたようです。ご自分の部屋に戻られた後、急に気分が悪くなったとおっしゃられて半昏睡状態に陥りました。使用人たちはあたふたしているばかりで、落ち着かせるために、王は大変お疲れのようだからここはもうよいと人払いして、いまは信頼のおけるものを付き添わせています。呪術医の見立てでは、呪いの矢が体の奥深くに入り込んでいるそうです」
一気に説明している間にようやくマギは落ち着きを取り戻し、いつものマギに戻っていた。
「そうか……。あの連中の仕業だろうか。しかし、このタイミングで仕掛けて来るとは……。私の落ち度だ。もう少し気を付けるべきだった」
獅子王はアパデマクと美織を見つめてから、深いため息を漏らした。その視線を受けて美織は何となく嫌な予感がしたが、その予感は的中した。アパデマクと安全とは言えない旅に出ることになったのだ。
アパデマクはバトラーとしての初仕事とばかりに、やる気満々で旅路の計画を立てているが、美織はハトルが旅のお供と知って少しは安心したものの、ハトルに文句を言わないと気持ちが収まらない。
「ひとりで先に逃げるなんて酷い。アパデマクが怖いったらなかったのよ」
「わかるわ~ ごめんなさいね」
ハトルは悪びれた様子もなくぺろっと舌を出して、手際よく荷造りをしている。
アパデマクと美織そしてハトルも加わり、三人は呪いの矢を放った相手を見つけ出して、呪いを解く呪文を聞き出す任務を仰せつかったのだ。ハトルはアパデマクの幼馴染で、お互い気心が知れているし、美織のためにも同行した方が良いだろうとなった。
これからどうするのかアパデマクに訊いてもうわの空で要領を得ないので、美織はハトルに素朴な質問を口にした。
「犯人の目星はついてるの?」
「う~ん、そうねえ……。ケット王国の北側にはクー・シーが統治するクーという王国があって、両国は広大な森で区切られてるの。だから距離感も程よくて、両国間にはこれといった問題はないわ。だけど森の中は問題だらけね。訳ありの者や素行の悪い連中が森の中で大勢隠れ住んでいて、旅人相手に商売をして生計を立てているわ。これが結構繁盛していて規模がだんだん大きくなり、今ではちょっとした繁華街や歓楽街もできたと聞くわ。その物珍しさにわざわざ遠方から訪れる客も増えて、さらに賑わっているそうよ。でもね、その街ではどんな仕事でも引き受ける連中がいて……とても厄介な連中よ。とにかく目立たないように気を付けなさい。……ミオリは変装したほうがいいわね。うん、私に任せて」
ハトルは目を細めて美織を見つめ、ひとり頷いている。
「獅子王は、何でも引き受けるその連中の仕業だと?」
美織はハトルが選んだフリフリだらけのドレスを思い出して、どんな服を着せられるのかすこし不安になった。
「それはまだ分からないわ。でも可能性が大だから色々聞きこんで情報を得るために、これから森の中に分け入るのよ。それにしても……」
ハトルは喋りながら同時に手をせわしなく動かして、ヌメ皮のトランクケースに上手に荷物を詰め込み、「だいたいこんなものでしょう」と満足そうに立ち上がり
「アパデマクはこれはとても危険な任務だと、ちゃんと理解してるのかしら?」と呟いた。
「え! 怖いこと言わないでよ」
美織が眉をひそめて上機嫌なアパデマクをそっと見ると、ハトルが慌てて「ごめんごめん」と謝った。
「大丈夫、このハトル様がアパデマクの尻を叩くから、安心して」
やわらかい笑みを美織に投げてから、アパデマクに大声で話しかける。
「ちょっとアパデマク! あなたさっきからメモばかりしているけれど、馬車の手配はしてあるんでしょうね!」
「あ? ここのクーペを借りればいいだろう? 御者は俺がするよ」
「何言ってるの。紋章入りの馬車なんて使ったら一目瞭然で素性がばれるって。あなた本当に事の重大さを分かってんの? ほんとにもう……。極力目立たないように行動するようバトラーマギに言われなかった? さあ、周りに溶け込むような、そこらにある馬車を見つけてらっしゃい。はやく!」
「……ああ、そうか。気がつかなかったよ。……はあ……俺ってダメだなあ……」
アパデマクは自分の無能さを呪いながら、がっくり肩を落として最大なため息を残して出て行った。
姿を消したドアに向かってハトルがアパデマクに負けないため息をつくものだから、美織は益々不安に駆られて眉根に皺を寄せた。それに気がついて「大丈夫だよ」とハトルが言ってくれるが、美織は心の中で「ちっとも大丈夫じゃないよ。実はアパデマクってポンコツじゃん」と叫ぶのであった。
美織の服を用意してくると言ってハトルも出て行き一人になると、どっと疲れがでた美織は客室の広いバルコニーに出て、深呼吸した。
思えばアパデマクに会ってから怒涛の時間ばかりが流れて、まったく地に足がついていなかった。
「気持ちいい~~~」爽やかな風が庭園の花の香りを美織にプレゼントしてくれる。
「ああ、いい香り」目を瞑ると花の草原にいるようで、鬱々とした気分が和らいだ。
と、そのとき微かに土を踏みしめる音がして美織が目を開けると、バルコニーの隅に青年の姿が現れた。思いがけないことに美織はギョッとして目を見開き、大きく後ずさった。
「だ、だれ!」
恐怖する美織に青年は両手を広げて身振り手振りで「まあまあ」と落ち着くように伝え、そこから動くことはなかった。それが分かると、美織は距離を保ちながら青年を観察する余裕がでてきた。
青年は細身で手足がすらりとしていて、健康的な小麦色の肌と深い赤褐色の髪が野性的な印象を与えた。色味のほとんどないグレーの目で見つめられると、こちらが目のやり場に困るほど魅力的だ。
「だれ? 何でここにいるの?」
バルコニーの隅に置かれた銅像のように動かないので、美織が訊ねるしかない。青年は美織が騒がないのを確認してからバルコニーの笠木に腰かけ、ニッコリと微笑んだ。




