四 成人の儀式
成人の儀式は、厳かな雰囲気の中で行われた。
現国王である獅子王からマヘスへと宝冠が渡され、マヘスは王位の就任を宣明した。いまだ獅子王は若々しく足腰もしっかりしていて、とても百歳になる老人とは思えなかったが、それでも己が健在の内に、戴冠式を済ませられて安堵の表情を浮かべた。
王冠をかぶり玉座に腰かけたマヘス王の後ろにアパデマクが控えていたが、彼の目はキョロキョロと落ち着きがない。美織を宮殿に案内してきたハトルがその様子に気がついて、気の毒そうに囁いた。
「ミオリ様を捜しているのよ。ここにいるのに気付かず相当焦っているわね。……まあ、無理もないけど」
そっとアパデマクに自分の隣にいるのが美織だと合図を送ると、とたんにアパデマクは目を剥きフリーズした。
「あ~あ、やっぱり固まっちゃった。ミオリ様も人が悪い」
「あら、ハトルさんも面白がっていたじゃないの」
「ふふふ、それはアパデマクには内緒にしてくださいね」
し~、とハトルは口に人差し指を当てて悪戯っぽく笑った。それから伝統的な燕尾服を纏っている美織を改めて眺めた。
小さな顔にしなやかな体躯、ゆるくウェーブのかかった前髪とソフトに後ろに流した髪型。その完璧な装いに、ふぅとため息を漏らした。そんじょそこらの男では太刀打ちできない凛々しさと美しさだ。
「とてもお似合いだわ。惚れ惚れしてしまう」
言われて美織は楽しそうにくくっと小さく笑った。美織の周りにいる女性から熱い視線が彼女に注がれているのを、ハトルは感じた。
マヘス王が直立不動のアパデマクを怪訝そうに見やり、彼の視線の先をたどって美織を見つけると、チョット小首を傾げてから笑いながら立ち上がった。
「皆さま。私の生涯のソウルメイトを紹介しましょう。こちらへ、ミオリ」
マヘス王の差し出す手の先にいる美織に、皆の視線が移るとどよめきが起こった。
「おお、彼が王のソウルメイトなのか」
「なんと美しい青年だ。この場に実に相応しい」
「まあ、やはりただものではないと思いましたわ」
「どこのご子息なのかしら」
人々が思い思いに口にして美織のために道を作ると、美織は頬を赤らめ戸惑いながら前に進んだ。心臓が口から出そうなほどバクバクしている。まさかこんな大勢の前で紹介されるとは思っていなかった。それに、にこやかなマヘス王のすぐ後ろで、鬼の形相で立っているアパデマクが何とも恐ろしかった。
美織は、悪戯心など起こさなければよかったと酷く後悔したが、マヘス王は美織の悪戯に付き合うつもりらしく、よくとおる機嫌のよい声で言った。
「彼が私の命の恩人です。ミオリ、あの時は本当に世話になった。今日は来てくれてありがとう。是非とも楽しんでくれたまえ。アパデマク、失礼のないように後はよろしく頼むよ」
マヘス王は含み笑いをしながら、表情の硬いアパデマクと美織を交互に見比べた。今にも大笑いしそうである。隣で獅子王が穏やかな笑みを浮かべて、ただ静かに見守っていた。
王と王室メンバーが、民衆の祝福にこたえるためにバルコニーに移動すると、アパデマクが血相を変えて美織に近づいてきた。美織は共犯のハトルを捜すが見当たらない。
いやだ、彼女逃げた? ま、まずいよ~
美織もこの場を後にしようと踵を返したが、遅かった。アパデマクの手がにゅうっと伸びて美織の左ひじをがしっと掴まえた。
「待てよ! その恰好はなんだ! いったいハトルは何をしているんだ! ハトルはどこだ!」
興奮で顔を赤くし唇をわなわなと震えさせて、それでも周りに気取られないように声を潜めて怒っている。その内に秘めた剣幕に美織は焦りながら言い訳を考えた。
「イブニングドレスでないといけない、とは聞いてないわ。私が好きに選んでいいと言ったわよ……そんなに怒らないでよ」
「……………………」
眉を吊り上げたまま沈黙を続けるので、どうしたらいいか美織が困っていると、何処からか助け舟がだされた。
「お前さんがマヘス王のソウルメイトかい。実に見目麗しい乙女だのう」
バルコニーに人々が注目しているなか、獅子王がふたりの元にゆっくりとやって来た。
アパデマクが気がつき、素早く駆け寄って頭を下げるのを見て、美織も頭を下げ襟を持って「ちょっと余興が過ぎたでしょうか……」と悪びれもなく言うのを、アパデマクが「おい!」と慌てて遮った。
「獅子王様、何でこうなったのかわかりませんが、私の責任です。申し訳ありません」
アパデマクは謝り、信じられない、信じられない、と顔面蒼白になって呟いたが、獅子王はそれには別段気に留めることもなく、隣の控室にふたりを招き入れた。
室内にはバトラーの見本ともいえる佇まいの綺麗な初老の男性と、彼よりも年配と思われる品のある男性がいた。獅子王が、その二人を紹介する。
「私のソウルメイトであるヘルメスとバトラーのマギだ」
紹介されてヘルメスは軽く会釈しただけだが、マギは慇懃に頭を下げた。それを受けて、アパデマクがあわてて美織を自分の前に押し出した。
「この方がマヘス王のソウルメイトであるミオリ様です。そして私はバトラーのアパデマクと申します。お会いできて大変光栄です」
アパデマクは男装の格好の美織をどう説明したらよいのか戸惑っていたが、当人はお構いなしに「美織です。初めまして」と呑気に名乗っている。
おいおい、いったいどんな神経をしてるんだよ
およそ一世紀という長いときを安定に統治した三人衆を前に、よくもまあ、ああ平気な顔でいられるものだと、アパデマクは美織の図太さに絶句した。
当のアパデマクは、今ではほぼ伝説と化した彼らを目の前にして浮かれすぎるほど興奮し、少年のように瞳をキラキラさせている。そんなアパデマクをマギが、じっくり観察しているのに美織は気がついた。
ふと視線を感じて目をやると、アーチ型の窓辺で佇んでいるヘルメスと目が合った。美織を見つめながら、ヘルメスは獅子王と何やら話しこんでいる。
アーチ型の窓を背にして並んでいるふたりを見て、美織は古城の踊り場に飾られている、城主を描いた絵画を思い出した。
獅子王が頷くと、ヘルメスが一歩前に進み出た。
「待ちに待った成人の儀を迎えられて、実に喜ばしいことなのだが……」
ヘルメスが話しだしたのを確認すると、マギがメイドを呼んでお茶の用意を進めるのを、アパデマクが緊張しながらじっと目で追っていた。
「獅子王が言うには、きみのその服装のせいで、みんなはマヘス王のソウルメイトは青年だと思っているようだ。うん、かえってその方が都合がいいかもしれない。…………きみは……燕尾服がとてもよく似合っているよ。ご婦人方がそわそわしていたのも頷ける」
ヘルメスは美織を頭の天辺から足のつま先までジロジロ見て、さらに続けた。
「きみたちは、何から何まで奇妙だ。妖精猫は人間界に飛ばされて迷子になるし、挙句はそこでソウルメイトを見つけた。しかも、前代未聞の女性だ…………」
ほうっとため息を漏らし、アパデマクに顔を向けた。
「それにきみ。バトラーはマギのように、思慮深さが必要不可欠だ。だけど、きみはイノシシ型だ。バトラーには不向きだと思うのだが……。くれぐれも突っ走ることの無いように、いいね」
念を押されてアパデマクが直立不動で「はい」と答えたが、この二人で大丈夫なのかと、何とも心許なく感じた。
マギがつつがなくお茶のセッティングを済ませると、獅子王が二人に座るように促し、おもむろに口を開いた。
「どうぞ。マギが淹れてくれるお茶は香りも良く絶品だよ。アパデマク、よく味わって飲みなさい。お前さんも、このくらいは出来るようにならんとな。王のバトラーになるための教えを、マギから学びなさい」
獅子王は美味しそうに紅茶を口にして、美織とアパデマクにも勧めた。四人が席に着くと、マギは城内の様子を見て回るために、そっと部屋を後にした。




