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三 ケット王国

 美織は表情がころころ変わるこの青年を、何となく理解した。

 たぶん、若く経験が不足しているこの青年は、思いがけなく王のバトラーに任命されて舞い上がっているのであろう。


「私は、そのマヘス様とかいう方を知らないわ。何かの間違いじゃない?」


 美織が困惑して答えるとアパデマクは美織の顔を見つめ返し、呆れるように首を振りながら鼻をヒクヒクさせた。


「こんなにケット・シーの匂いを纏っていながら、何馬鹿なことをおっしゃいますか。マヘス様の寵愛をお受けになったのでございましょう」


「はあ!!!」


 これには美織も不快感を覚え、思わず大声をだしてしまった。

 アパデマクが眉をひそめる。


「マヘス様がまだ妖精猫でいるときに、頭を擦りつけてきたでしょう。それはミオリ様を仲間として歓迎し、絆を結んだ証です。ミオリ様は我らが次期国王のソウルメイトに選ばれたのです」


 アパデマクは、なぜわからないのか理解できない、と言うように首を傾げながらウェストコートのポケットに手を入れた。


 美織は不機嫌そうに頬を膨らませながら目の前のアパデマクを睨んだ。どうも彼は話を順序だてて説明するのが苦手なようだ。それなのに美織が理解できないのは、聡明でないからだと思っている節がある。美織にしてみれば、実に不愉快極まりない。


 それでも、彼から聞いたつぎはぎだらけの話をまとめてみると、ようやく美織にも何が起こっているのか見えてきた。


 話はこうだ。


 彼らの国は王制で、国を統治するケット・シーはおよそ一世紀にひとり誕生する。現国王が年を召したため、新たなケット・シーが誕生するのを誰もが待ち望んでいた。

 今回は何らかの手違いで妖精猫が人間界で迷子になり、恐ろしいことに、怪獣に捕まり苛められていたところを美織に助けられた。怪獣とは小枝を持った子供たちのことらしい。人間にもかかわらず、美織は命の恩人であるので絆を結んだ。絆を結んだソウルメイトが見つかると、妖精猫は成人してケット・シーへと変身する。その後、成人の儀式を無事迎えると、ケット・シーは新たな国王となるのだそうだ。

 

 美織としては絆を結んだ覚えはないが、先日のあの仔猫が妖精猫ならば、頭をすりすりされたのは事実であり、その行為が絆を結ぶことなのだと言われれば、美織はソウルメイトで間違いない。


 美織がアパデマクの動きをぼんやりと目で追いながら、そんなことを頭の中で整理していると、アパデマクはポケットから懐中時計を取り出し竜頭を押した。すると懐中時計の蓋が開き、中から奇妙なものをつまみ出した。


 美織には糸くずに見えたが、それはウネウネと動き出し、しだいに増殖していった。アパデマクが玄関まで行きそれをドアノブに掛けると、動く糸くずは水があふれるように周りに広がり、ドアを模った物体が新たに現れた。

 それを満足そうに眺めてから、アパデマクはドアノブに手をかけて美織に振り返った。


「さあ、王国への扉が現れました。皆さんお待ちかねです。急ぎましょう」


 そう言って、未知の世界につながるドアを開けた。



 ケット王国はまさに百年に一度のお祭りとあって、繁華街はどこもかしこも人々でごった返していた。みんな綺麗に着飾っていて、その笑顔からは国王誕生を心から待ち望んでいたのが伝わってくる。しかし真っ直ぐ歩くのが困難なほどの人混みで、美織はアパデマクを見失わないよう必死に後を付いていくが、どうしても人とぶつかり、段々とふたりの距離は離れていく。美織は慌てて叫んだ。


「ちょっと! アパデマク! 待ってよ! こんなところで迷子になったら、私はどうしたらいいのよ!」


 こちらに少しも気を使わず、どんどん先に行くアパデマクの後姿を睨みつけながら、その無責任さに怒りがふつふつと湧いてきた。

 それに気がついたアパデマクは、しまったという表情で足を止めた。


「どこに行くの?」

 美織は追い付いてから、不機嫌そうに訊ねた。


「すみませんでした。今から行くのは、この先に見える洋品店です」


 アパデマクが指さす方に目を向けると、数階建ての大きなビルが建っていた。よく見ると柱や外壁には彫刻が施されていて、それはそれは豪華絢爛な伝統のある装飾美であることが見て取れた。

 アパデマクが得意そうに言う。


「あの店は品揃えが良い国一番の名店ですから、必ず気に入るドレスが見つかるはずです。私は先に宮殿に戻りますが、あそこでレディースメイドが待っていますから、後は彼女の指示にしたがってください」


 目的地が目と鼻の先になるとアパデマクの歩幅がようやく狭くなり、美織は早歩きから解放されて、額に薄っすらと浮かんだ汗を手の甲で拭った。


 店先で待機していた女性は、アパデマクに気がつくと軽く手を振り「お帰りなさい。お疲れ様」と言ってから美織を注視した。何やらふたりで話してからアパデマクは踵を返して、大急ぎで今来た道を戻った。女性はその姿が見えなくなるまで見送ってから、美織に向き直り自己紹介を始めた。


「さてこれから先はアパデマクの代わりに、私がミオリ様のお世話を担うハトルと申します。さっそくこの店で儀式に出席するための服選びをしてもらいますが、ご希望はありますか? バッスル・スタイルを選ぶ方が多いですが、最近は動きやすいアール・ヌーボーも人気があります。ふふ、女性には楽しい時間ですね。ここで身支度はすべて完了しますので安心してください。ですが、あまり時間はありませんのでご了承くださいませ」


 ハトルと名のった柔らかい印象を与える女性は、美織を店の最上階へと案内しながら説明した。やっと慌ただしさから抜け出せて美織が大きなため息をついたので、ハトルがくすっと笑った。


「アパデマクはミオリ様をかなり引っ張り回したようですね。ごめんなさいね。彼はタイプが典型的なイノシシ型なので、周りが見えずに猪突猛進してしまうの。でも、悪気は少しもないのよ」


「イノシシ型?」


「ええ、ケット国民は気質で十二支のタイプに分類されます。型の特徴が表に強く現れるものもいれば、あまり出ないものもいます。アパデマクは……わかるでしょう」


 優しく笑い「さあ、ここです。ミオリ様はとてもスタイルが良いので、何でも似合いそうですね」と両手を広げてフロアを示した。


 そこには、映画の中でヨーロッパ貴族が身に着けるようなドレスが山ほど飾られていたが、いやいや冗談でしょう、あんなの着られないよ、と美織は思わずにはいられなかった。


 そんな美織の胸の内などお構いなしに、ハトルはフリルがたくさんついた、如何にも動きにくそうな豪華なバッスルドレスを持ってきて、美織に当て「とてもお似合いです」などと言って目を細めた。


 フランス人形が着るようなドレスを当てられて、美織はどうしたものかと頭を悩ませ、フロア中を見渡した。そのとき、フロアの一角に目がとまった。


「好きなのを選んでいいのよね。あれがいいわ」と言って、指差した。

 

「…………、ミオリ様が決めたのならば……。どうぞ、こちらにいらしてください。髪型も似合うように整えましょう。……アパデマクがどんな顔をするのか見てみたいわね」


 ハトルは最初は戸惑っていたが、悪戯っぽく微笑んだ。

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