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一 キミはどこから来たの

 小野美織は受験勉強から解放され、晴れてこの四月から念願の大学に通っている。しかし、今美織は大変困っていた。


「あのね、ここはペット禁止なの。わかる?」


 親元を離れて慣れない一人生活がようやく日常になった昨今、一匹の猫に振り回されることになったのだ。

 出会いは一週間前で、教授の都合で急遽午後の授業が休講になった日だった。まだ書き終えていないレポートを仕上げるグッドチャンス到来とばかり、友達の誘いを断って足早に家路についた。


 前日までの暴風雨が嘘のように晴れ渡り、台風一過後の青く澄み切った景色を心地よく感じながら歩いていると、前方にある小さな公園らしき空き地から子供たちの騒がしい声が聞こえてきた。


 うわ、きったねえ

 なに、これー

 あ、うごいたー


 後姿がランドセルになっている低学年の男の子三人が、細い小枝を手にして何かをつついている。美織は嫌な予感がして、公園内に足を踏み入れ、水たまりを囲んで騒いでいる少年たちに近づき声をかけた。


「ボクたち、何をしているの」


 少年たちは美織を見ても別段気にすることもなく、小枝を水たまりに向けて


「おばちゃん、これ何だと思う? ボクは地底人だと思うんだ。ほら、動いてる。地底から出てきてボクらを襲うんだよ」


 そう言って容赦なく泥の塊をつつきながら、無邪気な顔を美織に向けた。そのとき、かすかに泥の塊が動いた。美織は無知ゆえの残酷な子供たちの仕打ちに眉をひそめ、ため息を漏らした。


「地底人だとしても、悪者とは限らないでしょ。ほら、ほとんど動かないし。それに、キミたちと友達になりたいのかもしれないよ。だから、いじめては可哀そうでしょ」


 彼らは、つついてもあまり動かなくなった泥の塊に興味を失くしたらしく、つまらなそうな視線を美織に送り


「ボクはこんなのと友達になんてなりたくないよ……。もう行こうぜ」


 そう言ってひとりが小枝を放り投げて駆けだすと、あとのふたりも小枝を投げ出して後を追って公園から姿を消した。

 子供たちの賑やかな声が遠ざかると公園内は静寂になり、風に揺れてこすれる木の葉の音がザワザワと耳に届いた。


 おばちゃんじゃないぞ。おねえさんだぞ。


 子供たちの失礼な言葉に苦笑しながら、美織は足元の動く物体の正体を知るために屈んだ。


 仔犬? うーん、尻尾が長いから…… 猫? イタチ? え、イタチってこのあたりにいる? いないか。じゃあ、やっぱり猫? 泥だらけでまったくわからない。それにこの仔、ぜんぜん鳴かないけど大丈夫かな。


 まさか噛みつかれるとは思わないが、それでも恐々手を近づけてみる。泥の塊がじっとしていて動かないのを確認してから、美織はそれを掴んで公園内の水飲み場に運んだ。


 兎にも角にも、先ずはこの泥を落とさなければ始まらないと、手で体をしごいて落とす。次にハンカチを濡らして顔を綺麗にしてやると、猫らしき顔が現れた。体を触って確認するが、痛がるようすもなく怪我はしていないようで、美織はひとまずほっと胸をなでおろした。そして、体を洗ってやらなければと、家に連れ帰ることにした。



 家に着いてから早速台所で体を洗って泥を落としてあげると、やはりそれは短毛の猫で、ドライヤーで乾かすとツルツルスベスベの美しい毛並みをしている。虹彩の中心は緑色でふちはブラウンになるグラデーションの瞳を持ち、体はミルクをたっぷり入れたカフェオーレ色だった。シルクタッチの毛は、蛍光灯の明かりを受けると、銀色っぽくキラキラ輝いた。


 生えそろった真っ白い小粒の歯や細い体をしているところをみると、生後半年は過ぎているようだが、まだ成猫にはなっていないようだ。手を近づけると、頭を擦りつけてくる。


 か、かわいい~


「ハンサムさんだね。キミはどこから来たの? 首輪はしていないけれど、野良には見えないし、冒険が過ぎて遠くまで来ちゃったのかな。お腹空いてる?」


 冷蔵庫にささ身を見つけてレンチンして裂いてあげるが、クンクンと匂いを嗅いだだけでぷいとそっぽ向いてしまった。


「えーなあに、欲しくないの? じゃあ、もうお家に帰る?」


 抱きかかえて玄関に行こうとすると、途中で猫は暴れて腕から逃れ部屋の奥に逃げ込んだ。まあいいか、そのうち外に出たがるだろうと放っておくことにした。

 レポートを仕上げるために机に向かっている間、猫は隙間の奥から出てきて我が物顔で部屋中をあちこち探索し始めた。


 ひとしきり部屋の匂いを嗅いで満足したのか、その後美織の足元で落ち着き毛づくろいを始めた。外に出たがる様子はなく、気持ちよさそうに大きな伸びをすると、ごろりと横になり、すやすやと寝てしまったのである。

 美織が頭を撫でてあげると、もっと撫でてと言わんばかりにくるりと体勢を変えてお腹を見せてきた。


 ああ、猫の寝顔って何て幸せそうなのかしら。本当にいつまでも見ていたい。

 

 お腹と顎の下を撫でてあげると、気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らし始めた。


「ふふ、今晩は泊めてあげる。でも明日の朝は一緒に出掛けるのよ。キミをひとりで部屋に置いておくわけにはいかないの」


 うっとりして半目になっている猫を見ると、美織の口元も自然に上がって微笑んでしまう。美織は、ここがペット可の物件だったら良かったのに、と思わずにはいられなかった。



 早朝、頬に何かが触れてビクッと体を震わせ目を覚ますと、猫が目の前にいた。ピンク色の可愛い肉球でつついて、美織を起こそうとしたようだ。


「ああ、びっくりした。おはよう。なあに、外に行きたいの?」


 美織が起きたのを確認すると、猫はベットから飛び降り美織を従えて玄関に行く。そしてドアを開けてもらうと後ろを振り返りもしないで、さっさとどこかへ消えてしまった。

 美織は猫特有の素っ気なさに拍子抜けしたが、とはいえこのまま居座られても困るのでよしとした。


 ところがその日学校から帰宅すると、なんと玄関の前で今朝の猫がオブジェのように座って待っているではないか。隣近所からクレームがきたら嫌だなあと思いながら鍵を回しドアを開けると、当然のように猫は美織より先にドアをくぐり抜けた。


 そして前日と同じように過ごし、朝になるとつんつんと肉球でつついて美織を起こして外に出ていき、そして夕方になると玄関ドアの前で待っている。そんな日が何日も続いた。

 幸いこの仔は鳴かないので、美織の部屋に猫がいることに気づく住人はいなかった。しかし、いつまでもこんなことをしているわけにはいかない。


 美織の母は動物好きだから実家で預かってもらおうかと考えもしたが、しかしどこかで餌をもらっているらしく、美織の部屋でご飯を食べることをしない。もしかしたらこの仔はどこかで飼われていて、夜だけ自由に外を出歩いているのかもしれない。


 そう考えると勝手に連れ去るわけにもいかず、どうしようか悩む日々が続いたが、ある日を境にパタッと来なくなり、それはそれで少し寂しいと美織は感じた。


 猫の訪問がなくなってから一か月ほど過ぎた頃に、一通の封書が郵便受けに届いた。

 上質な封筒に封蠟が施されていて、集合住宅の郵便受けには似つかわしくない代物だ。怪訝そうに中を確認する美織の表情は、さらに困惑の色が広がった。封筒の中には、意味不明な招待状が入っていたのだ。



     招待状

 このたび、貴女のおかげでケット・シーの誕生と共に、

 成人の儀を迎えることが決まりました。

 つきましては、望月の晩に貴女をお迎えにあがります。



 え? ケット・シーって誰? 成人の儀ってなに?

 ええ! なにこれ…………わけわからない。


 封筒の宛名を確かめるが、確かに小野美織様と記してある。美織はこの薄気味悪い招待状を杏香に見せ相談しようと、バックにしまった。渡辺杏香は大学で最初に友達になった同級生である。


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