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いつか長編化してみたい短編集

氷の魔王公爵とわけあり令嬢の契約結婚~公爵のキスで封印が解けた令嬢は、撲滅聖女として汚れたお肉を浄化したい!~

作者: 花宵

 私、ベルナデッタ・スノーレンスは、氷の魔王と怖れられるシャドウクロツ公爵家の応接間に居た。


「君を愛する事はない。これはあくまでも契約結婚だ」


 表情一つ変えず、淡々とした口調でジルフィード・シャドウクロツ公爵が仰った。


 覇者の風格を纏った、強面の魔法騎士から放たれる威圧感は半端ない。大柄の体躯は一寸の狂いなくきっちりと騎士団長服に包まれており、厳格さを強調しているようだ。


 青みがかった長い銀髪は後ろで結われ、サファイアのような切れ長の瞳から放たれる視線が、こちらを見定めるかのように注がれている。


 うん、怖い。とても整った顔立ちをされていて、その類い稀ない美しい容姿と相まって、冷たい印象が五割増しぐらいに感じられるせいもあるだろう。


「はい。心得ております」


 結納金目的に家族に売られた私は、今日からここで暮らすしかない。王立魔法学園を卒業してすぐ、着の身着のままここに送られた。勿論拒否権はない。

 両親が亡くなって家督を継いだ叔父家族が好き勝手するスノーレンス伯爵家で過ごすより、氷の魔王と怖れられても話が通じる方と過ごす方が正直マシだ。

 同じモンスターのような存在なら、話の通じない低級オークの群れに囲まれるより、見た目怖くても魔王に仕える方がいい。

 たとえそれが、愛のない契約結婚だとしても。美味しいご飯を食べられて、雨風凌げる建物の中で、着るものにも困らない生活が出来るだけでありがたい。


「まず契約書に目を通してくれ。質問があれば答えよう」


 渡された契約書に目を通し、内容を確認する。そこには決まりごとが記されていた。


 1、公爵家の敷地内では自由に過ごして構わない。

 2、割り当てられた予算は自由に使って構わない

 3、互いのプライベートに口出ししない

 4、寝室は別で閨事は求めない

 5、恋愛は自由。愛人を作っても構わないが、外で噂になるような行為は禁止する

 6、国王に偽りの夫婦だと決してバレてはならない

 7、公式の場では仲良し夫婦を演じること

 8、将来的に養子を迎える事に同意すること


 この八つの約束さえ守れば、私の生活の安泰は約束されている。ああ、なんて幸せ!

 失敗しないように、きちんと詳細を確認しておこう。


「仲良し夫婦とは、具体的にどうすればよろしいのですか?」

「共に同伴して、適当に話を合わせてくれたら構わない」

「もし国王に偽りだとバレてしまったら?」

「絶対にバレてはならない。それはこの契約で守るべき最重要事項だ。その任務を遂行するにあたり、先に謝っておく事がある」

「はい、何でしょう?」

「国王である兄上は、とても疑い深い。何かにつけて証明しろが口癖のお方だ」

「証明、ですか……」

「もしやむを得ない場合、誠に不本意ではあるが、多少のボディタッチがあるかもしれないと、覚悟しておいて欲しい」

「分かりました」

「何かあれば、遠慮なく申し出てくれ。不便を強いる分、生活面においては不自由させないよう努めるつもりだ」


 何というか、律儀なお方だなというのが、ジルフィード様に抱いた率直な感想だった。

 氷の魔王と揶揄されるシャドウクロツ公爵は、優れた氷魔法の使い手として有名だ。笑いながら魔物を切り伏せ、死体の山を凍結させて氷の山をいくつも作ったと噂される。そのせいか、シャドウクロツ領は魔物の巣窟だと言われていたりする。


 私にとったら義家族が魔物のように見えてしたかなかったけどね。


 叔父のスノーレンス伯爵は、私をどこに高く売るかしか考えてなかった。結納金を高く出してくれるなら、どんなに年が離れてようがお構い無しだった。口癖は「商品に目立つ低俗な傷だけは付けるな」だった。まぁその口癖のおかげで、暴力をふるわれる事がなかったのだけは、不幸中の幸いだったのかもしれない。金品にがめついオークのようだった。


 叔母のスノーレンス伯爵夫人は、私の亡き母に強いコンプレックスを持っていた。母にそっくりな私が気に入らないのか、ご飯を与えなかったり、ドレスを使い物にならなくなったり、使用人のような扱いをしたりと低俗な嫌がらせを繰り返していた。体罰が行えない分、両親の形見をわざと壊したり、精神を抉るような事を平気でやってのける醜いオークのようだった。


 一つ年下の従妹フレデリカは、伯爵夫人ジュニアと呼ぶのが相応しいくらい叔母さんに見た目もやる事もそっくりだった。両親に愛されて幸せな自分と居候のみすぼらしい私を対比するのが大好きな自尊心の塊だった。新しいものを買っては、わざわざ自慢しにやってきて嫌みと暴言を吐いていく、粗暴なオークのようだった。


 そんなオークの巣窟から魔王の城に引っ越しできて、心底よかったと思う。だってオークは私をこき使って命令したり、低俗な嫌がらせをしてくるけれど、魔王様は部下の生活環境にまでこうして気を遣って下さっているから。


「ありがとうございます。魔王様!」


 あっ、いけない。つい心の声が漏れてしまった。


「…………魔王様?」


 ギロって鋭い視線が飛んできた。やばい、怒らせてしまったかもしれない。


「俺の名前はジルフィードだ。ジルフィード・シャドウクロツ。外で魔王などと呼ばれては困る。きちんと覚えておいてくれ」

「はい、すみませんでした」

「他に何か質問はあるか?」

「今のところはございません」

「そうか。それでは、失礼する。後は自由に過ごしてくれ」


 何とか危機は乗り越えられたようだ。でもきっと、怒らせてしまった。何となくピリピリとしてた空気から、それだけは感じ取れたから。次会った時は、きちんとお名前で呼び掛けよう。魔王様呼び、ダメ絶対。快適な魔王の部下ライフを送るために、魔王様に極端に嫌われるのだけは困る。



 ジルフィード様とそうやって契約を交わしたのが一週間前。そして今現在――


「君がジルが愛してやまない新妻さんか~」


 ジルフィード様と一緒に、レイフォード王国国王のランス陛下へ挨拶に伺った私は、早くもピンチを迎えていた。

 じぃーっとこちらをご覧になっているランス陛下の疑いの眼差しに、緊張で私の胃には穴があこうとしている。


「王国の太陽、ランス陛下にご挨拶申し上げます。ベルナデッタ・シャドウクロツと申します」

「堅苦しいのはいいよ。ここには今、僕達しか居ないわけだし。それで、二人はどこで知り合ったの?」

「魔法実技の臨時講師として魔法学園に行った時に、俺が一目惚れした」


 正直、私とジルフィード様には接点が皆無だった。無理やり何とか作り出した接点が、魔法学園での関係だった。

 とはいえ、氷の魔王と揶揄されるスーパーエリート魔法使いの臨時講師が学園に来たのは、在学中にほんの一回。流石にこの馴れ初めでは無理があるんじゃないかと思ったけど、それ以外に接点がないのだから仕方ない。


「やだ、ジルったら! 生徒に手を出すなんて教師の風上にもおけないじゃない」


 どうやらランス陛下は茶目っ気いっぱいのお方らしい。


「生徒の間は何も手を出していない」

「ふーん、だから卒業と同時に屋敷に連れてったんだ~」


 ある程度事前に打ち合わせはしていたものの、ランス陛下はまだ疑いの眼差しをこちらへ向けている。

 そりゃそうだよね。普通に考えて、ジルフィード様が七歳も年下の平凡な令嬢に一目惚れする要素がない。


「公爵夫人は、ジルを愛してるの?」

「は、はい。お慕いしております」

「本当にそうかな~表情硬いな~脅されてたりしてない?」

「いえ、そのような事は決して!」

「なんか必死だな~そうだ! 証明してみせてよ」

「証明、ですか?」

「愛し合っている夫婦なら簡単だよね。キスして見せて。略式で済ませちゃうから、結婚式参加出来なかったんだよね。今ここで、誓いのキスをして見せて」


 こ、これが契約の時に仰られていた多少のボディタッチなのね。


「分かった」


 ジルフィード様は迷うことなく身を屈めて私にキスを落とした。私のファーストキスは、国王への証明のために散った。

 これでやっと信じてもらえたと思ったら、ランス陛下はそれでも不満だったらしい。


「そんな子供騙しみたいなやつじゃ認められないよ。我が弟は任務遂行のためなら、如何なる事もやってのけるからねぇ」


 ヤバい、まだ全然疑いが晴れてない。


「人前でするような事ではない。妻が恥ずかしがっているから、ふざけるのはやめてくれ」


 なるほど、恥ずかしがればよいのですね。モジモジ。


「ふざけてないよ。愛する妻になら、潔癖症の君でも出来るでしょう?」


 ジルフィード様って潔癖症だったんだ。確かに家の中でも、常に手袋をしていらっしゃったわね。


「僕は心配しているんだよ。優秀な君の血筋が途絶えてしまったら困るからね。僕が紹介してあげた優秀な魔力を持つ令嬢をことごとく断って選んだ妻が、偽りであっては困るから。もし国王である僕を騙してたら、公爵夫人の死罪は免れないよ」


 死罪?! なんか、恐ろしい言葉が聞こえた。モジモジしてる場合ではない。

 にこやなか笑みを浮かべているけど、ランス陛下の目は笑っていない。どうやら冗談ではないようだと、ピリピリした空気から嫌でも分かる。

 美味しい話には裏がある。まさかここまで重たい裏があったなんて……契約書には書いてなかったじゃん。


「やれば、信じるのか?」

「勿論」


 ジルフィード様の顔色が悪い。潔癖症なら、私に触れる事でさえ本当は嫌で仕方ないのだろう。頬に添えられたジルフィード様の手が震えている。なんか目の前のジルフィード様、今にも吐きそうなんだけど。いくらイケメンでも嫌だよ、もらいゲロなんて。


 本当は使わない方がいいのは分かってる。生前お母さんに、この力の事は秘密にしておくよう言われた。でもここで嘘だとバレてしまったら、殺される上にもらいゲロ! 手段は選んでいられない!


 癒しの力よ、かの者の心を浄化したまえ。あらゆる恐怖や不安を取り除く浄化魔法を、ジルフィード様が私に触れている手から送り込む。


 ジルフィード様が驚いた様子でこちらをご覧になっている。「すまない……」と、私にだけ聞こえる小さな声で仰った後、再び口付けをされた。


 ジルフィード様の舌が口内に入って私の舌に触れた瞬間、私は思い出した。かつて、封印されてしまった力と記憶を。


 ああ、どうしよう。

 血が滾る。

 殴りたい。

 汚い肉を殴り倒したい!

 そこの玉座に座った、汚ならしい肉を!


「ふーん。そこまでやるなら認めてあげるよ」


 つまらなさそうにそう仰ったランス陛下に、私は話しかけた。


「ランス陛下、私からも一つお願いがあるのですが、聞いて頂けませんか?」

「なーに? 言ってごらん」

「一発、殴らせて下さい」

「なんで?」

「ジルフィード様の潔癖症は、そんな簡単に治るものではございません。わざわざ無理をさせてまで、私の愛する旦那様にそんな余興をさせた陛下に少々腹を立てておりまして」


 もっともらしい言い訳を述べて、汚ならしい肉に声をかける。邪気を纏った人間の肉は、私には黒く淀んで見える。早く目の前の汚ならしい肉を、殴らせろ。頭の中はそれでいっぱいだった。


「そう、分かったよ」

「ありがとうございます。それでは遠慮なく……」

「は? ちょっと、何その構えは……!?」


 こちらを見て狼狽えるランス陛下。


「問答無用。散れ、悪肉退散!」


 拳に聖気を込めて、思いっきり顔を殴ってやった。ランス陛下が玉座からふっ飛んで転げ落ちた。


「ふぅ……久しぶりに汚いものを殴ってしまったわ」

「あ、兄上?!」


 心配そうに駆け寄ったジルフィード様に、とりあえず無害だよってアピールしとこ。


「ああ、ご安心下さい。怪我はされていませんよ。殴りながら治しましたので。ついでに、腹黒い心の方も浄化して差し上げました」

「僕が間違っていた。ジル、無理を強いて悪かったね。君達の愛は本物だ。認めよう、君達の結婚を!」


 死罪は免れたけど、ジルフィード様からの説明せよと言わんばかり圧からは、逃れられそうになさそうだ。あーあ、どうしよう。





「君は、聖属性魔法が使えたのか?」


 帰りの馬車で、斜め前に足を組んで座るジルフィード様が唐突にそう尋ねてこられた。


「はい、そうですね」


 馬車の隅っこで縮こまりながら、私は答える。


「なぜ隠していた? 公言すれば、このような契約結婚などせずに済んだのではないか?」


 秘密事項があったのは、契約違反と言われてしまうのだろうか。


「ジルフィード様は、私の事情をある程度は調べられておられたのではありませんか?」

「ああ。それは否定しない。契約結婚をするにあたり、一番君が最適だと思ったからな。だが、聖女の力が使える事は知らなかった」


 それは必死に隠して生活してきましたからね。私にこの力があるのを知ってるのは、亡くなった両親と叔父夫妻が追い出した当時屋敷で働いていた使用人の数人だけ。彼等はとても忠義を尽くしてくれたし、秘密を簡単にばらすような者達ではない。


「叔父にとって、私はただの商品です。ムカつくじゃないですか、ただでさえ高い結納金をくれる所に嫁がせる事しか考えてませんでしたし。付加価値をつけたら喜ばせるだけです」

「だから学園でも、成績は常に中の中をキープしていたのか?」

「普通が一番ですよねぇ。目立たず地味に、誰にも興味を持たれないよう努力した結果です」


 私の言葉に、何故かジルフィード様は頭を抱えてしまわれた。


「具合が悪いのなら、治療しましょうか?」

「いや、そうではない。俺は君の価値を見誤っていたようだと、後悔しただけだ」

「まさか、契約破棄ですか!? 困ります、そうしたら私、路頭に迷ってしまいます……」

「今からでも、教会に保護してもらえば大聖女として大切に扱ってもらえるだろう」

「それも困ります! 聖女は殴ってはいけないでしょう? 私は、汚ない肉を殴るのが趣味なんです! 一生それを封印されてしまう場所なんて、ただの生き地獄じゃないですか!」


 私の言葉で、ジルフィード様はさらに頭を抱えてしまわれた。


「君は、こんな生活でいいのか?」

「大満足です! 毎日温かい食事を頂けて、綺麗なお洋服までご用意してもらい、ふかふかのベッドで安心して眠れます。これ以上の幸せはありません!」


 私の言葉に、何故かジルフィード様の目の端にはじわりと涙が。


「あの……何かおかしな事を言ってしまいましたでしょうか?」

「いや、すまない。あまりにも君が不憫すぎて、胸が痛くなっただけだ……」

「ご不快な思いをさせて申し訳ありません!」


 一週間お屋敷で生活させてもらって、本当に楽園のようだったから感謝の意味を込めてお伝えしたかったのだけど、ただの不幸自慢になってしまったのかもしれない。

 両親が亡くなって、当たり前だった生活が意図も容易く壊れてしまった私には、ここで過ごした一週間が本当に幸せだった。でもジルフィード様にとったら、ただの惨めな女認定させてしまっただけなんだと気付いた。


「いや、謝らないといけないのはきっと俺の方だ。本当にすまなかった」


 やはりこの方は、とても律儀だな。表情が硬いだけで、感情は豊かな方なのかもしれない。


「ジルフィード様、私は貴方に感謝しています。だって貴方のおかげで、私にかけられていた封印が解けましたので」

「封印?」

「幼い頃の私は、屋敷の中で撲滅聖女と言われていたんです。汚い肉を殴って浄化する事に愉悦を感じる私の姿を見て、両親が私の将来を心配して封印を施しました。普通の令嬢として幸せを掴めるようにと」

「君のご両親の判断は、きっと正しい」

「両親が事故で他界してしまってから、その封印を解く方法を探していたんですが分からなくて諦めてたんです」

「何故、封印が解けたのだ?」

「両親は私に言いました。『ベルが本当に愛する人と結ばれた時に、この封印は解けるようにしている』と」

「まさか……」

「愛する人以外とディープキスをするなんて、両親も夢にも思ってなかったんでしょうね」

「本当にすまない」


 間髪入れずに謝られてしまった。

 まぁ私に眠っていた力が、まさかこんなに肉を殴りたい欲求と強い聖気だとは思いもしなかったけど。本当の自分を取り戻せて気分は最高。


「封印が解けて満足してます。だからどうか謝らないで下さい。それにジルフィード様だって、私の命を助けるために、我慢してやってくださったじゃないですか」

「それはこちらの事情で巻き込んでしまったのだ。無下に見捨てるわけにはいかない。でも君が相手じゃなかったらきっと、俺の身勝手な都合で犠牲にしてしまったのだろうな……」


 そう仰ったジルフィード様の手は、小刻みに震えていた。


「今回の件でランス陛下も認めて下さいましたし、きっと大丈夫ですよ。それに私以外、ジルフィード様の契約妻を務められそうな人材は他におられないでしょう? だからこのまま雇用の方向でお願いしたいのですが……」

「そうしてもらえると俺は助かるが、君はそれでもいいのか? 折角優れた才能を持っているのに……」

「ジルフィード様は、私の力を悪用しようとはなされないでしょう?」

「それは勿論」

「契約さえ守れば、肉を殴るのが趣味のバイオレンス女でも文句言いませんよね? 互いのプライベートには口出ししない約束ですし」

「ああ、そうだな」

「好きなことをしても咎められない! 安心できる場所で自由に生活出来るんです。これ以上の幸せはありませんよ!」


 まぁ、少し命の危険を感じはしたけどあのお肉は浄化したから大丈夫。もし汚らわしいお肉が現れたら私が殴って浄化すればいいだけだし、やっぱりここが一番快適な居場所だ。


 あれ、何かジルフィード様が若干引いた目でこちらを見てる。


「ベルナデッタ、少しだけ契約内容を変更してもいいだろうか?」

「どのように?」

「一週間に最低一回は、共に食事を取って近況報告する時間を設けよう」

「…………監視ですか?」

「野放しにしておくのが、少し不安になっただけだ」


 その日、契約書に新たな契約事項が増えた。


9、一週間に最低一回は共に食事を取り、近況報告をする事





 シャドウクロツ領は、他の領地に比べて魔物の出現数が桁外れに多い。それでも流石に屋敷内には出ないだろうと思っていたら――


「キャー!!」


 女性の悲鳴が聞こえて庭に出ると、普通に居た。醜いオークが。


「グキキ?」


 私は魔物の中で、一番オークが嫌いだ。何故かって? それは、義家族を思い出すからだ!


 ああ、血が滾る。


「勝手に屋敷に入ってくんな!」


 個人的な恨みと聖気を込めて、憎きオークに腹パンしたら、オークがふっ飛んだ。


「ふぅ……また汚ない肉を殴ってしまったわね」


 ムクッと起き上がったオークに「勝手に屋敷に入ってきてはダメよ」ときつく言い聞かせて帰らせた。綺麗になった肉に用はない。


「奥様、ありがとうございます」

「リリー、怪我はない?」

「少し、腰を痛めてしまったみたいで」

「少しだけ手を貸してもらえる?」


 地面に尻餅をついてしまっているリリーの手を握って、治療を施す。


「すごいです、奥様! 痛みが消えました!」

「それならよかった。リリーはいつもふかふかのベッドを用意してくれるから、大好きよ」

「そのように仰って頂けて嬉しい限りです」

「娘さんの結婚式も控えてるんだもの、怪我なんてしてる場合じゃないわ!」

「本当にありがとうございます」


 ここのメイドさん達は皆優しいから好きだ。スノーレンス伯爵家のように、私を蔑む者は居ない。契約妻だと皆きちんと理解してくれてる上で、私が不自由しないように尽くしてくれる。だからこんな汚ならしいオークのせいで、怪我なんてしてほしくない。



「だ、だれかー!」


 今度は何かしら?


 急いで声のした調理場へ駆けつけると、そこには冷蔵庫を漁るゴブリンの姿があった。

 屋敷内にまで、魔物が入ってくるの?!


 ゴブリンが手にしていたもの、それは私の大好きなリンゴだった。だめ、それは私のデザートよ!


「私のリンゴを返しなさい!」


 聖気を込めた拳で拳骨すると、ゴブリンはごめんなさいと言わんばかりにリンゴを差し出してきた。


「返してくれるなら、許してあげるわ」

「キキキ!」

「でも、勝手に屋敷の中に入ってきたらダメでしょう? 皆驚くじゃない」

「キキー……」

「そう、反省してるのならいいわ。次からはしない?」

「キキッ!」

「用事がある時は、きちんと玄関から! 事前に約束をしてから来るのよ、分かった?」

「キキッ!」

「じゃあ、そろそろお家に帰りなさい」

「キキッ!」


 ゴブリンは窓から帰っていった。


「あの、奥様……」

「どうしたの? ヨーゼフ」

「魔物の言葉が分かるのですか?」

「何となく言いたいことは伝わってくるわね」

「最近よく食材が無くなっている事があって困っていたので、助かりました。ありがとうございます!」

「きっとゴブリンがバレないように持ち去っていたのね。それよりも、怪我はない?」

「はい、大丈夫です」

「よかった。貴方の作るご飯、美味しいから大好きよ」

「あ、ありがとうございます! 奥様に喜んで頂けて嬉しい限りです!」

「私、リンゴ好きなの。これで美味しいデザートが食べたいなぁ……」

「お任せください! 腕によりをかけて、美味しいリンゴのデザートをお作りします!」

「ありがとう、期待してるわ!」


 やった、美味しいデザート楽しみね。

 その日の晩、ヨーゼフは美味しいリンゴのタルトを焼いてくれた。ほっぺたが落っこちそうになるくらい、とても美味しかった。


 その翌日からも、屋敷の敷地内に魔物が勝手に入り込んで来ることがあった。屋上にキメラが巣を作ろうとしたり、庭園をウルフが荒らしていたり、その都度私は汚ないお肉を殴って浄化する日々を送っていた。


 流石に毎日屋敷の敷地内に魔物が入り込んでくるのはよろしくない。私が駆けつけるのが間に合わなければ、使用人の誰かが怪我をする可能性がある。私の魔法で治療はしてあげられるけど、痛い思いはなるべくしてほしくない。


 契約にあるジルフィード様とのお食事の時に、屋敷の防犯管理がどうなっているのか確認する事にした。


 そうして迎えたお食事の日。いつもより早く屋敷に戻られたジルフィード様と夕食を共にした。


「あの、ジルフィード様。お伺いしたい事がございます」

「どうした?」

「最近毎日敷地内に魔物が侵入しています。邸宅の防犯管理がどのようになっているのか、お伺いしたいのですが」

「なんだって?! それは誠か?!」


 あれ、知らなかったのかな?

 そういえばこの一週間、屋敷でジルフィード様のお姿を全く拝見してなかったわね。


「邸宅の敷地内には魔物が入れぬよう、結界を施している。よほどの魔物でない限り入ってくるのは不可能なはずだが……」

「オークにゴブリン、キメラにウルフ、その他にも低級の魔物を多数お見かけしましたけど……」

「その魔物は、どうしたのだ?」

「殴りました」

「君が退治したのか!?」

「退治というか、殴って更正させただけです」

「……怪我はないか?」

「はい。幸い使用人達は皆無事です」

「いや、君に怪我はなかったかと聞いているのだ」

「ああ、私は怪我しても治せるから大丈夫ですよ。ご心配してくださり、ありがとうございます」

「ベルナデッタ、契約内容を少し変更してもいいだろうか?」

「またですか!?」


 どんどん規則が厳しくなっていくのは嫌だな。ジト目でジルフィード様をみてると、ある提案をされた。


「分かった、こうしよう。契約内容を変更する際は申し出た方が、相手の言うことを何でも一つ聞く。これならどうだ?」

「つまり契約内容を変更したら、私の望みをジルフィード様が一つ叶えてくださるって事ですか?」

「そういうことだ」

「分かりました。それで契約はどのように変更を?」

「君には今後、護衛をつけたい。万一の事があっては困るからな。屋敷の結界は今一度張り直すから、安心してくれ」

「分かりました。お願いします」


 その日、契約書に新たな契約が追加された。


10、安全のために、移動する際は必ず護衛騎士を伴う事


「それで、君の願いは?」

「私、バトルグローブが欲しいんです! だから、良い武器屋を紹介してもらえませんか?」

「護衛の意味……」

「何か仰られました?」


 ボソッと呟かれたせいで、よく聞こえなかった。


「いや、何でもない。今度一緒に買いにいくか?」

「よろしいのですか?」

「ああ。来週の安息日でも良いか?」

「はい、いつでも大丈夫です!」


 やった、これでもっと強大な汚ないお肉も殴れるわ!





 翌日。朝食を済ませた後、今日は何をしようかなと部屋でゴロゴロしてた私の元へ、ジルフィード様が訪れた。一人の騎士を連れて。


「おはようございます、ジルフィード様」

「ああ、おはよう。ベルナデッタ、昨日話した件は覚えているか?」

「バトルグローブ!」

「そっちではない。それは来週だ」

「なーんだ」

「ちょっと待て、まだ話は終わっていない!」

「何ですか?」

「君の護衛騎士を連れてきた」


 ジルフィード様に促されて、控えていた騎士が挨拶をしてくれた。


「お初にお目にかかります。本日より奥様の護衛騎士に任命されたレイス・バークスと申します。どうぞレイスと呼び捨てください」


 一寸の狂いなく騎士服を着こなした黒髪の騎士が現れた。ジルフィード様によく似て、中々に堅物そうな雰囲気のお方ね。


「ベルナデッタ・シャドウクロツです。分かったわ、レイス。これからよろしくね」

「よろしくお願いいたします」

「これからレイスには、君の専属護衛騎士として付いてもらう。剣術、体術、魔法、全てに秀でた優秀な騎士だ。屋敷の結界も張り直したから安心するといい」

「はい、ありがとうございます」

「それでは、俺は仕事へ行く。レイス、あとは頼んだぞ」

「はい、お任せください」


 踵を返して部屋を出ていこうとされたジルフィード様に私は声をかけた。


「いってらっしゃいませ。どうぞお気をつけて」

「ああ、ありがとう。行ってくる」


 驚いた事に、ジルフィード様は足を止めてそう言葉を返してくださった。明日は槍が降るかもしれない。


 まぁ、それよりも!

 ジルフィード様が選んでくださった騎士なら、きっと強いはず。よし、いいこと思い付いた!


「レイス、庭園に散歩に行きたいのだけど……」

「かしこまりました。お供します」


 フフフ、連れ出すのは簡単ね。護衛だから私に付いてくるし。


「あの、奥様……」

「どうしたの?」

「庭園から道を外れているようですが……」

「私の庭園はこっちよ」


 離宮の裏に移動してたどり着いたのは、私専用の訓練所!

 目立たない場所をこっそり改造して作った。ちなみに契約違反ではない。だって公爵家の敷地内では自由に過ごして構わないっていう契約だしね。

 大木に吊るしたサンドバッグの前にレイスを誘導して声をかける。


「ねぇ、レイス。私強くなりたいの。だから、訓練をつけてくれないかしら?」

「奥様は俺がお守りします。その必要は……」

「いざという時、心得を知ってるか知っていないかで大きく変わると思うの。私はこのシャドウクロツ領の公爵夫人よ。ただ守られるだけの存在にはなりたくないの。だからお願い!」

「奥様……」

「今までは自己流でやってたんだけど、やっぱりちゃんと心得がある人から学びたいじゃない? それにこちらに来たばっかりで頼れる人もそんなに居ないし、お願いできないかしら?」

「ですが……」

「授業料もきちんと払うわ!」


 びっくりするくらい自由に使える予算もあるし。


「いえ、そういう問題では……」


 くっ、中々強情ね!

 かくなる上は、あまり使いたくはなかったけど仕方ない。


「もし引き受けてくれないんだったら、残念だけど護衛騎士を他の方に代わってもらうわ……」

「それは困ります!」

「どうして?」

「ジルフィード団長は俺を信頼して、この任務を任せてくださいました。その期待には、何としてでも応えたいのです」


 思った通り、忠義心はかなり強そうだ。


「じゃあ、私のお願い聞いてくれる? もしジルフィード様に何か言われたら、護身術を習ってるだけだって私がきちんと説明するから」

「分かりました。ただし、基本だけですよ?」

「ええ、今はそれで十分よ! ありがとう」


 それからレイスに、体術の基本訓練をつけてもらった。

 まずは運動前にストレッチをして体をほぐす。そして基礎体力をつける走り込みから始まり、各筋肉トレーニング、そして正しい型を身につけるための打ち込み練習。


 最初は一時間もしないうちにヘバってしまったけど、一週間毎日続けたら体も慣れてきた。


「奥様、中々筋がいいですね」


 なんて、褒められもしたから気分は最高だ。

 汚ならしいお肉を思いっきり殴るには、鍛えぬいた体が必要だしね。


 でもジルフィード様が結界を張り直してくださったおかげで、屋敷内に汚ない肉も入ってこなくなってしまった。皆の安全を考えれば良い事なんだけど、たまにはサンドバッグではなくて生の肉を殴りたい欲求が募る。


 訓練を終えて屋敷に戻ろうとしたら、正門の方が騒がしいのに気付いた。いいね、事件の予感だ!


「すぐに旦那様に伝令を! 屋敷に残っている騎士を呼び集めて対処にあたれ!」

「どうしたんですか?」

「奥様! 危険なので屋敷の中へお入り下さい! 結界の外に魔物が集まっています!」


 あれ、あのゴブリンにオーク、キメラにウルフは、この前私が浄化した魔物達だ。


「奥様! おさがり下さい!」

「ランス、彼等は私には害を与えないわ。大丈夫、結界の外には出ないから見てて。心配なら側にいるといいわ」

「分かりました。ですが、少しでも怪しい動きを見せたら斬ります」

「ええ。貴方達、どうしたの?」


 声をかけると、魔物達は私を見るなり何だか嬉しそうな声をあげた。そしてアイテムを差し出してきた。


「私にくれるの?」


「キキッ!」

「フゴッ!」

「キィキィ!」

「ワオーン!」


 どうやらもらって欲しいようだ。


「レイス。魔物達がこのアイテムをくれるみたいなんだけど」

「いけません! 呪われたアイテムだったらどうするんですか!」

「その時は浄化すれば使えるよ」

「……たしかに」


 よし、レイスが納得している間に受け取っちゃおう。そしたらこの子達も帰るだろうし。


「皆、ありがとう」


 満足そうに魔物達は森の方へ帰って行った。


「奥様、怪我はありませんか?」

「大丈夫よ。心配してくれてありがとう」


 貰ったものは、短剣に花飾りのブレスレット、白い布に真っ赤な果実。なんで魔物達は、これをくれたんだろう?


「魔物はどこだ?!」


 その時、早馬を飛ばしてジルフィード様が帰ってこられた。


「もう帰りましたよ」

「か、帰っただと?!」

「はい。私にこれを渡したかったみたいで、受け取ったら素直に帰っていきました」

「こ、これは……」


 ジルフィード様が私の手にしたアイテム達を見て、何故か顔を青ざめさせている。


「少し話がある」


 ガシッと私の腕を掴んだジルフィード様は、長い足を動かしてずんずんと歩き出す。


 あれ、潔癖症なのに触れるの?


 なんて疑問を抱きながら、仕方なくそのまま付いていく。誰もいない部屋に入ってようやく手を離してくださった。


「ベルナデッタ、短剣はゴブリン、花飾りのブレスレットはオーク、白い布はキメラ、赤い果実はウルフから貰ったのか?」

「はい、そうですが」


 私の言葉にますます悲壮感を漂わせるジルフィード様。一体何なの?


「確かに恋愛は自由だと言ったが、魔物の愛人を作るのはどうか、止めて欲しい……」

「はい?」


 ちょっと何を仰っているのか意味が分からなかった。


「それらのアイテムは、魔物が求婚する時に渡すアイテムだ」

「えっと、じゃあ、つまり……?」

「君が浄化した魔物達は、君の事を気に入っているのだろう」

「魔物に求婚されたって事ですか?!」

「そのようだ」


 つまり私が、魔物の愛人を一気に四人も作ったと思われたって事?!

 どうしよう、四発ぐらい殴ってもバチあたんないよね? これ。でも、殴るだけじゃ収まんない! ムカついた腹いせに、ジルフィード様を少しからかってやろう。


「契約違反ではありませんよね? 互いのプライベートには口出し不要だったはずです」

「それはそうだが……」

「私がどこの誰と愛し合おうが、ジルフィード様には関係ありませんもんね? 大丈夫ですよ、人間より魔物相手の方が他の人にはバレませんし。これからどんどん魔物を浄化して、魔物ハーレムを作り上げます」


 チラッとジルフィード様の様子を確認すると、拳をぎゅっと握りしめてブルブルさせておられる。やばい、怒らせちゃったかな?


「魔物は突然気性が荒くなることもある。君の身に危険が及ぶ可能性がある行為はどうか、止めて欲しい……」


 悲しそうに目を伏せてそんな事を言われてしまえば、何だか私が悪人みたいじゃない。でもからかったのは、少し反省。


「もしかして、私の事を心配してくださっているのですか?」

「当たり前だ! 君は俺の、その……一応、妻なのだし……」


 恥ずかしそうに顔を背けてしまったジルフィード様の耳が、心なしか赤い。


「冗談ですよ。そんな事するわけないじゃありませんか」

「本当か?」

「はい。魔物の愛人を一気に四人も作ったと勘違いされたのに、少しムカついてからかっただけです」

「そうか、それならよかった」


 ジルフィード様は安心したのか、ふわっと優しい笑顔を浮かべてこちらをご覧になっている。

 え、なにその破壊力抜群の笑顔……不覚にも見惚れてしまった。表情筋固い人の不意打ち笑顔なんてやめてー! 顔がいいだけに、絵になるな。


「ジルフィード様、一つお聞きしてもいいですか? さっき、私のプライベートを勝手に勘違いした腹いせに」

「……すまない。聞こうか、フェアじゃないからな」

「どうして契約妻を探されていたのですか?」


 ジルフィード様がどれだけ結納金を払って下さったのか私は知らない。だって全部あの金にがめついオークの元へ払われたのだろうから。でもオークがそれを受けたという事は、かなり高額だったのだけは分かる。

 そこまでして、妻を欲する理由が純粋に気になった。氷の魔王と恐れられているにしても、地位も財力も容姿も優れたこの方に嫁ぎたい令嬢は少なからず居ただろうに。


 陛下は跡継ぎの事をえらく気にしていたご様子なのに、契約には養子をもらうってなってるし。なんか矛盾してるんだよね。


「それは……」


 ジルフィード様は口をつぐんでしまった。その表情は暗い。空気までどんより感じる。


「あ、言いにくい事だったらやっぱりいいです!」


 単なる疑問を軽いノリで聞いただけだから、無理に吐かせようという気はないし。


「いや、君には知っておく権利がある。最初に説明もせずに、危険に巻き込んでしまったからな……」


 陛下に嘘だとバレたら処刑事件ね、よく覚えてるよ。


「女性に触れるのが、怖いのだ。だから普段は、潔癖症のフリをしている。昔、婚約者が居たのだが、一切触れることが出来なかった。その事を苦に、彼女は自ら命を絶ってしまった」


 やばい、なんか重いぞ。

 思ってたのよりかなり重い。


 君を愛することはない! って宣言された割に、なんでそんな心配してくるんだろうと思ったらそういう理由があったのか。確かに自分のせいで誰かが死んでしまったら、辛い。


 一つ気になっていた謎も解けた。このお屋敷、男性の使用人の数が多いなとは思ってた。そして女性の使用人は、比較的年齢が高めなのだ。育児が一段落したくらいの年齢層っていったらいいのかな。若いメイドさんが居なかったのは、そう言う理由もあったんだね。


「兄上は、俺の血筋が途絶える事をとても危惧しておられる。このシャドウクロツ領を守れる魔法騎士の跡継ぎを、何としても作らねばと。しかし俺は、もう彼女のような犠牲を出したくない。だから……」

「契約妻が必要だったんですね。お互い干渉しないビジネスライクの」

「そうだ」

「でもさっき、私の腕掴んでましたよね?」

「はっ! 確かに、そうだな……さっきは気が動転していたのだ」


 何でそこで驚いた顔するの!

 まさか、今気付いたの?


「事情は分かりました。ジルフィード様、私が協力しましょうか?」

「君が? 女性恐怖症を治してくれるのか?」

「いえ、違います」


 何でジト目で睨むんですか。

 まぁ一時的な恐怖なら私の癒しの力で緩和してあげる事は出来る。毎日癒しの力をかけてあげれば、女性にも触れるようになるだろう。けれどそうすると、契約妻の私はお払い箱にされてしまう。この生活を手放すのは惜しい! というわけで、お互い利益のある提案を受け入れたまえ。


「陛下がジルフィード様に跡継ぎを望むのは、このシャドウクロツ領が常に魔物の危険に晒されているからでしょう? だから悪いことする魔物の悪肉を殴りまくって、私が浄化して無害化します。魔物の被害が減れば、必ずしも強い跡継ぎは必要ないでしょう? 私は悪肉を殴れて嬉しい、ジルフィード様は領地が平和になって嬉しい。いかがですか?」


 どう? 最高の提案でしょう?


「……くっ、ははは!」

「何故突然笑い出すのですか」

「いや、ブレないなと思っただけだ」

「それで、いかがですか?」

「いい提案だが、女性の君を危険に巻き込むわけにはいかないな」


 ぐぬぬ、折角うまくいきかけてたのに!

 仕方ない、足手まといにはならないよって事を証明するしかないか。



「ジルフィード様、自分の身が自分で守れれば参加させてもらえますか?」

「まぁ、そうだな」

「でしたら今ここで、その剣を抜いて私に切りかかってみてください。貴方の攻撃は決して、私には届きませんから」

「本気で言っているのか?」

「ええ、冗談で言いませんよ。私だって命は惜しいですから」

「分かった。ここだと狭いから庭に出よう」


 屋敷の外の人目がない裏庭に移動した。流石に使用人達の前で物騒な事は出来ないから。


「ここまでくればよいだろう」

「では、かかってきて下さい」

「ああ、分かった」


 私は自分の半径一メートル以内に聖域を作った。いかなる武力も魔法も無力化される聖なる領域、究極のガード。


 ジルフィード様の剣は、その聖域ガードによって弾かれた。


「ちなみに魔法も効きません。試してみてください」

「分かった」


 ジルフィード様は、「アイスニードル」と唱えて手から氷の矢をこちらへ放つ。それも聖域ガードに阻まれ途中で消えた。


「すごいな。それも聖女の力か?」

「どうなんでしょう? 聖女教育を受けた事はないので、全部自己流です。今のは私の半径一メートル以内に、聖域のガードを作ったのです。あらゆる害をなす攻撃を無効化できます」

「その力があれば、魔物討伐に同行しても大丈夫だろう」

「ただしこれにも弱点はあります。長時間は使えません。それと例えば――」


 ジルフィード様の元へ歩いて近付いた。驚いた様子で硬直するジルフィード様に声をかける。


「このように至近距離で聖域ガードを発動した場合、共に聖域内に入った者は守ることができます。ですが逆に、ジルフィード様がこのまま私に攻撃した場合、その攻撃は無効化出来ません」

「そ、そうか……」

「突然近付いてすみませんでした。ただ弱点も理解しておいてもらった方が良いと思ったので話しました」


 いざという時の保険!


「いや、構わない。他にはどんな事が出来るんだ?」

「基本的には、浄化と治療、後は肉体強化ですね。浄化と治療は、直接対象に触れる必要があります。少しでも触れてさえすれば、そこから聖気を送り込めます。肉体強化は、例えば殴る時に拳に聖気を集める事で、その威力を強く出来るのです。殴りながら同時に浄化と治療も施すので、相手が怪我をする事はありません」

「なるほど。あの時、触れた部分から俺を浄化してくれたって事か」

「あの時?」

「いや、何でもない……」


 ジルフィード様は何故か顔を背けてしまった。


「ああ、あの時ですねぇ……」


 必死に命を守りながらもらいゲロを阻止した時か。


「でも昔はもっと強い力を使えたんですけどね」

「え、今よりか?」

「はい。聖域ガードも半径十メートルくらいは作れましたし」

「今の十倍じゃないか!」

「封印の一部は確かに解けたんでしょうけど、まだ完全には解けてないんだろうなーと最近思ってたんですよ」

「その封印は、本当に愛する人と結ばれた時に解けると言っていたな」

「はい、両親は確かにそう言ってました。ジルフィード様の力になるためにも、はやく愛人を見つけねばなりませんね」


 どこかに素敵な良い男性は転がってないだろうか。屋敷内の男性に声をかけるのは迷惑がかかるし、街に出てナンパ……いやいや、外で変な行動は出来ないし。うーん、難しい。


「ベルナデッタ」

「はい、何でしょう?」

「俺じゃ、ダメか?」

「ダメでしょう。私を愛するつもりがないジルフィード様とでは、完全に封印は解けませんし」

「だから、その……これから少しずつ、育んでいくのは、どうだろうかと……」

「熱でもあるんですか!? 治療しましょうか?」


 リンゴみたいに顔真っ赤ですよ、ジルフィード様。


「君が魔物からもらったというアイテムを手にしているのを見て、俺はとても焦っていた。苦しくて、苦しくて、何故か悔しいと思った」

「は、はぁ……」

「そして今、君が他の誰かと愛を育む姿を想像して、胸が張り裂けそうになった」

「えっと、つまり……」

「俺以外の者と、その……あのような口付けはして欲しくない」


 私だって嫌ですよ、もらいゲロにおびえながらするキスなんて!


「だから、その……契約を更新して、本当の妻になってくれないだろうか?」


 ジルフィード様は片膝をついて、私の手を取った。その手は、震えていなかった。


「君になら、こうして触れる事が出来る。どうやら俺は、君の事を好きになってしまったようなのだ。兄上の仰っていた事は、本当だったのだな」


 どうしよう、頭がついていかない。一個ずつ確認してみよう。


「あの契約をどう更新されるのですか? 敷地内では……」

「自由に過ごして構わない。自由に使える予算はもっと増やそう」

「互いのプライベートに口出しは……」

「する。他の男は見ないでくれ。愛人もだめだ」

「寝室は……」

「共にして、何れは俺の子を産んで欲しい」

「公式の場では……」

「何も演じる事はない。自然体の君で居てくれ。俺はそんな君を愛でよう」

「国王に……」

「何を言われても痛くも痒くもないな」

 

 何で突然こんな積極的にこられるの?!


「それに君は、完全に封印を解きたいのだろう? 後は君が俺を好きになってくれるだけで、解決する。一から他の男と関係を作り直すより楽ではないか?」

「そんな理由で選んでもいいんですか?」

「君を手に入れるためだ、手段は選んでいられない。封印を解くために、君も俺を好きになる努力をしてくれるだろう? 悪くない」


 よく考えたらこの方は、目的のためなら手段は選ばない方だった。契約妻として私を買ったのもそうだし。

 そしてその目的が『私自身に変わった=逃げられない』と、瞬時に悟った。まぁ、逃げても行くところもない。それをよく調べた上での契約妻として私を選ばれたのだろうし。

 結局、この手を取るのが色々手っ取り早いと判断した。


「分かりました。よろしくお願いします。契約を六項目更新されたので、六個私のお願い聞いてくれるって事ですよね?」

「勿論だ。六個と言わず、君が望むなら何でも叶えてやろう」


 その後、ジルフィード様はその言葉通り私の望みを何でも叶えてくださった。


 お庭を改装して立派なトレーニング場を作って下さったし、戦闘面に特化しつつ外に出てもおかしくないドレスを作りたいといったら、あらゆる専門家を呼んで私の意見を取り入れながら開発してくださった。


 陛下に「少しは控えてくれ」と苦言を呈されるくらい、私にベタベタのジルフィード様に、今度は別の意味で頭を抱える陛下を見て、思わず笑いそうになった。


 私の知らないうちに、いつの間にかスノーレンス伯爵家は一番末っ子の叔父夫婦が家督を譲り受けていた。どうやら金にがめついオークの横領が発覚し、一家離散したようだ。

 裏でジルフィード様が何か仕掛けてたようで、「君を苦しめた悪肉は退散させないといけないだろう?」と悪い顔して言っていた。


 可愛い子供に三人も恵まれ、私の封印は完全に解けた。その力を引き継いだ子供達も、まぁ強い力に恵まれて、皆で魔物の汚いお肉をボコボコ浄化しまくったら、シャドウクロツ領は世にも珍しい魔物と安心して暮らせる領地として有名になったのだった。



おしまい!

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