23 それでも好きと言えない君へ。
――終わってみれば、リーナとユースの婚約発表は大成功に終わった。
観劇の如き大演説と、何よりもアウストロハイム公爵の鶴の一声は、観客たちを歓迎の流れに導くことは容易と言ってよかった。
宴もたけなわ、予定の関係で帰り始める貴族たちも出てきたことで、ブロンズスターへの注目は減り始めた。
これ幸いとパーティメンバーが会場の片隅で食事を楽しむ中、リーダーであるゴレム・ランドルフは一人歩いていた。
向かう先は、会場から少し外れた通路。
そこにちょうど、このパーティの主催、ドレストレッド・アウストロハイムが通りかかったのだ。
「あらぁー。探したわよぉドレストちゃぁん!」
「……お前か、変わりはないようだな、ゴレム」
二人は古くから知り合いであることは語るまでもない。
だが、嬉しそうに抱きつくゴレムと、それを避けるドレストの態度は、両者の関係を語るには十分なものだろう。
「ドレストちゃんもお疲れ様、今日は大変だったわね」
「……完敗、だな。まさかユースリットの立場を利用せずにSランク冒険者になっているとは」
ドレストはそう吐き捨てる。
そもそも、ユースとリーナの関係について、ドレストにあった誤算は二つ。
リーナが正体を露呈させなかったこと。そしてユースが正体を隠していたことの二つだ。
前者に関しては、本当になぜ露呈しなかったのかドレストにはわからない。
なにせ彼自身が自分の金銭感覚で苦労した人間なのだから。
とはいえ、後者に関しては――
「……やってくれたな、ゴレム」
「あらぁ、アタシは幸せになりたい人の味方をしただけよ」
「幸せになりたい、か」
ユースに関して、ドレストが正体を隠していたことを把握できなかったのはゴレムの働きが多い。
ゴレムが、ユース達とドレストの間に立って、両者の関係を取り持っていたわけなのだから。
そして、
「……俺は、最低な男だな」
「そうね」
吐き捨てるようにこぼしたドレストに、ゴレムは躊躇うこと無く同意した。
「少しはフォローがほしかったがな」
「あら、どこにそんな物があるの? 貴方がしたことで、どれだけユースくんとリーナちゃんが苦労したと思ってるのよ」
子供にさせる苦労ではないわ、とゴレムは言う。
アレを子供というのか? とドレストは口から出かけるが、もはや言うまい。
今更、ユースもリーナも、分別の付く大人なのだから。
「貴方は最低だし、二人は本当に頑張ったわ。……貴方の行動で褒められることなんて、最後に二人にキスをさせてあげたことくらい」
「そうか……」
ドレストは、それ以上何も言わなかった。
――ドレストにだって、事情があった。
抱えるものは山程あって、けれどもそれを口に出すことが許されない程度に、ドレストはリーナとユースを追い詰めた。
最終的に間違っていたのは自分であり、正しかったのはあの二人だ。
そのことに、否を唱えるつもりはない。
その上で――一つだけ。
ドレストにだけ、気付けることがあった。
「しかし……リーナリアは、ついぞ口にしなかったな」
「……何を?」
ゴレムは、ピンと来ないという様子で、問いかける。
それを見て、ゴレムすら気付かないということは、よほど周囲から二人はお似合いに見えるのだろう、とドレストは判断する。
あの二人は、間違いなく互いのことを好き合っている。
でなければ婚約など言い出さない、だが――
「――リーナリアが、これまでの中で一度として、ユースリットに好意を伝えたことは有ったか?」
リーナはユースに、“好き”だと言ったことはない。
「……なんですって?」
「そうか、やはりな」
ゴレムの視線が鋭くなる。
それだけで解った。
――であれば、なるほど間違いない。
「ゴレム、リーナリアとユースリットの関係にはまだケリがついていないぞ」
「…………」
ドレストは、そのことに一切の感慨を浮かべなかった。
もはや、それは自分が気にすることではないからだ。
白幸体質とも、家格とも関係ない、リーナリア個人の問題だからだ。
「リーナリアには、あいつに好意を伝えられない生来の問題があるだろう」
――そう。
リーナはユースを好きであるという前提で行動できるようになった。
一線を越えたことで、そう思えるようになった。
だが、だとしても。
リーナはそれを、態度で示すことは出来ても、言葉に出せていなかったのだ。
▼
――舞踏会の喧騒から離れるために、アタシはとある場所へ向かおうとしていた。
そんな最中、
「…………リーナか」
――パラレヤさんが、屋敷の外にあったイスへ腰掛けて、ソナリヤさんを寝かせながら休憩していた。
「パラレヤさん? なんかあったッスか?」
「…………うむ」
そう言って、ソナリヤさんを指差すパラレヤさん。
見れば、ソナリヤさんは少しだけ頬に朱が指していた。
ああ、つまり飲んだのか。
――酒乱であるソナリヤさんが、万が一でも酒に手を付けてしまうと一瞬でスイッチが入ってしまう。
おそらく、お菓子か何かに混じっていたアルコールに気付かず手を付けてしまったのだろう。
結果、マズいと思ったパラレヤさんがここまでソナリヤさんを運び出して、寝かせている、と。
「お疲れ様ッス」
「…………そうか」
ともあれ、パラレヤさんに用があるわけではないので、挨拶をして通り過ぎる。
の、だが。
「――ユースは、すでに通ったぞ」
「……!」
どうやら、アタシの目的は把握されていたらしい。
おそらくアタシと同じように喧騒に疲れたユースが、この先にいるだろうと判断しての抜け出しだった。
ようするに、ユースと二人で話がしたかったのだ。
「さんきゅーパラレヤさん。んじゃ」
と、挨拶をしてから通り抜けようとしたところで――
「……報い、とは」
「ん? どうしたんだ?」
パラレヤさんが、ぽつりと零した言葉にアタシは振り返る。
「報いとは、なんだろうな?」
「いきなり随分観念的な事を言うな、哲学か?」
「……私は、帰ってくるものだと考えている。よくも、悪くも」
珍しく饒舌なパラレヤさんの言葉を飲み込む。
報い……って言葉はなんとなく悪い意味のような気がする。
自業自得とか、因果応報とか。
でも、パラレヤさんの言うそれは、どっちかというと善悪どちらも内包したような感じなんだろう。
「悪いことだけじゃなく、善いことも帰ってくる?」
「……そうだな」
「まぁ、ネガティブな話じゃないならよかったよ。覚えとく、ありがとな」
その言葉に、アタシは手を振って答えると、パラレヤさんも返してくれた。
うん、なんかそう言葉をかけられて、アタシは少しだけ嬉しくなった。
なんだろうな? 思い当たるところがあるのだろうか。
ともかく、アタシはユースの元へ急ぐ。
だってあいつには――
――アタシは、言わなきゃいけないことがあるんだから。
▼
そこは、花畑だった。
実家にある自然の中で花々が咲き誇るものとは違って、ガーデンとして手入れされたものだ。
といってもあちらにも魔術による保護がなされているので、どちらにせよまったく手が入っていないわけではないのだが。
ともあれ、こちらは花壇のデザインから何から、計算されて作られた建築物だ。
自然、と呼ぶには少し違うが。
ここも、また幻想的な場所であることに違いはない。
アウストロハイムの家にはこういう物が多い。
もとは伝統的にこういったガーデニングが好きな人間が多かったそうなのだが、今のアウストロハイムのガーデンは国でも評判だ。
こういう舞踏会がアウストロハイムの家で開かれるのは、このガーデンを観覧したい貴族が多いからという理由もなくはない。
「――いた、ユース」
「やぁ、リーナ。……相変わらずここは凄いな」
んで、どうしてそうなったかと言えば、アタシの母親――エレナシア・アウストロハイム夫人の働きかけによるものだそうだ。
この屋敷のガーデンに感銘を受けたエレナ母様は、魔術を用いてそれを更に高い完成度を誇るものに成長させた。
エレナ母様は高い実力を誇るウィザードだったのだ。具体的に言うと、冒険者パーティ“プラチナ”のアタックウィザードを務めていた、と言われるとその凄さが何となく伝わるだろうか。
そんな母様渾身のガーデンに、ユースも感嘆した様子でそれを眺めている。
昼は多くの貴族が訪れてこの場で雑談に花を咲かせるそうなのだが、今は人は殆どいない。
明かりが薄いのもあって、幻想的ではあるがどこか怖い場所という認識が彼らにはあるのだろう。
アタシ達冒険者にとっては、こういう場所こそ冒険の報酬に相応しい光景だと思うが。
「今はアタシたちがここを独占してるんだ。すげーだろ」
「はは……舞踏会に気疲れしてしまっただけなんだけどね」
「お前、ダンスできねーもんなぁ。ま、アタシもどっちかっつーと、ダンスより剣振ってる方がいいけどさ」
「だったら……ああ、いやそうだ。先に聞くべき事があった」
話をしていたら、ユースが気付いたのか問いかける。
「リーナはこれからどうするんだ?」
「どうするって?」
「……君は、リーナリア・アウストロハイム。公爵令嬢だろう」
ああ、と納得する。
「いや、それはそうだが。冒険者リーナとリーナリア・アウストロハイムは別人だから、これからも冒険者は続けるぞ?」
「……それはいいのか?」
「いーんだよ。そういう事になったんだから、幸運は幸運として受け取っとこうぜ」
――そう、冒険者のリーナとリーナリア・アウストロハイムを同一人物にすると色々とまずいことが多いのだ。
そのために二人は公には別人として扱われる。
案外それでも、バレないのはこれまでアタシがリーナリアという名前で冒険者をしていてもバレなかったことから言える。
貴族の前に冒険者リーナとして出ることはないし、冒険者の前にリーナリア・アウストロハイムとして出ることもないからな。
「つっても、アタシたちももう二十だ。冒険者を続けるとしても、あと十年がせいぜいだぞ」
「流石に、三十をすぎれば肉体は衰える。Sランクであれば絶頂期の間に身を引くべき、か」
特にアタシは貴族だから、いつかは冒険者ではなく貴族として生きなくてはいけなくなる。
例えば――
「――子供ができたら、引き際かもしれねぇな」
「……き、急に何を言い出すんだ、君は!」
「いや、もうすでに一線越えてる男女が、そういうことを考えないのは逆にやべーだろ。っていうか、何ならこないだのアレで……」
「今話すことじゃないだろ!」
うむ。
まぁ、アタシも言っている内に恥ずかしくなってくるので、これ以上言及は避ける。
なんか、ポロっとこういうことを口に出して、自爆することが多くなってきたな。
反省、反省。
「――とにかく、僕はもう少し君と、この世界を見て回りたい」
「アタシだってそうだよ」
「……だから、聞いてくれリーナ」
――ユースの声のトーンが変わった。
ざわり、と風が花々を撫でる音がする。
同時に、理解してしまった。
ユースは“それ”を口にするつもりだ。
「君と出会って、君に惹かれた。だが、君と僕では生まれが釣り合わなかった」
アタシは、ぎゅっと手を胸のあたりで握りしめていた。
なんでだろうな? 何か、覚悟するようなことでもあったかな?
――ユースがアタシに惹かれていたとか、今更だろ。
そんなの、言われるまでもなく――
「それをこうして乗り越えて、改めて僕はこれを口にする権利を手に入れたんだと思う」
――あれ?
アタシ、なんか、震えてる?
なんでだ?
――感動とか、興奮とか、そういうものではないのはすぐに解った。
だって、全然体が熱くない。
あの時、演劇の熱に当てられてユースに迫った時のような熱がない。
だってのに、頭はガンガンと何かが打ち付けられたようにはっきりしない。
何でだよ。
ユースは、ただ。
一言、アタシに伝えたいだけだろう?
そう、それはつまり。
「――――好きだ」
告白。
好意を伝えるという行為。
アタシが欲しいという表明。
一緒に歩いていきたいという宣言。
わかりきっていたことの、表現ってだけのはずだ。
「あ、タシ、は――」
「リーナ」
――なんだ。
なんで、アタシは、
ユースが手を差し伸べている。
それを、ただジッと見つめるだけで、
「どうか、応えてほしい」
――何の行動も、起こせないんだ?
逃げることはない。
だって、嫌いなはずがないから。
でも、答えることもできない。
なぜ?
好きって、そう伝えればいいだけだろ?
アタシは、胸に当てた手を伸ばして、ユースの手を撮って、
好きって、そう言えばいいだけじゃないか。
――――それが、
出来ない。
「あ――」
手が伸びない。
伸ばせない。
「……リーナ?」
アタシの本心に問いかける。
アタシはユースと一緒にいたい? イエス。
彼の言葉に答えたい? イエス。
彼の手を取りたい? イエス。
――彼のことが好き?
答えは、なかった。
「ああ……!」
ああ、そうか。
「リーナ? どうした?」
「ユースッ! アタシ……ッ!」
アタシは、
「アタシ……どうすればいいか解らない!!」
――女として、男に答える方法を、知らない。
アタシと、ユースの間に残った最後の問題。
アタシの、性自認。
――それまで、ずっとずっと、目をそらし続けてきた。
解決したと思いこんで蓋をしてきたそれに、
アタシはその時、初めて目を向けることになったんだ――――




