22 そして最後に真心を。
「――――え?」
ブロンズスターの仲間たちは、今度こそ完全に思考を停止させていた。
遅れてやってきたユースは、白金の鎧を身に着けていた。
その鎧を、ブロンズスターの人間で、知らない者はいない。
どころか冒険者で、白金と言えばそれを想起しない者はいないのだ。
パーティ“プラチナ”のリーダー、アルフリヒト・プラチナ。
その代名詞と言うべき鎧そのものではないか。
そしてリーナは言った。ユースリット・プラチナ。
その名前が正しいのなら、ユースはあのアルフリヒトの息子ということになる。
これに驚いたのは、なんとなく二人の隠し事を把握していたソナリヤ、パラレヤも同様だ。
リーナリアはともかく、ユースの来歴にまでここまで大きな秘密があるとは思わなかったのである。
「んふふ、なんとか間に合ったみたいねぇ」
「り、リーダー!?」
と、そんな困惑でいっぱいになっている仲間たちの横で、ニコニコと笑顔のリーダー、ゴレム・ランドルフが立っていた。
「ごめんねぇ、ユースちゃんを迅速にここまで連れてくるためのボディーガードをしてたら、遅れちゃったわぁん」
「ど、どういうことですかリーダー!?」
困惑したアンナがリーダーに問いかける。
彼ならば、事情を把握しているだろうという希望的観測でもって。
もちろんそれは正解なのだが。
「言った通りよ。リーナちゃんは公爵令嬢で、ユースちゃんは英雄の息子」
「ぜ、全然知りませんでしたよ……?」
「ふたりとも、頑張って秘密にしてたもの。あの二人の頑張りの成果ねぇん」
んふふ、と嬉しそうに笑うリーダーへ、アンナは何だそりゃ、と二人を見る。
――あそこにいるのは、本当にいつも自分とバカをやっているユースとリーナだろうか。
全然そうは見えない、あれはまさしく令嬢と王子様だ。
普段の二人もそれはそれはお似合いで、今もそれとは別方向でお似合いである。
「あの二人が、わざわざ秘密にしてきた理由、なんとなくわかるでしょ?」
「リーナは当然として……ユースは、親の七光りと思われないため?」
「正確には、親の七光りを一番最高のタイミングで使うため、ね」
なるほど、たしかにとアンナはうなずく。
リーナはユースとの関係を、あのいけ好かない父親に認めさせたいのだろう。
そのための実績として、親の七光りを最大限活用するには、親のことを秘密にした状態でSランクになった後に明かす方が効果的なのは、ここにいる貴族や自分たち自身が証明している。
「で、でもこれで成功したから、リーナはあの父親に認められるんですよね」
「まぁ、周りは納得するでしょうね」
リーナがユースのことを婚約者と語った。
そのことに対する、周囲の反発は見た感じ少ない。
リーナの空気に飲まれているというのもあるが、それを納得させるだけの実績をユースが有していることもまた事実。
ユースのファンだった貴族令嬢としてはふざけるなという話だが、流石に令嬢の一番偉いバージョンである公爵令嬢が好きと言ったら、割って入ることは難しいだろう。
ともかく。
周りを黙らせるには十分な実績をユースは持ってきた。
だとしたら、後は?
「でも――やっぱり最後に納得させなきゃいけないのは、ドレストちゃんなのよねぇ」
「……ど、ドレストちゃん?」
「あら、言ってなかった?」
バチコン、と豪快なウインクとともに、
「――アタシとドレストちゃん、もと冒険者仲間なの。同じパーティに所属してたのよ?」
「そ、それは……?」
嫌な予感とともに問いかけて。
「んふふ、“プラチナ”」
――今度こそ完璧に、アンナたちは開いた口が塞がらなくなった。
▼
――対人の基本は、選択肢の押し付け。
相手の嫌なことと、もっと嫌なことを押し付けることで、相手に嫌なことを選ばせる。
戦闘に置いても、交渉においてもこれは同じだ。
父様にとって、最も取りたくない選択肢は、この場を台無しにすることだ。
台無しにせず、アタシだけを取り戻したい。
ユースから引き離したい。
白幸体質は運命の相手と引き離されると、急速にその運命力が低下する。
その前提と矛盾しているように思えるが、アタシももう齢二十を越えている。
だとしたら、もとよりアタシの残された時間は、長くて十年程度だろう。
今更ユースがいなくなっても、大きな変化はないのだ。
もちろん、アタシはそんなのごめんだ。
ユースと離れ離れになりたくないし、死ぬつもりもない。
だから、父様から選択肢を奪う。
父様に選べる選択肢は二つ、このままアタシたちの関係を受け入れて、この場を収めるか。
すべてを台無しにして、公爵家自体に大きなダメージを与えるか、だ。
そのための方法は、もはや語るまでもなく。
周囲の観客を味方につけるという単純なもの。
アンナは言う。
演劇とは、主役が目立てばそれで成功だ、と。
観客は主役を見ているのだから、と。
だったら、この場にいる全員を、アタシという演目の観客にしてやればいい。
語るのは、あまり得意ではないが。
やらない理由は、どこにもなかった。
――アタシはたった今、自分とユースの出会いを、ある程度脚色しながら、嘘は一切語ること無く演説している。
アタシとユースは幼い頃に出会い、互いを思い合う仲となった。
しかし、二人の間には身分の差というものが存在する。
そこでユースはアタシに誓った、父の存在を借りること無く、己の力のみでアタシにふさわしい存在となる、と。
結果は見ての通りだ。その間のことは大胆にカットしている。
アタシが一緒に冒険者となっていたとか、この場では必要のない情報だ。
そもそも誰も信じない。
細部に肉付けがされていれば、話を聞き入るだけの彼らはそれを信じてくれる。
この場合細部とは、アタシとユースの出会い。
二人が出会ったのは、アウストロハイムの所有する花畑だ。
この邸宅もそうだが、アウストロハイムには必ず、趣向を凝らしたガーデンが存在する。
この屋敷を訪れた貴族なら、誰もが知っていることだ。
そしてもう一つが、アタシの思い。
如何にユースと、共にいたいと思うようになったか。
「わたくしは――」
アタシは――
――思えば、アタシは、自分の感情をそうやって表に出すことはなかったな。
「変わらぬ貴方に、憧れたのです」
変わることが、怖かったんだ。
“俺”だった前世から、“アタシ”である今に変わって。
ぶっちゃけ、アタシが自分のことをアタシと呼んでいるのは、変わったからじゃない。
変えなかったから、そう呼んでいるんだ。
男が俺というのは普通だから、女ならアタシっていうのが普通なわけで。
もし。俺が本気で変わるつもりなら、一人称はそのまま“俺”でなければいけなかった。
周囲がアタシに求めるアタシを押し付けて、父様や、使用人や、貴族という社会が今のアタシをアタシとして扱う。
アタシは男でも女でもないのに。
――そうじゃないヤツがいた。
ユースだけは、アタシをアタシとして扱ってくれた。
アタシがアタシであるための前提を無視してくれた。
女だから剣を習うのはおかしいとか、女なのにこんな粗野な言葉遣いをするのがおかしいだとか。
そういう事を言わなかった。
でも――
「貴方にとって、わたくしはわたくしです。生まれたときから、ずっと」
――最終的に、ユースはアタシの前世が男であることを知らない。
言ったところで今のアタシは女だし、ユースは女であるアタシを好きになったんだ。
結局の所、ユースはアタシが好きであるらしい。
初めてそれを自覚したのは、ユースがアタシのために頭を下げたその時で。
それを受け入れたのは――アタシがユースの女になった時だ。
それは――
「わたくしは、貴方の言葉に答えたい。貴方にとって、最高のわたくしでありたい」
――覚悟、だったんだろう。
随分と待たせてしまった。
十年、だろうか。
概ねそれくらいの時間を賭けて、あの夜。
アタシは、ユースと一線を越えた。
未だに、その時のことは思い出せない。
でも、多分だけど、アタシは前に進む覚悟を決めたんだろうと思う。
本当に随分と、待たせてしまったな――
「そうして、わたくしは彼と共にいたいと決めたのです――お父様」
本当に、長かった。
これで全部、終わる。
いろいろなものに決着が付く。
さぁ、認めろクソ親父。
アンタはアタシに負けたんだよ! 他でもない、アタシとユースが積み重ねてきたものによって――――!
「……リーナリアよ」
そう、父に呼びかけられた。
アタシはそちらを向いて、勝利を確信してその目を見る。
その目は――
――まだ、意志が宿っていた。
……いや、流石にこれ以上は、もうなにもないはずだろ!?
父様は完全にこちらの空気に飲まれていた。
選択肢は、他に存在しないはずなんだ。
だとしたらおかしい、一体何が、そこまで父様の自信になる!?
ありえない、絶対に、これ以上逆転の手なんて――――
「――――――であれば、誓いの口吻をこの場で見せておくれ」
―――致命傷以外の何でもない、最善としか言えない手を売ってきた。
おお、と観客がどよめく。
なんだよ!? 当てられてんじゃねぇよ! いや当てたのアタシだったわ!
父様にもはや選択肢はない。
だとしても、それはそれとしてこんな公衆の面前でキスなんて公開処刑かなにかかよ!?
――かと言って、ここでそれを拒否することは出来ない。
拒否すれば、これまでの演説がすべて無駄になる――!
「……っ!」
アタシは、即座にユースへと抱きつく。
周囲は一気に色めきだつが、無視だ無視!
風の魔術を切り替えて、二人の間にだけ声が届くようにする。
「――き、キキキ、キスっ。……酔ってヤった時に、し、……したか?」
「僕の記憶に間違いがなければ……それは、まだしてない」
「……順序ちげぇだろ」
なんとなく、そこに忌避感が合っただろうことは想像に難くない。
今ですらこんなに恥ずかしいのに! いや今のほうが恥ずかしいのか!?
……いや、でも演劇を見ていた時はその雰囲気に当てられてキスしそうになってたんだよな?
その時の気分を――ダメだ、さっぱり思い出せん。
あの時はよくて、今はだめな理由は何だ?
それとも――あの時も結局最後までキスする勇気はでなかったのか。
「……なぁ、リーナ」
「何だよ、ユース」
「これは僕の気の所為かもしれないが……どうしても君の父が、単なる逆転の一手として口づけを要求しているわけではないと、僕は思うんだ」
ユースは、そういいながらちらりと父様を見る。
そして――
「君の感情はともかく……僕は君の父を嫌っているわけじゃない。ただ、認められたいだけだ。だからそう思うのかもしれないけど――」
「……そうかい」
アタシは……無理だな。
嫌いだと思う期間が長すぎた。
ああでも、だったら父様よ――それは父様だって変わりはしないんじゃないのか?
アタシがアンタを嫌いなように、アンタもアタシに思うところはあるはずで。
ああ、だとしたら――
「……交渉の最後に大事なのは真心、か?」
「どういうこと?」
「なんでもねぇ」
――リーダーの言う通りだ。
交渉の最後、決断を促すのは結局の所感情だ。
自分が“善い”と思わなければ、決断は為されない。
だとしたら、父様の言葉の意味も、何となく分かる。
認めるために、必要だったんだ。
誰が?
アタシと父様お互いに、だ。
父様はそりゃそうだろう。それまでずっと認めてこなかった娘の関係を認めるためには、必要な儀式のようなものだ。
そしてアタシ自身――そもそも、父に認められたって、なんとも思わないのだから。
嫌いな相手に認められても、嬉しくもなんともない。
だが、それでも。
納得のためには、感情の落とし所が必要になる。
それが、この口づけだっていうなら。
――うん、ストンと胸の中に入ってきた。
だから、
「……ん」
「はは、了解しましたよ、お姫様」
アタシは、目を瞑って“それ”を待つ。
自分がキスとか、ついぞ機会があるとは思わなかった。
でも、こうして。
アタシはこいつに出会って、こいつと一緒に生きていくと決めた。
だったら、アタシは――
考えを巡らせる中、アタシの唇に熱が灯って、二人が一つに交わった。
――ああ、気がつけば。
アタシは、こいつのことを……
「――ご覧になられた通りだ! 我が娘と、英雄の未来に祝福を!!」
父様の声が、会場に響く。
拡声なんて使わないのに、この場にいる誰よりも響く声は――どこか傍観と、清々しい敗北感が混じっていた。
パチ、パチ、パチ。
――そんな声に負けないくらい響く拍手を音頭に、周囲から喝采が響く。
これは……リーダーがやってくれたのかな?
アタシの演説と、ユースとの口づけ。
そして、それを認める父の言葉。
紛れもなく、誰にも文句を言わせない勝利だ。
かくして、アタシは――二つ目のアタシに伸し掛かる不安を、拭い去ることに成功するのだった。




