20 アタシがアタシであるために。
――父様のことが嫌いだ。
そもそも、やりたくないことを押し付けてきて、褒めること一つしない存在を、好きになれるヤツはそういない。
特にアタシは前世の記憶があるせいで、子供の頃から自我が強かったと思う。
誰かの影響を受ける前に、前世の自分という存在に、多大な影響を受けてしまっていたというか。
ただの子供だったなら、父のことを厳しいと感じながらも貴族の価値観に影響を受けて、貴族としては正しいと感じていたかもしれない。
でも、大人だからって絶対に正しいことなどありえない。
むしろ人間というのは、子供の思う以上に自分の感情に振り回されるのだと知ってしまっていたアタシには、父のそれが感情に由来するものであると感じずにはいられなかった。
父がユースを認めないのも当然だ。
若い頃の自分を見ているのだから。
アタシの母、エレナシア・アウストロハイムも、アタシと同じ“白幸体質”の人間である。
故に、アタシが幼い頃に事故でなくなってしまった。
そのことが父の厳しさにつながっているであろうことを、アタシはなんとなく肌で感じてしまったのだ。
父がアタシを通して母を見ていることも、ユースを通して過去の自分を見ていることも。
なんとなく解ってしまうから、好きになれない。
何より、そんな父の姿は――アタシにもかぶるのだ。
アタシには、未だ越えられていない障壁がある。
ユースと一線を越えて、より深い仲になって、でも――
アタシはまだ、ユースに好きと言えていない。
言えるタイミングがないというのもあるけれど。
何よりも、アタシにはわからない。
果たして本当に、アタシはユースを好きと言えるのか?
決断を、最後に後押しするのは感情だ。
だが、果たして本当に、アタシの中に、それはあるのか?
アタシはユースを、好きだと言っても、本当にいいのかー―?
▼
「ええ、ええ、お話できて本当に楽しかったわ。またお話しましょうね」
――ワイングラスを片手に、ブロンズスターリーダー、ゴレム・ランドルフ。
Sランク冒険者たちを背負う気高きオカマゴーレムは、彼らのために今日も貴族との交流に勤しんでいた。
もともと、ゴレムにはこういった社交界での付き合いに経験がある。
かつて自分がそういう場に出席する冒険者だったことがあるからだ。
そのパーティはすでに解散し、一冒険者となったゴレムは、改めてブロンズスターを立ち上げた。
そのためにランクはDランクまで下がっていたが、今ではかつてのランクにまで自分たちを導けた。
当時はパーティの一メンバーとして、今はパーティの顔として。
そんなオカマが気にするのは、何よりもリーナリアのことだ。
仲間たちのことは、あまり心配していない。彼らはプロだから、こういう場での振る舞いをきっちり伝えておけば、そうそうミスをすることもないのだから。
――リーナリア・アウストロハイム。
アウストロハイム公爵の家に生まれた一人娘。
公爵家は古くからこの国の重鎮としてその才を振るってきた名門。
たった一人の娘であるリーナリアにも、それは当然求められていた。
それが本人の生き方に、どれだけそぐわなかったとしても。
もちろん、生まれにはそれ相応の責任というものが伴って、リーナリアには公爵としての立場に縛られる義務がある。
本人もそのすべてを否定しようというわけではない。
今はこうして冒険者をしているけれど、いずれは家に戻り、父の後を継ぐ意志はあるはずだ。
でなければ、ユースとの関係を父に認めさせたりはしないだろう。
ドレストレッド、リーナリアの父であり、かつての知己。
ゴレムとドレストは決してお互いのことを知らない仲ではない。
むしろ、彼のことをゴレムはとてもよくしっている。
他でもない、ともに戦う仲間として、冒険者としての彼をよく知っている。
そう、ドレストもまた冒険者だったのだ。
リーナリアと同じ用に、若い頃に家を飛び出し、多くの経験と成功を経て家に戻り後を継いだ。
やっていることは何も変わらない。
リーナが女で、ドレストが男であるということ以外。
結局、男女の差というのはどの世界でもつきまとうのだ。
男は武勇を誇ることを美徳とされて、女は美貌を守ることを美徳とされる。
リーナが女でさえなければ、きっとドレストは何も言わなかったはずだ。
行って来いとは、立場上口が裂けても言えないが、ここまで反対することはなかったはず。
そこに本人のどんな感情があるにせよ、ドレストの行動は客観的に見て、現状正しい。
だが、だとしてもゴレムが味方することを選んだのはリーナだ。
何故か――など、語るまでもないだろう。
今のドレストは見ていられない。
あまりにも感情が暴走しすぎている、かつての勇敢なる冒険者ドレストの姿はどこにもないのだ。
彼にとって、リーナの反発はそれほどまでに自分を追い詰めている。
そしてそれが余計にリーナの反発を招く。
誰かが妥協しなければ、堂々巡りは永遠に続く。
その上で、よりゴレムが正しいと思う解決策を先に見出したのが、リーナとユースだったのだから。
「あらぁ、お久しぶりですわ。もう何年ぶりになるかしら。ええ、またこうしてお話ができて私も嬉しく思いますわ」
――そう思いながらも、また顔の見知った貴族に出くわした。
ここでのゴレムの役割は、貴族達から話を聞き出すことだ。
リーナとユースの挑戦が成功していたかどうかを、確かめるために。
「ええ、そうですわ。“貴公子”ユースリットはたしかに私のブロンズスターに所属する冒険者です。彼が私達パーティの顔と言っても過言ではございません」
一つ。
貴族たちに対するユースリットの知名度だ。
ゴレム自身の語る通り、ブロンズスターにおけるユースリットの知名度は抜群だ。
貴公子、などと呼ばれて社交界でも非常に人気が高い。
戯曲まで作られるほどなのだから、貴族の間にもファンは多数いることが解っている。
それを、確かめている。
そのうえで、重要なこと。
それはユースの正体が知られていないか、ということ。
なにせ、それこそがユースとリーナが抱え続けた、自分たちの関係を認めさせるための切り札なのだから。
そして、もう一つ。
「そういえば、お聞きになりました? アウストロハイム様のご令嬢が、五年ぶりに姿をお見せになったとか」
リーナの貴族社会における近況だ。
ここ数年、リーナは貴族社会に顔を出していない、ということになっている。
理由は病気とも、事故によるケガの療養ともいわれているが、定かではない。
どちらにせよリーナが表舞台から姿を消し、アウストロハイムの屋敷に引きこもっていることに“なっている”のは事実。
だとすれば、そうではないという情報が周囲に漏れていなければ。
リーナの秘密は完璧に守られていると言えるだろう。
「ええ、ええ、そうですわね。めでたいことですわ。後はなにかの良縁に恵まれればよいのですが」
そして、これもまた目論見としては成功していた。
リーナはその正体を知られること無く、Sランクへ上り詰めることへ成功したのだ。
今はおそらく、リーナリア・アウストロハイムとして仲間たちと顔を合わせていることだろう。
とすれば後は――
『リーダー、大変です! リーナから連絡がありました、ドレスト卿が、リーナに接触したと!』
――その時、ユースの声がゴレムの脳裏に響いた。
通信の魔術。
意識した思考を相手に飛ばすそれは、距離に限界がある。
おそらくリーナはゴレムにも飛ばしたが、距離の関係で届かなかったのだろう。
そしてユースとゴレム間はつながった。
それが今の状況だ。
『……あちらは、強襲を選んだということね。ユース、準備は?』
『出来ています、不安はありますが。このままリーナの元へ駆けつけるほかないかと』
『解ったわ、そうして頂戴』
そのやり取りは、完全に戦場におけるユースとゴレムのそれであった。
相手はドレストレッド・アウストロハイム公爵。
リーナにとって、ユースにとって、それは間違いなく最大の敵。
倒すべきモンスターであった。
「ええ、ええ、ありがとうね。またお話しましょう、今日はこうして時間をいただけて光栄でしたわ」
そういいながらも、ゴレムはその場を離れる。
浮かべていた笑みを、そっと戦場のそれへ切り替えて、リーナたちがいるであろう場所へ向かう。
これは決戦だ。
――先手は間違いなくドレストに許した。
しかし、だとしても――リーナはきっと折れていない。
だから、
だからこそ、少しでもその助けになるのなら。
ゴレム・ランドルフが、リーナとユースを助けると決めたことにも、意味が生まれる。
▼
父様はアタシではなく、パーティの皆を挑発することでアタシを攻撃してきた。
別に、アタシがどれほど父様から否定されてもそれは当然の事というか、だからどうしたって話だが。
それをパーティに皆に聞かせるってのは、立派な仲間への挑発行為だ。
性格が悪いにも程がある。
いくらなんでも、ここまでみみっちいことを正面からやれるってのかよ、クソ親父!
厄介なことは、動機はクソ見てぇなしみったれた感情から来ているものだってのに、やっていることは的確極まりないってことだ。
これで、頭が正気なら国を預かる公爵の当主だけはある。
だからこそ……小手先の口八丁では絶対に勝てない。
アタシがやるべきことは、多少ムリにでもこちらの用意した展開に持ち込むことだ。
だから、この状態で父様の思惑に乗る必要はない。
アタシは自信が展開していた音を遮る魔術を、“拡声”の魔術に切り替えた。
つまり、
「――そうは思いませんか? 父様」
それまで、周囲に聞こえていなかったアタシの声が、響くように広がっていく。
気づけたのは……アンナくらいだろうか、かなり自然の魔術の種類を切り替えたために、普通なら何が起こったか理解できないはずだ。
アタシはそのまま、大げさに身振りをしながら、観客である周囲の貴族たちに聞かせてやるように語りだした。
「ここにおられるのは、歴史に名高きSランクの冒険者様方、わたくしたちの未来に希望を照らしてくださる方たちですわ」
いきなり、話の文脈を考えずにそんな事を言い出すものだから、当然仲間たちは困惑する。
だが、いち早くアタシの意図に気付いたアンナが、様子を見守るようアイコンタクトを送っている。
アタシの狙いは、先程までの直接的なアタシへの罵倒をぶった切り、更にはこちらの話に主導権を持っていくことだ。
向こうが声を聞こえないこちらの魔術を逆手に取るなら、それを逆手に取らせず、声を聴かせてやればいい。
どうせ、ある段階でこちらの声を聴かせてやるつもりだったんだ。
このまま向こうが困惑しているうちに、一気に主導権を握ってやる。
だが、
「――ああ、全くだ。諸君、こちらにおられるのがこのパーティの主賓たる冒険者、ブロンズスターの者たちだ」
クソ親父は、完全にそれを読んできたかのように対応を変えてきやがった。
――嘘だろ!? あの状況で、アタシが魔術の種類を変えたことにも気付いたのか?
いや、気付いていなかったとしても、変えると読んで行動に移したのか?
どちらにせよ。
「諸君らもすでに彼らの冒険譚は聞き及んでいる者もいるだろう。かくいう私もその英雄譚を聞き及んでいる」
――主導権を、一瞬で奪い取られた。
淀みなく告げられる二の句に、こちらが口をはさむ余地はない。
何より父様の声量は、拡声の魔術を使っていないであろうにも関わらずアタシよりも響く。
これが国のトップたる貴族の演説技術だってのかよ!?
父様は訥々とかたった。
ブロンズスターのこれまでの功績。
如何にしてSランクとして認められるに至ったか。
そして何より――父様はアタシとブロンズスターの存在を、引き剥がそうとしている――!
「そうだろうリーナリア、彼らの冒険譚は、君も称賛に値すると思わないかね」
これに同意すれば、リーナリア・アウストロハイムと冒険者パーティブロンズスターの接点は完全に絶たれる。
リーナリアが、ブロンズスターのことを、“冒険譚”として知っていると宣言することになるからだ。
つまり、そうなればアタシと仲間たちは赤の他人だ。
だからそれは、そのパーティに所属しているユースリットとの関係も無であったと公に知らしめることになる。
いくら英雄と言っても、Sランク冒険者として認められたとしても、婚約だとか、恋人だとか、とてもではないが言い出せるはずがない!!
父様は最初からこれを狙っていたんだ。
――当たり前だ、いくら父様が感情でアタシとユースを引き剥がそうとしていても、Sランク冒険者は国益そのもの。
それを不適切だと言って貴族たちの前で切り捨てるなんて、仮にも公爵家当主がやっていいことじゃない。
父様はアタシからこの状況を作るように仕向けた。
全部手のひらの上だったんだ。
ああくそ、小手先のことでどうにかなるなんて、それこそ思い上がりも甚だしいじゃないか!
解っていたはずだ、父様とアタシじゃ、ふんできた場数が違いすぎる。前世の年齢と足しても父様の方が年上だって言うのに、直接やりあってアタシが父様に勝てるはずがないだろ!?
――いや、まだだ。
どうあれ父様はアタシに発言の機会を許した。
少しでも言いよどめば、アタシも同意したとして話をすすめるだろうが、この一瞬だけは逡巡のチャンスがある。
考えろ、冒険者として一瞬の命のやり取りに生きてきた感覚を総動員して、考えろ!
アタシが発言できるチャンスはここしか無い。
これに同意すれば完全に詰み、別の話題を父に振る必要がある。
だが、少しでも状況にそぐわなければ父はそれを切り捨てて、話をもとに戻すだろう。
余計な脱線は許されない、一瞬以上の逡巡も許されない。
だとしたら、アタシに取れる行動は――?
迷っている暇はない、何でもいい、何か口に出せ、立ち止まることだけは、絶対にするな――!
「――彼らは素晴らしいパーティですが。この場にいる者たちがパーティのすべてではないはずですわ」
飛び出した言葉は、ユース達のことだった。
ああ、そうだ。
なんてことはない、たしかにこいつらは最高の仲間だ。
でも、この中に、ユースとリーダーの姿はない。
だったら、アタシは――それを最高だとは認められない。
どちらかが、誰かが欠けてもアタシ達はブロンズスターたり得ない。
だからこそ今この場で、父様の言葉を肯定することだけは、絶対に出来ないんだ――
そして、それは――
「ああ、そうだったな。この場には、英雄の息子の姿がない」
――何気なく、本当に何気なく溢れた言葉から。
アタシは、理解した。
それは、即ち。
――――――――勝った。
すべての勝利へのピースが、今ここにハマったということだった。
ああ、父様。
――最後の最後で、油断したな。
もしもその言葉を零さなければ、ユースにその呼び方をしなければ。
アタシは確信をもって踏み込むことはできなかったよ。
「であれば――」
父様は、そのまま淀みなく話を戻そうとした。
これで終わりだと、アタシとブロンズスターは無関係だと、そう言い放って終わるつもりだったんだろう。
でも、もうその言葉に意味はない。
父様の言葉に、これ以上の底がないなら、アタシはもはや躊躇う必要はない。
「――ええ、そうです。忘れてはなりません。ブロンズスターには、誰もが知る英雄が一人、いるのですから」
息子、という言葉をアタシは使わなかった。
だってそうだろう?
知ってるはずがないんだから。
父様が、ユースも正体を隠していると知らなかったように。
この場にいる誰もが、ユースの正体を知らないのだから。
それを知っているのは、今この瞬間。ここにいる中で、
アンタとアタシしかいないんだよ、クソ親父。
そして、だからこそ。
アンタがユースを知っていることを、周りの連中は知らないのだから。
「父様もお話をお聞きになっているのでしょう。であれば、紹介しなくてはなりません」
そして、
状況は、完全にこちらへ傾こうとしていた。
「失礼、お通し願いたい」
父様の響く声に負けないほどの力強い声が、会場に響き渡った。
それは即ち、ユースの声だ。
最高のタイミングで、アタシの呼び声に答えるように間に合った。
――父様がそこに割って入ることはなかった。
アタシが突然割って入ったタイミングで、悟ったのだ。
自分は何か致命的なミスを犯して、この後の流れをアタシが決定的に掴んだ。
まさか、底を晒したのだとは思うまい。
自分にこれ以上の手がないのだと、アタシに確信されたのだとは思うまい。
だからこそ、アタシ達は続ける。
ここに至るために温め続けた、最後の切り札を明かすために。
「――遅いですわ、ユースリット」
「待たせてしまった。済まないね、リーナリア」
アタシが即座に、ユースリットの元へと駆け寄る。
周囲がどよめく中、アタシに並び立つ貴公子様は、それはもうとんでもなく豪奢な鎧に身を包んでいた。
白金の、この場にいる誰もが、一度は見たか、聞いた覚えのある鎧を。
「紹介しますわ、父様」
父様は、止められない。
―ーここに至って、自分が何のミスをしたのか、周囲の反応から理解してしまったのだろう。
周りの貴族たちは、ユースリットの存在に驚きどよめいている。
普通ではない反応だ。なにせユースの存在はすでに多くの貴族が知り及んでいる。
戯曲にもなるほど、知名度の高い存在に、そんな反応はそぐわない。
だから、つまり、それは。
「ユースリット・プラチナ。わたくしのフィアンセとなるお方です」
ユースの正体を隠してきた、意味そのものでもあるのだ。




