14 好きとか、そういうだけじゃなく。
ユースリッドにとって、リーナリア・アウストロハイムは言うまでもなく初恋の相手だ。
なんなら一目惚れの相手でもあり、そして何より、初めての友達でもある。
物心がついた頃から、父親とその剣だけを追いかけて生きてきた。
才能があった。
努力する根気もあった。
でも、彼が目標とする父親は、余りにも偉大すぎた。
世界すら救ったことのある父は、幼子からしてみれば余りにも遠く、追いつけない存在である。
だから、あの時までは、
――金髪の少女に、“自分の剣”がかっこいいと言われるその時までは。
リーナリア。リーナと呼ぶことにしたその少女に、ユースはすぐに惹かれていった。
彼女の距離感の近さ、無邪気に笑った時の笑顔、自分の剣を素直に褒めてくれること。
どれをとっても、ユースにとってそれは劇薬過ぎた。
惜しむらくは、リーナには女性としての自意識がなく、そのせいでリーナに好意を受け取ってもらえなかったことか。
だが、それでもいい。
いずれリーナと、特別な仲になるのだ。
剣も、交流も、前向きに努力すれば、いつかは報われるのだと、ユースはそう思い始めていた。
あの時、リーナに婚約者の存在を告げられるまでは。
――その後の行動を、バカな行動だったと、今では思う。
余りにも軽率で、考えなしだった。
ただ、その後に起こった出来事は、そんな考えなしのユースをして、想像もできないようなことだった。
結局、結論から言えばユースはリーナの力によって一命をとりとめた。
この時、ユースはリーナから「運命力」を分け与えられたらしい。
詳しいことはそれを説明してくれた父親にも解っていないらしいが、リーナの「幸運の前借り」体質は運命力を他人に譲渡することで発生するのだとか。
ともあれ、命を分け与えられる形で助けられたユースとリーナは、比翼連理と言ってもいい存在となった。
リーナの家柄という問題は未だ残るが、ユースとリーナは冒険者となることを許され、リーナが15の誕生日を迎えたタイミングで、家を飛び出した。
二人が冒険者となる条件は、リーナの正体を知られないこと。
ユースの父の計らいと、ちょうどそのタイミングで冒険者パーティを立ち上げようとしていた偶然が重なって、二人はゴレム・ランドルフのパーティ、ブロンズスターに所属することとなる。
以来、二人は様々な冒険を繰り広げながら、成長していく。
その中で、ユースが解決するべき問題は三つ。
一つは、リーナの性自認。
自分を女性と認められないリーナは、どれだけユースが好きであったとしてもそれを素直に認めることができない。心の問題であるそれを、強引に変えることは出来ない。
時間をかけるしかないだろう、というのが結論だった。
もう一つは、ユースとリーナの関係を、正式にリーナの父に認めさせること。
ユースがリーナの「白幸体質」のパートナーとなってしまったことで、リーナが生きていく上でユースの存在は必要不可欠なものとなった。
リーナがユースと離れ離れになると、ユースに分け与えた運命力の力が損なわれることで、リーナは非常に死にやすくなるらしい。リーナはかつて一人でパーティを離れようとしていたが、それはある種彼女が心の底で、生きることを諦めているということの証明であった。
だが、父は英雄であるとしても、ただの平民であるユースに、リーナとの婚姻は父が、世間が認めない。
ユースに必要なのは実績だった。この国すべてを黙らせるほどの、大きな責任を、必要としていたのだ。
そして、最後にリーナの「白幸体質」。
周囲を幸福にする代わりに危険にさらしてしまう。いつ、それで死人が出るか、取り返しのつかないケガを負うかはわからない。
何より、それが周囲に発揮され続ける限り、リーナは幸運を前借りして、いつかは早くに死んでしまう。
リーナの母親がそうであったように。
余りにも、ひどい話だ。
誰かが悪いわけでもないのに、リーナにすべての責任を押し付けるような。
認めるわけにはいかない、とそう思った。
――そして。
リーナの「白幸体質」に関する結論を、今ここで、ユースは出そうとしていた。
▼
「――僕を、ここまで導いてくれたのは君だ」
「……うん」
朗々と、ユースはアタシに語りかける。
アタシを抱きしめて、絶対に逃さないと心に決めて。
こんな事されたら、アタシはもう、ただそれを聞くことしか許されない。
胸の鼓動が、こんなに心地よく聞こえるのは、これが初めてだ。
「父だけを目標にしていた僕に、目標をくれたのは君だ」
今にして思えば、ユースはだいぶ無茶をしていたのだろう。
それは幼い頃もそうだが、冒険者になってもそうだ。
「僕は、君がいたからがんばれたんだよ」
顔の良いユースは、周囲から過度な期待をかけられて、女性からはそれはもう言い寄られていたらしい。
本質的に、ユースはバカだ。というか、男どもとバカをやっている方が楽しいタイプだ。
合コン何かに呼ばれた時、そういう男同士の付き合いも楽しめるから、ユースはそういうのに付き合うそうで。
だとしたら、そんなユースが“貴公子”を続けるのは少なからずストレスになっていたことは想像に難くない。
「君は僕が女性と話をするのを複雑そうにしていたけれど、僕にしてみればそういった経験は、君の隣に立つに相応しい男となるための経験だ。どうかな?」
「どうって……よりにもよってアタシに聞くのか? それを」
「ははは、違いない」
「……もう少し否定してくれよなぁ」
ため息。
なんだよこいつ、イヤにからかってくるじゃないか。
畜生、反撃してやる。
「けど、何だって嫌なものは嫌に決まってる。……アタシだけを見てくれよ」
「……困ったな」
ほら、顔を赤くしている。
へへへ、ざまーみろ、ざまーみろ。
「こんなところで、告白されるなんて」
「――あ」
あ、いや、ちょ、ちが……
これはちょっとユースをからかいたかっただけで……
「う、うるせー! バカバカバカ! ユースのバカ!」
「アハハハ、そんな真っ赤で言われてもな」
ちくしょー、何なんだよ急に。
……普段はもうちょっと遠慮がちだったと思うんだけどな、こういうの。
いや、遠慮させてたのか。
「……何か悪いな」
「何が?」
「色々と、アタシのことで、遠慮させたりとか。我慢させたりとか、アタシのせいで――」
続けようとしたところで、
「――ストップ。それ以上はダメだ、リーナ」
「……あ」
ちくしょう、またやっちまった。
こいつはそういう事を、謝ってほしかったわけじゃないだろうに。
むしろ、そういう謝ってしまうアタシを、励ますためにこうしているはずなのに。
「なぁ、リーナ」
「……何さ」
「今は確かに、二人っきりだから不安かもしれない。ボクだけじゃ、君が抱えている不安を支える事はできないかもしれない」
――不安。
それはそうだ。
アタシが自由に生きれない理由はいくつもあるけれど、その中で不安を感じてしまうものは、アタシの未来を縛る「白幸体質」以外に存在しない。
性自認とか、父様との確執とかは、不安を感じるといった類のものではない。
今はそういった問題を脇において、考えるべきはアタシの体質についてのこと。
これとどう付き合っていくのか、どうすればアタシは、こいつと一緒に死ねるのか。
……って、また何か、こいつと一緒にいるのが当然みたいな思考をしてる。
のぼせちまったのかな。
そんなアタシの頭を撫でながら、ユースはいった。
上を見上げて、今も外から聞こえてくる、仲間たちの声を聞き届けながら。
「だけど、ボク以外の誰かも支えてくれるなら?」
――そう、問いかけてきた。
そして、
「リーナ、本質的に君は誰かを幸せにできる人間だ。それは体質によって誘引されているかもしれないけれど――解決してきたのは君の努力によるものだろ?」
「……」
「だから、多くの人は君の努力に感謝してるんだ。君の力は君を苦しめて不安にさせてしまうかもしれないけれど――」
ユースは、アタシに笑いかける。
「それを望まない人たちと、君を結びつけるのも、その力だ」
――――ピシリ。
何かに、ひびが入る音。
「僕一人じゃ君を守りきれないかもしれない。僕は一人でも君を守るよう努力するが、運命がそれを許さないかもしれない」
――――ピシリ。
空に、光が灯った。
「だからこそ、誰か一人ではなく。誰もが君を守ろうとしてくれることを、君は信じてほしいんだ」
――――ピシリ。
そして、声が聞こえた。
「リーナァ!! ユースと一緒に、アタシ達のところに帰ってきてよ!」
アンナの声が、聞こえる。
「私、リーナのことが好き! リーナと一緒にいたい! リーナが幸せに生きてほしいって思ってる! そのための手伝いをしたい! ねぇリーナ! 私じゃダメかな!?」
そして、
「私達じゃ、ダメかな!?」
――手が、伸ばされた。
「僕だけじゃないんだ。君を守りたいって人は、君が幸せにした人の数だけいる。君が誰かを幸せにすれば、誰かが君を幸せにする」
「アタシ、が――」
「――世界って、そういうものじゃないかな?」
……アタシ、は。
「だから……君の体質に、僕から言えることは一つだけ」
気がつけば、
「僕たちを、信じてくれないか?」
――アンナの伸ばしてくれた手を、掴んでいた。
▼
影からアタシたちが引きずり出されて、蛇が苦しみながら、引きずり出したアンナとアタシ達を吹き飛ばす。
そいつは、そうしてからなんとか態勢を立て直して着地するアタシたちを見下ろして、
鳴いた。
またも、逃した――そう言っているかのようで。
アタシは、ココロの中に抱え続けていた不安が拭い去られた事を感じて、笑みを浮かべる。
見れば、周囲ではアタシ達が助かったことに安堵する仲間たちがいた。
アンナに目を向ければ、少しだけ泣きそうな顔で、笑っている。
……ごめんな、心配をかけて。
口に出すと怒られてしまうから、ココロの中だけで思う。
これで、アタシ達は元通りだ。
「――よくもやってくれたなぁ、クソ蛇」
力強く叫ぶ。
蛇は怒り狂ったように吠えて、アタシの言葉に不満を漏らす。
あそこで取り込まれていればよかったものを、と。
「バカ言うな、アタシは生きるんだよ。アタシに生きていいって言ってくれる人がいる限り、生きるんだ」
そして、影に呑み込まれる際手放していた、自分のレイピアを手に取る。
ユースも同じように、落ちていた剣を拾い上げた。
それを、二人同時に構える。
「よく聞けクソ蛇! アタシ達は、これからも多くの冒険を乗り越えて生きていく。誰もが幸福に、楽しかったと、栄光だったと誇れるように、前を向いて、生きていく!」
――オルタナティブスキル。
その原則は、一人一つ。一日一回。
だとしたら、アタシ達の場合は?
「行くぞ、ユース。これまでも――」
「ああ、リーナ。これからも――」
二人で一つなら、当然その使用回数も、一日二回が当然だ。
「――アタシたちは、仲間たちと生きていく!」
剣に、白金の光が灯る。
「オルタナティブスキル――」
「――“死がふたりを分かつまで”」
影が、先程の自分を思い出してか、動き出す。
今度はあのときのように、身動きを止めるものはない。
こんなもの、当たらなければどうということはないのだから。
――だが、
「させないわよぉ、アンタ達!」
「オオォ――――――ッ!!」
リーダーの言葉に、パーティの仲間たちが答えた。
それぞれが武器を手に取り、ウィザードは準備を終えていた魔術をぶっ放す。
「ここにいるのが、アタシ達だけだと思ってんじゃねぇぞ――!」
即座に、距離を取ろうとした蛇の体に魔術が突き刺さる。
唸る蛇、こんなものでは痛くも痒くもないといいたげだが、それより先にアタシ達前衛が追いつくぞ?
迫る前衛を、蛇は無数の影を刃のようにして飛ばし、弾こうとする。
だが、構わず突っ込む。アタシたちが傷ついても、ヒーラーがそれを直してくれるからだ。
「――これで」
ユースの、低く思い声が響く。
こいつ、顔がマジだ。
「……終わりだ、クソッタレ」
ユースの一撃と、アタシの一撃が、
――ほぼ同時に、蛇の体に突き刺さった。
それが、アタシたちを散々苦しめてくれた蛇野郎の、最後になるのだった。