俺の必殺技
「何あれ、黒い霧のようなものが下から吹き出して、凄い勢いで上の国道へ伸びてら」
「不気味な光景だな。場所的にはあそこで間違いなさそうだが、あれが幽霊なのか。だとしたら相当やばそうじゃねえか」
俺達は、しばらく遠くから眺めていた。そこは歩道になっていて、何も気がつかない人達が歩いて通り過ぎていくのが見える。その様子では、どうやら生者の体に変化はなさそうだ。
二人で頷き合い、すぐそばまで近づいてみる。
黒い霧は、ちょうど人間の体二回りぶんの大きさで、簡単に言うとスーパーサ○ヤ人になったあれが、まとっているオーラな感じと言えば分かるだろう。音も聞こえる。くどいようだが、スーパー○イヤ人になった、…すいません。
「すげえな、『シュンシュン』と音まで聞こえるぜ」
俺が半開きに口を開けて驚いていると、拓磨が右手を出してそこ触れた。が、『バチッ!』と音がして弾き返されてしまった。
「おい、大丈夫か? でかい音がしたな」
「死んでから、なにもかもすり抜けていたから大丈夫かと思ったけど、ビックリした~」
「手、何ともないか?」
「うん、幽霊だから痛みはないし、手もこの通りだから問題なさそう。それより、どうしようこれ。おそらく、この中に対象の亡者がいそうな感じだけど、これ以上は近づけないね」
「さっき、生きた人間が何人か通り過ぎていたが問題なさそうだったし、俺がやってみる」
俺は、おそるおそる右手を出してみるも、特に反応は無い。これなら問題ないと考え、思い切って顔を突っ込んでみた。すると、その中に人のような形が微かに見える。
「おい、やっぱりなんかいるな。人のような形が地面に座っていて、そこからこの黒い霧みたいのを吹き出しているぞ」
俺は、黒い霧みたいなところから顔を戻して拓磨を見た。
「雅人、体は大丈夫?」
「ああ、ちょっと息苦しい感じだが問題ねえよ」
「息苦しいって。それ、かなりやばくない?」
「これくらいたいしたことねえよ。今度は、中に入って声でもかけてみるか」
俺は、勢いをつけて中に入り、更に近づいてみた。思った通り幽霊が体育座りして下を向いているのが確認できる。そこで、一言声を掛けようと大きく息を吸ったら、急にめまいがして後ろに尻もちを付いてしまった。
「わっ! 雅人大丈夫?」
「わりぃ、ちょっとめまいがしただけだ。やっぱし中に幽霊がいるな。座って下を向いているのが暗い中でも分かるよ。どうやらそいつがこの霧みたいのを出してやがるみたいだな。それにこの中じゃ息を全く吸えないわ。どうするか?」
「う~ん、早くも暗礁に乗り上げたか。仕方がないから乙那を呼ぶか」
拓磨が、再び右手を開いてスマホを取り出す。そして、現実と同じように操作をすると耳にあてて会話を始めた。乙那さんに事情を話してこちらに来てもらうように話しているのだが、どうもあちらが難色をしめしているようで、拓磨が困った顔をしている。だが、「出世」の言葉を発したら上手くいったようで、満足した表情で通話を切った。
「乙那さん、来るって?」
「うん、最初は面倒くさいから二人で何とかしろ、とか言って拒んでいたけど、甘い言葉で誘ったら来るってさ」
「ああ、出世とか言っていたな,あの世でも出世闘争があるんかい、大変だな」
「乙那が変わっているんだよ、可愛いのは見た目だけだから変なこと言ったら聞き流した方がいい」
拓磨はそう言うと、スマホをしまった。
「なあ、拓磨。一体どうやったらこんな風になっちまうんだ? 今日見てきた幽霊は、確かに黒い霧みたいなのをまとっていた感じではあるが、ここまで酷くはなかったぞ」
「そうなんだよな、僕も町中で多く見てきたけど個体によって色の濃さが違うんだよね」
「それは、未練の深さと年数が関係しているのよ」
頭上から声がして、上を見上げると空間から顔だけ出した乙那さんが現れ、ひょいと飛び降りるように地面に着地して全体像を表した。
「あら、あら、これは酷いことになっているわね」
「そうなんだよ。これでは、相手と話すこともできないし困ってさあ」
「最初は、他の亡者と同じで少し瘴気が回りに出てくるだけだったのよ。ところが、想いが強く、年数が経ってくると増えてきてこんな状態になってしまったのよね~」
「何でこんなになるまで放っておいたのさ?」
「何度声を掛けても言うこと聞かないし、面倒でしょ?」
何という言い草だ。担当先に面倒な客がいて、そこだけ放棄した営業マンのようだ。
「解決策ってあるかな、乙那さん」
「全ての幽霊に言えることだけれど、個々の未練や悩みを聞いて解決するしかないから、話し合いしかないわね」
「この状態で話せって言われても無理だよね。さっき手を出したら弾き返されてしまったもん」
「そうそう、俺も中に入っていったらめまいがして尻餅ついたしな」
「へ? それは危険よ。下手したら霊体そのものが破壊されて消滅するし、生身の人間も、長い時間いたら余裕で死を迎えるわよ」
「は??」
揃って二人で声を上げた。
「そういうことは何で先に言わないかな~?」
「だよな、その意見には激しく同意するわ。俺、死ぬとこだったんかよ」
一歩下がってドン引きし、俺達は乙那さんを見た。
「な、なによ~、その脂ぎった白馬の王子様を見る目は~? 私は悪くないわよ、聞かれなかったのだから仕方ないでしょ」
「いや、人と幽霊の命に関わる問題だから最初に伝えるべきでしょ」
「それだったら、最初にあなた方が質問するべきでしょまったく使えないわね」
「それは無いよ乙那さん、随分辛口だな」
「は? カレーは甘口の方が好きなんだけど?」
「え? いや、そうじゃなくてさ」
説明をしようとしたところで、拓磨が右手で制してそれを止めた。そして、耳元で『ちょっと、ここが足りない人だから』と人差し指で自分の頭をトントンと叩いた。さすがにそれは言い過ぎだ、可哀想だろう。
「それはいいからさ、これどうするの。近寄れないのなら話しかけることもできないじゃん」
「しようが無いわね。ねえ、あなた! え~と、誰だっけ? 美子さん、麻美さん、じゃあ無かった、誰だっけさん?」
乙那さんが身振り手振りで声を掛けている。ああ、なるほど。拓磨の言ったことがよく分かったわ。それにしてもこの人余裕で黒い瘴気の中に入って声をかけてら。これだったら俺らいらないのじゃないか? とは言え、これで解決するだろうと思っていたが、何分経っても相手から全く反応が無い。それでも乙那さんが必死で声掛けしていたのだが、結局諦めて、ハアハアと息を切らして出てきてしまった。
「まったくもう、これだから未練たらたらの亡者は嫌なのよ、拓磨君交代してよ!」
膝に手をついて下を向き、疲れた表情で黒い瘴気を指さした。それにしても、仕事できないねこの人。
「だからさ、この状態では何もできないでしょ? この瘴気を何とかしてよ」
「え? ああ、そうだったわね。ちょっと待って」
思い出したように乙那さんが懐に手を入れ、何かを取り出した。よく見るとそれは携帯用のハンドクリーナーだ。
「えーと、これにスイッチを入れて」
ハンドクリーナーをオンにすると、掃除機のような聞き覚えのある音が聞こえ始める。そして、それを黒い瘴気の中に突っ込むと、少しずつ吸い取りはじめ、やがて幽霊の外見が見えてきた。
よく見ると、それは髪の長い女性だった。これで話し掛けられると思いきや、瘴気は未だにその幽霊から発せられているので、うっすらと見える程度ではある。放っておけば元に戻ってしまうのでハンドクリーナーをオンにしたままでないと駄目なようだ。
「もう、そんな物あるのだったら、さいしょから…」
途中まで言いかけたが突っ込むのも疲れたのだろう、拓磨は半分あきれ顔で幽霊に近づいた。
「お姉さん、ちょっといいですか? 僕らあなたの悩みを聞き来たんですが、どうしてあの世に行かないのですか?」
拓磨も必死に女幽霊に話しかけるがまったく反応せず下を向いたままだ。なるほど、これは難しい状態ではある。だが、こういうのは俺の得意とする場面かもしれない。
「だめだこりゃ、ぴくりともしないよ。今日はこの辺にして明日また来ない? 何日か通えば心を開いてくれるかもしれないし」
「それが良いかもね。あなた達にまかせるわ」
まるでやる気を感じない駄目死神は、耳をほじくりながら、あさっての方向を見ている。
「諦めるのはまだ早い、俺が変わろう」
「え? だって」
「ダメ元でやってみるさ。ただし俺も集中しなければならないからしばらく黙っていてくれないか」
いつになく真剣な表情をした俺を見て、拓磨が喉をごくりと鳴らすと、コクリとうなずいた。俺はゆらりと彼女に近づいてひざまずき、ジーッと彼女を見つめた。張り詰めた空気が俺達を包んでいる。聞こえるのは車の流れる音とハンドクリーナーの起動音だけ。果たしてやれるのか? 葛藤が俺の心によぎる。だが悩んでいてもはじまらない。意を決して俺は口を開いた。
「あれ~? こんな所に綺麗な女性が座ってら!」
その瞬間、この女幽霊がわずかにピクリと反応したのを俺は見逃さなかった。
「ああ、CBT48の大須賀真央さんじゃないですか。なぜ、こんな所に?」
俺の口説き文句、『アイドル、たたみかけアタック』を炸裂させた。
「ちょ、ちょっと、人違いよ~。確かに似ているとは言われているけど、アイドルがこんな所にいるわけがないじゃない~」
地獄の底から聞こえてくるような声で、目の前の女幽霊は俺に顔を向けて口を開いた。今のメタルシーンで、ここまでのデスボイスを発するのは彼女だけだろう。
「あ、しゃべった! ちょっと~、何で、私の言葉に反応しないのよ~」
「凄い声だね、ちょっと聞き取りにくいな」
「さっきも言ったけど、強い想いで何年もいるとこういうケースもあるのよね」
「割と簡単に話してくれたじゃないか。乙那さん、真面目に仕事してるんですか?」
「当たり前でしょう! この人が亡者化して何年も説得したわよ」
「嘘よそんなの。死んでからずっと私の願いを話したけど、まるで相手にしてもらえなかったわ」
女幽霊がすかさず会話の間に入ってきた。
「え、そうなんですか? それで、ここに何年も座り続けてこんなことに…」
再び俺達はさげすんだ目で乙那さんを見つめた。
「だって、注文が複雑で面倒見きれなかったんだもん」
ふてくされた顔をして乙那さんは見返してきた。本当にこの人、あの世に送る死神か? それを見た拓磨は、苦い顔をしながら女幽霊にちかづいた。
「僕らがあなたの悩みを聞きますので話してくれませんか?」
拓磨のこと場を聞いて、この女幽霊は右手を口にあててしばらく考えていた。やがてこちらを向いて口を開いた。
「そうね、私のことを分かっているみたいだから話すことにするわ。当時私には好きな人がいたのよ。朝の通勤時、7時を過ぎた辺りで、必ずここですれ違う男性に恋をしていたの。向こうも私を意識していたみたいで、すれ違うたびに目を合わせていたわ。そんなものだから、いつ彼が私に声を掛けてくるのか楽しみにしていたの。でも、彼ってシャイだからなかなか話しかけてくれなかったわ。それから半年ほど経ったあの日、仕方がないから私から声を掛けようと思っていたのだけれど、その日はここを通らなかった。少し待ってみることにしたら、突然車がわたしの方へ…」
悲しい話で俺達は少し反応が遅れ空気が湿ってしまった。人というのはいつの時代も恋ってやつをする生き物なのだと思った。
乙女チックに、なおかつ悲哀感ただよう少女のように思っているかもしれないが、彼女の声はデスボイスだ、間違ってはいけない。
「ふん、ふん、なるほどね。じゃあ、お姉さんはその男性に気持ちを伝えたいと?」
「今更この状態で伝えても仕方がないわ、一目見えさすればそれで充分なの。だからこそ、私は彼がここを通ると思って座っていたのだけれど、あれから全く見かけなくなってしまった」
「そうか、それはつらい思いをしたんだな。何年もここでなあ」
俺は目頭が熱くなり、目を押さえた。
「あなた、泣いてくれてるの? 見かけの割に良い人のようね、ありがとう」
女幽霊の口がパクリと開いた、どうやら微笑んでいるようだ。
「さて、どうやって探そうか。その男性の特徴なんか教えてもらえますか」
拓磨が質問すると、女幽霊は右手の人差し指を右の頬に当てて首を傾げて口を開いた。
「そうね、顔はほっそりとしていて、目はイケメン俳優の長瀬翔真で鼻はハリウッド俳優のピーターペーターで顎はシュッとしていて唇は燃えるような情熱的な感じかしら」
「えーと、もの凄く分かりにくいな。写真とかあれば一発なんだけど。ねえ、雅人。似顔絵とかできる人?」
「いや、俺の画力は最低だ」
「…乙那は聞くまでもなさそうだな」
しばらく二人で考え込んでいると、烏の鳴き声が聞こえた。ふと川の方を見ると東京スカイツリーの後ろで太陽が沈み込んでいる。それを何気にボーッと見ていると思い出した。そういえば一人知り合いで、抜群に絵の上手い奴がいるんだった。
「一人、心当たりがあるんだが」
俺は二人の方に顔を向けた。