いざ、現場へ
朝、学校に行くために家を出たら知らない婆さんが道の端にある電柱の横に正座をして座っている。見た目70代くらいで白髪を後ろに束ねている町でよく見る普通の婆さんだった。だが、どこかおかしい、無表情なその顔には生気が感じられず、天気の良い朝だというのに体全体が靄がかかったように薄暗い。
「あれ、ばあちゃんどこの人? 朝っぱらから道端で座ったりしたら車がきてあぶないっしょ?」
俺は中腰になって婆さんに声をかけたが返事がない。
「何だよ、ぼけちまっているのか? しようがねえな、ほら、警察まで連れて行ってやるから立ちなよ」
そう言って婆さんの肩に手をやったら、なんと体をすり抜けてしまった。驚いて俺は数歩後ずさりをした。すると犬の散歩をしているおっちゃんが近くを通り不思議そうな顔をして行ってしまった。もう一度婆さんを見るがさっきと同じで下を向いたまま正座をしている。
それでようやく、この婆さんは幽霊なのだと分かった。
「おい、おい、マジかよ」
婆さんの正体を知り、俺はがっくりとうなだれた。なぜなら、昨日の件で面倒ごとに巻き込まれちまったのだとそこでようやく悟ったからだ。
あの後、拓磨と乙那さんがコソコソと二人だけで話し合い、俺にも全ての亡者を視認できるようにしておこうと言って、乙那が指を鳴らしていた、お陰でかなり心臓に悪い。
少し進んだとある一軒家の駐車スペースでは、5体の霊体が丸く円を描くように頭を寄せ合って立っているのを見かけた。どうやら幽霊ってやつは一人でいるものだと思っていたのだが、そうでもないようだ。
賑やかな商店街の通り出たら見えるわ見える。子供から大人まで先程の婆さんみたいなのが結構ポツポツと見かけるようになった。皆、同じように姿は薄暗く、下を向いたままピクリとも動かない。通りを歩く人たちは全くそれに気づかずにすり抜けて目的地に向かって歩いて行っているものだからどこか滑稽に感じた。
あまりにも見えるので、俺は伏し目がちにして見ないように学校へ向かったのだが、校門の上にうつむいまま座っている女子学生が居たのには正直びびった。
中に入り教室へはいると、クラスの連中がいつものように、複数のグループに分かれ談笑していた。その様子を見て少し楽になった俺はカバンを机の上に置いて椅子に座る。だが、前方にある教壇の横に変な奴がいた。鬼ぞりのリーゼントをした男がアンパンをしたままうつむいている。
「マジか、ここにもいるんかよ」
今時リーゼントをしている学生などいないし、アンパンとかやっているやつも見たことがいない、つまりあれってことだ。俺は深くため息をつくと、机の上に突っ伏した。
「何だよ、雅人。元気ねえな、珍しく風邪でも引いたか?」
前の席にいる省吾が振り返り俺の頭を小突いた。
「あー、風邪であったならどんなに良いことか。なあ、省吾。お前幽霊って信じているか?」
頭を上げて左手で頬杖をつき、俺は昔のヤンキーを眺めた。
「何だよ突然?」
「いや、何となくな。ほれ、世の中見える奴がいるらしいじゃねえか。そんなんが見えるようになったらどうなっちまうんだろうって思ってよ」
前にいるアンパン幽霊を見ながら省吾に言った。
「怖い話とか面白いから、それ系のテレビなんかは見るよなあ。でも実際に見たことねえから信じちゃいないわな」
「だよなー。じゃあ、どっかの神様みたいのが見えるようにしてくれたらどうするよ?」
「ああ? んなもん、迷惑でしかねえよ、気持ち悪い。だったら、透視能力を授けてほしいな。だってよ、その力がありゃ、そこら辺の女の裸のぞき放題じゃねえか」
「…だよなー。その意見に激しく同意するわ」
ゲラゲラと笑う省吾の声を聞きながら、俺はアンパン幽霊から視線を外し窓の外を見てため息を一つした。
チャイムが鳴り、教師が教壇の前に立ち数学の授業が始まった。真面目に話す教師と、そのとなりにアンパンをした幽霊がいる光景、あまりにもシュールだ。とは言え、キモい絵面ではあるので、なるべく前を見ないようにした。
それにしても、彷徨う霊を説得してあの世に送るとか言っていたがどうやるんだ? そもそも、俺は香月さんを再び笑える様にするために手伝うと言っていたのだが、どこで間違ってそんなことになったのか。よーく考えると、はめられた感が満載なような気がする。とは言え一度了承したからには「やっぱやめた」とは言えねえしな。
前にいる霊を外すかたちで外から教室に視線を戻してみた。視覚の中にいるアンパン幽霊を見たくはないが、そろそろ首が痛くなってきたので仕方がない。
だが、何かおかしい。あの方角にいるはずの影が感じられない。不思議に思い教卓に手をついている教師の横を見ると、さっきまでうんこ座りをしていたシンナー幽霊がいなくなっていた。
「なんだよ、消えちまったか」
幽霊は消えたり現れたりするとテレビで見て知っていたが本当のようだ。少し安堵して凝った首を回していると横に誰かがいることに気がつく。クラスの誰かが俺に話しかけに来たかと思い、そちら向いた。
「おわっ!」
そこにいるのは前にいたはずのシンナー幽霊だった。先程とは違い、ビニール袋をぶら下げて目線を俺に向けて立っている。思わず驚いて声を上げた俺を見てクラスの連中が俺に注目した。
「何だよ雅人、急にでけえ声だして」
省吾が後ろを振り向き声をかけてきた。
「あ、何でもねえ。ちと寝てたら階段から落ちた夢を見ちまっただけだ」
「ああ、あるよな、そういうの~」
クラスの連中が省吾の笑い声を聞くと、止まった空気がもとに戻り雑談が始まった。言っておくが授業中である。
俺はゆっくりと横にいる幽霊に視線を戻してみるとやはり俺を見ている。家からここまで、見えている幽霊は全員下を向いていて視線を合わしたことがなかったのだが、こいつは何かが違うようだ。気持ちが悪いから前を向いて知らないふりをした。が、その途端声が頭の中に入ってきた。
「おい、おまえ」
その声に反応して再び幽霊を見た。
「ああ、そうか。やっぱ俺の声が聞こえるんだな。声に出さなくていいからよ、心の中で返事をしろや」
幽霊の口は全く動かさずにさっきと同じでジッとこちらを見たままだ。周りを見ても誰も俺に話しかけている様子はない、こいつが俺に話しかけているのか?
「おい、コラ! こいつとはなんだ! てめえ、礼儀ってモノを知らねえのか、アアン?」
今度はやたらドスのきいた声が頭の中に入ってきた。あれ? やっぱしこいつが言っているのかよ、どうなってんだこれ。
「けっ、まあいいや。おまえ、ちっと顔貸せや話があんだよ」
そう言うとその幽霊はすーっと動き出し、クラス内にある机や椅子を通り抜けて廊下へ出て行った。何かめんどくさいことに巻き込まれそうな予感がする、嫌だからシカトすっかな。そう考えて席を動かずに前を見ると、再び目の前にそいつが現れた。
「シカトこいてんじゃねえよ、ぶっ飛ばすぞコラ!」
うげっ。どうやら無視は通用しないらしい。仕方ないので席を立ち、俺は廊下へ出て行った。ちなみに、誰であれ、授業中に席を立っても何も言われない。
廊下に出ると幽霊が手招きをして俺を誘導しながら動き始めるのだが、ぶっちゃけ気持ち悪い。黙ってついて行くと3つ先にある空き教室には行っていくので、戸を引いて俺も入る。
「まあ、すわれや」
幽霊は、うんこ座りをするとビニール袋に口を突っ込み一つ呼吸をすると顎で座れと促した。言われるまま俺は腰を下ろし、あぐらをかいた。
「ちぃっ、最近のガキはまともに座れねえのかよ。それじゃ、尻が汚れてきたねえだろうが」
幽霊は苦い顔をして俺を見ながら、また一つビニール袋に顔を突っ込んで呼吸をする。随分なシンナー中毒者だな。ん? こいつ、表情がありやがるな、さっきまでと随分違うな。
「ああ、声に出していいぞガキ」
幽霊は耳をほじくりながら俺を見た。
「お、おう」
「言っておくがな、ガキ。死ぬ前までは、俺はこの学校の番張ってたんだ。つまりお前の先輩ってわけだ、それも結構な年の差のな。だからよお、少しは霊ってものをつくせや」
「ああ、そうなんですか、分かりましたよ先輩」
『霊』と言う字は『例』だぞ、っと間違っていることを突っ込まずに俺はうなずきながら答えた。するとその幽霊は満足そうにコクコクと頭を動かす。
「いや~、長かった! やっと、俺の声が聞こえる奴が現れたぜ。死んでからこのかた、誰も返事をしてくれなくてよ、諦めていたところだったんだ」
「へ~、長いって、どれ位経っているんですか」
「あん? えっとなあ。今から……」
幽霊は難しい顔をしながら、両手の手のひらで指折り数え始める。
「30引く18は15だから15年だな」
やはり、俺らの先輩だわ、引き算もできねえでやんの。30引く18は11だっての。
「へぇ~。結構経つんですね、その間誰一人、先輩の声を聞いて返事する奴はいなかったんですか」
「そうなんだよ、参っちまってよお。あ、俺は斉藤弘道ってもんだ、覚えておけ」
「あ、俺は雅人って呼んで下さい。で、頼みってのはなんです?」
「ああ、そうだったな。当時俺には付き合っていたスケがいてよ、そりゃあイイ女だった。ところが、俺の天敵ともいえる野郎とタイマン中にブスリとやられちまってこのざまってわけよ。そんなもんで、その女に一言別れの挨拶をしたくてな。死んだ後幽霊となって何度もスケに声をかけたが聞こえねえってもんよ」
斉藤弘道は物思いにふけった顔を作り、フッと笑った。おい、おい、それじゃあ拓磨と同じじゃねえか。
「そうだったんですか、それはキツイ話ですね」
「なんだ、雅人。お前俺の悲しみを分かってくれるのか、良い奴じゃねえか」
涙ぐんだ俺を見て、斉藤先輩が初めて優しい顔を見せた。
「いやぁ、こういう話に俺弱くて。じゃあ、先輩の昔の彼女さんを探してこっちに来てもらえばいいって話ですね。……別れの挨拶を俺が聞いて話してあげればいいと。分かりました、その話引き受けさせてもらいますよ!」
「そっか、引き受けてもらえるか、助かるぜ! なんだよ、涙なんか見せやがってそのくらいで泣くんじゃねえよ」
斉藤先輩はさらに優しい声を出しながらビニール袋に口を突っ込む。
「ちっと時間は掛かるかもしれませんが、絶対探してみますから待っていて下さい。ちなみに彼女さんの名前は?」
「西本真緒って言うんだ」
斉藤先輩の話を聞いた後、早速俺は職員室に入り一番古株の先生に話を聞いた。だが、先輩が死んで何年も経ってから赴任してきたそうで知らないと言うことだ。これに関しては、いろいろと調べてみないと分かりそうもない。
やがて、全ての授業がおわり、放課後の時間となった。鞄を持ち上げて肩にかけると俺は学校を後にした。
しばらく歩き、いつもうちの連中がたむろっているコンビニが見えた。皆、アイスだのパンだの、店で買った商品を前にある駐車スペースで談笑しながら食っている。まあ、いつもの光景だが、そこに異質なのが見える。そいつらの後ろで、一人うつむき加減の男子学生が一人立っている。制服も俺らが着ている物とは違うし、あきらかにこの世の者ではない、ドス黒いオーラみたいなものがそいつの周りに漂っている。
俺の姿を見つけた一人がでかい声で声をかけた、それを聞いて皆がこちらを見て手を上げている。僕も引きつった笑いで片手を上げた。そういう感じでいちいち霊が見えるものだから気味が悪くて仕方がない。
駅に着いて電車に乗り込み、三十分ほど走らせると目的の駅に到着した。改札を出て階段を降りると前にコンビニがある。そこの前にぽつんと一人、拓磨がコンビニの前に設置してある町の案内板を見ていた。
「よお、待たせたな。どこまで行くんだ」
拓磨の隣まで歩き、案内板をのぞいた。
「ああ、お疲れ雅人。国道六号線の高架下らしいから、この辺じゃあないかな」
「じゃあないかなって、詳しい場所分かんないと会えないだろうよ」
「大丈夫だよ、これがあるから」
拓磨が右手の掌を開いてスマホを見せた。
「あ、なにこれ、スマホじゃんかよ。何でこんな物、幽霊のお前が持っているんだ?」
俺は、拓磨の手からスマホを手に取ろうとしたが、すり抜けてしまった。
「おわっ! すり抜けるってことは、幽霊用かこれ? 何で霊界にスマホがあんだよ!」
「それは、僕も驚いて同じ質問を乙那にしたんだよ。そうしたらさ、現世はこれだけ文明が発展しているのだから、そこから死んだ者が霊界に行けば自然とそっちも発展するだろうって言われたよ」
拓磨が理解不能と肩をすくめる。
「あー、言われてみれば納得の返答だが。あっちの世界を知らん俺らには理解し難いよな」
俺も目を丸くしてあっちの世界があると言われる空の上を見た。
「まあ、そのうちあっちに行くわけだから知っておいて損はないけど。えーと、これだなアプリは」
拓磨がスマホをいじり始めるのを横からのぞき込む。…まんま現世の物と同じかよ、いいのかこれ、特許とか大丈夫なんか?
「これさあ、あらかじめ乙那がマップに印をしておいたからすぐに分かるんだよね。えーと、ここか。歩いて15分ぐらかな」
拓磨は方向を確かめると歩き始めたので俺も横に並んだ。俺たちは荒川沿いの道を堀切菖蒲園の方角へ歩いて行った。夕方の時間もあって学校帰りの学生や仕事終わりのサラリーマンの姿もチラホラ見かけられた。
「よっしゃ、一丁やってやるか」
「お! 気合いが入っているなあ、やる気満々だね」
「いや、不安しかねえよ。大体、幽霊相手にどう話せばいいんだよ」
「そりゃあ、メインがあの世に行かせることなんだから、この世の未練を聞いてやるのが良いのだろうなあ」
「ああ、なるほど。その悩みがあるから現世にいるわけだしな。話を聞いてそれを解決してやれば一件落着ってことか」
「そう簡単に事が運べば良いけどね」
一つため息をつく。
「なんだよ、えらく弱気じゃん」
「だからさあ、その悩みが簡単に解決できない場合どうするかってことだよ。例えば、目的が物理的ではない場合。もう一度肉体に戻って好きなことをしたいとか、自分は武士で亡き主君の敵を討ちたいとか、霊体のままでよいから好きな芸能人の家へ行きたいとかさ。そういったうちらだけではどうしようもない悩みだと解決できないじゃん?」
「あ~、確かにそうだな、そんなの困るわ。童貞のまま死んだから、生き返って好みの女とやりたいとか、やり残したプレイがあるからそれをやりたいとか、大金はたいて通ったキャバクラのねーちゃんとやらずに死んだから何とかしろとかな!」
「……オイオイ」
場を明るくしてやろうと、冗談を言ったのだが、拓磨には通じないらしい。思いっ切りドン引きしている。
「なんだよ拓磨、冗談だよ、冗談! これからやばいことをするんだから明るくしてやろうと盛り上げてやっただけだよ。お前男のくせに下ネタ嫌いなのか? ひょっとしてお前童貞か? ああ、そうか童貞か! ガハハハハハ」
俺は、見事に引いている拓磨をこちらへ呼び戻そうと、もう一度明るく話してやった。
「…いや、そうじゃなくて」
拓磨が立ち止まる。
「あん? そうじゃなくて、どうなんだよ?」
「雅人君、君分かっている? 周りの人たちは、僕のことを見えていないのだが…」
ニヤついた拓磨の顔、そしてその言葉を聞いて、僕の思考と体が止まってしまった。
「ママー! ドーテーってなあに?」
「さ、さあ何かしらね! 食べ物かしら~、オホホホホ! ほら、早く行こう、くるみちゃん」
俺を指さす幼稚園の制服を着た女の子の体を持ち上げて、母親が目の前からダッシュで逃げていく。他にも変態を見つめる目で俺を凝視する女子高生、はたまた、珍しい物を見るようにスマホをこちらに向けるサラリーマンなど、など、皆が俺に注目している。当然のことながら顔を赤くしながらその場を逃げた。
300メートルほど走り抜けると息が切れて両手を膝の上にのせて屈んだ。
「いや~、やってしまったね雅人君」
拓磨がニヤニヤと笑っている。
「お前、そういうことは早く言えよな! マジでみんな変態を見る目で見つめていたじゃんか」
「いや~、面白いからさあ、そのまま放置をしてしまったよ」
「お前、良い性格してるな」
眉をひそめた俺を見て、拓磨がゲラゲラと腹を抱えて笑っている。その様子を見て俺もつられて笑ってしまい、明るい雰囲気がそこでつくられた。近くにある鉄道の陸橋で、電車が通り過ぎガタンゴトンと音が聞こえ通り過ぎていく。それを眺めた後、お互いにうなずき合い、再び俺たちは目的の場所へ歩きはじめる。
「えーと、マップによるとあの辺りにいるみたいだね」
拓磨が指さした方を見ると、そこは西から東の方向へ国道六号線がある場所で川にぶつかり橋が架かっていた。そこの下を交差するように北から南へ道がはしっている。
「おお、そっか。あの信号の辺りだな」
俺たちは足取り軽く現場まで来たのだが、ゆっくりと速度を変え、やがて足を止めた。
「…まさか、あそこじゃねえよな」
俺が指を指した方向は、まさに黒い瘴気が勢いよく沸いている所だった。