彼女がやってきた
次の日、親戚や、近所の人、親しかった友人達が我が家に訪れて、僕の抜け殻に線香を手向けてくれた。皆、涙を流して早すぎる死を悲しんでくれている。そして、葬儀屋が訪れて通夜や告別式の日程などが話し合われた。次々と人が訪れてくるので、家族は忙しそうだ。
葬儀は二日後、同じ区内にある火葬場で通夜と葬儀が行われ、その後火葬されるらしい。
午後七時を回った頃になり、家に訪れる人の往来が途切れた。母親と妹は、寝かされている僕の抜け殻の側で、小さかった僕のことを疲れ切った顔で話し合っている。
母親は、生まれた時のことや、二歳の時に四十度の熱を出して、父親と母親が大騒ぎしたこと。そして、幼稚園入学などを、遠い目をして話している。僕も抜け殻を挟んで反対側に座り、話を聞いていたが、正直なところ、心ここにあらずなのだ。何故ならば、今日訪れた親しい仲間の中で唯一来ていない人がいる。僕はその人が来るのをそわそわしながら待っているのだ。ちなみに、今、親父がその人を迎えに車で出ている。
最初にその人を見かけたのは、高校入学初日。通学のために乗っていた電車の中だった。新しいブレザーの制服を身に包み、初めてのネクタイがやたらと苦しいので、少し緩めていた時だった。電車が途中の駅に止まりドアが開いのだ。ふと、ドアの方を見た時に、僕の時間が止まった。
めちゃめちゃカワイイ女の子が一人、他の乗客と一緒に入ってきた。カワイイ女の子ならば、卒業した中学にも数名いたが、言っちゃ悪いがレベルが違う。背は百六十センチ前後、上から83・58・85(後に本人から確認済み)髪はシルクを思わせるような、しなやかさを持ち、長さは肩に触れるぐらいで、目が半端なく大きくて今にも吸い込まれそうな瞳だった。短めのスカートから出ているアンヨは、足フェチの僕も納得の百点満点。更に、全体からキラキラとしたオーラを放っている。
電車の中は彼女のおかげで異様な空気に包まれていた。僕だけでなく、他の生徒の男達、出勤途中の若い男性からおじさんまでの全ての男達の視線は彼女に釘付けだった。そんな彼女が着ている制服はラッキーなことに同じ学校の制服だった。小さくガッツポーズをした僕はつり革を掴まりながら横目で彼女を見ていた。
目的の駅に到着すると、同じ学校の生徒が一斉に降りた。僕は彼女の後を付いて行こうとすぐ後ろまで近づいて歩いた。しばらく後ろを歩いていたのだが、途中で傍から見る自分を想像し、あまりにもキモいことに気がついて、追い抜くことにした。
早歩きに変わり、彼女を追い抜く途中、チラッと首を彼女に向けた。すると、彼女も、ふとした様子でこちらを見ていて僕と目が合った。僕はこの瞬間を死んでも忘れない。十五年生きてきて、あんなに胸が張り裂けるほどドキリとしたのは初めてだった。心臓がバクバクし、すぐに目をそらすと、加速装置をつけたあのキャラのごとく猛スピードで追い抜いて校門がある坂を一気に上がっていった。同じ学校だし見かける機会はこれからたくさんある。楽しい高校生活が始まったな~っと思ったのだが。その後とんでもない事実が発覚する。
私立秀光学園一年三組の教室に入ると、当然ながら知らない顔ばかり。並べてある机の端には、生徒の名前が書いてある紙が各々貼ってあり、そこが自分の席になる。僕の席は、窓側の一番後ろだった。特に人見知りという性格でも無いので、前の席にいた後藤に声を掛けた。それをきっかけに、他の男どもに声を掛けて五人くらいで後藤を中心に輪を作って中学時代の話などをして盛り上がっていた。すると、前にいた二名ほどがピタリと会話を止めて、教室の後ろの入り口あたりを凝視している。何事かと思い、僕もそちらに顔を向けると、同じく時間が止まってしまった。
先程、電車で見かけた超カワイイ女の子が教室に入って来たのだ。そして、机の端に紙で書いてある自分の名前を探している。僕は目だけを動かし、誰もいない隣の席の名前を見た。『香月 優香』と書いてある。まさか、と思ったのもつかの間、彼女は席を見つけ安堵の表情で僕の隣の席に座った。バラ色の人生の始まりである。
外で、あのやかましい父親が乗る車の音が聞こえてきた。どうやら彼女を連れてきたようだ。母親と妹が玄関へ歩いて行く、僕も二人の後に続いた。エンジンの切る音が聞こえ、やがて玄関のドアが開いた。
「おばさん、遙ちゃん、今晩は」
優香が緊張した面持ちで二人に挨拶をした」
「よく来てくれたわね。急で驚いたでしょう? 拓磨が待っているから会ったあげて」
母親が優しく彼女に声を掛けた。優香は一礼すると靴を脱ぎ、きちんと揃えてから土間の段差を上がった。そして、僕の抜け殻が寝ている部屋へ案内された。
彼女は、僕が寝かされている側に座り、母親が顔に掛かっている顔隠しを外した。その瞬間家族の三人から緊張した空気が僕に伝わった。優香が泣き出すと思ったのだろう。三人共彼女を注視している。だが、彼女は細い息をを吐き、右手でそっと僕の左頬に手をやった。
「……もうこんなに冷たくなってしまったのね」
「優香さん」
妹が心配そうに声を掛けた
「大丈夫よ、遙ちゃん。実は私、拓磨君の命がわずかしか残っていないって、彼から聞いていたんです。『優香は泣き虫だから、突然僕が死んだら大騒ぎするだろう。おちおち死んでられないから先に話すな』って、いつも私に話し掛けるみたいに笑顔で行ったんです。実際そこでは大泣きしたんですけど」
彼女は苦笑いを浮かべた。僕は自分の抜け殻をすり抜け、彼女の正面で膝をついた。そして、右手で彼女の頬に手をやってみる。だが、むなしくも彼女のぬくもりは感じられない。
「だから、今日は絶対泣かないんだって誓ったんです。こんなに静かに眠っているのに私が騒いだら、拓くんかわいそうだもんねえ」
彼女は歯を食いしばりながら微笑んだ。母親と妹がそれを聞いて嗚咽をもらした。僕は耐えきれなくなり、大きく息を吐くと玄関へ向かい、ドアをすり抜けて外に出た。昼間は天気が良かったせいで、昨晩降った雪は道路の端に少しだけ見える。そして、近所の子供が作ったのか、小さい雪だるまが崩れた状態で残っていた。空を見ると大きな満月が見えた。
「身内が死んだから仕方が無いけどさ、今のはキツいよなあ。死んだ身としては笑って昔話をしてくれた方が楽だよ、まったく」
僕は歩き出し、家から離れていった。