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バイト初日に

 翌朝、少し早い時間に家を出て、バイト先付近にある駅に着いた。今までドレッドヘアだったこともあって何だか頭が軽く感じる。そういえば、昨日、美容室から帰ってきて、おふくろと泉が俺を見た瞬間、時が数秒止まっていたがその後、爆笑されてしまった。まあ、後で似合っていると褒めてくれたから別に良いが。このヘアスタイルは今時の若者の間では人気のスタイルらしい。ドレッドの時は特に何もしなかったが、これからは、いちいちセットをして出かけることになるので少し面倒に感じる。そう言えば、泉が香月さんと一緒のバイトの日は必ず報告するように言われたので、面倒くさいと返事をしたのだが、ほうれん草が大事なのよ、と言っていたが何のコッチャか分からなかったので適当に頷いておいた。

 店の扉を開ける。すると、いきなり目の前に香月さんが現れた。髪を後ろ手一本に水色のシュシュで縛り、店の制服である白のワイシャツに黒のスラックス姿で、黒の前掛けをしている。手には掃除機を持ち少し驚いた顔をしていた。


「あ、お早うございます」


 俺もかなり驚いていたのだが、とっさに頭をさげた。


「あの、当店のオープンは9時になりますので、その時間にもう一度お越しいただけますか?」

 

 申し訳なさそうな顔をして俺にお辞儀をする。


「いや、今日からバイトで働く日向と言いますけど」


「え?」

 

 何を言われているのか分かっていない表情で俺を見つめている。


「えっと、マスターからこの時間に来るように言われて来たんですが」

 

 それでも、彼女は要領を得ていない顔をこちらに向けている。少し首を傾けた様子がいちいち可愛い。昨日面接で来ていたのだから、少し覚えてもらえたらかなり嬉しいのだが。でも、その表情をしている理由が何となく分かった。


「昨日面接に来ていた、ほら、…こんな感じの頭で」

 

 身振り手振りで、以前の髪型を表現した。


「あ、ああ!」

 

 数秒後、ようやく合点がいったようで、大きく何度も頷いてくれた。


「髪の毛切ったんすよ。昨日、マスターに言われて」


「ごめんなさい、昨日と随分姿が違っていたので、お客様だとばかり」


「いや、いや、無理もないです」


「おお、来たみたいだね。日向君こっち、こっち!」


 香月さんが、再び俺に頭を下げているのに恐縮し、釣られたように俺も頭を下げていると、店の奥から笑顔でマスターが声を掛けてきた。そして、昨日マスターの所まで案内してくれた清水さんを呼び、俺のことを紹介してくれたので、二人に軽く自己紹介をして頭を下げる。

 今の時間帯は清掃と開店の準備となっていて、清水さんは、レジやテーブルのセッティング。香月さんは、フロアやトイレ、事務所などの清掃を行い、それが終わるとカウンターに入り何か準備をしている。俺は厨房に呼ばれ、マスターが早朝に一人で仕込んでいた作業を一つ一つ説明を受けた。アイスドリンクの仕込み、卵を茹でたり、スイーツの下準備など、細かいところではダスターの消毒やバターを常温に出すなど多岐にわたっているようだ。

 一つ一つ丁寧に優しく説明しているマスターの横顔を見ると、この人が、関東中の族を従えていたり、やくざの事務所に乗り込んだりと数々の武勇伝を残した伝説の不良だったとは到底思えない。


「そういえば、聞いた話なんですけど」

 

 マスターからのレクチャーが一通り終わったタイミングで声を掛けた。


「うん、どうしたの?」


「マスターって族を率いていたらしいですね、しかも、そのチームで関東を制覇したって話じゃないですか。他にもやくざの事務所にのり込んだりと武勇伝をいくつか聞きましたよ、すげぇっすね!」


「ん? 誰から聞いたんだい?」


 ニコニコしているマスターの瞳の奥から、ほんの僅かだが邪悪な何かを感じ、背中がゾクッとした。


「え! い、いや、地元で有名な人だって聞いたもんで。特に誰とかないっすよ!」

 

 昨日聞いた話を特定されては大変なので、笑って誤魔化しフロアの方に目を向けて視線を外す。


「ハハハハ! 私も若い頃は少しばかりやんちゃをしていた時期があってね。ちょっと電話してくるから、清水さんの所に行ってくれるかな?」


 マスターはそう言って不気味な笑みを浮かべると、俺に背中を向け事務所の中に入って行く。何か全身から黒いオーラが見えているのだが。すみませんタケルさん、お葬式には行くので成仏してくださいね。

 

 調理場を出ると目の前にはカウンターがあり、いそいそと優香さんが動いている。フロアを見渡し清水さんを探すと、角っこにあるテーブル席に座って作業をしている。彼女に近づいて何をすればよいのか指示を仰ぐとナプキンの補充を頼まれたので彼女の対面に座った。

 小さめの段ボールの箱から紙ナプキンを取り出し各テーブルから集めてきたケースへ補充する。


「日向君ってさあ、何でこの店にバイトをしようと思ったの?」

 

 食塩の補充をしている手を止めて、清水さんが俺をじろりと見る。


「え? まあ、金も欲しいし、買いたいものもあるので」


「ふーん。言っておくけど、優香ちゃんに手を付けようと思わない方がいいわよ」


「へ? 別に考えてはいませんけど」

 

 目を細めて清水さんは俺を見ている。何を言ってんだこの人は? そんな畏れ多いことやるわけねえだろう。


「なら、良いのだけれど。この店のお客さんって、コーヒーとか紅茶とかを楽しみに来店してきてくれる方もいるけど、彼女目当てで来ている害虫もいるのよね、私のかわいい妹分を何とかしようなんて本当に許せない。コーヒーに殺虫剤を仕込んで誅滅してやりたいくらいなのだけれど、幸いマスターの手によってこの世に塵すらも残さずに消滅させているから、今では近づいてくる虫も大分少なくなってきたのよ。マスターには子供がいないから、彼女を本当の娘のように可愛がっているのよね、あなたも気をつけなさいね」


「肝に銘じておきます」

 

 それはマジでヤバい。あのマスターなら自分の力をフルに使って本当にやりそうだな。

 

 しばらくして店は開店の時間になり、その時間と同時にパラパラと客が入って来た。今日は初日ということもあって、俺はマスターにくっついて一日中調理場にいることとなる。昼時になると満席になり、なかなかに忙しい。コーヒーや紅茶などの、飲み物やサンドイッチなどはカウンターにいる香月さんが担当をしていて、パスタやスイーツ類は調理場が担当している。食事系はそう多くはないが、この店の看板でもあるスイーツ類はかなり多く注文を受けていた。主に女性客が多く注文をしていて、テーブル席を陣取りスマホでお互いを撮影して楽しんでいる。カウンター席は常連の人達が座っていて、仲良く会話を楽しんでいた。

そんな忙しいなか、清水さんの動きが凄い。フロアは彼女が一人で担当しており、食器の片付けからレジまでテキパキとこなしている。混雑した店内でも、お客と接触することもなく流れるように業務をこなしている。

香月さんはというと、コーヒーや紅茶、その他ドリンクの注文を受けると、これまた慣れた手つきで一つ一つさばいていき、マスターと連携してサンドウィッチなどの軽食を作っていた。


 お客の流れがいったん引いてきたころ合いを見て、マスターが賄いを作るように頼んできたので使ってよい食材を聞き、割と腹持ちの良いものを作る。その後、香月さんが休憩に入り、30分後に俺が休憩となり部屋に入った。賄い料理を店のトレイの上にのせながら、休憩室の扉を開けた。部屋の中は事務所と同じくらいの広さで、奥に女性用のロッカーがいくつか並び、その前には家庭用ダイニングテーブルと四脚の椅子がある。その一つに香月さん何かの参考書を読みながら座っているのだが、俺と目が合うと軽く会釈をしてくれ、対面の椅子にどうぞ、というように手を差し出してくれ、俺は緊張した面持ちでチョコンと頭を下げて彼女と対面に腰を掛ける。


「これって、日向さんが作ったのですよね? すごくおいしいです!」


 ただでさえ大きい瞳をさらに広げて、テーブルに置いた俺の賄い料理を指さした。


「お! 本当ですか? うれしいなあ、ありがとうございます」


「普段から、お料理はされているんですか?」


「そうですね。お袋が働きに出ているんで、腹が減ったら勝手に自分で作ってます」


「すごーい! 私なんて全然作れないので尊敬しちゃいます」


「いや、香月さんだって色々作っているじゃないですか」


「私はサンドウィッチとかスイーツ類のごく一部だけです。具材を切ってパンに挟むだけなので料理って言えないです」

 

 うーん、いちいち可愛い。俺の顔が勝手に綻んでいる。目の前に香月さんがいるだけでも奇跡的なのに、この展開は嬉し過ぎる。


「何を読んでいるのかなと思ったら勉強をしていたんですか、えらいですね」

 

 彼女が読んでいる英語の参考書を指す。


「来年受験なんです。どうしても現役で合格したいので、時間があった時はなるべくやろうと思って」


 思いのほか香月さんが会話に乗ってきてくれている。時折見せる笑顔は少し寂し気な感じも受けるが、それでも拓哉が亡くなったばかりのことを考えればかなり明るくなってきているのではないだろうか。これは、泉の力が大きい。拓哉に頼まれてから、あいつは毎日のように香月さんに声を掛け、一緒に行動してきていた。そのおかげで随分と明るくなっていて、クラスの連中とも話すようになってきているようだ。勉強ができる連中が集まっているクラスなので、分からないところを教えあったりして交流をしていると泉が言っていた。


 全員の休憩が終わり、午後の三時半頃に再び客が増え始め、再び忙しくなってきた。清水さんの動きは相変わらず素早く、次々と注文を取って来ては、出来上がった料理や飲み物を各テーブルに配膳している。この時間帯は飲み物やスイーツ系が多く注文を受けていたので香月さん一人では間に合わないため、マスターが助っ人に来て隣で作業をする。注文が一通り済み、すべての客に配膳が終わると清水さんの動きも緩やかなになり、店内がようやく落ち着きを取り戻したようだ。カウンター席に座っている数名の常連客はマスターと何やら盛り上がり、香月さんは清水さんに声を掛けられてカウンターの端に立って、店内を見渡しながら談笑していた。勤務時間内で従業員同士の私用な会話はご法度、という店もあるなかで、落ち着いた時と忙しい時とのメリハリをキッチリと分ける。このような店内の雰囲気を緩やかなものにしているのはマスターの考えなのだろう。俺はこの店の雰囲気というか、空気感みたいものが好きになった。


 店の壁に掛けてある時計が四時を指す頃、そちらを見ながら香月さんがソワソワしているのが目に入った。それをマスターが気付いて頷きながら何かを話している。頷いた香月さんが前掛けを外しながら、後ろの調理場で腕を組んでいた俺の方に来た。


「すみません。今日はこれで上がります、お疲れさまでした」

 

 何か急いでいる様子でクイックなお辞儀をすると、早歩きで事務所休憩室へ行っていく。


「日向君、こっちへ来て手伝ってくれる?」


「了解っす。何だか、香月さん急いでいますね」


「うん、それではコーヒーの種類から説明しようかな」

 

 マスターはそれ以上言わず、コーヒー豆の種類から説明を始めた。この辺は全く分からないのでメモを取りながらフンフンと頷いていると、前方のドアが開き香月さんが出てきて、こちらに頭を下げながらいそいそと出口へ歩いて行き、『お疲れさまー』と常連さん達と清水さんの声も聞こえる。

 

 そして、次の瞬間だった。

 

「きゃー!」


 何かがぶつかったような大きい音、その後、清水さんの悲鳴が店内に響き渡った。俺とマスターはすぐに何が起こったか理解すると急いでカウンターから出て出口へ向かった。

 

 店のすぐ出たところで香月さんと自転車、そして、その持ち主らしき人物が倒れている。どうやら店を出てすぐに走っている自転車にぶつかったようだ。マスターが彼女の名前を呼びすぐに駆け寄り怪我がないかチェックしている。俺は自転車の持ち主に駆け寄った。


「大丈夫ですか?」


「…イタタタ。びっくりしたよ、急に出てくるんだもん。私は大丈夫だから、この女の子を見てあげてよ」

 

 自分のことは気にするなというように左手で軽く手を振ると、親切にも男性は香月さんを心配してくれている。香月さんを見ると、見た感じ大きな怪我はしていない。

 

「とりあえず中へ。日向君はこの男性を事務所まで案内して怪我の処置をしてくれ、私は彼女を休憩室まで運ぶから」

 

 マスターが緊張した声で俺に目をくれると、ひょいと香月さんを抱え店の中へ入っていく。俺も男性をに手を貸して立たせると支えながら店へ入る。店の中は少し騒然としていた。常連さんたちが心配そうに事務所入り口の方へ駆け寄り心配そうにそちらを見つめている。とりあえず店のドアには休業のプレートを掛け、清水さんに店内を任せる。


「すいません、ちょっと避けてもらってもいいっすか?」

 

 中に入りたい旨を伝えると、常連さんたちは急いで割れ、道を作ってくれたので間を通って事務所に入り男性を椅子に座らせた。


「どこか痛むところはありますか?」


「いや、大丈夫だよ。ゆっくり走っていたし、ブレーキを掛けて止まりかけたところで倒れただけなんだ。受け身もキチンと取れていたし問題ないよ。それより、女の子の方が心配だ」


 男性が言い終わると同時にドアが開きマスターが部屋に入って来た。


「香月さん、どうです?」


「見た感じ大丈夫そうだけど。今、清水さんが詳しく見てくれているよ。こちらの方はどうだい?」


「こっちは大丈夫ですね。ご本人も痛みはどこもないと言ってます」


「この度はうちの従業員がご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ありませんでした。お怪我がなくて何よりです。もし、このあと痛みなどがございましたら是非、病院へ行かれてください。治療費などこちらが全てお支払いいたしますのでご遠慮なくおっしゃってください」

 

 マスターが神妙な顔で深々とあたまを下げる。


「いや、いや、車両に乗っていたのは私です。商店街の中で自転車を運転していたのですから、全てこちらに非があります。こちらこそ、そちらの従業員さんに何かありましたら全て責任をとらさせていただきます」

 

 マスターもこの男性も常識ある大人の対応だ。マスターは名刺を男性に渡し、男性も自分のスマホを取り出して連絡先をマスターに知らせている。男性は佐藤と名乗っていた。話によると、佐藤さんがゆっくりとだが、道の中央のあたりを自転車でゆっくりと走っていたら、突然店から香月さんが飛び出してきて慌ててブレーキを掛け、自転車が止まるか止まらないかのタイミングでぶつかったらしい。佐藤さんは、しきりにぶつけてしまった香月さんを心配していてひどく不安そうだ。それを見てマスターも言葉を選んで佐藤さんを気遣っていた。

 

 二人で今後のことを話し合っている。と再びドアが開けられ、清水さんが入って来た。


「どう、優香ちゃんは?」


 マスターが立ち上がって、清水さんに近づいた。


「詳しく見てみましたが、大丈夫そうです。どうやら、自転車は優香ちゃんが掛けていたバッグにぶつかったみたいで本人に怪我はありませんでした」



「そうか、良かった。不幸中の幸いってやつだな」

 

 マスターは胸をなでおろし深いため息をついた。


「ただ、そのバッグが壊れてしまってみたいで優香ちゃんが泣き止まないんです、よほど大事にしていたものらしくて」


 清水さんは自分のことのように悲しみの表情を浮かべ、マスターを見ている。


「様子を見てこよう、清水さんと日向君は店の中をお願いできるかな?」


 二人同時に頷いて、俺たちは店へと戻った。






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