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泉の覚悟

「は? バイト??」


「そう、バイト。香月に近づくには、一番手っ取り早いし。それにあんた、簡単な料理ならサクッと作っているでしょ? ケーキとかクッキーとか、わたしは何度も食わされてるじゃん。彼女、ウェイトレスではなく、料理の方をやっているみたいだし、希望をそっちにしなよ」


 夕飯が終わり、俺たちは部屋に戻ってきていた。泉は、飯の前に風呂に入っていたようで少し髪が濡れていた。いつもなら、グレーのスウェット上下を着て俺のベッドの上に寝転んでくつろいでいるのだが、今日は短めのオフホワイト色のワンピースを着て自前のクッションを膝の上にのせて正座をしている。


「バイトと言っても、そこの喫茶店で募集なんてしているのか?」


「私の先輩がお店の常連客でね、近々募集を出すことを聞いたらしくて、付き合っている私の後輩に話してくれてさあ、口を利いてくれるそうなのよ」


「ふーん、香月さんに近づくにはそれが自然な感じかもしれないな。採用されたとして、実際にどうやって彼女を元気づけるかなー」


「新学期が始まって、少しずつ香月と話すようになってきたけど、わたしも具体的に何をすればよいのかわからないのよ。とは言え、最近になって私や部活の人間にも慣れてきて笑顔は出てきたけど、どこか儚げな感じなの。早乙女君がいた時の人懐っこくて周りの人間が釣られて笑顔になってしまう、そんな感じではないのよね」


 泉が通っている学校の美術部は、部員がかなり少なくて廃部の危機にあっていたらしい。なんでも、後輩のアイディアで香月さんを強引に入部させ、泉と二人で部員募集のチラシを配ったらしい。そうしたら、くるわ、くるわ、の大騒ぎで、学校中の男子が二人に近づくために殺到したそうだ。仕方なく人数を絞ったそうだが、それでも活動している美術室は満員御礼。その余波もあり、女子部員も数人入部しているそうだ。しかし、不純な動機で入部している奴らも多いわけで、まじめに部活動を行わない輩もちらほらと日にちが経つと出てくる。そこは、新部長となった泉の逆鱗に触れ、強烈な蹴りが男子部員のケツに炸裂し相当数追い出されたらしい。香月さんは美術部の広告塔という役割なので毎日は来ていない。大学受験の勉強の合間に顔を出している程度だと泉が言っていた。

 彼女の笑顔は、琢磨付きだが電車の中でよく見ていた。太陽のような明るい笑顔だった人が儚げな笑顔というのは無理をして笑っているのだろうか。俺ごときで彼女を変えていくなんて無理な気がしてきた。


「ねえ、今日は早乙女君いないの?」


 妙に落ち着きのない表情で、あたりをキョロキョロと見まわしている。


「おう、今日は実家に帰っているぞ」


「えー! なんだよ、もう」


泉は頬を膨らますとベッドの上に立ち上がり、着ているワンピースのスカート部分に両手を突っ込んで、その中からいつも見るスウェットの裾を引っ張り出してきた。そして、ワンピースを脱ぎ捨てると、いつものTシャツとスウェットズボンスタイルの泉がそこにいた。


「おい、おい、ワンピースの下にはいていたのかよ。何でそんな面倒くさいことをしている?」


「うるさいな、もう!」


 なぜか顔が赤くなり、近くにあった枕を俺に投げつけて、自前で持ってきていたクッションを枕にし、いつものようにゴロンと横になった。


「…なーんだ、つまんない」


 何か様子が変だ、琢磨がいないくらいどうって事ないだろうに。泉は残念そうな顔をしながら、うつ伏せになり、両手をクッションの下に差し込み、あごをのせると足をパタパタとバタ足のようにゆっくりと動かしている。


「そう言えばさあ、今年に入ったあたりから元気がなかった様子だったが、ここ最近。明るくなっているよな、何か良いことでもあったのか?」


 俺の言った言葉にピクリと反応すると泉の顔は再び赤くなり、そのまま無言でバタ足を少し速めた。


「おい、ほこりが舞うからやめてくれよ」


 こう見えて、俺の血液型はA型で、よく言われている典型的な綺麗好きだ。部屋は完璧なほどに整理され、チリ一つない。趣味で使っている工具類も完璧に整理されてほこり一つないのだ。因みに泉はO型で、自分の部屋は綺麗にしているが、他人の部屋になると無頓着で、俺の漫画などを読んでも元に戻さずにそこらへんに置きっぱなしにして知らん顔をしている。


「うるさいなー、後であんたが掃除をすればいいでしょう」


 泉は顔を少しこちらに向けて頬を膨らまし、俺をにらんだ。そして、バタ足をやめると目線をベッドの頭の方に戻して沈黙した。


「ねえ、お父さんとお母さんが離婚する前の夏休みにさあ、わたしが暫く家にいなかったこと覚えている?」


 少しくぐもった声でこちらを見た。


「ん? ああ、確か六年の時で。ばあちゃんの家に行っていたよな、覚えているぜ」


「お父さんとお母さん、毎日けんかしていたし、なぜ、わたし一人だけ預けられたのか、あの年齢だと予想がつくじゃん? おばあちゃんも理由は知っていたはずだから、なんか、いつも以上に優しくて」


 泉の足が再びゆっくりとバタ足を始めた。


「悩みを聞いてくれる友達もいないし、おばあちゃんと両親の話なんてできないし、もう駄目なのだろうなーって考えると結構つらくて。家にいても暗くなるだけだから、気晴らしに一人で公園にいったのよ。割と大きめの公園で、その日は遊んでいる子供も少なくてね。私は一人でブランコに乗ってて、ちょっと先では男の子数人がサッカーをしているぐらいだったの」


 その時期、泉の母ちゃんが家に来るたびにおふくろに何かを話していた。勿論、子供の俺と泉は話を聞けるわけでもないので部屋に入っているように言われていたが、おばさんが泣き声を出しているのはよく聞こえていたし、ただ事ではないことは分かっていた。泉も様子がおかしかった、いつもなら俺が冗談を言うとグーで反撃してきたものだったが、その頃は本気で泣き出してしまうことが多くて、度々慌ててしまったことを覚えている。


「暫く、ぼんやりと座っていたら、ボールがこちらに転がってきて私の近くに止まったの。一人の男の子がボールを追いかけてこちらにやってきたから、人見知りが激しかったわたしは慌てて下を向いてその子がボールを拾っていなくなるのを待ってた。ブランコを漕がないで、下を向いて座っているだけなんて変なやつだと思ったのでしょうね、『おまえ、なにやってるんだ?』って声を掛けてくれたの。慌てふためいてその子と話をしていたらみんな集まってきて、一緒にやろうって仲間に入れてくれたのよ。それ以降の日も、声を掛けてくれた男の子が、『一緒に遊ぼうぜ』って毎日迎えに来てくれて。色々な所へ連れて行ってくれてね。もう、みんなと遊んでいた時間が、楽しくて、楽しくて、両親のことなんて忘れてしまうくらいでさあ」


 一つ一つ思い出すように泉が微笑んだ。こいつが戻って来た時、少し驚いたことがあった。いつも家にいて、割と引きこもり気味でいつも色白だったのに、真っ黒に日焼けをして帰って来たからだ。


「いつの間にか、その男の子のことを好きになっていて、その子とお別れしたときは凄く悲しくて。それでね、この先、もし再会できることがあれば、『あの時の泉だよ!』って声を掛けて、それでまた一緒に遊ぶようになってさー。そうしているうちに、今度は彼がわたしのことを好きだよって告白してくれてさあ。そんな日が来ないかなーって心の中で叶わない夢を見ていたら本当に再開できちゃった」


 少し悲しげな笑顔になり、泉のバタ足がピタリと止んだ。


「でも、勇気がなくて声を掛けられなくて、そのうちに可愛い彼女ができちゃって。それでも、それでもいいから彼と話がしたくて声を掛けようと決心したら、死んでしまうのだもん。それはないよねー」


 「お、おい。それって、まさか!」


 こいつとは付き合いが長いが、初めて聞いた。まさか、あの夏休みにそんな出会いがあったとは思ってもみなかった。ばあちゃんの家で気分転換ができて、明るくなって帰ってきたぐらいの感じで思っていたんだ。それからの泉は明るく社交的になり、クラスのみんなとも打ち解け、外で遊ぶことが増えたのだった。なるほど、そんなことがあったのか。


「今まで、とてつもない数の男共が泉に言い寄っては玉砕していった理由がようやく分かったよ。ずーっと琢磨のことが好きだったんだな。なんだよ、あいつを見かけた瞬間に速攻で声を掛ければよかったじゃんか」


「だって、恥ずかしかったし、私を見て忘れていたらショックだし。決心したその時には、隣に香月がいたんだもん。嬉しそうな表情で並んで歩いちゃってさ、一目見て付き合っていると分かっているのに声を掛けれるわけないじゃん。でもさ、早乙女君が亡くなって、絶望を感じていたのだけれど、雅人が連れてきてくれて良かったよ、会わせてくれてありがとうね」


こいつは小6の頃から、再会できることをずっと夢を見ていたのか。再び会う確率なんて恐ろしく低いのにずっと。ところが、高校に入ってようやく再会できた、それは奇跡としか言いようがない。しかし、理想の再会ではなかった。やばい、涙腺が緩んでしまった。


「ちょっとー、何であんたが泣くのよ!」


「だってよ、お前がそんなことを想い続けていたなんていじらしいくて。そうかー、密かに想っていた人が逝ってしまった。そりゃ、辛いよな。でもよ、今からだって遅くはないと思うぞ、タイミングを見てあいつに話したほうがよくねえか?」


「話すって、わたしの気持ちを? バカじゃないの! 彼は香月のためにこの世に留まっているのよ、彼を混乱させてどうするのよ」


「だってよー、このままだとお前がつらい思いをするだけじゃないか、俺はそっちの方が心配だよ。せめて自分のことを話したって…」


 俺が言い終わる前に、泉は体を起こして右手の掌を広げてそれを制した。


「わたしはこれでいいの。それより、バイトの件頼んだわよ。これが決まらないと次に進めないんだから、面接でこけたら許さないからね」


 話はこれで終わりだ、というように泉が勢いよく俺の肩をたたいたので、俺は次の言葉を飲み込んでうなずいた。


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