人を怒らせる天才が登場
天気も良く、夕焼けが鮮やかに見えるということで、立花さんの希望により、僕らは荒川の河川敷を横一列になって歩いている。彼女はすっかりうさぎの神様を気に入ったようで、ニコニコ顔で神様を抱いており、時折頬ずりなんかもしている。なので、神様も余程うれしいのか、しっぽだけ高速でピコピコ動かしながら喜びを表現していた。神様の正体を知っている雅人は、その様子をひきつった表情をしながら、ダウンジャケットのポケットに手を突っ込んでいた。やがて、押上方面に目やった。僕もつられて同じ方向に目をやると、オレンジ色の空をバックに、「雅」という名の紫色にライトアップされた東京スカイツリーが綺麗に輝いていた。僕らの他にも、ウォーキングをしている人や犬の散歩などしている人たちがちらほら見かけ、スマホでスカイツリーを撮影している人などもいる。
そういえば、僕が入院する前、同じような時間帯で彼女とあそこへ行き、上まであがったことがあった。遠くまで見渡せるよく晴れた昼間や、眼下にちりばめた宝石のような夜景は想像できるが、夕刻はどうなっているのか行ってみようと彼女が言うので、僕は頷きエレベーターに乗り込んで上へとあがった。少しだけドキドキしながら見たその風景は、一瞬のまばたきすらするのも惜しいくらい美しい世界だった。それを見て、僕らは言葉を失い、しばらく手をつないだまま時間を忘れたのだった。
「どうした、琢磨?」
僕が歩くのを止めたのを見て、雅人がそばに来て声を掛けてきた。
「うん、以前に優香ちゃんと、あそこの展望デッキまで上がって夕焼けを見たのを思い出してさぁ、それが、とても幻想的な景色と空間でね、それをちょっと思い出しちゃった」
「ああ、スカイツリーか。そういえば、まだ一度も上がったことないな。こういうのって、近くに住んでいると行かないものだよなー。泉は?」
雅人が後ろを振り向いて立花さんを見た。
「夜景は何度も見に行ったけど、この時間帯って言われてみれば言ったことがなかったわ。ねえ、琢磨君。幻想的な景色って具体的にどんな感じだったの?」
僕のそばに来て横に並び、立花さんがスカイツリーに視線を送った。
「うん。富士山が太陽を隠して黒くそびえ立ち、周りに見える空はオレンジ色と紫色のグラデーションが広がっていて凄く鮮やかだった」
「…へぇ、いいなぁ」
立花さんがスカイツリーを眺めながらぽつリと言った。それを聞いて、胸に顔を埋めていた神様の耳がピクリと動き顔を上にあげると、何も言わず彼女の顔を見ている。後ろにある、京成線の電車が警笛を鳴らしガタンゴトンと音を立てて橋を渡って行った。
「何羨ましがってんだ、お前? 見たければ明日にでも行ってくればいいじゃんか、明日も天気が良いみたいだから同じ風景を見られると思うぜ」
「うるさいわね、それくらい分かるわよ、アホ!」
大きな舌打ちをして、何故か立花さんが雅人を毒づいた。何故か怒られてしまった雅人は、『なんだ?』っという感じで目を見開き僕を見るが、答えが分からない僕は軽く肩をすくめる。
「まったく、女心が分からんやつらやのー」
神様が呆れた表情で僕らを見た。
「ん? どういう事だ、神様よぉ?」
「泉が『いいなあ』と言った意味はなぁ、ムグッ!」
神様が僕らに何か言おうとした瞬間、立花さんが慌てた様子で神様の口元に手を当てた。
「ちょっとー。今、変なこと言おうとしたでしょ? それに、声がさっきと違うんだけど、どういうこと?」
「何って? 決まっているやんけ。こう言うことは黙っていても進まんやろがー。だからワシが、ングッ、ムホホホホ!!」
立花さんの掌から脱出した神様が、さらに何か言おうとしたが、今度は強引に神様の顔を自身の胸に押し付けた。苦しいはずなのだが、どういうわけか神様嬉しそうな声を上げてしっぽを左右に高速でうごかしている。
「わぁぁぁぁ! ちょっと待った、変なこと。いや、余計な事しないでよぉ!!」
「急に慌ててどうしたんだ? お前、顔が真っ赤だぞ」
「うるさいバカ、こっちくんな! ちょっとアンタ、やめてよね、もう!」
少し心配した雅人が近づくのを睨みをきかせて制すると、神様の両耳を右手で掴み持ち上げ、立花さんは僕らから少し離れて何やら神様にコソコソと話しはじめた。
「なんじゃ、アイツ何してんだ?」
首を斜めに傾けて雅人が不思議そうな顔をして僕を見た。僕も今の状況が分からず、再び肩をすくめた。
「あ、いた! おーい、ちょっと待ってよ~!」
僕らが歩いてきた方向から、女性の声が聞こえてきた。雅人と同時に振り返りそちらを見ると、ひとりの女性がこちらに手を振りながら走ってきている。聞き覚えのある声ではあるが、見当がつかず雅人と二人で見つめていると、その女性が息を切らしながら僕らの前に到着した。
「ハア、ハア、置いていくなんてひどいじゃない。もう、散々走って探しまくったのよ?」
その女性は膝に手を置き、呼吸を整えながら僕らを見た。
「あれ、あんた乙那さんじゃないか」
「あ、本当だ、何してんの、こんなところで」
「何してんのじゃないわよー。今日は、高架下にいる亡者のところに行くのでしょう?」
「そうだけど、なんで乙那も来るの?」
「何言っているのよ、私だって関係者でしょう。置いていくなんてひどいわよ」
全くやる気のない死神が言っても説得力がまるで無い。
「なんか、あれじゃね? 乙那の見え方がいつもと違うような?」
いつも着ている死神の衣装とは違って、今どきの女の子が着ている衣装を身に着けている。しかも、耳や指にもアクセサリーがキラリとしていた。
「フフン、分かる? 私も結構気にいっているのよね、これ」
僕らの前で乙那が自慢げにくるりと回ってみせる。
「見え方も何か違っている感じだな。なんかリアルに見えるっていうか、って、あ!」
雅人が乙那の肩に指をチョン、チョンと触れて驚き僕を見た。そうなのだ、霊体でいるはずの乙那は、生身の体を持たないため、今の僕と同じでどんなものでもすり抜けてしまう。それなのに雅人の指はすり抜けずにいる。
「え? あれれ? 乙那に触れてるじゃん」
「当然でしょ? 私がいつもの霊体だったら、これらのかわいいものは身に着けられないのだから。『お迎え者』という存在はね、生身にも霊体にもなれるのよ。とは言え、私もこの姿になるのは随分久しぶりなのだけれど、あまりにも私の趣味に合う洋服だったので変化しちゃったわ」
「へぇー、あなた随分センスの良い服を着ているわね」
乙那の存在に気が付いた立花さんが、獲物をハントしたまたぎのごとく、神様の両耳を右手に掴みブラブラとさせながらこちらに戻ってきた。ただのエロ神と正体がバレたようで、神様の顔がパンパンに腫れ上がっている。
「これ、『グライル』で売っているやつでしょ! 私もあのサイトで購入して、同じものを持っているわよ。あら、そのピアスも同じだわ、奇遇ね」
神様を雅人に放り投げ、乙那の身につけているピアスを軽く触れる。
「優香ちゃんからそのサイトのこと聞いたことあるな、結構有名らしいね」
「乙那さんってさ、残念なあれだけど、元は良いから、現代の服を着ると映えるねー」
皆で乙那を囲んでワイワイと品評し始める。注目を浴びた乙那の表情は得意気だ。
「私が現代の銭を持っているわけがないでしょう? これらは借り物よ」
「そうなんだ、じゃあ、あなたの友人ってセンスが良いわね。…ってよく見ると靴も同じね、あれ? そのネイルも同じだわ??」
立花さんは、少し眉をひそめて乙那を見た。
「私に現世の友人なんて、いるわけがないでしょう? さっきから同じ、同じって言っているけど、当たり前じゃない、あなたの物なんだから」
「は?」 思わず僕ら三人は同時に声を出し、大きなクエスチョンマークを頭上に浮かべた。少しして、アホな乙那の言葉を理解した立花さんの表情がみるみるうちに鬼の形相に変わっていった。
「ふ、ふざけんじゃないわよ! 何で人のものを勝手に身に着けてるのよ。 大体、あんた誰? 一体いつ私のものを盗んだのよ???」
「ちょっと~! 昨日知り合ったばかりなのに、『誰?』なんて、失礼じゃない。それに、盗んだなんて人聞きの悪いこと言わないでよ、ちょっと借りているだけでしょ? 大体あなたが家に居なかったのが悪いんじゃない、居ればきちんとお願いして借りたわよ」
何故かムッとした顔をして、乙那が眉間にしわを寄せて立花さんに答えた。おい、お前のその表情、全く理解できないんだが?
「はぁ? …ねえ、わたしが悪いって言ったよね、わたしが悪いって言ったよねこのアホ女? なんでそんな考えにたどり着くのよ、理解できないわ」
乙那を指さしながら僕らに尋ねた後、何を言われたか理解できずに、立花さんは両手で頭を抱えた。
「大袈裟な子ねえ、そんなのだから彼氏の一人もいないのよ。あなたの部屋ってセンス良いけど、男の匂いが一切しないから薄っぺらいのよねぇ」
立花さんの内側から『ブチッ!』っと切れる音が聞こえ、僕は驚いて彼女を見てから雅人に目線を送った。すると、今までに見たことがない雅人の驚きの表情があり、彼は立花さんから秒で十歩下がり退避した。
「雅人、獲物渡せ!」
今までにない低い声で、立花さんが右手を雅人に向けた。弾かれたように雅人が手に持った白兎を彼女に放り投げるとそちらを見ずに、耳の部分を右手で見事にキャッチ。そして、クルクルと回し始め、『フォン、フォン』と風切り音が唸り、地獄が始まった。