一期一会?
朝の通勤途中で、毎回すれ違う男性に恋をしてしまったが、悲しいことに交通事故に遭い亡くなってしまったメタルなデスボイスの女性亡者を救うべく、僕は現場近くへ向かうため電車に乗っていた。
基本的に幽霊は疲れないので、電車の中では立っていようと座っていようと、どちらでもよい。とはいえ、ガラガラに空いている車内を見ると、生前のクセで横長の座席真ん中部分に僕は腰を下ろしてみたりする。体を少し右にずらし窓の外を見ると、きれいな夕焼けが見え、街並みを茜色に染めていた。この辺りは下町なので背の高いビルはなく、古い一戸建ての住宅や三階建ての新しい住宅が所狭しと混在している。所々、古い住宅が存在しているがいつ頃建てられたのだろう。昔あった戦争で、東京は空襲で焼け野原なったらしいが、一部被災を免れたと聞いたことがあるので、これらはそうなのだろうか。戦争が終わって80年近くのはず。いくらなんでもそれはないよなー、と思っていると、電車の速度が落ち始めた。次の駅に到着しそうなので体の向きを正面に戻した。
電車といえば思い出したことがある。幽霊がなんで電車や乗り物に乗れるのか疑問に思ったことがあったんだけど。それを以前、乙那に聞いたことがある。基本幽霊はものをすり抜ける。しかし、生きていたころの感覚で、車や電車などの『乗り物』は無意識で乗れるものらしい。ドアや壁なんかは何となくすり抜けの想像はしやすいでしょ? でも、乗り物に関しては、『乗る』という意識は出来ても。『乗り物からすり抜けて』その想像が難しい、なので考えなくても乗れるそうだ。前に一回、電車に乗ったまま、すり抜けを意識したことがあったが、ストンっと真下に落ちてしまい、そのまま電車は進んで行き、置いてけぼりをくらったことがあった。つまり、『意識する、意識しない』で霊体はすり抜けを自在にできるのだ。それは、建物も同じことが言えるらしい。地縛霊が建物の中にいるのも、その中にとどまっていたい、と意識しているからビルの高層階だろうと中にいられるのだ、ということらしい。
電車が次の駅に到着し、ホームから三名ほどが車内に入ってきた。そのなかで一人の女性が僕の座っている右隣に腰を下ろした。見た目25,26歳くらいの鼻筋がスッとした美人さんだ。上から80,58,85の細見だと判断する。胸はないが、きれいなラインの脚をしており、本人も自覚があるのか短めのタイトスカートをはいている。以前ならチラ、チラと目を動かしてこのおねーさんを見たかもしれないが、霊体となった今ではそういう感覚が湧き出てこないので寂しい感じがする。
「なんや兄ちゃん、なにジロジロ見てん。この子に悪さしようたって、そうはいかへんぞ!」
…ん? 今なんか聞こえてきたな。どこから聞こえてきたのか分からずに首をキョロキョロとした。車内は人がまばらで、全員下を向いてスマホを弄っているので、乗車している人は誰一人として声を発してはいなかった。
「なに、すっとぼけてキョロキョロしてんのや」
中年男性の声がする。しかも関西弁だ。再度あたりを見回してもやはりわからないので、声を出してみた。
「あの、僕に言っています?」
「霊体なんぞ、お前以外に誰がおんねんな。…あ? ほんとうにわしが見えとらんのか。なんや、流れもんかいな。あー、こっちや兄ちゃん。いま見ていた姉やんの頭の方や」
僕の問いかけに、関西弁が答えた。頭っていってもなにも見えないけど。
「まだ分からんのかいな、こりゃ、ほんとうに見えとらんみたいやな。あ~、あれや、見えると意識してみいや。お前の隣にいる姉やんの後ろやぞ」
謎の関西弁から意識しろと言われ、僕は女性のをじっと見つめ、『見える』を意識してみた。すると、女性の肩のあたりにうすっらと何かが見え始め、やがて段々とそれがはっきりと見えてきた。
白いフサフサした毛皮、両耳が少し垂れ気味の赤い目をしたウサギが女性の頭の上でチョコンと鎮座している。
「…ウサギ??」
「おう、ようやく確認できたんやな。なんや、獣を見るような目でわしを見てからに、失礼な奴やな。…っておい、なに固まってるねん?」
ウサギが口をパクパクさせながら、野太いおっさんの声で僕に話しかけるその様はちょっと不気味。
「そ、そりゃあ、若い女性の頭の上にウサギがいれば誰だって驚くって。これってどういう状況なの?」
「どうも、こうもないがな。わしがこの姉やんに憑いているだけやんか、見ればわかるやろ?」
「ってことは、幽霊なの? へぇーウサギの幽霊なんて初めて見たなー」
初めて見るウサギの幽霊、しかも日本語を話すなんてすごい。僕は目を見開きながら右手の人差し指を伸ばし、ウサギに触れようと意識した。だが、その動きを察知したのか、左耳で僕の指を弾いた。
「ちょ、なに触ろうとしてんねん。汚れた亡者がふれていいもんちゃうぞ、コラ」
「随分な言い方だな、ちょっとくらい触らしてくれてもいいじゃんか」
「アホ言わんといてや、ワシを触ってええのは可愛い姉ちゃんだけやがな。男なんぞに触れられたら、白い毛が黒く変色してまうわ」
ウサギが嫌そうに渋い顔をして目を細めた。まあ、言っていることは分かるけども。
「それにしても、なんでウサギが女性になんか取りついているのさ。 もしかして、悪霊とか?」
「君なあ、このワシをよりにもよって悪霊とか、よう言うわ。それに、さっきからウサギ、ウサギいうてるけどなあ、これでもお前らの言うところの神様やねんど。『因幡の白兎』って聞いたことないか?」
「ああ、あるかも。確か意地悪なサメに皮をはぎとられて食べられちゃった話だっけ?」
「くわれてへん、くわれてへんがな! 食われたら話しおわりや。映画『The Mist』より悲惨なバッドエンディングやがな」
ウサギが驚いたように両耳をピコピコ前後に動かしながら、大阪の芸人ばりにツッコミをいれてくる。いちいち反応してきて面白い。
「なるほど、では、あなたがその、『因幡の白兎』なんだ」
「そう言うことや。この姉やんがわしのところに『そろ、そろ結婚したいので、良いご縁がありますように』っちゅうてお参りに来てなあ。ここ最近暇やから、この姉やんの私生活でも覗いた…、いや、くっついて御利益でも落としたろう思って頭に乗っかってたんや。そうしたら、ほれ、兄ちゃんが座ってるさかい、警戒したんや。それにしてもあれやな、なんで兄ちゃんみたいな流れもんが電車なんぞにおるんや?」
ウサギの神様が首を横にかたむけて僕を見た。ウサギだけに,そのしぐさがかわいい。
「うん、用事があってちょっと先の駅まで移動しているんだ。ねえ、そのさっきから言っている流れもんってなに?」
「流れもんも知らんのかい、兄ちゃんみたいにこの世をさまよっているもんを言うんやで。普通は死んだらあの世に行くやろ? それができないのは未練を残してそこにとどまり続けるやつか、救ってほしくて彷徨うやつのどっちかなんや。だから、フラフラしているやつを『流れもん』と言ってるんやな。ただ、普通の流れもんは救ってほしいの気持ちが強いもんやから、とにかく生者に話しかけ聞いてもらおうするんやが、兄ちゃんはかなり異質やなあ。普通乗り物に乗って移動する考えなんかあらへんで。なんでそないなことできているんや?」
「僕の場合、いつでもアッチに行けるのだけど、どうしてもやっておきたいことがあって止めてもらっているんだよね。実は…」
今までのことをウサギの神様に話した。すると興味を持ったのか、鼻をヒクヒクさせて真剣に僕の話を聞いてくれた。
「なるほどなー、きみも大変な道を選んだな。普通の霊体は、天から降りてくる白い光に包まれ旅立つ。これは、この世に関することを無関心にさせるもので、なんも考えず安心してあの世に旅立てるようにしているわけやが、きみの場合は直前になって、彼女の泣いた姿が引き金になり、その効果を打ち消したようやな。それにしたってやな、これからきみがやろうとすることは大変な作業になるで? 残されたもんが悲しみを消し、一つの記憶として生きていくには、長い時間が必要やねん。それを、いくら生者の友達らの協力があって、彼女を立ち直らせる言うても簡単にはいかへんぞ」
「う~ん」
僕は正面を向いて腕を組んだ。以前、乙那にも似たようなことを言われたような気がする。あの、かなりおつむの足りない彼女から言われた時よりも心に響いた感じがした。神様にそう言われると、考えちゃうなあ。流れる時間にまかせて、彼女が自分自身で解決し立ち直る方が彼女のためになるのか。
「僕はこれから余計なことをしようとしているのかなあ」
独り言のようにつぶやいた。
「せやなあ、きみが何かせんでも、彼女はこれからも生き続けて、良いことも悪いことも経験していくわけや。その中で少しずつ笑顔を取り戻し、最終的には君との思い出を素晴らしいものだったと考えてくれるようになるはずや。とは言え、きみが友人とやろうとしていることは悪いとは思わん。早く良い方向に行くかもしれへんし、マイナスにはならんと思うで」
「そっかー」
「まあ、やるだけやってみればええやんんけ」
そう言うと、話は終わりやでっという感じでウサギの神様は前を向いてしまった。
あの時、何故か彼女の言葉が頭の中に入ってきて、その瞬間『このままではダメだ!』と心の中で爆発した感じになり、彼女を心から笑って過ごせるようにしようと決意したのだが、言う通り時間の流れるまま少しずつ癒されていった方が彼女にとって幸せなのか?
次の駅に到着し、二人ほど電車から降りていくのが見えた。出発の音楽が流れ再び発進すると、電車は中川を越えていく。車内はとても静かで、車輪がレールのつなぎ目をこえるときに聞こえる『ガタン、ゴトン』という単調なリズムがだけが聞こえていた。さきほどの神様はというと、僕の隣に座ったお姉さんの頭の上で、鼻をヒクヒクさせながら時折両耳をピンとのばしたり、パタンと前にたらしたりしている。
そのまま数分経ち、電車が目的の駅到着するために減速をはじめた。
「なあ、兄ちゃん。ちょっと聞きたいことあんねんけど」
不意に聞いてきたのでそちらに顔を向けると、神様はお姉さんの後ろ側に体の向きを変えていて、耳をピコンピコンさせながら外を見ていた。
「うん、なあに?」
「きみ、歳はいくつなんや?」
「えっと、17だけど?」
「~っということは、彼女も同じ年やから17かあ」
何か考え事をしているような口ぶりで神様がぼそりと言った。僕は特に返事もせず首だけを右に向き神様を見ている。
「そのなあ、…きみのかのじょは、カワイイかったりするんか?」
「そりゃあもう、すれ違った男は誰もが振り向いていたね」
「ほほ~う。誰もが振り向くんかい…」
さっきまでゆっくりとピコついていた耳が少し早くなった。
「それと、もう一つ聞きたいことがあんねんけど。さっき言っていたこれから亡者を救う話なあ、一緒に行く友人の女の子はやっぱり、かわいいんか?」
「う~ん、可愛いというよりは美人さんだね。少し冷たく見える美少女タイプで、学校では僕の彼女と二人で『秀光学園の両翼』と言われるほどで、人気を二分しているほどだよ」
「ほ、ほ~う!! 冷徹そうな美少女なあ、…それはなんとも」
低いうなり声を出すと、今度は更に耳のピコンピコンが早くなり、汗もかいているような感じに見えている。すると、急に神様はピョンとこちらに跳ねると、隣にいるお姉さんの時と同じように今度は僕の頭の上に座った。
「え? なに、なに、どうしたの、急に。この人に付いているんでしょ、僕もう降りるよ?」
お姉さんを指さしながら、目だけを上に向けて神様に言った。
「う、うん。この姉やんには、もう十分ご利益はやったしなあ、せっかく兄ちゃんとも知り合ったことやし、…お前さんのこと少し手伝ってやるわ」
仕方なしといった感じで、少し声を裏返しながら言ったので、僕は、この神様の心理を読みとり、ニヤリとした。
「ふーん、因幡の白兎も『秀光学園の両翼』を見たいのですね、なるほど、うんうん」
「なにを言うてるんや、きみは! わしは人助けのために言うてるんや。ほい、駅に着いたで、早うせんと閉まるがな」
前を向くと電車が止まり、ドアが開いた。急がなくても僕は霊体なので、すり抜けできるのだけれど。
「あー、はい、はい。では、そういうことにしておきましょうかね」
男に触られたら黒く変色するって言っていた神様は、特に何も変わらず僕と一緒に駅を降りた。