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彼の決意を知って

「なあ、何してんだお前?」


 公園のブランコに一人で座っていると、男の子が声を掛けてきた。


「え? あ、べ、べつになんでも!」


 知らない男の子に声を掛けられ、わたしは酷くオドオドしてしまった。


「おーい、はやくボールをもってこいよ! あれ、だれだそいつ?」


 話しかけてきた子の友達なのだろう。八人ぐらいの男の子達が集団でこちらに向かってきた。わたしは更にビックリして、ブランコから降りてそのまま下を向いた。


「見かけない顔だよな。名前なんて言うんだ?」


 声を掛けてきた男の子がサッカーボールを手で宙に上げ下げしながら言った。


「い、いのうえいずみ」


 まったく目を合わさずに、キョドりながらわたしは下を向いたまま答えた。


当時、小学校六年生だったわたしの環境は最悪だった。両親は顔を合わすと毎日喧嘩で、とても愛し合って一緒になったとは考えられない状態。そんなことだからいつも不機嫌で、わたしが話しかけても真剣に聞いてくれない。

 引っ込み思案な性格だったわたしはクラスで孤立し、性格の悪い女子グループから弄られる対象だった。背がクラスの平均から異様に高く、さらにストレスで太っていたのでかなり目立っていたのが原因だった。

 夏休みになり、わたしは隣町にある、父方の祖母の家へ連れて行かれ、休み中ずっといるように言われた。後になって分かったことだが、わたしを預け、両親は家で離婚をするために話し合いをしていたらしい。毎日怒鳴り合いを聞かなくてよくなったわたしとしては少しホッとしていた。


「おまえ、家はどの辺なの?」


 小さく縮こまっているわたしに構わず、しゃがんでわたしをのぞき込みながら男の子が言った。


「四丁目にある喫茶店」


「ああ、あの英語の店か!」


 場所を知っているのか他の男の子達が合点がいった様子で頷き合っている。ちなみに、ローマ字でタチバナと看板に書いてあるだけで英語ではない。


「あそこ、父ちゃんが珈琲好きでさ、よく行っているよ。俺もそこでパフェを食べたけどうまかったわー。あそこの子供だったら毎日パフェ食べ放題かよ! すげ~!」


「あそこはおばあちゃんの家で、わたしの家じゃないの」


「そっか~。いつまでばあちゃんの家にいるんだ?」


「夏休み中ずっと」


「ふーん。お前さ、一緒にサッカーやる?」


「え?」


 突然の申し出で思わずビックリして顔を上げ、初めて彼の顔を正面から見た。目の大きなよく日焼けをした少年だった。


「え? いや、わたしデブだし、運動も苦手でサッカーなんて…」


 再びキョドると、大きくかぶりを振って下を向いた。握る手が強くなる。


「別に太っていたって関係ねえよ、ただ蹴るだけだから運動が苦手でもできるぜ。それに、デブって言うのは、ここにいるさとしを言うんだぞ。お前は体が大きいだけじゃん、気になるほどじゃねえよ」


 男の子がニコリと笑うと、さとし君を指さした。


「お、おう! 毎日どんぶり飯三杯だ、塩辛があればもっといけるぜ!」


 わたしより確実に太っているさとし君が細い目で笑って親指を突き出した。その様子を見て他の男の子達が一斉に笑った。そして、わたしもつられて笑ってしまった。

 

「う、うん。じゃあ、入れてもらおうかな」


 みんなが笑ってグラウンドの方へ走り出す。わたしもその後を追って走った。初めてのサッカーはいうほど簡単ではなかった、狙った方向へ蹴ることもできず、間違って地面を蹴ることもあった。だが、誰一人として、そのミスを笑う者はおらず。とても優しく教えてくれた。そして、こんなに大勢で遊んだのは初めてだ。普段は一人か、もしくは雅人としか遊んでいない。わたしは夢中になってボールを追っかけた。

 夕方になりお開きになると、皆それぞれ家に帰っていく。みんなが手を振って自転車に乗って帰って行った。空を見るとオレンジ色の空にカラスが数羽鳴きながら飛んでいるのが見えた。

 帰りたくなかった、もっと遊んでいたかった、この幸せな時間が終わるのがいやだった、また明日から一人になるのが嫌、このまま時間が止まればいいと思った。しかし、それは無理というもの、わたしは淋しさを胸に引っ掛け祖母の待つ家へと歩いて行った。


 翌日の朝、部屋で宿題をしていると祖母がやってきた。


「泉ちゃん、お友達が来ているわよ」


 わたしは目を見開き祖母を見た。わたしの心がドキドキしている。


「いつの間にお友達を作ったの、なんにしても良かったわ~! 宿題なんか後回しにして遊びに行ってらっしゃいな!」


 祖母に手を引っ張られ玄関へ向かう。スニーカーを履いて後ろを向くと祖母が嬉しそうに手を振って見送ってくれた。わたしは震える手でドアノブを回しドアを開ける。


「いよう、井上遊ぼうぜ~!」


 昨日、私に声を掛けてきたおとこの子がにこりと笑っている。


「今日は、みんなでチャリに乗って違う地域の公園に行くぜ。曳舟の方に、やたらでかい滑り台があるからそこに行こうぜ!」


「…わたしも行っていいの?」


 心のドキドキが強くなっていく。


「何言っているんだよ、おれたち友達だろ!」


 その瞬間わたしのこころに、温かい火が灯された。


 それからの夏休みは夢のようで、毎日のように皆で集まってどこかで遊びに行った。次第に私も打ち解け、両親のことや、いじめのことも話せるようになった。すると、みんな真剣に話を聞いてくれる。親のことはどうにもならなかったが、いじめに関しては、対策をいろいろと教わった。蹴りの入れ方や殴り方など、さとし君のお腹を使って実践させてもらったのにはかなり笑ってしまった。

 おばあちゃんの店に皆を呼んでご馳走することもあった。パフェを作ってもらったときは皆、狂喜乱舞であった。


 本当に最高の日々だった、しかし、それはいつまでも続かない。


 夏休み最終日、皆と公園で遊んでいると母が迎えに来た。その表情は、いつもの綺麗な優しい母の顔に戻っていて、安心していたのをおぼえている。


 みんながわたしを囲んで別れの挨拶をしてくれた。それは、微塵も悲しさを感じさせないもので、いつも遊び終わったときの「バイバイ」であった。

 前に進める沢山の勇気をもらって、わたしも普通に笑顔で別れを告げることができた。


 最高の笑顔で送ってくれたみんなの顔をわたしは一生忘れない。


 新学期が始まって、両親は離婚した。それはショックであったが、両親は真剣な表情で、ことの経緯を説明してくれたので納得して首を縦に振った。

 名字は母の姓の「立花」に変わった。少し違和感を感じたがそれだけだった。

わたしは以前と打って変わり積極的に行動した。思っている自分の意見は口に出しコミュニケーションをとる。そして、弄ってくるクラスメイトには容赦なくワンパン! 最初はすっかり変わったわたしを見て、引いていたクラスメイトであったが、少しずつ近づいてきてくれて最終的には仲良くなれた。

 運動も積極的に行ってきたおかげで、中学に入る頃にはすっかりやせて美少女と呼ばれるようになった。

 好きだったイラストや絵画を本格的に始め、中三になって賞などもとれるほど実力があがってきた。

 充実した中学時代が終わり、高校に入って事件が起こる。なんと、あの日声を掛けてくれた男の子が同じ高校に入学していたのだ。


 わたしは嬉しくなって彼に近づいて声を掛けようとしたのだが、怖くなって止めてしまった。何がどうということではない、単純に好きになった人に声を掛ける勇気がなかっただけだ。自己嫌悪に落ちること数ヶ月、遠くから彼を見る日々が続く。


 とある朝、通学途中で彼の背中を見つけた。今までためていた鬱憤を晴らすがごとく、わたしは走って彼に近づいて右腕を彼の肩に掛ようと動かした。


「あ、優香ちゃん!」 


 彼に触れるその瞬間、その声を聞いてピタリと止まった。彼は弾んだ声を出し、前方で見つけた「香月優香」に走って近づいた。後ろを振り向いた香月は嬉しそうに笑う。そして、二人は並んで歩き始める。


 二人の表情を見てわたしは悟った。


 それからは遠くから彼を見ていた。別に気にせず彼に声を掛け、あの時の「井上泉」です、と笑って話しかければ良かったのだが、一度失った勇気を再燃させる力はなかった。学校一の美少女と言われ有名になったわたしを「あの時の井上泉か!」と思いだして声を掛けてくれるかと期待もしたが、どうやら気がついてくれなかったようだった。

 でも、彼の楽しそうな表情を見れるだけでも癒され、たまに近づいて同じ空間にいられるだけでも満足だった。毎日そんな感じでゆっくり流れていたのだ。


 夏休みが終わり二学期入った頃、彼に異変が起こる。体を悪くして入院していまったのだ。

死ぬほど心配したしお見舞いに行こうとした。だが、この性格が体をうごかしてくれなかった。話に聞いた限りでは二ヶ月ほどの入院だという。心配で身が引き裂かれそうであったが、何もできなかった。


 冬休みが終わり、彼の死を突然聞かされ耳を疑った。香月の知り合いからもうすぐ退院できると聞いていたのだがまったくのガセだった。

 おそらく、皆に心配を掛けまいと、彼から指示を受けて香月が嘘の状態を話していたのだろう、それにすっかり信じ込まされて安心していた。

 お別れのあの日、わたしは参加しなかった、行ったら自分がどうなるか分からず怖かったからだ。結局あの日からわたしの心に穴が空き、何をするにもやる気が起きない。そう、今この瞬間までは。



「…なんで、早乙女君がここにいるの?」


 まったく理解不能の状況で頭がまわらない。


「いや、これには深い事情があってさ、泉」


「あんたには聞いていない、だまって」


 早乙女君に潤んだ視線を送ったまま、ピシャリと雅人を止めると「お、おう」と言って話すのを止めた。何か、変な女がわたしの私物を興味深げに漁っているのも見えるがそのまま無視。


「実は立花さんに、お願いがあって来たんだ」


「おねがい?」


「うん、実はね」


 真剣な表情でわたしの前に進み、早乙女君が話し始めた。それは、とても悲しい話だった。今までの入院生活のこと、その間、香月が必死に悲しみをこらえて毎日お見舞いに来ていたこと、自分の命が消えるであろうことを香月優花に話したこと。そして、告別式での出来事。彼はゆっくりと諭すようにわたしに話してくれた。


「…そんな、それって悲しすぎるよ。亡くなってまでそんなことするなんて」


 絶句した。死んでしまっても香月が心配であの世に行けないなんて悲し過ぎる。早乙女君の後ろで雅人がうん、うんと頷きながら涙しているのが見えた。


「でも、決めたんだ。今まで一緒にいてくれたお礼を僕はしたいんだ」


 真っ直ぐな目で彼は言った。そして、彼がこの世にいられる条件、そこらでわたしの私物を楽しそうに漁っている女との約束の話をしてくれた。


「そんなことをするんだ」


「だから立花さんの力がどうしても必要なんだ。お願いします、似顔絵を描いてもらえませんか?」


 彼が頭を下げる、当然答えは決まっている。


「うん、分かった。その代わり、絵だけじゃなくて、霊を救う仕事もわたしに手伝わさせて!」


 

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