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僕という存在






 けたたましい電子音が、室内に響き渡る。


 ベッドの脇に突っ立っていた僕は、右回りでベッドを迂回すると、自分の右手に触れてみた。だが、何の感触も無い。


 小さなため息を一つすると部屋の中を見回した。

 

 ベッド右脇にはテレビ。下の階にある売店でカードを買ってきて差し込むと見れるようになっている。家ではテレビなど、ほとんど見ることが無かったが、ここに来てからとにかく暇で、「昼ドラ」とか、初めて見ることになった。なんか、ドロドロとした男女の関係で、結構胸クソな内容だったけど、それがツボにはまって時間になるといつもスイッチを付けている。

 その隣には、小さな花瓶がある。その中に色鮮やかな花が入っているが、花は、タンポポと向日葵ぐらいしか知らないので飾ってある花の名は知らない。

 テレビの前には、スマホが置かれている。メールでも入っているのか、オレンジ色の点滅が見える。 

……とまあ、後はトイレがあるだけで、とにかく殺風景な部屋である。この三ヶ月近くこの部屋にいたのだが、やることが限られていて暇だった。

友人とメールのやり取りにしたって、変わったことなんかあるわけないし、スマホのゲームだって小さい画面を二時間ほど見ると目が疲れてきて続かないし、下の売店で雑誌を買おうにも、興味ある内容の物は少ないから、あまり買ってなかったし、いや、本当、苦痛だったな。

 

 僕は、もう一つ小さなため息を作ると振り返り、外の景色を見ようと窓に近づいた。室内との温度差で、すっかり曇ってしまった窓では外の様子など見えるわけも無く、拭き取ろうと左手でガラスに触れてみるが、こんな状態では落とすことができない。仕方ないので、そのまま顔をガラスに突っ込んで外を眺めた。


 外はすっかり暗くなっている。一月中旬のこの夜は、空から無数の氷の結晶たちが大地へと降り注いでいるのが、街灯の明かりで良く見える。敷地内の地面や植木、駐車場の車などは白く染まっていて、冷たいコンクリートだらけの薄汚れた町並みが、少しはマシに見えると感じた。


 白い湯気を出そうと、盛大に息を吐いてみせたが変化なし。その様子を見てガックリと頭を下げていると、部屋に取り付けてある横スクロールのドアが開いた。


 入ってきたのは、僕の担当をしてくれている看護師の中村さんだった。年齢は二十四歳、上から、82・58・85となかなかスレンダーな体型(長年培った眼力参照)でかなり綺麗な大人の女性なのだ。この部屋に来るたびに素敵な笑顔を見せてくれていた。が、今の彼女は慌てた表情で僕に近づくと、大声で名を呼んだ。返事が無いのを確認すると、僕の左手をとって脈を測った。すると、直ぐにナースコールをする。


「個室五番、早乙女拓磨さんの容態が急変です。至急担当の山田先生をお願いします。拓磨君、戻ってきてね!」


 中村さんは大きく息を吸うと、僕の口を開けそこに息を吹きかけた。そして、細い両腕を俺の胸に置くと力強く心臓マッサージを始めた。

 

 体の異変は、今年の夏休みの終わりの頃だったと思う。


 軽い発熱が二日三日続き、最初は休み疲れと医者に言われ、処方箋をもらって家に帰り少し夏休みを延長した。

 

 しかし、熱は一向に下がる気配が無かった。

 

 やがて、動悸や息切れが始まり、重い倦怠感が体を襲ってきた。

更に、興奮もしていないのに鼻血が出てなかなか止まらない。寝る前に、鏡の前で歯を磨いていたら、歯茎から血が…… 


 さすがに、ただの風邪ではないと気付き、区内の大きい病院へ。一日中院内を歩き回り、出た結果が「急性骨髄性白血病」であった。しかも、余命三カ月というおまけ付き。


「あぼーん」である。


 この病気の治療方法はいくつかあると医者に説明を受けた。難しい名前を使った薬での治療やCMとかでやっている骨髄移植なども話に出ていた。とにかく、やられるだけの治療はやってみようと言う話になり治療が開始されたが、これが、かなりきつかった。抗がん剤の治療は、吐き気、および「キラキラ」が吐き出され、口腔や喉の粘膜が乾き食事もままならない。髪の毛は当然のごとく無くなり、みるみるうちに痩せていった。


 知らない間に意識が無くなることが頻発して、気がついたら自分を見下ろしていた、というわけである。普通なら何が起きたのか理解できないのであろうが、僕はその瞬間何が起きたのかすぐに分かった。


 死に関してはこの病院に来てから覚悟はしていたし、末期患者に対してのカウンセリングも受けて自分のおかれた状況を認識できていたからだ。なので、その先生には大変世話になったと思う。正直、メンタルがボロボロの時期もあったので先生がいてくれて助かった。


 外の廊下から数人の足音が聞こえてきて、扉が開けられた。担当医である山田先生が入ってきた。その後ろにも二人の看護師が後に続いて入ってきた。


「ご苦労さん、後は僕がやろう」


 腕まくりをして山田先生が心肺蘇生を始める。だが、心電図に変化は無い。一生懸命蘇生させようと頑張ってくれている先生達の横で、僕は不思議な気持ちでそれを眺めていた。意識を持った自分は間違いなくここにいるのに、肉体の僕はピクリともしないからだ。仮に、ここで肉体の僕が目を覚まして動き出したら、それはそれで不気味だからそのままでいてね。


 三十分ぐらい経っただろうか、汗まみれになって蘇生を試みていた山田先生は、再び心電図モニターを見つめるとその手を止めた。ポケットからミニライトを取り出して、僕のまぶたを指で開けてライトを照らす。そして、脈などの触診を終えると腕時計を見た。


「21時15分、死亡を確認しました」


 山田先生と三人の看護師さんは俺に向かって一礼した。


「ご家族に連絡しないとな。こればっかりは、毎度のことながら辛い。誰かに変わってもらいたいよ。ご遺体を処置室まで運ぼう。それが終わったら、またこの部屋で横にさせてご家族を入れてあげて。暖房は消すようにね」


 額の汗を拭いながら山田先生は部屋を出て行った。


「まだ、十七歳という若さなのにね。若い人が亡くなるのは本当に辛いわね。じゃあ、処置室まで運びましょうか」


 中村さんよりも年かさのおばちゃんが悲しそうな顔で大きなため息をした。残念ながらこの人の名前は知らない。若い女性にしか興味が無いので、いないものと考えていたわ、ごめんなさいね。

 

 僕の体を運ぶためのストレッチャーが部屋に入ってきた。もう一人の看護師さんも中に入ってきて三人で体をベッドの真横に置いたストレッチャーへ乗せた。そして、体は処置室へと運ばれて行った。僕もすることが無いのでそれに続いた。が、ついて行かなければよかった。そこでは、僕の体の穴という穴に綿を詰め込んでいるのだ。何のためにしているのかわからないが、前に亡くなった祖父の葬儀の時に、鼻の穴に綿が入っていたのを思い出した。しかし、鼻の穴はまだしも、着ているズボンを下ろされ、俺のカワイイお尻がぷりんと丸出しされ、その穴にこれでもかというくらい綿を詰め込まれる様は正直恥ずかしい。


 やがて処置が終わると、再び病室に戻された。そして、その後に一番見たくない光景を目にする。


 親父、お袋、妹の三人が部屋に入ってきた。家から病院までの傘も差さずに急いで来たのだろう、三人とも頭や着ている服が濡れていた。


 もう死んでいるにもかかわらず、そばに来て涙を流しながら大声で僕を呼ぶお袋と妹。その後ろで必死に泣くのを我慢しているのか、かなり強く歯をかみしめて、両手の手のひらをグッと握りしめ、体を震わせている親父が立っている。だが、その抵抗もむなしく、両目からポロポロと涙が流れている。元暴走族上がりで、俺が何か悪さをするとグーで殴っていた強い親父が涙を流すなんて初めて見たが、これはキツい。妹はともかく、両親が泣く姿を見るのはかなりつらい。僕は居たたまれなくり、扉をすり抜けて部屋を出た。そして、そのまま腰を下ろして座り込んでうなだれた。家族の泣き声は廊下まで聞こえる。誰もいない寒々とした廊下は三人の泣き声が響いていた。


 この病院に入院してから、三人は毎日のように病室に見舞いに来てくれていた。もうすぐ死が訪れるであろう自分を落ち込ませないように笑顔で部屋に入って来て話をしていたんだ。本当は自分達も泣きたいくらい落ち込んでいたのだろうな。あーあ、これはへこむなあ。

 

「なんか、落ち込んでいる時に悪いのだけれど、ちょっといいかしら?」


 誰もいないはずの廊下で、頭上から声が聞こえた。


 驚いて首をあげると、そこに女性が一人立っていた。見た目は二十歳前後、黒い髪を腰まで伸ばし両手を腰に当てて僕を見下ろしていた。端正な顔立ちをしていて、誰が見ても美人だと言うだろうと思う。


「えっと、あれ?」


 そんな美女に声を掛けられて、俺は若干あたふたとした


「突然ごめんなさいね。本当なら死者に対してお悔やみの一つも述べるのだろうけど、この商売は忙しくて、他にも今後の予定を伝えないといけないから、どうしてもそういうところを端折ってしまうのよね」


 言い終えると同時に今度は両腕を俺を組んで、首を左右に振りながらため息を一つした。


 何をこの人は言っているのだろう? というか、先程の看護師さん達は全く僕の存在に気がついていなかったのに、この人、見ているよな。

 それにこの美人さん。よく見れば変な服装だ、全身真っ黒の着物を着ているがどこかで見たことがあるような無いような。


「ああ、思い出した! 神社の巫女さんの着ているのと同じだ。オリジナルは紅白の衣装だが、この人は真っ黒なんだ」


 僕は思わず口に出した。


「えっと、早乙女拓磨くん、突然何を言っているのかな? 現時点で私と目を合わせているのだから、私の話は聞こえているのよね。おかしいわね、資料にはとても残念なおつむの持ち主とは記載されてはいなかったはずだけど。…えーと、さおとめたくまく~ん! 先生の言っていることわかるかな~? 分かったら手を上げてね~」


 黒い巫女さんが、急に幼稚園の先生風な態度で俺に話しかけてきた。


「ざ、残念なおつむって失礼だな。そんな言い方をしなくても聞こえてるわ」

 

 今の悪口で訂正、美人からちょっと美人の女性にランクを下げます。


「何よ~。聞こえているのなら最初から返事をしてよ。全く礼儀がなっていないわね、これだから若い男は嫌いなのよ」


「いや、その言葉そっくりお返しするよ」

 

 更に訂正。ちょっと美人から、かなり無礼な女に格下げ。

  

「何よ、別にあなたに何かをあげた訳ではないのだから、お返しなんかしなくてもいいわよ」


「え? そういう意味でいった訳では無いのだが」


「は? じゃあ、どんな意味よ?」


 目の前いる彼女は、とても不思議そうな顔で俺を見ている。どうやら、残念なおつむの持ち主はこの黒い巫女のようだ。


「あー、面倒だから分からなければ別にいいよ。で、あんた誰?」


 手をヒラヒラとさせながら彼女に聞いた。


「この展開ならば、私が何者か予想できそうなものだけれど、おつむがあれだからきちんと説明してあげるわね」


「…いちいち、むかつく女だな、おい」


「私は、『お迎え者』と言われる者よ。まあ、あなた達の世界で言われている『死神』とでも言うのかしら。この世で肉体を失った人間の魂をあの世に送る仕事をしているの。もう分かっているとは思うけど、先程死亡し、あなたは魂のみになったわけ。このままでは、この世で浮遊霊となり、うかばれないままこの世に存在することになる、それを手助けし、あの世に送ってあげるのが私の仕事というわけ、理解できたかしら?」


「なるほど、理解した。それじゃ、僕はこれから『あの世』とやらに送られるわけだ。まあ、死ということに関して覚悟はしていたから、しようがねえなって感じだわ。だったら連れて行ってよ」

 

半ば強制的に自分を納得させて立ち上がった。


「ん?、今じゃあないのよ。現代のこの国では、葬儀があって、それから火葬の後、埋葬になるわよね。なので、あなたを連れて行くのは葬儀の後になるの。それまでは、自宅に戻って、そこであなたと縁があった人たちと別れを惜しんでいなさい。私はこれから他の亡者のところにいくからよろしくね。ちなみにだけど、私の名は『済杖 乙那』(せいじょう おとな)よ。何か問題があったら声を出して呼んでちょうだいね」


 残念なおつむの割には立派な名前だな。


「えっと、どうやって家に帰ればいいんだ?」


「私が一瞬で家へ送ってあげてもよいし、家族と一緒に帰ってもよいし、どっちにする?」


「ああ、家族と一緒はきついなあ。じゃあ、乙那さんが送ってよ」


「はい、分かったわ」


 そう返事をすると、乙那は右手の親指と中指をくっつけて、「パチン」と指を鳴らした。すると目の前が暗くなり、その後、瞬きをする間もない速さで俺は数ヶ月ぶりの自室に戻っていた。

 

「おわっ! 一瞬かよ」


 懐かしい景色がそこにあった。


 自宅は二階建ての一軒家で、二階に、僕と妹の部屋が別々にあり、自分の部屋は洋室六畳間だ。南向きに窓があり、その右側にあるのは勉強机、入院する前日の時はゴチャゴチャしていたはずだが綺麗にかたづけられている、パソコン用のモニーターとキーボードがあるだけでそれ以外何も無い。机の左には、タワー型のパソコンがラックの中に鎮座している。自分の宝物といえるのは、スマホとこのパソコンだけだろうな。なんせ、健全な十代男子なら誰もが興味を持つ、楽しい画像と動画が収められているのだから。もう見れなくなってしまったのは非常に残念だが、死んだ後のことを考えて、それらの宝物は入院前にすべて消去済みである。

 あんなのが大量に残っていたら、中学三年生の妹が遺品整理とかで電源を入れ、見たこともないはずのあんなのや、こんなのを見つけてしまったらショックを受けるだろうし、死んだ兄ちゃんは変態だったと、孫の代まで伝えられたらたまったものではない。


 机の反対側にはシングルベッドがあり、その下には収納できる引き出しが付いているのだが、中身の殆どは、雑誌や漫画などが入っている。雑誌の多くはこれまたお宝が眠っていたわけだが、これらも入院前に処分した。言っておくが、僕は変態ではない、世間一般のいわゆる普通の高校生だ。


「これから、この部屋はどうなるんだろう。…って、死んだ人間が考えることじゃないよな」


 思わず自虐的に言って、フッと笑ってしまった。のんびりとベッドに座り時間を潰していると、外から車の音が聞こえてきた。親父が大事に乗っている4WDの古い車で、やたらとスピードが出せる車だ。音が特殊で「ドドドド」っと低い音が出る。家族からはうるさいと文句を言われているが、「これが良いんだ」と聞く耳を持たない。やがて車は自宅に到着すると、駐車スペースに車を入れた。そして、階下にある玄関のドアが開く音が聞こえ、親父の声が聞こえている。三人の顔を見たくなくないので、下には行かず、僕はベッドに寝転んだ。



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