1.共生暴力⑦ 小ざかしい真似に舌打ちが漏れる。
◇ ◇ ◇
正直逃げたひったくり犯を今更見つけるのは、無理に近いのではと思っていたが……
存外あっさり見つかった。
大通りを逃げる犯人は、道を変えようとも思わなかったらしい。下り坂の一直線先を走る後ろ姿は、小さくなっているが、間違いなく先ほど見たものと同じだ。
(これならまだ間に合うか……?)
100メートルほど先を走る犯人を追い、リュートはレンガ舗装の坂道を駆け降りた。所々剝がれ上がったレンガに足を取られかけるが、それでもじりじりと、男との距離を詰めていく。と、
(お?)
油断したのか息が切れただけなのか。
男のスピードが、がくりと落ちた。
道が平坦なアスファルトに変わったことも手伝い、視界に占める後ろ姿が、どんどん大きくなっていく。
しかし十数メートルの距離まで近づいたところで、男に気づかれた。
「っ!」
肩越しにこちらの姿を捉え、慌てて速度を上げる犯人。進む先の横断歩道は、信号が赤だ。
まさか青に変わるのを、悠長に待つわけもないだろう。曲がるのかと思いきや――男は、豪快に信号無視して直進した。
(あいつっ……)
小ざかしい真似に舌打ちが漏れる。リュートが――渡人が同じことをできないと、狙っての行動に違いない。
が、運はこちらに味方してくれたようだ。
交差する道路の信号が、ちょうど赤に変わる。横断歩道にたどり着いたリュートは急停止し、進行方向の信号が青に変わるのを待った。
1秒……2秒……
(変わった!)
青への点灯を合図に、地面を蹴って再スタート。
「おい止まれ、ひったくり犯!」
声を張るが男は止まらない。大きなトートバッグを、肩から激しく揺らして走り続けている。
男の進行方向には線路と、その下に造られた地下道。男は地下道へと進んでいった。
(なら、地下道で捕まえる……!)
足は止めぬまま、リュートは地下道へと目を凝らした。
中央を貫く坂道の両脇を、手すりの付いた階段が挟んでいる。坂道と階段は下りた先で合流しているが、坂道の傾斜は階段よりも手前で始まっている。つまりその分だけ、階段全体の傾斜角度は、坂道よりも急となる。
リュートは階段に差しかかったところで、大きく踏み切った。手すりを中継地点として着地し、勢いを殺さずさらに飛び出す。下の坂道を走る男に向かって。
「ぐぎゃあ⁉」
背中から蹴られる形で倒れ込み、あおむけに転がる男。投げ出されたバッグがコンクリートの地面に落ちる。中に緋剣が入っているからだろう、甲高い音が響いた。
リュートも伏せて、男の右腕を自身の左脇で押さえ込んだ。右腕の方は、男の首の後ろに回し入れ、袈裟固めを極める。さらに男の動きを封じるために脇腹を押しつけて、相手の右脇にできた隙間を埋めるが。
「……っ」
押し当てた腹から、じわっと染み出る感触が広がる。
階段を跳んだ時、突っ張っていたなにかが裂けるような感覚があったのだが、やはり傷が少し開いてしまったらしい。
ひったくり犯はしばらくもがいていたが、やがて諦めたのかおとなしくなった。
若い男だ。先ほどのDAG女と同じ、二十歳前後と思われる。
男が口を開く。
「わ、悪かった! 返す! ちゃんと返すから見逃してくれ!」
「言うくらいなら盗るな! こっちはいちいち身体張ってんだよ!」
八つ当たりも兼ねて、締めつけを強めるリュート。
男は声を潰れさせながらも、懇願するように続ける。
「緋剣が欲しかったんだ、それでつい! 俺、守護騎士フリークでっ……」
「甚だしく迷惑だ!」
交番の近くで盗るほど大胆なくせに、やたら逃げ方が拙い不自然さは、突発的犯行から来るものだったからか。
鬼の駆逐派に擁護派、おまけにマニア(?)。
異なる立場から迷惑だけは平等にもらい、リュートは心底うんざりしていた。
「……あー。どうすっかな、これ」
ひったくり犯は確保したものの、これでは自分も身動きが取れない。