5.リバースデー⑧ できることは全部やるんだ。
◇ ◇ ◇
一体どれほどの時間、堕神を狩り続けたのか。
研究棟前で、いったん解除した緋剣を手にたたずみながら、空を仰ぐ。
細かい時間は分からずとも、頭上に広がる漆黒の天蓋を見れば十分だった。月は憎らしいくらいに美しい。敷地中の照明を総動員しているため視界の確保には事欠かなかったが、それ故に感じられる時間の経過が、疲労感をかさましさせる。女神はいまだ、堕神との決着をつけていないようだ。
(遅えんだよ……このままじゃ、俺が全部倒しちまうだろうが……)
この場にいない相手に皮肉を吐き出し、リュートは額の汗を拭った。今は真冬の深夜帯。凍えるような寒さのはずなのに、身体はどこまでも熱かった。
「大丈夫か?」
言ったのは、リュートの近くで控えるようにして立つ守護騎士だった。力押しを得意とするような風貌で、緋剣を握る手は、その皮の厚さだけで堕神の爪をも防げそうだ。外灯の光が彫りの深い顔を照らし、より精悍な印象を与えている。
「少し休め。今なら多少は落ち着いている」
簡素な物言いだがそれだけにいたわりが伝わり、リュートは素直に感謝した。
「そうですね……少しだけ」
研究棟の壁に背を預けながら転化を解き、
「っ⁉」
体重を乗せた左脚が、がくりと勝手に膝を折る。とっさに壁に手を突こうとするも左腕が全く動かず、リュートはその場に倒れ込んだ。
「お、おい⁉」
「大丈夫、です」
慌てる守護騎士に返し、手探りで身を起こす。リュートは緋剣を剣帯に収めると、右手と右脚を頼りにはい上がるようにして立ち上がり、壁へともたれた。
(くそ……今度は手足かよ)
視界は暗く、動くこともままならない。
自分はどこまで失われていくのか。分からないのが余計に怖かった。
(だけど、力を出し惜しみする余裕はねえ……できることは全部やるんだ)
そう自分を鼓舞していると、無線からグレイガンの声が聞こえてきた。
「ただ今より、仮眠のための交代制待機に入る。いいか、仮眠は2時間交代制だ。寝坊すんじゃねえぞ。1班は今から午前2時まで。全力で寝ろ。以上」
相変わらずの豪快な指示を残し、音声は途絶えた。
リュートはふと思い出し、そばに立っている守護騎士に顔を向けた。確かこの守護騎士は、1班を示す腕章を身に着けていたはずだ。
「俺は大丈夫ですから、寝てきてください」
「しかし……」
表情が見えずとも、躊躇しているのは声で分かる。
リュートは余裕を見せるように笑みを浮かべた。
「大丈夫ですって。俺、立ったまま寝るの得意なんです。それで十分休めるし、顕現が起きてもすぐ対処できますから」
「分かった……一応代わりの者は呼んでおく」
そう言い残して守護騎士は立ち去った。
最近は日常生活で視覚が役に立たない分、聴覚に頼るようになっていた。そのせいかひとりきりになると、植え込みの葉擦れや風の音が、随分と大きく聞こえる気がする。
視界は暗い。ほとんどなにも見えない。
「…………」
リュートは動く方の手で懐を探った。懐中時計の感触が伝わってくる。
(大丈夫だ、まだやれる)
たとえ手足が動かなくなっても。
(俺には、アスラがくれた力がある。だから、やり遂げられる)
たとえ自分の世界が闇に閉ざされても。
(俺にしかできないんだ。俺がやるしかないんだ)
なにも見えなくなっても。
誰も見えなくなっても。
明日が見えなくなっても。
(大丈夫……)
大丈夫、大丈夫、大丈……
(…………嘘だ)
本当はこんなにも寂しくて、狂いそうなほどに孤独が怖い。
世界が閉ざされていく。なにもできなくなっていく。ひとり取り残されていく。
リュートはうつむき、いずれ動かなくなる右手で頭を抱えた。壁にもたれたまま、ずりずりと地面に崩れ落ちる。
「ひとりは、嫌だ……」
暗闇の中、自分でも気づいていなかった本音がぽつりとこぼれ出た。
と――
低い振動音が胸ポケットから生じる。メールの受信サインだ。
(今回の討伐作戦は、原則として無線連絡のはず……)
疑問に思うが、無視するわけにはいかない。
リュートはポケットからスマートフォンを取り出し、力を使って視力を回復させた。
メール文の確認画面を表示すると。
『明けましておめでとう! 山本銀貨です。須藤さんにアドレスを教えてもらったんだ。一方的にごめん。でもどうしても、新年の挨拶だけはしておきたくて。また今度、みんなで遊びに行こう! 今年もよろしく!』
(……明けまして?)
真っ先に感じたのは、意味不明ということだった。まだ年は明けていない。どころか、大晦日だって迎えていない。なのに文面は完全に『明けている』。
(ああそうか)
遅れて気づく。
恐らくは予約送信するはずだったのを、うっかり通常送信してしまったのだろう。
「……ははっ」
思わず笑みがこぼれる。場違いな内容にも、送信設定のミスにも。そしてそこから透けて見える、絶対にタイミングを逃したくないという想いにも。
「っんと、お気楽なやつだな。こっちは大変だってのに……」
銀貨はこちらの事情など知らないのだから、仕方ない。それにしたってこの空気の読めなさには、才能すら感じてしまう。
ふと見ると、受信履歴には他にも複数のメールが残っていた。いつの間にか届いていたらしい。ひとつひとつ確認していく。
『天城君、忙しいところごめんね。さっきなんだけど、山本君が天城君のアドレスを知りたがってて。電話じゃなくて、文面で送りたいことあるからって……必死だったから、つい教えてしまいました。勝手にごめんなさい!(>_<) あと……詳しいことはよく分からないけど、天城君、今大変なんだよね。無理しないでね。初詣とか、みんなで一緒に行けたらいいな。それじゃあ(*^_^*)』
『よ。これを読んでるってことは、さてはお前さぼってんだろ。ちゃんと働けよー。俺は適当に頑張るから。まあかわいそうだから、今度寮の掃除当番代わってやるよ』
『いざとなったら逃げたっていいんだからね。それを批判するやつがいたら、神僕だろうと地球人だろうと、私がまとめてぶちのめす。とにかくちゃんと身は護ること。来年こそは、ちゃんと誕生日祝ってもらうんだから』
「なんなんだよこいつらは」
苦笑し、スマートフォンにこつんと額をぶつける。
『みんなで』、『初詣』、『今度』、『来年』。
その全てを実現させるためには、終わらせなきゃいけないことがる。
と、無線機から、ここ半日で飽きるほど聞いた、緊迫した声が流れてくる。
『顕現予兆を感知! 数13!』
リュートはスマートフォンをしまい、地に足付けてしっかりと立ち上がった。
「もうひと踏ん張り……できるだろ?」
今はしっかりと見えている。動ける限り、走り続ければいい。
◇ ◇ ◇




