5.リバースデー⑦ 決断する前に始まってしまった。
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復讐が達せられそうだというのに、心は晴れるどころかざわつくばかりだった。
動揺は庇護の力を弱めさせ、回帰形態の堕神をも呼び寄せた。箱庭への回帰形態の幻出は、世界の存続を危うくする。なんとか庇護は維持しながらも、復讐の実行に関して迷いが生じていた。
しかし決めかねているうちに、彼女という存在の楔が堕神を導いてしまった。
決断する前に始まってしまった。貫くしかなかった。
◇ ◇ ◇
須藤明美の身体から離れて、時間の感覚を失ったのは痛手だった。
どれだけの時間が経ったのかも分からず、焦燥の中メルビレナは探し続けた。探して、探し続けて。そして――
「っ!」
メルビレナは一帯に堕神のいない場を見つけ、降下した。赤茶けた大地に降り立って見渡した光景は、よりいっそう閑散としていた。
誰もいない。なにもない。
この世界におけるヒト――神僕は箱庭へと渡り、動物は死に絶え、植物は枯れ果てた。存在するのは堕神だけ。
「この世界を創ったのは私だ。生かすも殺すも私次第。荒廃したところで、誰が私を責められよう」
わざわざ口に出したのは、反対のことを考えていたからだった。
物思いの沼に沈む前に、変化が訪れた。
10メートルほど先で次元がゆがむ。
驚きはない。むしろ前兆を感知したからこそ、この地点に来たのだ。
通常とは桁外れに強い、堕神の存在感。
箱庭から排除されたのだろう。一度ばらばらに砕けた粘土を練り直すように、それは出現した。
ベースは通常の堕神と変わらない。しかし身体の各所の部位で、細胞の異常増殖や欠損が見られる。特に大きな違いは《眼》だ。細胞異常のためか、なぜだかふたつある。そしてその両方とも萎縮している上、膨張した肉片に圧迫されて埋もれかけていた。
(回帰形態……それも多くの意識を内包している上、自我の残存レベルも著しく高い)
堕神はすぐに、憎き女神の存在に気づいたようだ。こちらへと注がれる視線に、激しい憎悪を感じる。
絡まりついてくる憎しみは、ただの動物的な怒りではない。ねじれ、ゆがみ、永い時をかけて醸成・濃縮されてきた、理性の果てにある醜く人間的な憎悪だ。
(あやつとなら、交渉できるレベルまでもっていけるかもしれない)
こちらを射抜かんばかりににらみつけるその目を見返して、メルビレナは笑みを浮かべた。
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