5.リバースデー⑥ なんにせよ今日だ。
◇ ◇ ◇
「ごちそうさまでした。とってもおいしかったです」
箸を置いて挨拶を言う。兄言うところの猫かぶり声で。
「ごめんなさいね、大したものも出せなくて」
対面に座した女性が、手を口元に当てて謙遜の言葉を口にする。見た目は若いのに、年配者がよくする類いの仕草が不思議としっくりくる。
「いえそんな、本当においしものばかりで……こちらこそ、こんな年末に押しかけてしまってすみません」
「いいのよ、夫が急な出張で食材も余ってたところだし。それにこの子全然友達呼ばないから、むしろうれしいくらい」
「お母さんってば! そういうこと言わなくていいから!」
女性の隣で、明美が慌てた声を出す。生意気さのにじむ口調から、外では見せない明美の素を垣間見た気がして、少し面白かった。
女性――明美の母は「はいはい」と流すと、セラの隣に座る、テスターへと視線を転じた。冗談めかして、
「大きな学校で暮らしてる渡人からすると、こんなちっちゃな家は居心地悪いでしょう?」
「むしろ心地いいですよ」
テスターが笑みを返す。
「こういった家庭的な雰囲気は、食堂では味わえないですからね」
ただの社交辞令なのだろうが、セラはふと思った。
(そういえば、テスター君のご両親って……?)
今まで話に上ることがなかったから、気にしたこともなかった。
気にしたところで迂闊に聞けば、「あー……もう死んじゃったんだよね」と返されることもあるのが神僕なのだから、そうそう尋ねられることでもないのだが。
(意外に教官陣の中にいたりして?)
いずれにしろ今考えることではない。セラは自分の役割に集中することにした。
片づけは不要と言われたので、明美の母には再度礼を告げて、3人一緒に居間を出た。
階段を上がって明美の部屋に入ると、テスターが不思議そうに口を開いた。
「君のお母さんは、あまり気にしないんだな。渡人のこと」
特に最近はデモの影響で、地球人からの渡人への当たりは強くなっている。多少の中傷や当てこすりは覚悟していたのに、なにもなくて拍子抜けしてしまったのだろう。実をいえばセラも同感だった。
「いつもあんな感じだよ。仕事柄渡人と接する機会も多いから、変な偏見もないんだと思う」
明美は部屋の隅からクッションをふたつ持ってくると、折り畳み式のテーブルの前に並べた。
(……こんな呑気に過ごしてる場合じゃないのに)
そんな思いが頭をもたげる。
促されるままに座り、3人で雑談を交わし始めても、セラの心は上の空だった。
これが今の自分の役割だと言い聞かせても、今この瞬間も痛みにさいなまれているであろう兄のことを思えば、焦燥感は募っていく。と、
「ごめんねふたりとも。本当はきっと、訓練校にいたかったよね」
募った焦りが、表面に染み出していたらしい。明美が申し訳なさそうに言ってきた。
今更否定もできず、セラは思ったままを答えた。
「気にならないと言えば嘘になりますけど、須藤さんの衛護だって大事ですから。ね、テスター君」
「だな。学長なんて『本来であれば在宅などもっての外。女神様が帰還されるまで、保護という名の徹底的な監視下に置いておきたいところだ』とまで言ってたぜ。ありゃ半分は本気だったな」
「ああそっか。一応私、まだ『保険』なんだっけ」
思い出したように言う明美に、テスターが頭に手を当て、ははと謝る。
「ごめんなー。せっかく解放されたっていうのに」
「ううん、同化してても、そこまで不都合があるわけじゃないし。まあ規則はちょっときついかもだけど……でも、なんか変な感じ」
「なにがです?」
問うと、明美は服のコーディネートを確認するように、自分の身体を見下ろした。
「普段は女神様が同化してるなんて全然感じないのに、こうして分離してみると、やっぱりどこか違う気がするんだ」
「呪いが解けたようなもんですからねー。さぞやすっきりするでしょう」
これには明美は曖昧な笑いを返し、「そういえば」と続ける。
「女神様が戻ってきたらどうするの? 基本的に私との同化はもう必要ないって、渡人のトップの人に言われたんだけど」
「その役割はリュートが引き継ぐんだってさ」
「天城君が?」
「ああ。自分から志願したんだ。あいつ、君が女神様と同化してること相当気にしてたからな」
「? なんで天城君が気にするの?」
「あいつにもいろいろあるってことさ」
軽薄な笑みでごまかすテスター。
「そういうわけですから、須藤さんはなにも心配いりませんよ。リュート様がなんとかしてくれます」
(でも、そんなことはさせない)
テスターに同調しながら、セラは内心反対のことをつぶやいた。
兄が女神と同化するとはいっても、かつてのように一方的・強制的に生命力を吸い上げられるわけではない。明美の時と同じ緩やかな、共生可能型の同化である。
万が一リュートが同化不可能な状態――つまりは生命が停止するか、それに近しい状態――になった場合は、適合率の高いセラが、それも無理なら明美が宿主になる手筈だった。
しかしセラは、自分が宿主になるつもりだった。できれば女神が帰還した際、事故を装って。
たとえかつてのような切迫した同化でなくとも、これ以上、兄が身を捧げるのが嫌だった。
(私がお兄ちゃんを護るんだから……!)
決意を新たにしていると、ふと横から視線を感じた。テスターだ。
テスターはすぐに視線をそらしたが、その一瞬に捉えた彼の目は、警戒の色を帯びていたように見えた。
(気づかれた……かしら?)
であれば、実行の際には注意が必要かもしれない。
セラは、テスターの動向も気にかけておこうと付け加えた。
「さてと、俺はそろそろ行くかな」
テスターが伸びをして立ち上がる。その時にはもう、いつものつかみどころのない、飄々としたまなざしに戻っていた。
「俺は近辺で待機してるから。堕神が出たらすぐ駆けつけるけど、直後の避難誘導はよろしくな、セラ」
「そりゃもちろんだけど……本当に大丈夫なの、テスター君」
「そうだよ外で待機だなんて。凍えちゃうよ。うちに泊まっていけばいいのに」
「君のお母さんも、さすがに俺が泊まるのは許しちゃくれないと思うぜ」
手にしたコートを着込みながら、テスターが答える。
「ねえ、やっぱり私も外で――」
セラは迷いながらも立ち上がるが、
「あー、駄目駄目。さすがにひとりは、須藤のすぐそばにいないと」
あっさりと却下される。
「それに排斥派が闊歩するような状況下だぜ? 年頃の女の子に、外で夜明かしさせるわけにはいかないって」
冗談とも本気ともつかない口調でのテスターに、セラは口をとがらせた。
「そういうことなら、テスター君だって危ないのは同じじゃない。過激な排斥派に絡まれたらどうするつもりよ」
「むしろそれくらいの方が、後からいろいろ言われなくて済むかもなー。『お前だけ楽しやがって』ってさ。あいつみみっちいじゃん?」
テスターはきししと笑い、くるりとこちらに背を向けた。
「ま、なんにせよ今日だ。今日を乗り切れば、きっと明日だってなんとかなる」
それは自分に言い聞かせているようにも、この場にいない誰かへ語りかけているようにも感じられた。
◇ ◇ ◇